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第三部 宰相閣下の婚約者

675 親子とは

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「アジーラ……っ」

 何を言っているんだと言わんばかりのウリッセだけど、本来であればウリッセこそがこのくらいの覚悟を持っているべきだったのではと思ってしまった。

 仮にも公爵家の護衛なのだ。
 人質を取られてしまったこと自体はもちろん責められることじゃないけど、それでも前後の行動はちょっと、いやだいぶいただけないのではないだろうか。

「ベルセリウス侯爵閣下。少々発言をさせていただいても?」

 そこで、お義兄様ユセフから何やら囁かれたらしいオノレ子爵が、ベルセリウス将軍にそう断りを入れていた。

 どうやらアジーラ嬢に何か話しかけようとして、自分よりも遥かに爵位のあるベルセリウス将軍の存在に思い至った、と言った感じだった。

 将軍も日常的に大多数の人間が自分よりも爵位が下であることは理解しているんだろう。
 うむ、構わん――と、やや大仰に頷いていた。

「だが私は、イデオン公爵領防衛軍を預かるのが本来の職務であり、今回は、税収の申告の直後にコンティオラ公爵領軍との合同演習とがあった絡みでこの場にいるにすぎぬ。この場においてはいらぬ口は差し挟まぬゆえ、本来の職務を全うされるが良かろうよ」

 それはあくまで、形式を遵守した形だ。
 オノレ子爵も「ありがとうございます、閣下」と、初めから分かっていたと言う風に頷いていた。

「大変恐縮ではありますが、セルマの街であった出来事についても後程伺ってよろしいですか」

「もちろん。とは言え、私は慮外者どもを片っ端から取り押さえた側だ。周囲に目を配るのはウチの優秀な副長に任せてあったんでな。貴殿の聞きたいことは、恐らく副長の方がよく分かっているだろうよ」

「承知いたしました。では、後程そのように」

 そしてオノレ子爵は改めて「アジーラ嬢」と、視線をベルセリウス将軍からアジーラ嬢の方へと戻していた。

「先代エモニエ侯爵夫人と当代のナルディーニ侯爵との間に生まれたのが其方そなただと聞いたのだが、間違いないかね?」

 恐らく、お義兄様ユセフの先ほどの囁きが、そう言うことだったんだろう。

 アジーラ嬢はすぐには答えず、代わりにピクリとこめかみが痙攣ひきつったかに見えた。

「…………は?」

 そしてどうやらその内容は、それまで茫然とあらぬ方向を見ていたカロッジェ・ナルディーニ侯爵令息の意識をさすがにへと引き戻したらしかった。

「今、何と?」

 ただ当然と言うべきか、彼に対して懇切丁寧に説明を施す様な人間はこの場にいない。

「私は貴殿に尋ねてはおらんよ」

 かろうじてオノレ子爵が、感情を殺すようにしてそう答えただけである。

 鼻白むナルディーニ侯爵令息を放置した状態で、オノレ子爵自身はすぐに「で、どうかね」とアジーラ嬢に向き直っていた。

「……私の母は、侯爵令嬢時代のヒルダ様の乳母であったカシルダただ一人と思っております。また、父の記憶は物心ついた頃よりございません。こちらの兄が、父の分まで愛情をかけてくれていたと認識しております。血の繋がりなどと言うものは、長く共に暮らした絆の前には歯の立たぬものなのではないでしょうか」

「…………ふむ」

 片手で口元を覆いながら、オノレ子爵が複雑な表情でアジーラ嬢を見つめていた。

 アジーラ嬢は、実の両親の存在を否定はしていない。
 ただし拒絶をしたのだ。

 血が繋がっていることだけが、親子の証明きずなではないだろう――と。

 はくはくと言葉を失くして口を開いているだけのナルディーニ侯爵令息にも、アジーラ嬢の言葉の真意は伝わっているようだ。

 こちらはこちらで動揺を隠せないに違いない。

 あわよくばと狙ってセルマの街で迫っていたら、実はそれが自分の異母妹だと言われたのだから。

「私は高等法院に籍を置く者。血であろうと絆であろうと、其方自身の立ち位置を面白おかしく吹聴することはせんよ。ただ、事実であるか否かが裁判において其方自身の行く末を左右する場合もある。そのための事実確認にすぎぬよ」

「裁判……」

「あくまで其方自身は巻き込まれた側であって、現時点では罪などない。ただの証言者だ」

「ですが……っ」

「恐らくはその誇り高さこそが其方に流れる『血』なのかも知れんがな」

 納得がいかない、と言った表情を見せたアジーラ嬢をオノレ子爵がやんわりと遮った。

「これは年寄りの独り言だが」

 言外に「話を聞け」と言われたことをアジーラ嬢も察したのだろう。
 オノレ子爵に対して無闇に反発はしなかった。

アジーラであれば、今回の件には人質とされたこと以外に関われることなどない。だが二つの侯爵家の血を持つとなれば、たとえ今が市井の暮らしであろうと『血縁である事実』を取り上げた、そのことが罰となり得る場合もある。あるいはその侯爵家から後継がいなくなれば、次代に繋ぐための女系領主として、領地に縛り付けられることこそが罰となる場合もある。そこまでは我ら裁判官が口出しをすることではないが、其方に選択の幅が広がることは間違いなかろうな」

「!」

 オノレ子爵の「大きな独り言」に、私を含めて複数の人間が息を呑んだ。

 そうか。
 対外的には「侯爵令嬢を平民に落とした」と発表をすれば、そのインパクトはかなり大きい。
 たとえアジーラ嬢が「乳母の娘」として市井で暮らしていて、その措置が痛くも痒くもなかったとしても、外からは分からないのだ。

 さらに「平民に落としたその令嬢は母方の実家であるバリエンダールに差し戻す。その護衛として義兄もアンジェスからの追放処分とする」――などとすれば、少なくともウリッセの首は落ちないし、アジーラ嬢が今以上に巻きこまれることもない。

 二つ目の次代までの女領主とする案については、あくまで案と言うだけで現時点ではそれほど現実的ではない。

 ナルディーニ家もエモニエ家も、辿ればまだかなりの親類縁者がいる筈だからだ。

 領主交代させる人材は、ほかにいくらでもいる筈だった。

「オノレ閣下……」

 目を瞠ったまま、オノレ子爵を見たお義兄様ユセフに、オノレ子爵は微かに口角を上げた。


「――に反応するものではないぞ、ユセフ」

 お義兄様ユセフはこの時、年季と場数の違いをまざまざと見せつけられた、と後々語ることになった。
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