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第三部 宰相閣下の婚約者
727 断罪の茶会(3)
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「まあ水にしろジェイにしろ、意味が分からないと思っている者もいるだろう。何、いずれにせよ死にはしないから、飲んで食せ。そうすれば、そうだな……それだけで済む者もいるだろう」
国王陛下が何やらフラグを立てている、と思ったのは私だけだろうか。
あれは多分、九割九分がそれだけで済まないと言うことの裏返しだ。
「どうした? 飲んで食すだけ――子どもでも出来ることではないか」
陛下。
笑顔が怖すぎです。
普通「死にはしない」などと微妙な言い方をされて、怯まない人はいません。
「宰相」
「は……」
「不思議だな。私は国王であるはずなのに、誰も私の命が聞けないらしい」
「陛下、それは……」
「私はそれほど難しい話をしているか?」
中にはもちろん例外もいて、恐らくは国王陛下の威圧には慣れていると思しきエドヴァルドの表情は、表向きは全く変わっていなかった。
「……飲んで食すだけ、と仰った」
変わらないものの、率先して事態を動かせと言葉の裏で言われていることに、ややこめかみを痙攣らせているのはこちらから見えているけれど。
「そうだな。それで?」
とは言え国王陛下の言いたいことが分からないエドヴァルドではないので、彼は一度ゆっくりと瞬きと共に息を吐き出すと、口元に笑みの残る陛下の隣で立ち上がった。
「!」
一瞬だけ私を見て、そしてファルコを見たエドヴァルドは……目の前のグラス、アルノシュト領から汲んで来たと言う水の入ったコップを、胸の高さまで持ち上げた。
「我が国の至宝、唯一無二。我らが国王陛下と国家の安寧を願って――」
そうしてグラスの中身を、全員の目の前で一気に呷ったのだ。
私やファルコが動く隙もない、それはあっという間の出来事だった。
「くくっ……そのように決死の覚悟で飲むものではないと言っているのにな。まあ、安寧を願うのは結構なことだ。ありがたく拝聴しておこう」
「ご満足いただけたのであれば何よりです」
「おまえに関してはな」
この広間で王宮護衛騎士に紛れる〝鷹の眼〟を、国王陛下がぐるりと見回したように見えた。
ただ、視界に入ったであろう数名の態度や表情に、陛下が何を思ったのかはこちらからは読み取れない。
私に分かったのは、ファルコが表情を変えないまま、両の拳を固く握りしめていたことくらいだ。
鉱毒が染み込んでいる水にしろ食べ物にしろ、一度や二度口にしたくらいでは身体に深刻な影響は及ぼさない。
それは私は「教科書」で知っているし、ファルコは実際に目の当たりにしてきている。
だからと言って、主であるエドヴァルドが躊躇なく口にしていいのかと問われれば即答が出来ない。
恐らくはここまで頭を下げることさえ出来なかったエドヴァルドの、それが無言の謝罪と覚悟だろうと分かってはいても、ファルコの中ではすぐに消化が出来ないに違いない。
……今はそのまま動かずにいてくれることを願うことしか、私には出来なかった。
「さて、せっかくの料理をただ眺めていると言うのも、作ってくれた料理人たちに失礼だ。そろそろ本格的にいただくとしようか――ちょうど、遅れていた者も合流出来そうだしな」
国王陛下がそう言って腰を下ろそうとしたその時、確かに広間にホッと緩んだ空気がこぼれ出たのが、私にも分かった。
この広間に集う貴族たちは普段は領地にいることの方がほとんどと言うからには、もしかすると気が付いていないのかも知れない。
――国王陛下が一言話すたびに、崖っぷちに追い詰められている者たちが増えているのだと言うことを。
「……言ってくれるではないか。わざわざ遅れるように加減された量の仕事を回しておきながら」
「!」
けれどそんな緩みかかった空気は、再びの入場者に一瞬にして霧散した。
「これは叔父上。何を仰っておいでやら……仕事の割り振りをしたのは私ではないし、加えてまだ誰も何も口にしていない。これ以上ないタイミングでは?」
「ちっ……ぬけぬけと」
こればっかりは、レイフ殿下が舌打ちをするのも無理からぬ話じゃないかと思う。
仮に実際に仕事を割り振ったのがエドヴァルドだったとしても、その前に国王陛下の依頼があったに決まっているからだ。
「お席はそちらに。何もこんな時まで私と同じテーブルでなくとも構わないだろうと、私なりの配慮しておいたので」
「配慮と書いて嫌がらせとでも読ませる気か。だいたい、これはどういう集まりだ。派閥――」
意外に上手いコト言ってる……と思っていると、どうやら自分の発言の途中で既に、居並ぶ参加者の「おかしさ」に自分で気が付いたように見えた。
愕然とした視線を向けたレイフ殿下を、国王陛下は愉悦の笑みを浮かべて見返していた。
「親切な甥からの餞別とでも。なんと今なら同行者を選び放題だ」
「……っ」
なんの、ともどこへ、とも言わずとも分かったんだろう。
わなわなと拳を震わせているレイフ殿下を見る国王陛下の目にも、揶揄いの要素が浮かんでいるようには見えなかった。
「気になる人材は早めに掬い上げることを推奨しておこう、叔父上。何せ首と胴が離れる可能性のある人間が一人や二人ではないので」
「!?」
うわ、言った!
