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第三部 宰相閣下の婚約者

710 雪と氷の舞う館(後)

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「アンジェスとバリエンダール、二国にまたがって広がった上に、滞留在庫が資金難を生んで詐欺事件まで起きたとなれば……前代未聞と言われても仕方がないのか」

 余剰在庫であればタダの売れ残り、やり方次第で再販は可能だ。
 だけど滞留在庫はその意味が正反対になる。
 売れる見込みもなく、仕入れた資金を回収できずに商会としての資金繰りが悪化する。

 そう言って口元に手をあてたままのエドヴァルドに「バリエンダールはむしろ元凶側ですけどね?」と、私は声をかけた。

 何せ元々〝痺れ茶〟の栽培は、バリエンダール側から始まっていることだ。

 そして取り扱う側としての元凶であるリーサンネ商会は、資金難になるもならないも、茶葉が摘発された時点で既にアウトだ。
 こちらと違って詐欺を働くだけの理由もメリットも、そもそもが存在しない。

 ただ恐らくは、茶葉を生産していたパオリーノ島を抱えるフレイア伯爵家と、リーサンネ商会の出資者であるマルハレータ伯爵家の存在が見え隠れしている以上は、それぞれの領都商業ギルドや近辺を商売圏とする商会にも調査の手は伸びているだろう。

 そう言った意味ではナザリオギルド長とて、バリエンダールの商業ギルドの頂点に立つ者として、国内の商業を混乱させている責任を問われる可能性は確かにあった。

「まあでも、ナザリオギルド長の方は下手をすると一連托生で自分がギルド長を退くのに合わせてベッカリーア公爵家派閥全部巻き込んでいくくらいはやりそうですけどね……何せあの人、いずれベルィフに帰るんだって公言していたくらいですし」

「レイナちゃん、バリエンダールの王都商業ギルド長とも顔見知りかい?」

 そう言ったのは一緒に地図を見ていたイル義父様の方で、エドヴァルドは無言のまま気難しげに眉根を寄せていた。

 無言。無言ではあるけれど、微妙に食堂ダイニングの室温が低下した。

「ええっと……」
「エドヴァルド」

 言葉を選ぶ必要にかられて一瞬返答に詰まった私を見たイル義父様が、窘めるようにを見やった。

「陛下から魔力制御の魔道具を持つか身に着けるか言われていたんじゃなかったのか?」

 すぐさま人為的な現象と察したイル義父様は、さすが長年の付き合いと言うべきだった。
 そして問われた方はますます眉根を寄せている。

「…………三国会談が終わるまでは今のままで良いそうだ」

「は?」

氷柱が落ちるも良し、元凶どもの心臓が凍り付くも良し――いざとなったら、管理部が改良版を後日身に着ける代わりに何とでも隠蔽するから、と」

「「「…………」」」

 陛下……と、片手で額を覆うイル義父様を横目に、私の頭の中ではどこかの雪の女王が熱唱する歌声がリフレインしていた。

 この場合は雪の女王ならぬ氷の魔王かも知れないけど。

 と言うか、自分の心臓が凍るかも知れないとは考えないんですね、陛下。
 お茶会にしろ三国会談の開催国ホスト役にしろ、張り切りすぎていて怖い。

「……なら、せいぜいそれまでは私の邸宅やしきを吹雪かせんでくれ……」

 諸々考えた末に、イル義父様も諦めてそれしか言えなかったようだった。

 エドヴァルドが意識をして出来ることではないだけに、強くも出られないんだろう。

「まあでも、エドヴァルドのこの反応からするとそれなりに見知ってはいると言うことなんだな?」

 エドヴァルドの様子を窺いながらもイル義父様がこちらを見てくるので、私も同じようにエドヴァルドをチラ見しつつも「そうですね……」と口を開いた。

「あちらのギルド長は、存外王太子殿下や宰相令息と交流があるようなので、滞在中も何度か顔を合わせる機会はあったかな、と」

 そもそも決して年齢だけの話ではなく、ナザリオギルド長のフットワークは異様に軽いのだ。

 必要以上に王宮と関わらない立場を取るリーリャギルド長とはまったくタイプが異なっている。

「ちょっと一言では表現しづらい人なんですが……」

 と言うか天才の頭の中なんて、きっと誰にも理解は出来ない。
 倫理と常識はある……のだろうか。

「イル」

 表現に困った私を見たエドヴァルドが、そこにサッとフォローに入ってくれた。

「考えていることは分かる。私もそれには賛成だ」

「……そうか」

「エドヴァルド様?」

「ああ、今回の〝痺れ茶〟の件、陛下がバリエンダールのミラン王太子に話を通すことを決断したんだ。そして、メダルド国王に話が洩れないようにするにはどうしたらいいかとの話も出ていた。だから今、レイナの言った通りにミラン王太子との繋ぎが取れるのであれば、あの男にまずは話を通すべきか――との話も出ていた」

 どうやら、アンジェス上層部は、メダルド国王をアンディション侯爵邸に足止めしている間に、ミラン王太子に徹底的に膿を出させる方向へと舵を切ることにしたらしい。

 確かにナザリオギルド長を間に挟めば、メダルド国王に知られることなく情報を伝達することは可能だ。

「……ええっと、私からナザリオギルド長に連絡をとった方が良いと言うことですか?」

「別にレイナに直接書けとは言っていない。私が書いたっていい。要はユングベリ商会の名前だけを借りて手紙を出せればいいんだ」

 何となく空気がひんやりとしたままなのは、絶対に目の前のこの宰相閣下が原因だ。
 自分で言っていても、不本意そうなのがよく見て取れる。

 どう考えても、ここはエドヴァルドに書いて貰うことをお願いすべきだろうと、私は

「じゃ……じゃあ、お願いします……」
「ああ、分かった」

 そしてそのリアクションと周囲の反応から、私のその「お願い」が間違ってはいなかったことも同時に悟った。

 ただ、うっかりホッと息を吐き出したところを見られてしまっていたのか、「それで、続きは?」と聞かれてしまい、私はまともに言葉に詰まってしまった。

「つづき……」
「それだけの話なら、あの時間にはならないだろう」
「…………」

 真面目な顔をしてそこまで聞かれてしまうと、反論もとぼけきることも難しい。
 私はそのまま地図を指さすしかなかった。

「王都商業ギルドとラヴォリ商会とで、今回の件に関わった個人の商人や店舗を持つ商会なんかを全て洗い出して、処罰をすると言っていました。具体案のひとつとしては、ボードストレーム商会を完膚なきまでに叩き潰して、残された販路は全てユングベリ商会に譲る方向でどうか、と」

「「⁉」」

 エドヴァルドとイル義父様が、そこでゆっくりと目を見開いた。
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