上 下
666 / 800
第三部 宰相閣下の婚約者

【防衛軍Side】ウルリックの謳歌(6)

しおりを挟む
 軍本部でも定期的に、軍人たちの家族や本部に勤める使用人たちに楽しんで貰おうと、王都の〝ロッピア〟を模した市を開いて、他にも芝居をする一座が訪れたりしているが、その役者にも似た――と言うと彼らに失礼かもしれないが、要はいかにも「芝居をしています」と思わせるような声が、廊下に洩れ出ていた。

「おぉ! 問うて下さるか、美しき人!」

「「「…………」」」

 恐らくは「誰」とでも誰何すいかしたのだろうが、男の声が聞こえた瞬間、全身に鳥肌が立ったのは私だけではなかったはずだ。

「そう、我が名はカロッジェ・ナルディーニ! 父はコンティオラ公爵領下で侯爵位を賜っている! 危険な連中もすべてこの通り我が家の手下が押さえておりますから、どうかご安心召されよ……!」

 さすがに女性の声までは届かない。
 これを聞いて感動に打ち震えたりするのだろうか、と恐らく女性心理には疎いであろう私や、こちらの部屋に待機している皆が悩んだに違いなかった。

「どうか、その様に怯えて下さいますな、美しき人! 私は王都で良からぬ企みが進んでおり、悪しき資金かね、悪しき茶葉が流通するのを阻止するべく、義憤で動いているのです! 過ちは質さねばなりませぬ! さあ、どうか私と王都へ! 貴女の証言があれば必ずや領は正しき方向へと導かれましょう……!」

 さしずめ女性の手を取って、目線は天井のあらぬ方向を見やりながら、何かしらの誓いを立てたりしているのだろうか。

 どこの三流劇団だ。

 さすがにそろそろ限界か、と思い始めたその時、事態もまた動いていた。

「うわぁぁぁっっ⁉」

 微かな風の音と共に、廊下に人の身体が叩きつけられた音が響いた。

「……どうやら部屋を出ようとして、先導していた誰かが吹き飛ばされましたね」

「いや、しれっと状況を予想して語っている場合か⁉」

「そうですね、失礼いたしました。将軍、ではそろそろ中を制圧していただけますか。方法はお任せしますので」

 部屋の広さを考えれば、あまり大勢でなだれ込んだところで、部屋の中で動線が悪くなってしまい、むしろ足手まといになる。

 ここまでの鬱憤を遠慮なく晴らして貰おうと、私は将軍に先陣を切って貰うことにした。

「ああ、くれぐれも入口の罠にはお気を付けて」

「うむ、任せろ‼」

 待ってましたとばかりに部屋を飛び出し、隣室へ向かう将軍の後をジュストに追わせる。
 隙を見て女性を保護し、将軍の行動の妨げにならないようにしなくてはならないと思ったからだ。

 ドタンバタンと派手な物音がしはじめたため、部屋の制圧も時間の問題だろうと、我々もこちらの部屋から移動をすることにした。

「!」

 ――廊下に出た途端、目の前を黒い影がなかなかの勢いで横切って行った。

 将軍が放り投げた男が、更に廊下の奥へと飛ばされていったと理解したのは、もう一人同じような状態で飛んで行くのを目にしたからだ。

「はあ……コレがお館様に夜這いの手引きをしようとした侍女が吹き飛ばされたと言う、害獣駆除用魔道具の活用法……」

 単なる害獣除けのはずが、まさかこんな形で活用されるなどと思わなかった。

 我らが貴婦人レイナ嬢の才能は無限なのかと、末恐ろしくさえあった。

「確かに、人と害獣の違いは些細な誤差と言う気が……」

 呆然と呟くアシェルに、テレンスは無言で頷いていた。

「軍本部に戻ったら早速ルーカス様に進言をして、予算を割いて貰おう。我らなりの活用法を検討するのも良いだろう」

 私の中では、この魔道具は充分に軍事に転用可能だと思えた。

 もちろんレイナ嬢はそんなことを思ってこの使い方を提案したわけではないだろうが、それが良いことか悪いことかは、おいおい当事者たちの間ですり合わせていけば良いことだ。

「うわぁぁぁっっ⁉」

 どうやら将軍の目を盗んで窓から逃げようとした男は、飛び降りたところで足元に設置しておいた罠を思い切り踏んでいたようで、そのまま勢いよく身体が宙に浮きあがったのが窓越しに見えた。

