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第三部 宰相閣下の婚約者
733 断罪の茶会(9)
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「うーん……激しく割に合ってないわよね……」
カップの中でじわじわと茶葉が解けていく様を眺めながら、シャルリーヌがぼやいている。
うん、確かにそれは私もそう思う。
特にシャルリーヌは、今回の件での証言が必要であろう私と違って、完全なる「巻き込まれ」だ。
帆立フルコースで〝転移扉〟のメンテナンスへの労を労うと言う話だったはずなのだから。
「ねえ、レイナ。ジェイが水揚げされる漁港が10あるって話だったわよね?」
「そうね」
「この間の海鮮BBQで多少の魚介類は見かけたけど、最低でも10の漁港があるなら、王都にまで流通してこないモノだってあるかも知れないわよね?」
「まぁ……運搬の問題もあるだろうから、あっても不思議じゃないかも?」
それが? と首を傾げる私に、シャルリーヌはニッコリ口元を綻ばせながら、目の前のティーカップを手に取った。
「この件でレイナ、と言うかユングベリ商会として多少の顔は利くようになるかも知れないんでしょ?」
「……多分?」
「じゃあさ、今すぐじゃなくていいから高級魚を探してみて欲しいな」
「高級魚?」
「正確には日本で高級と思われていた魚介類、かな?」
クロマグロ、時鮭、トラフグ、白鯛、越前カニ、伊勢海老……などなど指折り語るシャルリーヌに、ちょっと唖然としてしまう。
「そりゃ、そのままの名前でなんてあるはずないだろうけど、ウナギもどきがあったくらいだから、他だってありそうじゃない?」
「まあ、確かに」
それは、あれば私だって食べたい。
ただの鮭もどきなら既に見かけているけれど、季節外れの高級鮭となると、そうやすやすと手に入らない可能性もある。
対価として、悪い話ではない気もしてきた。
「じゃあ、そう言うことでコレ飲むの了承するわ。仕方ないから」
「えっ、シャーリ――」
「レイナは、ちょっと待ってね」
言うなりシャルリーヌは、私の制止を待たずにティーカップに口をつけた。
公爵サマがたの水の一気飲みとは違い、淑女らしくカップを口元に運んで、ほんの少量舌を湿らせたのだ。
「‼」
とは言え、この場の誰よりも早くお茶に口をつけたことは間違いない。
気付いた何名かの視線がシャルリーヌに集中していた。
「……うん。ガールシン医局長の仰る通り、多分大丈夫だと思うわ、このお茶」
「え?」
「一応サイアス様から毒見の特訓は受けてるからね……」
ハンカチで口とカップの端を拭う仕種を見せながら、シャルリーヌは苦笑いを浮かべている。
「王族や公爵家の人達みたいに小さい頃から毒に慣らしたとかじゃないのよ? ウチは向こうでもしがない伯爵家だったし。ただ、誰かさんの婚約者になってから、せめて一口目で分かるようにしなさいって、色々と叩き込まれたのよ」
「――――」
ギーレンの王室もなかなかにハードな環境下にあるらしい。
場の空気を読んで「サイアス様」としか言わなかったものの、間違いなくそれはラハデ公爵の名前で、恐らくはエヴェリーナ妃からの指示があって、そう言った「教育」も施していたんだろう。
「未知の毒でもあればさすがに分からないかも知れないけれど、既存の薬なら大体は分かるわ。だから十中八九、ここにあるのは普通のお茶」
乙女ゲームのヒロインと聞けば、キラッキラな生活でも送れるのかと誤解してしまいそうだけど、実際に地に足を付けて生活をするとなれば、他人が羨むようなことばかりではないのだ。
「よく耐えたわよね……」
ハニトラ要員だった男爵令嬢に引っかかるまでは、パトリック王子にも見どころとかあったんだろうかと思いきや、私の表情を読んだのかシャルリーヌは思い切り顔を顰めていた。
「ロマンもへったくれもないからね、勘違いしないで? 私は追放エンド回避が最優先だったし、だいたいが伯爵令嬢なんて王家のご威光の前には無力なモノなんだから。ただ、愛情とは言わないからせめて信頼関係くらいは――と思っていただけよ。まぁ、もう一人は単に生理的に無理だっただけだけどね」
何より、裏でコソコソと手を回そうとする陰険な性根が最悪! と、シャルリーヌはそっぽを向いた。
