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11.言葉を尽くしても、変わらない、戻らない
しおりを挟む恋人じゃなくて、ヒモ。
印南の言葉がストンと胸の内に収まったのは、私もどこか同じように思っていたからだろう。
こうして、私たちの駄目だった部分を、第三者から言われて気づく。
薄々、和馬の女遊びに気がついていながら追求せず、どうして事実が発覚するまで放っておいたのか。
和馬が駄目なら、私も駄目だった。
何も知らないくせに、と兄に怒りを覚えたけれど、結局は同じ。
幼い頃から知っている可愛い和馬が、そんなずるい男になってしまったと思いたくなかった。
うるさく小言を言って、疎まれたくなかった。
ただでさえ年上の姉ポジション。自分がキツイ性格をしている自覚もあったから。
そうして、見えていたのに見えないふりをして、報いを受けたのだ。
きっと、正す機会は何度もあった。
それを逃したのは私の責任。
「それこそ関係ないだろう! まり奈に言われるならともかく、いきなり出てきたアンタに何がわかる」
激昂するのは、本人にも自覚があったからだと思いたい。
突っかかる和馬に、印南はあくまでも笑みを浮かべたまま。
だけど言うことは辛辣だった。
「確かに、生まれたときから傍にいた惰性の甘えで女を便利に使いたい放題できる神経は俺にはわからないな。それと、俺個人に関しては、関係ないこともない」
チラリとこちらに視線を流して、印南は続けた。
え。ちょっと待っ……
「惚れてる女がくだらない男にいつまでもわずらわされていたら、口説くものも口説けないし?」
(爆弾投げられたー!)
いや、これは嘘も方便ってヤツよね? だと言ってくれ!
私が必死にフラグを回避する方法を考えている横で陰険なやり取りは続く。
「結局そういうことかよ」
「そうだな。君がやらかしてくれたことは、俺にとってはラッキーだった」
――つれなかった女に、付け入る隙を与えてくれたってことだから。
悪びれもせず、逆に余裕の態度で略奪を匂わせる印南に、和馬が唇を噛んだ。
和馬は一人っ子だが、うちの兄弟に混ざって育ったため、末っ子気質だ。
いつも、和馬が考えを言葉にする前に、年上の私たちが言いたいことを読み、助けてしまっていたから、和馬はあえて強い意思を言葉を使う必要がなかった。
ようするに、他人と言い争うことが得意でない。
対する印南はうちの課の若手の中で、頭ひとつ秀でた営業マン。
和馬が口で勝てるわけがない。
私でも、印南と言い争いになったら、引っ掻き回す方向で話をずらさないと引き分けに持って行けないくらいなのだ。
口論では分が悪いと自分でも察したのか、和馬の声が勢いをなくした。
「……まり奈が、そう簡単に心変わりするはずがない」
「口説き落とす自信はある。ご心配なく」
どさくさに紛れて怖いこと言わないでくれる! いつの間にか丸め込まれている自分の姿が見えるから!
……いやいや、方便方便……、
「まり奈、ずっと一緒にいた俺よりコイツを選ぶの? 俺のこと、まだ好きだよね?」
すがりつくような瞳をしている和馬の表情に、胸が傷んだ。
甘えるときや、自分のワガママを通そうとするときの、和馬のクセ。無意識にやっていることもわかってる。
今まではそれを許してきたけれど。
昨日までの私と、今日の私で決定的に違ってしまったものが、揺らぐ私を引き留めた。
大丈夫かと目線で訊ねる印南の存在。
そして和馬に対する、私の感情。
本当の意味で和馬と決別することは、無理だろう。二十二年の関係が、私にそれを躊躇わせる。
どんなに困った身内でも、情により見捨てることができないように。
仕方のない弟でもあり、甘えたの可愛い恋人だった和馬。
素直で無邪気な子どもの頃を覚えているし、付き合っていた頃の幸せだった思い出も、ある。
決して消えない。
「――そう、ね……。幼馴染みで、可愛い弟みたいな和馬を、心底嫌いにはなれない」
でもね、和馬。
一瞬表情を明るくした和馬にそう言って首を振る。
「恋人と――男としての和馬への気持ちは、昨日、あのときに、私の中で死んだわ」
もう、異性としての和馬を受け入れることは出来ない。
