ベルベット・ムーン

深月織

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〇.真月記

9.枢の結界

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 空気が揺れる気配にシーアはふと微睡みの淵から浮上した。
 薄く開けた眼に映る月光。わずかに開けられた窓の隙間から漏れた光が、一筋の線を描く。
 ぼんやりとした思考に、わずかな引っ掛かりを覚えて緩く瞬いた。
 しんと冷えた外の匂い。
 ――昨夜、窓はしっかり閉じて眠りについたはずだ。
 枕の下の短剣を握ったシーアがそれを振るうより速く、黒い影が彼女に覆い被さる。
 声を上げようにも手のひらで口は塞がれ、武器を持った腕は押さえ込まれて身動き出来ない。
 王女の寝所に容易く侵入を許すなど衛兵は何をしている、と腹立たしく思いながら、シーアは集中した。力をぶつけてやるために。
 だが。
「――驚かせてすみません、姫」
 ですから実力行使はお止めいただけますか、と知った男の声が囁いた。



 リストリアの城塞は丘陵の上に築かれている。
 城の眼下に広がるのは森となだらかに隆起する大地と平野。あと数時で遠く夜明けを示す太陽が地平の境から顔を出し始めるだろう。
 そんな時分、日の光も届かない城の地下、暗闇に灯りを翳しながらシーアは王族と一部の者しか知らない通路に足を踏み入れた。
 後について従う青年に鋭いまなざしを向ける。視線に気づいたアレイストが「まだお怒りですか」と苦笑した。
 当然だ。女性の部屋に、しかも眠っているところへ先触れも許可もなく侵入してくるなど、警護の兵を呼んで斬らせても許される。彼なら笑って逃れそうだとも思うが。
 だが、自分を驚かせたかっただけで忍んだわけではないとわかっているので、苛立たしい気分を飲み込み、叩き斬る想像だけで済ませる。
 いつも余裕の態度を見せていた彼が、旅装を解く時間も当然彼女に払われる礼儀も捨てて現れたのだ。生半可な理由ではない。
「外出していたと聞きましたが……」
「――民もあちらの地に落ち着きましたので、お約束の件を果たそうと」
 シーアは足を止める。
 妹姫の結婚式を終えたあと、彼の一族が巫の地へ移り住んでしばらく。寄越される文から読み取るところ、彼らも民もお互いの距離を計りながらなんとかやっているようだ。
 一族の力が通用しない人々を前に、アレイストはさすがにすぐ気づいたようだったが、愉快げな表情をしただけで一族に忠告する様子はなかった。
「貴女が直々に指名した土地だ。一筋縄ではいかないと、思っていたが、その地に住まう人々までもとは」
「貴方は共存をと望まれた。だから、わたくしなりに考えた故のこと」
 アレイスト個人はさておき、彼らの一族を信用してはいない。我が民を一方的に搾取する、そんなことはさせない。
 いまは家畜と侮っている者たちが、その裏で行動を操ろうとしていることなど、思いもしないだろう。命じたものの、シーアとてこれから続く時間の中、巫の民が彼らにとってどういった存在になるのかなど予想もできないのだ。
「長い時間は要するでしょう。まずは意識改革からといったところかしら。わたくし自らの手で鼻っ柱をへし折って差し上げられないのが残念ですけれど」
「……お手柔らかにお願い致しますよ……」
 どうして貴女の美しい唇からは物騒な言葉ばかり出てくるのかな、顎に手を当てつぶやいたアレイストは、気を取り直して懐から片手のひらで包み込めるほどの石を取り出した。
 つるりとした黒い球体の表面が灯りを映し、赤く揺らめく。
「国の要所に私の力を籠めた秘術の核を埋めました。今から王城を中心として、土地に結界を張ります」
「秘術……」
 シーアの異能はあくまでも感覚的なものだ。自分の力が周囲に何らかの威力を及ぼしていると感じるだけで、実際にはただの思い込みなのかもしれないと考えたこともある、不確かなもの。
 アレイストたちが使う力も自分と同じではないが、似たようなものだと理解していた。
 ――見えない力を、万象に及ぼす。
 故に、手順に乗っ取り術具を使った秘術を行うと聞いて、少しばかり意外に思ったのだ。
 彼女は球体を見て、首を傾げる。
「その、結界……とは、どういったものですの? 他国の目より隠すと仰っていましたけれど、この国がなくなったように見せると、そういうこと?」
