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第三部 宰相閣下の婚約者
【コンティオラSide】英雄マトヴェイの軌道(後)
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最初に〝聖女の姉〟の存在がより身近になったのは、クヴィスト公爵の伝手を使って突如やって来たサレステーデ国のドナート第二王子が〝聖女〟との結婚を堂々と主張しはじめた事だった。
だがこの時点では、周辺国が知る〝聖女〟は既にギーレンの地を踏んでおり、ドナート殿下は、ならばとその姉との縁組を言い出したのだ。
共にやって来たドロテア第一王女の方は、なんとフォルシアン公爵令息との婚姻を望んでいて、クヴィスト公爵が「王族との縁組ですぞ!」などと、それを後押しするかのように、陛下との謁見を主張していた。
だが、王族の婚姻であるからこそ、国内貴族や周辺諸国との軋轢が、それによって生じたりはしないかを注意深く確認しないといけない。
だからこそ慎重にサレステーデの国内情勢を確認していたのだが、王子がイデオン公爵邸に約束もなく押しかけただの、王女がフォルシアン公爵邸に押しかけ、令息を拉致して王宮内に立てこもろうとするだの、それはもう、王族とは思えないほどの二人の行動に引っかき回されて、直接的な解決は両公爵が力業で行ったものの、その後始末を考える段階で、コンティオラ公爵閣下が何日も邸宅に帰れなくなった。
キリアン第一王子が頭を下げにやって来て、問題王族二人を引き取って帰ると聞いていたから、せめて夕食会の間だけでも、閣下には穏やかに過ごして欲しいと思い、事務仕事を引き受けていた筈が――なぜか会場が凍り付いて、国宝級のテーブルが真っ二つになったとの報告を受ける結果になり、閣下は頭痛の種が増えただけだった。
……私も行っておけば良かったのだろうか。
それと前後して「クヴィスト公爵が亡くなった」と聞かされれば、否が応でも陛下の関与は確信せざるを得ない。
サレステーデに嫁いだ娘のため、更には五公爵の間で影響力の低下した自分のためと、両国に対して発言権を強めようなどと考えた時点で、陛下が許す筈もないのだ。
狂気の王、血塗れの王と陰で呼ばれようと、ご自身がただ一人の直系となった誇りと責任感を、何よりも重んじておられる方なのだから。
五公爵家の横槍を許し、王家が堕落するくらいなら、自分の手で国ごと沈めてしまう方を選ぶだろう。そう言う方だと、私は思う。
この頃になると、陛下がボードリエ伯爵令嬢に対しては、彼女が〝聖女〟候補であると言うことを横に置いても普通に接しておられるのではないかと言うことと、イデオン宰相が〝聖女の姉〟と、外交問題になることを避けるためではなく本気で縁組むつもりなのではないかと言うこととが、ほぼ既定路線であるかのように王宮内では語られていた。
特に国宝級のテーブルを氷柱で真っ二つにしたイデオン宰相の魔力暴走は、管理部が制御の術具開発に乗り出すほどの騒ぎになって、周囲に知られることになった。
トーレン・アンジェス殿下の薫陶よろしく、鉄壁宰相とも言われていたイデオン宰相は、他人にも自分にも厳しい人間の筈だ。
その彼をして、そこまで執着させる〝聖女の姉〟とは――。
そう思い始めたそこへ、外交部にバリエンダールへの渡航の話が持ち込まれたのだった。
* * *
サレステーデの王子、王女の処遇に関して、バリエンダールとの話し合いの下準備に渡航することになり、私はそこで初めて〝聖女の姉〟と呼ばれていた少女と顔を合わせることになった。
「……大仰な挨拶は不要だ。互いに時間に余裕がある訳ではないのだから、それよりも用件を済ませてしまおう」
ただ、不本意だと全身で主張をしているイデオン宰相の牽制にまず驚かされ、次に今回の件に携わるにあたって、一時的に大公位に復帰されたテオドル大公殿下がどうやら目をかけておられるらしいことに続けて驚かされた。