陛下、レイフ殿下にはぶっちゃける方向性で行くんですか!?
それか殿下の到着こそが会の始まりの合図だったとか!?
一瞬場がざわついたのは、気のせいではないはずだ。
当の国王陛下は「ともかく」と、気にも留めないまま微笑っているけれど。
「まずは席に。そろそろ腰を下ろして頂かないと、せっかくの料理も誰にも食べられずに終わってしまいかねない」
シャルリーヌと二人、思わず「え〝」などと言いそうになったのはヒミツだ。
レイフ殿下が席に着くまでの短い間に、シャルリーヌが周囲に聞こえないほどの小声でこちらに囁いてくる。
『この期に及んで帆立フルコースのお預けくらったりしたら、ちゃぶ台返しよね』
『いや、ちゃぶ台とか他所で通じないし。って言うか、次期聖女サマに暴れられたらシャレにならないでしょ』
『レイナだって、帆立好きでしょ』
『そりゃ好きだけど。でも後でこっちが報復くらってちゃダメでしょ。その時は「食べ物の恨みは恐ろしい」って、あくまで相手方のみの有責にしないと』
『……そっか』
『いやそれよりも、レイフ殿下に料理と飲み物の説明をする気がゼロみたいに見えるのがめちゃめちゃ気になるんだけど』
見ていると、レイフ殿下がエモニエ侯爵、ダリアン侯爵、ナルディーニ侯爵のいるテーブルに加わるように腰を下ろしても、国王陛下はもうレイフ殿下を見てはいないのだ。
今にも「さあ食べよう!」と、料〇の鉄人風(あれは確かアーレ・キュイジーヌ!だった)に声高く叫ぶ幻想がチラついたくらいだ。
『相手王族で、一番言わなきゃいけないのに?』
『いや、あの座席配置にしている時点でお察しだったのかも』
そのまま私とシャルリーヌも、無言で顔を見合わせる。
『レイナ』
『なに』
『何も見なかった、聞かなかった。私たちは招待客。今日はホタテを満喫する――で、どう?』
『…………』
君子危うきに近寄らず。
拒否も反論も、する理由はなかった。
国王陛下が何やらフラグを立てている、と思ったのは私だけだろうか。
あれは多分、九割九分がそれだけで済まないと言うことの裏返しだ。
「どうした? 飲んで食すだけ――子どもでも出来ることではないか」
陛下。
笑顔が怖すぎです。
普通「死にはしない」などと微妙な言い方をされて、怯まない人はいません。
「宰相」
「は……」
「不思議だな。私は国王であるはずなのに、誰も私の命が聞けないらしい」
「陛下、それは……」
「私はそれほど難しい話をしているか?」
中にはもちろん例外もいて、恐らくは国王陛下の威圧には慣れていると思しきエドヴァルドの表情は、表向きは全く変わっていなかった。
「……飲んで食すだけ、と仰った」
変わらないものの、率先して事態を動かせと言葉の裏で言われていることに、ややこめかみを痙攣らせているのはこちらから見えているけれど。
「そうだな。それで?」
とは言え国王陛下の言いたいことが分からないエドヴァルドではないので、彼は一度ゆっくりと瞬きと共に息を吐き出すと、口元に笑みの残る陛下の隣で立ち上がった。
「!」
一瞬だけ私を見て、そしてファルコを見たエドヴァルドは……目の前のグラス、アルノシュト領から汲んで来たと言う水の入ったコップを、胸の高さまで持ち上げた。
「我が国の至宝、唯一無二。我らが国王陛下と国家の安寧を願って――」
そうしてグラスの中身を、全員の目の前で一気に呷ったのだ。
私やファルコが動く隙もない、それはあっという間の出来事だった。
「くくっ……そのように決死の覚悟で飲むものではないと言っているのにな。まあ、安寧を願うのは結構なことだ。ありがたく拝聴しておこう」
「ご満足いただけたのであれば何よりです」
「おまえに関してはな」
この広間で王宮護衛騎士に紛れる〝鷹の眼〟を、国王陛下がぐるりと見回したように見えた。
ただ、視界に入ったであろう数名の態度や表情に、陛下が何を思ったのかはこちらからは読み取れない。
私に分かったのは、ファルコが表情を変えないまま、両の拳を固く握りしめていたことくらいだ。
鉱毒が染み込んでいる水にしろ食べ物にしろ、一度や二度口にしたくらいでは身体に深刻な影響は及ぼさない。
それは私は「教科書」で知っているし、ファルコは実際に目の当たりにしてきている。
だからと言って、主であるエドヴァルドが躊躇なく口にしていいのかと問われれば即答が出来ない。