「おおまかに言えば。地図の上にも人々の前にも、リストリアという国はあります。ただ、『ある』と意識できなくなるだけで。――川や渓谷を避けるように、この国は迂回されるといった感じですか」
 アレイストは宙に指先で国の形を示し、その周りをくるりと取り囲む仕草で円を描いた。
 記された架空の地図がそうすれば現れるかのように、シーアは目を凝らす。
「……いまひとつ理解できないのは、わたくしが愚かなのかしら」
 眉を潜めてため息をつくと、シーアは目の前の壁のくぼみに手にした鍵を差し込んだ。反応が感じられるまで押し回す。と同時に重い石の扉が動く。
 閉ざされた扉の向こうには自然にできた洞窟を利用し、石壁を整えて作られた祭壇がある。その昔、巫が神に語りかける場だった。今は緊急時に避難場所および脱出路に続く分かれ道となっている。
「城の中心地はここになりますわ。その、核を埋めるとなれば祭壇がよろしいかと……アレイストどの?」
 入り口で立ち尽くす青年に気づき、シーアは彼に声をかける。彼女の訝しげな視線に、嘆声を漏らした彼は慎重な歩みで彼女の示す場所まで進んだ。
「どうなさったの?」
「ここは、今の私には少々強いですね……姫のような能力を持っていたヒトの気配が濃く残っているようです」
 胸元を押さえ、深く息を吐いたアレイストの言葉に、シーアは周囲を見回す。
「……確かに、わたくしと同じ役目を持った方々が祈りをささげた場所ですが……大丈夫ですか?」
 昔の神子の気配と言われ、自分の先祖だとわかっていてもぞっとしない。自分とは違う意味で顔色を悪くしている男を心許なげに見上げた。秀麗な眉目がいつもよりもさらに白く見えて、つい額に手を伸ばす。
 虚を突かれたアレイストは目を瞬いた。
 手のひらに伝わるヒヤリとした感覚に、シーアは眉をひそめる。急いていた彼に引きずられ行動したが、休息を取らせたほうがよかったのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。シーアどのが心配してくださるなら、奔走する甲斐もあるというものです」
 冗談めかした発言にムッとして、「戯言をおっしゃることができるならよかったですわ」とそっぽを向く。とはいえ、早く用件を済ませたほうがよいことはわかった。
 長い年月人々の手に触れられた祭壇は角も丸くなり擦り減って、知らぬものが見ればでっぱりのあるただの壁と判断されるだろう。
 祭壇に近づいたアレイストは、許可を求めてシーアに目で問いかける。彼女が頷くのを確認したあと、袖口から小刀を取出し、正面の壁に突き立てた。冷え固まった乳脂バターを切るように易々と石が刳り貫かれる。どんなに硬い刀なのだと呆れながら眺めた。
 何事かつぶやくと、アレイストは透かし見るように球を掌中で転がした。灯りを反射すると紅玉のようにも見える。
「――結界とは、どのくらいのあいだ持つものですか」
「私の命がある限りは有限に。例外は、ヒトの欲が私の術の力を上回ったとき、でしょうか」
 実際に壁を作るわけではないので、リストリアへ何としてでも行くのだという、確固とした意識があれば結界の働きかけは効かない、らしい。
「あとは、条件付けをしましょう。我が一族の血、リストリア王家の血がこの地にあるかぎり、と」
 共同戦線を張るなら納得のいく内容だ。しかし。
「できますの?」
 彼の力を今さら疑うわけではないが、そのような都合のよいことができるのかとシーアは疑問を呈する。アレイストは軽く口の端を上げてやっと彼らしい余裕の表情を見せると、胸に手を宛て恭しく礼をとった。
「シーアどの。血を一滴ひとしずく、いただけますか」
 思えば、彼自身が精血を求めるのはこれが初めてだった。
 
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みんなの感想(7件)

RoseminK
2020.08.26 RoseminK

これは、これは‥
一気に読みました!!

いつか更新してくださいませ!😊

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じじくん
2020.05.27 じじくん

まだかな、まだかな~~~♬

待ってま~す!!

解除
じじくん
2019.10.08 じじくん

はじめまして。
一気読みしました。早く続きを読みたいです!

更新を心待ちにしています。
よろしくお願いいたします!!

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