高位貴族家の当主に関しては、学園で他国語の授業も必須で学ぶことになるが、夫人や令嬢に関しては、決して必須ではない。
ギーレンと国境を接している領の領主夫人が、必要にかられて学んでいる場合が多いと聞く。
五公爵家夫人に関しても、私はコンティオラ公爵夫人ヒルダ様が、ギーレンおよび取引のあるバリエンダールの言語を学んでおられるのを知っているが、他の当主夫人に関しては定かではない。
そんな中で、バリエンダール語とサレステーデ語を理解し、イデオン宰相の金銭的援助はあっただろうが、自身で「ユングベリ商会」を興し、今やレイナ・ユングベリを名乗ると言う少女は、明らかに貴族令嬢の枠組みからは外れていた。
既にアンジェス国内どころかギーレンにも商会としての伝手を築いていると言うからには、ギーレン語も問題なく操れると言うことなのだろう。
アンジェス国に招いたそもそもの目的は〝聖女の補佐〟だったと聞くが、これなら明日からでも外交部で働けるのではないかと思ったほどだ。
更に、バリエンダールに行ったら行ったで、公務の合間をぬって「ユングベリ商会」商会長として販路の開拓に勤しみ、王女主催の茶会では毒の存在を暴き、テオドル大公殿下がサレステーデとの国境近くで足止めを喰らった時にも冷静に対応をして、北方遊牧民族、更にはサレステーデの宰相の娘との伝手を築き上げた。
もはや、どう報告書に書いたら良いのかさえ分からないほどだ。
どれも決してテオドル大公殿下や私の威を借りたり、後始末を押し付けたりした話でもない。
あまりに行動も言動も、自分が知る「令嬢」の枠組みの外側にある。
バリエンダール王宮での王や王太子との会談以外の話は、書面としては残せないのではないだろうか?
先代宰相が、王族としては異例の独身のままその生涯を閉じられた理由など――他にも色々とあるが、どれも書き残せる筈がない。
何より、帰国の予定が少しずれただけで、一国の宰相が乗り込んでくるなどと誰が思うだろうか……!
コンティオラ閣下からの、娘であるマリセラ嬢とのさりげない見合いの相談をにべもなく斬り捨てた当代の宰相は、このまま先代と同じ道を歩むのかと周囲には思われていた。
サレステーデの王子に宣言したと言う「婚約者」云々との話も、その場を凌ぐためのものだとの認識が、まだどこかにあったのだ。
だがここまで来ると、恐らくイデオン宰相は本気で〝聖女の姉〟を己の隣にと望んでいるのだろう。
帰国後コンティオラ閣下に「報告書に書けない報告」も含めて話をしていた途中で、閣下は溜息と共に苦い空気を吐き出された。
「もはやイデオン公のみならず、国にとっても欠かせない――か」
「はい。近いうちに特許権申請の出された新たな他国の商品、食品が国を席巻するのではないかと思われます」
「特許権……そうだったな。彼女は〝スヴァレーフ〟に関しても、サンテリ領とエッカランタ領の共同と言う形でのレシピを提案してくれていたな……」
どこか遠い目の閣下は、恐らくはマリセラ嬢に勝ち目がないことを悟っているのだろう。
ここから更にコンティオラ閣下に「お願い」をしなくてはならないのが、心苦しいほどだった。
「閣下……実は〝ジェイ〟を参加料に、イデオン公爵邸での食事会の話がありまして……」
「…………」
今度はジェイ、と微かな呟きが確かに耳に届いた。
ジェイはスヴァレーフよりも、遥かに取り扱い量が多い。
特にレストラン〝アンブローシュ〟に卸すほどの品物でなければ、当日でもなんとか手に入る。
私と閣下は、それを手土産にイデオン公爵邸を訪問した。
まさかその後、その〝ジェイ〟が、コンティオラ公爵領全体を巻き込む事件の中心に位置することになろうとは、その時は夢にも思っていなかったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいただいて有難うございます!