恐らくはここまで頭を下げることさえ出来なかったエドヴァルドの、それが無言の謝罪と覚悟だろうと分かってはいても、ファルコの中ではすぐに消化が出来ないに違いない。
……今はそのまま動かずにいてくれることを願うことしか、私には出来なかった。
「さて、せっかくの料理をただ眺めていると言うのも、作ってくれた料理人たちに失礼だ。そろそろ本格的にいただくとしようか――ちょうど、遅れていた者も合流出来そうだしな」
国王陛下がそう言って腰を下ろそうとしたその時、確かに広間にホッと緩んだ空気がこぼれ出たのが、私にも分かった。
この広間に集う貴族たちは普段は領地にいることの方がほとんどと言うからには、もしかすると気が付いていないのかも知れない。
――国王陛下が一言話すたびに、崖っぷちに追い詰められている者たちが増えているのだと言うことを。
「……言ってくれるではないか。わざわざ遅れるように加減された量の仕事を回しておきながら」
「!」
けれどそんな緩みかかった空気は、再びの入場者に一瞬にして霧散した。
「これは叔父上。何を仰っておいでやら……仕事の割り振りをしたのは私ではないし、加えてまだ誰も何も口にしていない。これ以上ないタイミングでは?」
「ちっ……ぬけぬけと」
こればっかりは、レイフ殿下が舌打ちをするのも無理からぬ話じゃないかと思う。
仮に実際に仕事を割り振ったのがエドヴァルドだったとしても、その前に国王陛下の依頼があったに決まっているからだ。
「お席はそちらに。何もこんな時まで私と同じテーブルでなくとも構わないだろうと、私なりの配慮しておいたので」
「配慮と書いて嫌がらせとでも読ませる気か。だいたい、これはどういう集まりだ。派閥――」
意外に上手いコト言ってる……と思っていると、どうやら自分の発言の途中で既に、居並ぶ参加者の「おかしさ」に自分で気が付いたように見えた。
愕然とした視線を向けたレイフ殿下を、国王陛下は愉悦の笑みを浮かべて見返していた。
「親切な甥からの餞別とでも。なんと今なら同行者を選び放題だ」
「……っ」
なんの、ともどこへ、とも言わずとも分かったんだろう。
わなわなと拳を震わせているレイフ殿下を見る国王陛下の目にも、揶揄いの要素が浮かんでいるようには見えなかった。
「気になる人材は早めに掬い上げることを推奨しておこう、叔父上。何せ首と胴が離れる可能性のある人間が一人や二人ではないので」
「!?」
うわ、言った!
陛下、レイフ殿下にはぶっちゃける方向性で行くんですか!?
それか殿下の到着こそが会の始まりの合図だったとか!?
一瞬場がざわついたのは、気のせいではないはずだ。
当の国王陛下は「ともかく」と、気にも留めないまま微笑っているけれど。
「まずは席に。そろそろ腰を下ろして頂かないと、せっかくの料理も誰にも食べられずに終わってしまいかねない」
シャルリーヌと二人、思わず「え〝」などと言いそうになったのはヒミツだ。
レイフ殿下が席に着くまでの短い間に、シャルリーヌが周囲に聞こえないほどの小声でこちらに囁いてくる。
『この期に及んで帆立フルコースのお預けくらったりしたら、ちゃぶ台返しよね』
『いや、ちゃぶ台とか他所で通じないし。って言うか、次期聖女サマに暴れられたらシャレにならないでしょ』
『レイナだって、帆立好きでしょ』
『そりゃ好きだけど。でも後でこっちが報復くらってちゃダメでしょ。その時は「食べ物の恨みは恐ろしい」って、あくまで相手方のみの有責にしないと』
『……そっか』
『いやそれよりも、レイフ殿下に料理と飲み物の説明をする気がゼロみたいに見えるのがめちゃめちゃ気になるんだけど』
見ていると、レイフ殿下がエモニエ侯爵、ダリアン侯爵、ナルディーニ侯爵のいるテーブルに加わるように腰を下ろしても、国王陛下はもうレイフ殿下を見てはいないのだ。
今にも「さあ食べよう!」と、料〇の鉄人風(あれは確かアーレ・キュイジーヌ!だった)に声高く叫ぶ幻想がチラついたくらいだ。
『相手王族で、一番言わなきゃいけないのに?』
『いや、あの座席配置にしている時点でお察しだったのかも』
そのまま私とシャルリーヌも、無言で顔を見合わせる。
『レイナ』
『なに』
『何も見なかった、聞かなかった。私たちは招待客。今日はホタテを満喫する――で、どう?』
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