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4.激情が過ぎるとあとは落ちるだけ
しおりを挟む河岸を変えるぞと印南が私を引っ張ってきたのは、カップルよりグループや仲間連れが多い、くだけた居酒屋だった。
運よく空いていた個室席に腰を落ち着ける。
店の中は人いきれと暖房で息苦しいくらいだった。寒から暖への温度変化に全身の神経が痺れたようになっている。
冷たく強張った頬を手のひらで揉みほぐしている私に、印南がどこか探る目を向けているのはわかっていた。
勢いのままならぶっちゃけられたかもしれない、あの惨めな出来事も、間を置いてしまえばなんとなく話しづらい。お冷やの入ったグラスのフチをクルクルとなぞりながら視線をさ迷わせる。お酒、早く来ないかなー。
ふと、すでに一度目を通したメニューの、期間限定クリスマスショートケーキの文字に気がつき、ムッとした。
昼間買ったクリスマスケーキとチキンは、荒れた部屋の床に放り出されたままだ。腹立たしいあの部屋に帰るのは、もう少し気持ちが落ち着いてからでないと無理だから、冬とはいえ、放置されて悲惨な結末を迎えるであろう食物に申し訳ないことをしたとは思うが、戻って食べようとは思わない。
クリスマスも本番は明日明後日だけど、どうでもいいや。
特別に、クリスマスのイベントに思い入れがあったわけじゃない。期待していたわけでも。ただ、和馬がはしゃぐから、私も盛り上がっていただけで――
くそっ。
「女がくそとか毒づかない」
あと舌打ちもやめろと印南がオカンのようにたしなめてくる。頭の中駄々漏れだったらしい。
むくれてソッポを向くと、ドリンクが運ばれてきた。
とりあえず。印南がこのような場所に私を連れてきたということはとことん付き合ってくれるものと判断する。言い訳は聞かない。
「はーいカンパーイ」
酒を酌み交わすときのお約束で、グラスをガチンと打ち合わせた。
こうなったら、やけ酒じゃー!
お酒が進むと同時に、私の躊躇いも遠慮もどこかに行って、グチグチと印南に泣き言を漏らす。
「……たぶん、初めてじゃないんだ。うちに女の子連れ込むの」
小さな違和感には、ときどき気づいていた。
使われたあとのあるバスルーム。減っている日用雑貨。二人で暮らしているから、それも不思議ではないけれど、女のカンっていうか。自分以外の雌の気配が、彼の周りにあることを、なんとなく読み取っていた。
気づかないふりをしていたのは、ハッキリすることを恐れて。和馬の笑顔が嘘と誤魔化しで出来ていることを、直視したくなくて――
「幼なじみだったっけ、お前のオトコ」
「そう。こんな、ちみっちゃいときから、面倒見てた」
こんな、と指先でミニマムな背丈を表現するとそんなに小さくないだろ、とツッコミが入る。
笑って、笑えることに呆れる。
わかっているのだ。
和馬がどこか一人立ちできない子どものままで、自分の欲望に素直で、他人の機微に鈍感な人間に育ってしまったことを。
それは、昔から年下の可愛く人なつっこい少年を、甘やかしてきた私のせいもあるのだと。
私が三つ年上だから、生まれたときからからの付き合いだから、和馬のおねだりや我儘には慣れていて、たいてい叶えてやっていたし、その子どもっぽさも許容できた。
外でデートをしているときも、誘う目をした女に愛想よくても、和馬だから仕方ないと――
「一緒に暮らしてたんだろ? 会社でお前のノロケ、死ぬほど聞かされてたってのに……うまくいってなかったのか?」
頭を振った。そういうわけではないのだ。そういう問題では。
「アイツ、深く考えてないんだよね……他の女を抱いて、私がどう思うかとか……反省するフリもなく、『一番好きなのはまり奈だから、問題ないよ』とか言うんだ」
それを示すように、さっきから開いてもいない携帯はチカチカと目障りな受信ランプをつけていた。和馬からの電話や、メール。
あの状況を見られておいて、どんな言い訳をするつもりなのか。
和馬のたちの悪いのは、それを本気で悪いことだと思っていないところなのだ。
「……それで、謝られて、ヨリ戻せるのか?」
「無理。今回ばかりは無理。私の部屋をラブホ代わりに使われていたのを目の当たりにしちゃったら到っ底っむっり!」
何杯目かも忘れたアルコールを煽って、息を吐く。
年下の無邪気さが、今までは可愛いと思えた。直接知らないでいられたときは、見ないフリが出来たけれど――もう駄目だ。
「きもちわるくてあんな部屋、も、いられない……」
印南の視線が私の荷物へ向かう。
そうさ当座の物だけ詰めて来たのさ! とりあえず数日カプセルホテルにでも行くさー。
「実家……は、帰れないのか」
「和馬がくるもーん。うちの家族もあのバカタレに甘いから、私が悪者になっちゃうもーん」
家族ぐるみの付き合いって、こういうとき困る。お姉ちゃんは損だよ。
火照った頬をテーブルにくっつける。一時の怒りが過ぎると、虚しさが胸を塞いだ。
なんていうかな。結局、和馬の『好き』は、違うんだ、ということを確認したというか。
ずっと一緒にいたのに、和馬は私の気持ちをわかってくれようとはしていなかったんだなって……
本当は、知ってた。
甘えるだけ甘えて。私が和馬を愛すること、それを当然と甘受する。
和馬がうちに転がり込んできたのは、体のいい宿泊場所が出来たと思ったから。
もちろん私と一緒にいたいと言っていたのは、和馬なりに本気だったのだと思う。けど、それは、彼を甘やかしてくれる姉を手放したくなくてのことだと、無意識下ではわかってた。
「ったく……妙なところで世慣れてねーし」
慰めなのか、印南に頭をぐしゃぐしゃ撫でられる。
その乱暴なしぐさに反して、印南の声は優しくて、ちょっとだけ泣いた。
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