魔女とお婿様

深月織

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秘密篇

第三話 母上来襲

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 ふわふわと、羽根が頬や瞼に触れる感触がくすぐったくて、あたしは身動いだ。
 んん、と唸ってまだ半分眠ったままソレから逃げる。
 なのにしつこく追いかけてきて、クスクスと笑うのだ。
 ……ん? 笑う?
「……ふ、むぅ? ……んんッ!?」
 羽根だと思っていたやわらかいものに口を塞がれて、あたしは完全に覚醒した。
 油断している唇を食んで、僅かに開いた隙間から、中に侵入してくる他人の――舌。
「っふ……、んンーーー!!」
 バシバシと覆い被さっている奴、ていうか目が覚めてそれが王子だって分かったけど、彼の腕や背中を叩くものの、全く気にした風もなく、深く唇を合わせてくる。
 ピチャリ、と濡れた音、逃げる舌を追いかけて、絡め捕られ、擦り合わされる唾液。
「ん……っは、ぅん…ッ……ん…っ」
 あたしの口内を好きに味わいながら、王子は宥めるように髪を撫で、少しの重さしか感じない程度に、身体を寄せて。
 触れる唇の角度を変える度に空気を求めて喘ぐあたしの息が熱っぽくなる。
 トロリと溶けたあたしの瞳を覗き込む、宵闇紫。
 笑んで、名前を囁きながらもう一度羽根のように唇に触れてくる。
 ……どういうわけか、あたしは抵抗出来なくて。
「……カノンどの――……、」
 囁く甘い声に、また、意識を持って行かれそうに、なる―――、
「だだだだめです、アイラ様っ、まだお二人ともお休みで――ッッ!!」
 あたしをおバカにしそうだった桃色の空気を突き破り、半泣き声のリリアの声が耳に入って、ハテナ? と感じる間もなくぶち壊されそうな勢いで開けられる扉。
 真っ赤な嵐が現れた。

「オラァ餓鬼ども! 昼飯の時間だぞ!」

 サラリ、肩に落ちる真っ直ぐな黒髪を払って、ニヤリと笑う、緋色の着物姿の小柄な女――、
「かっ、かあさまっっ!?」
 あたしの叫びに、え。と呟く王子。
 そう、遠い東の故郷にいるはずの母が、そこにいた。
 



 
 ヘビに睨まれたカエル。
 今のあたしはそんなカンジ。

「アレのすることだから今さら驚きゃしないけど、相手が相手だろ? コイツも何も言って来ねーから、つい無茶して戻って来たんだよ」
 あくまでもにこやかに母様は言った。
 通常の手段なら半年かかる距離を一瞬で移動したことを軽い感じで無茶という、それがあたしの実母。
 腰まで真っ直ぐに伸びた黒髪、何処までも闇色の瞳。
 あたしの、“ちょっと年上の姉”くらいに見えるが、これでも一族イチの実力者。
 相手が王子だろうと国王だろうと母様が態度を変えることはない。
 テラスの椅子に女帝然(ガラ悪)と座り、向かいに腰掛ける王子とあたしを見つめて、ニヤリ微笑んでいる。
 きょわい……。
 ちなみにアレというのはバカ親父のことだ。
 母様に、

