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第三部 宰相閣下の婚約者

774 銀の骸と向き合う覚悟(1)

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 いきなり顔を出さず〝鷹の眼〟を経由して中に入って来たあたり、イル義父様よりも公人としての顔が色濃く出ていたのかも知れない。

 あるいはエリィ義母様やレンナルト卿といった人たちを「身内」枠として捉えているイル義父様との違いがそうさせているのか。

 ノックの後は、まずファルコが顔を出し、イル義父とテオドル大公、二人が頷いたところでようやくエドヴァルドが部屋の中へと入って来た。

 チラと部屋の中を一瞥したところで、まずはとテオドル大公へと声をかけている。

「テオドル大公。正式な話はこの後陛下からあると思――」

 ただテオドル大公は、大仰な挨拶はこの際不要とばかりに、片手をあげてそれを遮った。

い。大体のところは今ここで聞いたとも。隠居の年寄りを引っ張り出すとは高くつくぞと言いたいところだが、さすがに陛下をお一人にはしておけぬわな。仕方あるまい。ただ、恒久的なものにはしてくれるなよ」

「……善処いたします」

 確約をせず「善処」と言っているあたり、今の難しい国情の現れなのかも知れない。

 テオドル大公も、僅かに片眉を上げたものの、それ以上を責めることはしなかった。

「ところで、この後移動と聞いたが?」

「ええ。スヴェンテ、クヴィスト両公爵代理が登城しましたので、場所を変えての話し合いを……と」

 どうやら場所を変えてお茶を飲んだりしている間に、王都公爵邸にいたスヴェンテ老公爵とクヴィスト公爵代理が、呼び出しを受けてやって来たらしい。

 スヴェンテ老公爵は、生まれた時点で当主の名を背負わざるを得なかったリオル君の後見だ。
 実質公爵として王都で公務をこなそうとも、かつての政変を思えば、正式に当主を名乗るわけにはいかない。
 表向きは「公爵代理」であり、裏に敬意をこめての「老公爵」呼びなのである。

 一方のクヴィスト公爵代理は、当代公爵が既に亡くなっていることやその経緯を明らかに出来ない現時点での、必要に駆られての「公爵代理」だ。

 三国会談が終わって、当代公爵の死を明らかに出来る段階となって、初めて「代理」の肩書が取れる。

 同じ「公爵代理」でも、その背景はまるで違っていた。

 ただ現時点では二人とも、頭の中に盛大な疑問符が浮かんでいる状態だろう。
 あるいはクヴィスト公爵代理あたりは、今度は何だ――くらいに内心慄いているかも知れない。

「ああ、登城したのか」

 そう言ったのは、イル義父様だ。

「しかしまあ、父親の件で多少の耐性はついたであろうクヴィスト公爵代理に比べたら、スヴェンテ老公爵にかかる心理的負担はいかばかりかと、いっそ気の毒に思うな」

 まったくだ、と私ですら思う。

 五公爵の中で、今回全ての事柄に関係をしていない唯一の家がスヴェンテ公爵家だ。
 呼び出されて、やって来て、この一連の出来事を聞かされた後の反応が気がかりなくらいだ。

 公爵邸で待つ小さなリオル君と、車椅子なしの生活がままならないバーバラ夫人のことを思えば、果たして徹夜上等な公務を老公爵にまで強要してもいいものなのか。

「仕方がない。あまりにも人手が足りていない。大公殿下にも臨時の登壇を請う以上は、老公爵にも同じことは請わねばならん。今のこの現状で、かつてのスヴェンテ公爵家の責を問うような愚か者もいまいよ。何せ王宮内の怨嗟は全てナルディーニ侯爵家に向いていると言っても過言ではない状態なのだから」

「向いている……ね」

 ええ、イル義父様。
 エドヴァルドに対しての、今の呟きの意味はよく分かります。

 向けさせた、の間違いだろうって言いたいんですよね⁉

 隠しようもないほどの騒動が起きてしまった時。
 手段として、生贄を差し出すことも対処法の一つだ。

 実際に、ナルディーニ侯爵家は無罪ではない。
 さすがにレイフ殿下へはぶつけられないであろう人々の不満のはけ口も、ナルディーニ侯爵家にならぶつけられる。

 諸外国に対してはレイフ殿下を、国内諸侯に対してはナルディーニ侯爵家を、それぞれ断罪の対象としてダメージを最小限にとどめようとしているのだろう。

「フィリプ・スヴェンテであれば、話せばそれらは受け止めるであろうよ。さすがに驚きはするだろうがな」

 口もとに手をやりながら、テオドル大公が苦笑を浮かべている。

「まあ、王宮内の執務室へやで一度くらいは酒の席には誘ってやっても良かろうよ」

 テオドル大公の「飲みにケーション」は、一時期引退していたとは言え、まだまだ健在らしい。

「では行くとしようか」

 返事の代わりに、イル義父様もエドヴァルドも、黙ってすっと胸に手を当てながら頭を下げた。

 アンディション侯爵ではなくテオドル大公である現在、払われるのは王族に対しての敬意だ。

「私が先に殿下をお連れいたしましょう。妻と義弟は私の執務室へ。さすがにこのまま義兄と挨拶もなしに領地に戻すと言うのはいただけない」

 そう言ったイル義父様に、特に反対する要素も見当たらないと思ったのか、エドヴァルドは「ああ」と答えを返しただけだった。

「それで宰相殿は、私の義娘むすめと医局に行くつもりで戻って来た――と言ったところか?」

 テオドル大公のいる手前か呼び捨てを遠慮しているらしいイル義父様に、エドヴァルドは一瞬だけ眉根を寄せたものの、そこを混ぜ返す気にはならなかったようだ。

「元はと言えば、カトル・アルノシュトはイデオン公爵領の領民。フォルシアン公爵がその目で見たと言うのであれば、尚更私が行かぬ道理がない。無論、我が婚約者もだ」

「ふむ……」

 きっぱりと言い切るエドヴァルドに、イル義父様は諸手を上げて賛成とはならなかったようだ。

 心配そうなその目が、私の方へと向けられる。

「行くかい? 正直、若い女性どころか我々が見ても目を逸らしたくなる病状ではあったのだよ」

「…………それは」

 公害病。
 授業で習った。当時の記事や写真も目にした。
 けれどそれは、どれも自分の目で直接見たことじゃない。

 エドヴァルドもイル義父様も、きっと強要はしない。
 それでも。

 私はふと、視線を感じて頭を上げた。
 視線の先には――ファルコ。

 きっと彼は、亡くなった姉を思い出すかも知れないと分かっていても、付いてきたのだ。
 一度は背を向けて、エドヴァルドを恨んだ。
 その事実と向き合うために。

 それなら。

「大丈夫です、イル義父様。イデオン公爵領に住まう者として、宰相閣下の隣に立とうと決意した者として、私に『行かない』と言う選択肢はないと思ってます」

「レイナ……」
「レイナちゃん……」

 エドヴァルドとイル義父様、それぞれの悲痛さが表情からは垣間見えている。

 私は真っすぐ、エドヴァルドの目を見た。

「私も医局に行きます」

 淀みなく、怯みなく、言えた――はずだ。
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