私の拒絶の言葉に、和馬は視線を逸らし口ごもった。
「昨日のは……アレは、単なる遊び相手だって、」
「私の部屋で一緒に寝る遊び相手、ね。……私が本当に気がついていないと思ってた? 昨日が初めてじゃないでしょ」
普段は洗濯なんてしないのに、たまに洗われていたシーツ。風呂を沸かす前に、濡れていたバスルーム。減っていた冷蔵庫の中身。弄ったあとがあるドレッサー。
全て、気のせいで済んでしまうような微妙な違和感だったから、訊ねることもできなくて。
印南の目が、馬鹿だな、とささやく。
心当たりがありすぎるらしい和馬は、サッと顔色を変えて、何か言い訳を口にしようとした。それを遮る。
「嫌いになる、ならないじゃなくて、信用が、できない。遊びで、恋人の部屋で、他の女とそういうことができる和馬が、――気持ち悪いの」
最後の一言を言うのに、ごっそり気力が削られた。
正直に言うと、まだ好きだと想う気持ちがなくなったわけじゃない。
幼馴染みとしての二十二年。恋人としての七年。
ただ知らない男女として出会っていたのなら、切り替えはうまくいっただろう。
それとも、最初から無理だったのかな。
和馬を弟みたいな幼馴染の恋人ではなく、ちゃんと一人の男の人として見ることができていたら、よそ見なんてしなかった?
私だけで、満足していてくれた?
――もしもと仮定して、非の有りようをいくら思議しても、私の中ですでに答えは出ていた。
不平不満がなくとも、和馬の遊びという名の浮気はあっただろう。
ご飯の後に甘いものを欲しがるように。ケーキの種類を選ぶように。
私も他の子も両方味わいたいの。
私が理解できない、これはもう元からある資質だと言うしかない。
今、本当に和馬は反省している。
だけどそれは、「まり奈がここまで拒否するようなことだと思っていなかった、怒られていることに対してのごめんなさい」であって、「その行為自体が受け入れ難いこと」という私が拒む本質はわかっていない。
平行線。あるいは、一方通行。
いくら言葉を尽くしても、和馬本人がわかろうとしてくれないうちは、通じない。
そして、通じ合うまで話し合う気力が、疲れてしまった私にはない。
もう一度、はねつける言葉を紡ごうと口を開き――だけど声が出てこなくて、唇を震わせた。
印南の背が、捨てないでとしがみつくような和馬の視線を遮った。
「いい加減、ガキの独占欲から抜け出して成長しろよ……」
「――俺が年下だから? だからまり奈はこいつのほうがいいのか」
幼さを残す声音に憤りの色。和馬の顔は見えなくても、どんな表情をしているかは想像できる。
くやしそうな。年下だから印南より自分が劣っていると侮られて、プライドを傷つけられたと感じている。
そういうことじゃない。ないのよ、和馬。
印南が、呆れの混じったため息をこぼす。
「女を一人前に愛したかったら己の自己愛を捨ててからにしろ」
静かだったけれど、充分に恫喝の意志が込められた声に和馬がひるむ。
「わからないか? お前は見限られたんだ。子守をしてくれる乳母が欲しければ他に行け」
「まり奈!」
目の前の邪魔者を押し退けて、私へ伸ばした手を、その印南が払う。
「こいつをこれ以上傷つけるな! 少しでも女として好きだった気持ちがあるなら、みっともなくしがみついてないでもう千葉を解放してやれ!」
声を荒げた印南に、和馬だけじゃなく私まで肩が跳ねる。
印南が大声出すのを、初めて聞いた気がする。
そのことが意外で、びっくりして雪崩れそうだった涙腺が止まった。
目をぱちぱちさせて印南を見上げると、怒鳴ってしまった自分に対してか自嘲するような舌打ちをして、和馬の腕をつかんで外に押し出す。
反感の思いは隠さず印南を睨みつけていた和馬は、立ち竦んだ私に気づくと、俯いて、捕まれた腕を振り払った。
踵を返して、自分から部屋を出ていく。
その背に投げられる印南の声。
「……悪いが、返す気はない」
ツッコミどころのある印南の言葉に、和馬が言い返した。
「まだアンタのものになったわけじゃないだろ」
「まだ、な」
「……すぐに、」
後のやり取りは距離に遮られて、よく聞こえなかった。
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