【 カノンちゃんが王子さまと結婚したよ、婿養子に来てもらったからね(ハァト) 】

 と事実関係だけ簡単に伝えたらしい、既に仕事へ行った親父にあたしは呪いの念を送った。
 柱にでもぶつかるがよい。
「御挨拶が遅れて申し訳ありません。急なことだったものですから……」
 本日も麗しく微笑んで、はにかみながら母にそんなことを言う王子に、あたしはなんとも言えない視線を向ける。
 王子は、あんな現場(いや! 何もしてないけどね!? し、してないよね?!)に踏み込まれても動じることなく、素早く起き上がり母に対して貴婦人の礼を取っていた。寝間着でだけど。
 あたしは未だ固まったまま。
 大体、起き抜け濃厚キスのダメージからも回復できていない。
 っていうか、何で王子と一緒に寝てたんだっけ?
 昨夜…昨夜は確か……、
 失礼します、とブランチを乗せたワゴンを押しながらテラスへやって来たリリアを見て、思い出す。
「リ~リ~ア~~~昨夜はよくもっ」
 あたしの声にビクッ、とおののいたリリアがお約束通りなんにもない所でつまづき、ワゴンをひっくり返す――より早く、母様がそちらへ目を向けた。
 倒れかけていたワゴンは一瞬浮いて、何事もなかったように床を滑る。
 はわわ、すみませぇん、と胸を撫で下ろしているリリアに代わり、控えていたグラントが食事をテーブルに並べ出した。
 おそらく手早く食べることが出来るように気を使ってくれたんだろう、シェフの特製サンドイッチ。
 好物なのに、今のあたしが食べてもきっと、味なんかしないだろう。
 だって……母様の目がっ、目がーー!
「さて《永和トワ》。私に報告が来なかったのは何故だい?」
 魔女名を呼ばれて、あたしの背筋が伸びる。
「申し訳ありません、長。私も現状把握が出来ておらず、事がはっきりしてからお伝えしようと」
 っていうか、混乱しすぎて忘れてたんだけど。
 そんなことはお見通しだよ、と長の目はそう言っていたけれど、取りあえずあたしが答えたことで筋は通ったことになる。
 問題は、王子があたし――緋色の魔女と結婚するということを、どこまで理解しているかってことで……、
「……殿下。貴方はカノンを嫁に迎えたのではなく、魔女永和の婿になったことに相違ありませんか」
 母娘のやり取りから魔女長と一族の一人の会話になったあたしたちを興味深げに眺めていた王子は、その問い掛けに怯むことなくニコリと笑う。
「ええ」
「それに伴う義務については?」
 長の畳み掛けるような確認に、少しも翳ることのない笑顔は流石王子と言うべきか。
 小さく首を傾げて、あっさり頷く。
「存じております。守るものが一国から世界になっただけで、たいして違いはありません」
 ………なんか言った、
 なんかサラッと物凄いこと言ったよ、このひと!
「貴方にその覚悟があるなら我々は歓迎しよう。緋の一族へようこそ、我が息子」
 当事者の一人なのに置いてけぼりなあたしに、あ~あ、という母様の半笑いの視線が向けられた。
「よかったねぇ、カノン。願ってもないムコ殿じゃないか。あんたに押し付ける形になっちまった伯爵家の後継も、さっきの様子じゃ問題ないみてえだし」
 母様誤解! 誤解だからソレ!! やってないもん、まだ清らかだもん!
 ぷるぷる首を振る私をまるで無視、用件はすんだと食事を詰め込み出した母様に、王子が嬉しそうに提案する。
「母君様はいつまでこちらに? お時間があれば、私の両親にも是非会って頂けませんか」
 ……アナタの両親て王様とか王妃様とか言わないか。そんな簡単に会ってとか言っていいのか。
 しかし母は面倒そうに、そうだねぇ、と呟き、
「以前お会いしたのはカノンが生まれてすぐだったし、うちのボンクラがいつも迷惑を撒き散らかしてるお詫びもしなきゃな」
 こっちも簡単に言う。
 そりゃまぁ、母様は親父の奥さん、てことは伯爵夫人でもある。王宮にだって行ったことはあるだろう。
 あたしと同じく一族の掟に縛られているので、世間一般の貴族の奥さんの務めは果たしていないけど。それでも構わないと口説き落とした、母にベタ惚れの親父は置いといて、了承した祖父母も大概だと思う。
 しかも、生まれた子ども(あたしのことね)も魔女だし。
 更に母様は魔女長になっちゃったから、別居状態だし。
 ……うちって何かヘン?
 さらに付け加えるならば、王子が婿養子、と。
 あたしがあらためてこの状況の特異さに目眩を覚えていると、
「アイラちゃんっ! アイラちゃん帰ってるの!? ア~イ~ラ~ちゃああ~~んっっ!!」
 聞き苦しい男の声が響いてきた。
 げえ、という顔をした母様が逃げる体勢を取るより早く、矢のようにテラスへ飛び込んできた親父が母様に抱きつく。ぐりぐり頬擦りをかまし。
「三ヶ月と十六時間ぶりっ! 会いたかったぁーー!」
「毎日水鏡で話してるだろうが。……てめえ仕事はどうした。まだ帰って来る時間じゃねえだろう」
「何かね、よそ見してないのに柱にぶつかったり、上から僕を狙って物が落ちてきたりして不吉だから帰れって言われたんだよ~。でもラッキー! 昨夜の今日ですぐ帰って来こられるとは思わなかったよ、アイラちゃんっ」
 ムギュー。
 母様は嫌そうな顔をしつつ、取りあえず親父の暑苦しい抱擁を受け入れている。
 しかし。
 あたしはソロリと立ち上がった。何故かふむふむ頷きながらバカ夫婦を眺めていた王子を急いで手招きする。
 首を傾げつつも、夫婦の再会の邪魔になると思ったのか素直についてくる王子。
 バカ親父のうっとうしい睦言に背を向けて庭へ出る――。
 しばらくして。
 
