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3.すべてが憎々しく思える。
しおりを挟むガラゴロとキャリーケースを引きずり、カップルがひしめき合う街を足取り重く行き過ぎる。どこもかしこもカップルだらけで、ココロがささくれた今の自分には苛立ちの対象でしかない。
目的地だった不動産屋は祝日連休のコンボで閉まっているし、すぐさまあの呪わしい部屋を引っ越してやる! という私の意気込みも、出鼻をくじかれシオシオだ。
カップルを掻き分け、やっとのことでコーヒーショップの一席に陣取る。吹きっさらしの外のテーブルだが仕方ない。格好も気にせずぐるぐるとマフラーを顎の上の辺りまで巻きつけて、一応の防寒強化。あとで化粧室行って背中と腰にカイロ貼り付けよう。
数分で冷えそうなカフェラテを手に、鞄から取り出したノートパソコンを立ち上げて、ネット検索を始めたのだが。
「最寄り駅から徒歩十五分、ということは軽く二十分はかかるな……、おっ、五分って、げえ、敷金三十万? ナシじゃこのやろう」
今すぐ居を移せるならどこでもいいなんて思っていても、いざ物件を見てみるとアレやコレや望むものが増えてなかなか決まらない。
贅沢を言っていられないのはわかっている。こうしているうちにも日は暮れてきているし、今日の宿だって決めなきゃだ。カプセルホテルくらいは空いているだろう。
部屋のほうはとりあえず一旦中断して、ホテルを探そうと賃貸情報のページを閉じる。次の検索語を打ち込もうと指を滑らせ――
「千葉?」
訝しげな声に目を上げる。雑踏の中、昼ぶりに会う同僚の男が、眉をひそめてそこにいた。
鼻を啜りながら「ヨッ」と片手を上げてご挨拶。
「印南どの、数時間振りじゃのう」
「まだそのキャラ続いてんのかよ。……こんなとこでなにやってる」
呆れたように言いながら、印南は向かいの席に鞄を置く。はめていた手袋を外すと私の頭の上に乗せて、店の中に入って行った。
首を倒して頭の上のものを落とす。濃いグレーの、趣味のよい手袋をじっと見つめる。
中が起毛で見るからに暖かそうな手袋を前に、はめない道理があるか? あるわけない。
ヨシと頷き、かじかんでカサカサになった手を突っ込んだ。
見かけどおりぶかぶかだったが、ヤツの熱が残っていてあったかい。ククク、ワシのこの凍えた手で冷え冷えにしてやるわい……!
無断借用した手袋をはめたまま指を曲げ伸ばししていると、湯気の立つカップを両手に印南が戻ってくる。
何で二つ、と疑問に思う間もなく、スパイスの香るチャイラテが私の前に置かれる。
すでに先ほど購入した飲み物はなくなっていたので、チャイと印南の顔を交互に眺めてから、ありがたく頂戴することにした。
印南は手をワキワキしている私に呆れ顔だが、コヤツにこんな視線を向けられるのはいつものことなので、気にしない。
しばし無言で胃の中から身体を温める。
ふう、生き返るわあ~。などと呑気にしていられたのは、そこまでだった。
「――で?」
印南の冷静な問い掛けが、言い逃れを許さない厳しさで投げられる。私はつい目を逸らした。
「どうして、昼間にお家に帰ったはずの千葉サンが、こんなところで鼻水たらしているんですか」
たらしてないもん。一歩手前だけど。
チラリと目を動かして、印南は私の足元に置いたキャリーケースとぱんぱんに膨れた鞄を確認、肩をすくめ、――言っちゃいけないことを口にしてしまう。
「てっきり今ごろは彼氏とぬくぬくしているものだと思ってたが。ケンカでもしたのか」
ボコッと手の中のコップがへこんで中身がこぼれ出そうになる。おっともったいない。
スリープモードになっているパソコンのディスプレイ画面に、目を据わらせたまま唇に笑みをたたえる私の姿が映った。
背後に怨霊を背負う私の気配に気づいたのか、印南が身じろぐ。
「……なに、マジで? なにもこんな日に――」
ケンカをしなくても、と言いたかったのだろう。
だが、ケンカなんて修復が効くようなことではないのだ。
ウフフフ、と喉から低い笑い声がこぼれる。
「訊いたわね訊きましたわね! このまま見逃してあげようと思ったのに訊かれちゃあしょうがないわね、つき合わせてやる!」
今さら退いても逃がさないわよ!
私の常軌を逸した高笑いに印南の表情が困ったものになっても、これも見慣れているので気にしない。
まだ熱々のチャイをがぶりとあおり、吐く息で劇物を投下した。
「誰かさんが接待変わってくれたからルンルンでお家に帰ったらオトコがどっかの女と合体中でした! さあこれでこんな日にケンカすんなとか言うか!」
テーブルに拳を叩きつける。印南の動きが止まる。なんだか周りの人々も固まったような気がするけどまあいいか。
「素っ裸で追い出してやったわ! 窓から捨ててやった服をケツ丸出しで拾い集める姿ったらなかったわね! 動画にでも撮ってやりゃあよかったわ!」
さらに続けると半径五メートルが無風状態になった、気がした。
ゴクリ、と印南がコーヒーを飲み下す音がやけに大きく聞こえて。
「……わかった俺が悪かった。というわけで――河岸変えるぞ」
素早く荷物をまとめた印南は私の手を引き、どん引きした皆様の間を走り去ったのだった。
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