はは……と乾いた笑いを洩らす以外のことは、私には出来なかった。
「ああ、そうそう。それで思い出したけど、サイアス様へのお手紙は書いたから……今は護衛が持っているんだけど、後で持って帰って貰える?」
ギーレンの正妃エヴェリーナ妃の実弟、ラハデ公爵家当主。
ブランデヴァインの取引にかこつけて、バリエンダールのミルテ王女とこっそり顔合わせをして貰おうと、今、あれこれ裏から手を回して貰っているのだ。
招待状に添えても良いと、シャルリーヌにも声をかけておいたところ、どうやら本当に書き上げてきたらしい。
思うにシャルリーヌからは、ギーレンの王子二人なんかよりもよほど、ラハデ公爵への敬慕が感じられる。
それだけ王妃教育においてお世話になっていたと言うことなんだろう。
「レイナ?」
「あ、ううん、なんでもない。分かった、あとで受け取っておくね。それじゃあ、まあ……シャーリーがそう言うなら、私も貴女に倣うとするわ」
私がそう言ってカップを手にした瞬間、ガールシン医局長の表情が輝いて見えたのは、気が付かないフリをしておこう。
多分シャルリーヌにもそれは見えていたんだろう。
若干こめかみを痙攣らせながら、声を落として扇で口元を覆った。
「あと、ほら、同じお茶の実験をするにしても、私には魔力があって、レイナにはないわけでしょう? そのあたりの影響の有無も見たいんじゃないのかしら。私としては、それで何かあったらこっちが氷漬けになりかねないから、それもあって先に確かめさせて貰ったのよ」
あくまで「自衛」を主張するシャルリーヌは、半分本気、半分気を遣ってくれたんだと言うことが分かる。
私も友情の有難さを実感しながら(決して医局長の期待に応えたんじゃなく!)、お茶を飲むことにした。
「――了解」
これはただの工芸茶……と、心の中で呟きながら。
「‼」
そしてお茶に口をつけたその途端、お茶に対してどうのこうのと思う前に、足元を強烈な冷風が駆け抜けたのを感じ取ってしまった。
寒っ⁉ などとシャルリーヌが小声で叫んだからには、気のせいでもないようだ。
そして冷気を感じた方角に視線を向ければ、顔色を変えてこちらを見ているエドヴァルドと視線が絡む。
何で飲んでいるんだ!
――と、あれは絶対に目が語っている。
私は「大丈夫」の意味もこめて、カップを持たない方の手を、ひらひらとエドヴァルドに向けて振って見せた。
実際にこちらは、息苦しくなったとか手足の痺れとか、何一つ感じないからだ。
ただ、隣のイル義父様も軽く目を瞠っているので、これは後でガールシン医局長の説明があったとか、シャルリーヌが無害だと言ってくれたとか……何かしらフォローの必要はありそうだった。
「ちょっとレイナ……宰相閣下、怒ってない?」
「んー……何を言われようと、そもそも飲むな! くらいは思っていそうだけど……そう言えば、向こうのテーブルのお茶はどうなってるんだろうね?」
やらかした人たちのテーブルはともかく、まさか陛下や公爵らのテーブルにあるお茶も痺れ薬入りだとは、さすがに思いたくもないけれど。
どうなんですかね?
そんな意味をこめてガールシン医局長を見てみれば、びっくりするくらいに清々しい笑顔を返された。
「気になる、と?」
「え、それはもちろん――」
「――あのテーブルは、陛下のご要望で運試しをしてある」
気になる、と言おうとしたところに被せるようにそう言われて、私もシャルリーヌもついうっかり「は?」と声を上げそうになってしまった。
「シャ、シャッフルですか……?」
「運試し……?」
何を言っているんだろう、と表情で語ってしまった私とシャルリーヌを、面白そうにガールシン医局長は見返してくる。
「薬の割合をゼロから40の間で分けて作ってあって、どれを誰のティーカップに入れたかは、陛下どころか私でさえも分からないと言うわけだ」
「え……」
「ああ、さすがに陛下のカップはその対象ではない。いくら陛下が望まれようと、本当にそれをやったら私の首が周囲の手によって飛ばされてしまう」
望んだのか! と、私とシャルリーヌが内心で同時にツッコんでいたのは秘密だ。
ちなみに元の〝痺れ薬〟の四割止まりにしたのは、他のテーブルの招待客の方がより罪が重いから、と言うことらしい。
四割程度なら、せいぜいしばらく手がしびれて重いものが持てない程度ではないかと医局長は微笑う。
いやいや!