「ウゼえんだよっ! てめえはいい加減落ち着くってことがねえのかッッ!」
 
 母様の怒号と共にテラスの窓が揺れる。
 逃げ遅れたらしいリリアの間抜けな悲鳴が聞こえたが、そつのないグラントがなんとかするだろう。
 ふう、あやうく巻き込まれるところだった。母様が爆発するとしばらく近づかない方がいいから、さて、どうしようかな。
「あのお二人はいつもあのような感じですか?」
 先程までいた場所を振り返りつつ、楽しそうに王子が聞いてくる。
「あたしが生まれる前からあんなですって。飽きないよね」
 クールな母様に、デロデロな親父。
 うっとうしいほどに愛情表現をぶつけてくる親父をキレた母様がぶちのめす。
 毎度のことだ。
 母様が結婚したのだって、出会ったその日にプロポーズされて、以来五年間追いかけ回されてどついても踏んでも嫌いだって言ってもへこたれない親父に根負けしたからだって言うし。
 あたしが生まれたんだから、一応、母様にも愛はあるはず……だと思いたい。
 王子はフムと頷いて。 
「情熱的ですね。見習わなければ」
 いや待って、待って、見習うってナニ!?
「カノンどの」
 どきぃー!
 周りに咲き誇る花々に負けないくらいの美しい笑顔を見せて、あたしの手を取る王子が、とても危険な生き物に見えて後退りしそうになる。
 魔女の本能が逃げろとささやいている。 
 が、しかし、王子と目を合わせた途端金縛りに合ったように動けなくなるのだ。
 どういうことよ、彼から魔力なんてこれっぽっちも感じられないのに、昨日からあたしはヘン。
 やっぱり二十六年マトモな男と付き合ってこなかったのが悪かった? そうよね、あたしの周りにいたやつらって言えば同族か敵か魔族かってくらいだし、魔女ってだけで敬遠されてたし、免疫がないのは仕方ないってものよ……。
 ゆっくり近づいてくる、王子の綺麗な顔に、ウッカリボンヤリ見とれて―――、
「殿下っ! お腹空きましたよね、さっきロクに食べることが出来ませんでしたものね! 実はサンドイッチちょろまかしてきてますのよ! お食べになります!?」
 ナプキンで包んだブツで顔の前を遮る。
 王子がちぇ、みたいな顔をしたが知らんぷりだ。
 アブねーアブねー。危うくまたキスされるとこだった。
 何回されてるのよ。
 嫌な訳じゃないけど。
 嫌じゃないことが問題のような気がする。
 庭の花を眺めながら、後ろをついてくる王子をチラリと窺う。
 陽射しにキラキラシャラシャラ輝く、銀色の髪。
 明るい場所では、極上の紫水晶みたいに明るく揺らめく瞳。
 高貴な人にあるまじき、そっけない白シャツにグレイのズボン、そんな格好でも王子は王子。
 そこにいるだけで視線が向かうっていうか、引き付けられる存在感。

 これがあたしの夫?
 ……やっぱり何か、騙されてる気がするんだけど……。
 
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