「はははっ、いっそ爽快だな!」

 さすがにそれは将軍の視界にも届いたらしく、回し蹴りで相手を床に沈めながら、感心した様に笑っていた。

「副長」

 既にほとんどが将軍によって床に沈められている状況の中、ジュストが捕らえられていたと思われる女性をこちらに保護してきた。

「失礼。我々はウリッセに頼まれた者――と言えば、信用して貰えるだろうか?」

 先ほどのあの口上では、到底味方だとは思えまい。
 敢えてコンティオラ公爵邸の護衛の名を出したところで、案の定女性がピクリと反応を示した。

義兄あには……無事なのでしょうか?」

 美しき人、と散々に連呼されていたのは、あながち誇張でもなさそうだが、やはり長い間緊張状態に晒されていたこともあってか、その顔はかなり強張っていた。

「我々は通りすがりのイデオン公爵領防衛軍の者ですが、軍の名と矜持にかけて、貴女のことは王都までお送りいたしますよ。ご家族が、特に怪我をしたと言った話は聞いていませんが、最終的にはご自身の目で確かめるのがよろしいでしょう」

「……通りすがり、ですか」

 こちらの言葉尻を捕らえて理解が及んでいるあたり、なかなかに頭の回転の速い女性のようだ。

 見ている限り、先ほどまでの下手な芝居に感情移入をした様には見えなかった。

「悪しき資金かね、悪しき茶葉の流通と言う『良からぬ企み』は確かに潰さなくてはならないのですがね、やった本人が語るなと言う話ですよ。……彼は、貴女にいいところを見せたかったようですね」

 そう言って私が、いつの間にか一人で将軍の前に立ち尽くしていた男に視線を投げると、しばらく我々と男を見比べた女性は――ややあって「なるほど」と、何かを納得したかの様に頷いていた。

「なっ⁉」

 いかにも高位貴族の甘やかされて育った子息、と言った容貌の青年が私の言葉に顔を痙攣ひきつらせている。

「お、おまえら! 私はナルディーニ侯爵家の嫡男だぞ⁉ それを――」

「ごきげんよう、ナルディーニ侯爵令息。まあ私ごとき下位貴族の非嫡男の顔なら知らなくても良いでしょうが、目の前の無駄に体格の良い男くらいは知ってないとマズイのではないですか? 跡取りを自称されるんでしたらば、なおさら」

「なにを……っ」

 言われてようやく目の前の将軍を認識する気になったのか、その顔色はあっと言うまに青だか白だか、急降下していた。

「べ……ベルセリウス侯爵……」
「うむ。色々ともう明るみに出ているぞ。無駄に抵抗せん方がよかろうよ」
「…………」

 さすがに「侯爵」である将軍に対しては強くも出れず、ナルディーニ侯爵令息は悔しげに口を閉ざした。

「まあ、今更黙り込まれても無駄だとは申し上げておきますよ。さきほどあれだけ派手に、下手な芝居を展開させていたんですから。観客だったのが、こちらの彼女だけだとでも思っていましたか?」

「な……」

 将軍とらの威を借りながら、とりあえずは言いたいことを言っておく。

「あれでは軍本部の慰問にも来れませんがね。どこの劇団も雇わないでしょうよ」

「勝手なことを……っ」

「現実は早いうちに受け止めておいた方がよろしいですよ?――ああ、そうそう」

 私は、いかにも「ついで」だと言ったていで、更なるとどめを刺しておいた。

「王都コンティオラ公爵邸において、詐欺を働こうと目論んでいた愚か者がいたらしいですね」

「⁉」

「既に全員捕まっていて、資金もしっかり取り戻させて貰っていますので、あしからず」

「……っ」

「まあ、茶葉の流通で領を潤わせようとしたことだけを考えれば間違いではありませんが、茶葉ならなんでも良いわけでもないし、まして流通が滞ったからと言って周辺地に投資詐欺をしかけるなんて、言語道断。お館様――ごほん、五公爵会議でどう判断をされるか、陛下がどう処罰をお決めになるか……いや、楽しみですね」

 ひっ……と、声にならない音が聞こえた気がした。

 それは陛下にまで筒抜けていると仄めかされたようなもので、はたして恐怖を覚えない貴族などいるのだろうか。

 政変の記憶は、何しろそう古いものではない。

「――もう、陛下のお耳にまで届いていますよ」

 最後に私が囁いた言葉で、ナルディーニ侯爵令息の身体が膝から崩れ落ちた。

「さて、これで王都に移動がしやすくなりましたね。暴れずに運べれば、それにこしたことはない」

「ケネト……」

 将軍が呆れた声を発しているのは、表でまだ、吹き飛ばされているゴロツキの影が見えるからだろう。

「まあまあ、外のアレは〝青い鷲〟の皆さんに回収していただきましょう。馬車をいくつか借りないといけませんね。こちらのご令嬢向けに、ゆったりと走れる馬車を少なくとも一台は。あとはここで伸びてる連中は荷馬車でも何でも良いでしょうがね」

 あとは馬車の中で詳しく伺いましょう。
 
 そう言った私に反論をする人間は、この場にいなかった。

 宿の床や壁の一部が傷ついたところは、お館様に要相談と言うことになった。
 ……営業に支障があるレベルではないと信じたい。
しおりを挟む
感想 1,393

あなたにおすすめの小説

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

(完結)嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?

和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」  腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。  マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。  婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?    

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。