これは確実に、早急に、私の持っている無効化薬をあちらのテーブルに届けさせる必要がある。
私が慌ててファルコかフィトかを呼ぼうと辺りを見回した時――それは起きた。
カシャン! ……と、カトラリーが落下する音が静かな広間に響いた。
カップの中でじわじわと茶葉が解けていく様を眺めながら、シャルリーヌがぼやいている。
うん、確かにそれは私もそう思う。
特にシャルリーヌは、今回の件での証言が必要であろう私と違って、完全なる「巻き込まれ」だ。
帆立フルコースで〝転移扉〟のメンテナンスへの労を労うと言う話だったはずなのだから。
「ねえ、レイナ。ジェイが水揚げされる漁港が10あるって話だったわよね?」
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「まぁ……運搬の問題もあるだろうから、あっても不思議じゃないかも?」
それが? と首を傾げる私に、シャルリーヌはニッコリ口元を綻ばせながら、目の前のティーカップを手に取った。
「この件でレイナ、と言うかユングベリ商会として多少の顔は利くようになるかも知れないんでしょ?」
「……多分?」
「じゃあさ、今すぐじゃなくていいから高級魚を探してみて欲しいな」
「高級魚?」
「正確には日本で高級と思われていた魚介類、かな?」
クロマグロ、時鮭、トラフグ、白鯛、越前カニ、伊勢海老……などなど指折り語るシャルリーヌに、ちょっと唖然としてしまう。
「そりゃ、そのままの名前でなんてあるはずないだろうけど、ウナギもどきがあったくらいだから、他だってありそうじゃない?」
「まあ、確かに」
それは、あれば私だって食べたい。
ただの鮭もどきなら既に見かけているけれど、季節外れの高級鮭となると、そうやすやすと手に入らない可能性もある。
対価として、悪い話ではない気もしてきた。
「じゃあ、そう言うことでコレ飲むの了承するわ。仕方ないから」
「えっ、シャーリ――」
「レイナは、ちょっと待ってね」
言うなりシャルリーヌは、私の制止を待たずにティーカップに口をつけた。
公爵サマがたの水の一気飲みとは違い、淑女らしくカップを口元に運んで、ほんの少量舌を湿らせたのだ。
「‼」
とは言え、この場の誰よりも早くお茶に口をつけたことは間違いない。
気付いた何名かの視線がシャルリーヌに集中していた。
「……うん。ガールシン医局長の仰る通り、多分大丈夫だと思うわ、このお茶」
「え?」
「一応サイアス様から毒見の特訓は受けてるからね……」
ハンカチで口とカップの端を拭う仕種を見せながら、シャルリーヌは苦笑いを浮かべている。
「王族や公爵家の人達みたいに小さい頃から毒に慣らしたとかじゃないのよ? ウチは向こうでもしがない伯爵家だったし。ただ、誰かさんの婚約者になってから、せめて一口目で分かるようにしなさいって、色々と叩き込まれたのよ」
「――――」
ギーレンの王室もなかなかにハードな環境下にあるらしい。
場の空気を読んで「サイアス様」としか言わなかったものの、間違いなくそれはラハデ公爵の名前で、恐らくはエヴェリーナ妃からの指示があって、そう言った「教育」も施していたんだろう。
「未知の毒でもあればさすがに分からないかも知れないけれど、既存の薬なら大体は分かるわ。だから十中八九、ここにあるのは普通のお茶」
乙女ゲームのヒロインと聞けば、キラッキラな生活でも送れるのかと誤解してしまいそうだけど、実際に地に足を付けて生活をするとなれば、他人が羨むようなことばかりではないのだ。
「よく耐えたわよね……」
ハニトラ要員だった男爵令嬢に引っかかるまでは、パトリック王子にも見どころとかあったんだろうかと思いきや、私の表情を読んだのかシャルリーヌは思い切り顔を顰めていた。
「ロマンもへったくれもないからね、勘違いしないで? 私は追放エンド回避が最優先だったし、だいたいが伯爵令嬢なんて王家のご威光の前には無力なモノなんだから。ただ、愛情とは言わないからせめて信頼関係くらいは――と思っていただけよ。まぁ、もう一人は単に生理的に無理だっただけだけどね」
何より、裏でコソコソと手を回そうとする陰険な性根が最悪! と、シャルリーヌはそっぽを向いた。
はは……と乾いた笑いを洩らす以外のことは、私には出来なかった。
「ああ、そうそう。それで思い出したけど、サイアス様へのお手紙は書いたから……今は護衛が持っているんだけど、後で持って帰って貰える?」
ギーレンの正妃エヴェリーナ妃の実弟、ラハデ公爵家当主。
ブランデヴァインの取引にかこつけて、バリエンダールのミルテ王女とこっそり顔合わせをして貰おうと、今、あれこれ裏から手を回して貰っているのだ。
招待状に添えても良いと、シャルリーヌにも声をかけておいたところ、どうやら本当に書き上げてきたらしい。
思うにシャルリーヌからは、ギーレンの王子二人なんかよりもよほど、ラハデ公爵への敬慕が感じられる。
それだけ王妃教育においてお世話になっていたと言うことなんだろう。
「レイナ?」
「あ、ううん、なんでもない。分かった、あとで受け取っておくね。それじゃあ、まあ……シャーリーがそう言うなら、私も貴女に倣うとするわ」
私がそう言ってカップを手にした瞬間、ガールシン医局長の表情が輝いて見えたのは、気が付かないフリをしておこう。
多分シャルリーヌにもそれは見えていたんだろう。
若干こめかみを痙攣らせながら、声を落として扇で口元を覆った。
「あと、ほら、同じお茶の実験をするにしても、私には魔力があって、レイナにはないわけでしょう? そのあたりの影響の有無も見たいんじゃないのかしら。私としては、それで何かあったらこっちが氷漬けになりかねないから、それもあって先に確かめさせて貰ったのよ」
あくまで「自衛」を主張するシャルリーヌは、半分本気、半分気を遣ってくれたんだと言うことが分かる。
私も友情の有難さを実感しながら(決して医局長の期待に応えたんじゃなく!)、お茶を飲むことにした。
「――了解」
これはただの工芸茶……と、心の中で呟きながら。
「‼」
そしてお茶に口をつけたその途端、お茶に対してどうのこうのと思う前に、足元を強烈な冷風が駆け抜けたのを感じ取ってしまった。
寒っ⁉ などとシャルリーヌが小声で叫んだからには、気のせいでもないようだ。
そして冷気を感じた方角に視線を向ければ、顔色を変えてこちらを見ているエドヴァルドと視線が絡む。
何で飲んでいるんだ!
――と、あれは絶対に目が語っている。
私は「大丈夫」の意味もこめて、カップを持たない方の手を、ひらひらとエドヴァルドに向けて振って見せた。
実際にこちらは、息苦しくなったとか手足の痺れとか、何一つ感じないからだ。
ただ、隣のイル義父様も軽く目を瞠っているので、これは後でガールシン医局長の説明があったとか、シャルリーヌが無害だと言ってくれたとか……何かしらフォローの必要はありそうだった。
「ちょっとレイナ……宰相閣下、怒ってない?」
「んー……何を言われようと、そもそも飲むな! くらいは思っていそうだけど……そう言えば、向こうのテーブルのお茶はどうなってるんだろうね?」
やらかした人たちのテーブルはともかく、まさか陛下や公爵らのテーブルにあるお茶も痺れ薬入りだとは、さすがに思いたくもないけれど。
どうなんですかね?
そんな意味をこめてガールシン医局長を見てみれば、びっくりするくらいに清々しい笑顔を返された。
「気になる、と?」
「え、それはもちろん――」
「――あのテーブルは、陛下のご要望で運試しをしてある」
気になる、と言おうとしたところに被せるようにそう言われて、私もシャルリーヌもついうっかり「は?」と声を上げそうになってしまった。
「シャ、シャッフルですか……?」
「運試し……?」
何を言っているんだろう、と表情で語ってしまった私とシャルリーヌを、面白そうにガールシン医局長は見返してくる。
「薬の割合をゼロから40の間で分けて作ってあって、どれを誰のティーカップに入れたかは、陛下どころか私でさえも分からないと言うわけだ」
「え……」
「ああ、さすがに陛下のカップはその対象ではない。いくら陛下が望まれようと、本当にそれをやったら私の首が周囲の手によって飛ばされてしまう」
望んだのか! と、私とシャルリーヌが内心で同時にツッコんでいたのは秘密だ。
ちなみに元の〝痺れ薬〟の四割止まりにしたのは、他のテーブルの招待客の方がより罪が重いから、と言うことらしい。
四割程度なら、せいぜいしばらく手がしびれて重いものが持てない程度ではないかと医局長は微笑う。
いやいや!
これは確実に、早急に、私の持っている無効化薬をあちらのテーブルに届けさせる必要がある。
私が慌ててファルコかフィトかを呼ぼうと辺りを見回した時――それは起きた。
カシャン! ……と、カトラリーが落下する音が静かな広間に響いた。
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