護衛組織の二つ名の件につきまして、近日中にまずは「近況ボード」で発表させていただきます。
なお、どこかのサイコパス陛下がイイヒト風に見えるのは、あくまでマトヴェイ目線だからです(笑)
だがこの時点では、周辺国が知る〝聖女〟は既にギーレンの地を踏んでおり、ドナート殿下は、ならばとその姉との縁組を言い出したのだ。
共にやって来たドロテア第一王女の方は、なんとフォルシアン公爵令息との婚姻を望んでいて、クヴィスト公爵が「王族との縁組ですぞ!」などと、それを後押しするかのように、陛下との謁見を主張していた。
だが、王族の婚姻であるからこそ、国内貴族や周辺諸国との軋轢が、それによって生じたりはしないかを注意深く確認しないといけない。
だからこそ慎重にサレステーデの国内情勢を確認していたのだが、王子がイデオン公爵邸に約束もなく押しかけただの、王女がフォルシアン公爵邸に押しかけ、令息を拉致して王宮内に立てこもろうとするだの、それはもう、王族とは思えないほどの二人の行動に引っかき回されて、直接的な解決は両公爵が力業で行ったものの、その後始末を考える段階で、コンティオラ公爵閣下が何日も邸宅に帰れなくなった。
キリアン第一王子が頭を下げにやって来て、問題王族二人を引き取って帰ると聞いていたから、せめて夕食会の間だけでも、閣下には穏やかに過ごして欲しいと思い、事務仕事を引き受けていた筈が――なぜか会場が凍り付いて、国宝級のテーブルが真っ二つになったとの報告を受ける結果になり、閣下は頭痛の種が増えただけだった。
……私も行っておけば良かったのだろうか。
それと前後して「クヴィスト公爵が亡くなった」と聞かされれば、否が応でも陛下の関与は確信せざるを得ない。
サレステーデに嫁いだ娘のため、更には五公爵の間で影響力の低下した自分のためと、両国に対して発言権を強めようなどと考えた時点で、陛下が許す筈もないのだ。
狂気の王、血塗れの王と陰で呼ばれようと、ご自身がただ一人の直系となった誇りと責任感を、何よりも重んじておられる方なのだから。
五公爵家の横槍を許し、王家が堕落するくらいなら、自分の手で国ごと沈めてしまう方を選ぶだろう。そう言う方だと、私は思う。
この頃になると、陛下がボードリエ伯爵令嬢に対しては、彼女が〝聖女〟候補であると言うことを横に置いても普通に接しておられるのではないかと言うことと、イデオン宰相が〝聖女の姉〟と、外交問題になることを避けるためではなく本気で縁組むつもりなのではないかと言うこととが、ほぼ既定路線であるかのように王宮内では語られていた。
特に国宝級のテーブルを氷柱で真っ二つにしたイデオン宰相の魔力暴走は、管理部が制御の術具開発に乗り出すほどの騒ぎになって、周囲に知られることになった。
トーレン・アンジェス殿下の薫陶よろしく、鉄壁宰相とも言われていたイデオン宰相は、他人にも自分にも厳しい人間の筈だ。
その彼をして、そこまで執着させる〝聖女の姉〟とは――。
そう思い始めたそこへ、外交部にバリエンダールへの渡航の話が持ち込まれたのだった。
* * *
サレステーデの王子、王女の処遇に関して、バリエンダールとの話し合いの下準備に渡航することになり、私はそこで初めて〝聖女の姉〟と呼ばれていた少女と顔を合わせることになった。
「……大仰な挨拶は不要だ。互いに時間に余裕がある訳ではないのだから、それよりも用件を済ませてしまおう」
ただ、不本意だと全身で主張をしているイデオン宰相の牽制にまず驚かされ、次に今回の件に携わるにあたって、一時的に大公位に復帰されたテオドル大公殿下がどうやら目をかけておられるらしいことに続けて驚かされた。
高位貴族家の当主に関しては、学園で他国語の授業も必須で学ぶことになるが、夫人や令嬢に関しては、決して必須ではない。
ギーレンと国境を接している領の領主夫人が、必要にかられて学んでいる場合が多いと聞く。
五公爵家夫人に関しても、私はコンティオラ公爵夫人ヒルダ様が、ギーレンおよび取引のあるバリエンダールの言語を学んでおられるのを知っているが、他の当主夫人に関しては定かではない。
そんな中で、バリエンダール語とサレステーデ語を理解し、イデオン宰相の金銭的援助はあっただろうが、自身で「ユングベリ商会」を興し、今やレイナ・ユングベリを名乗ると言う少女は、明らかに貴族令嬢の枠組みからは外れていた。
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アンジェス国に招いたそもそもの目的は〝聖女の補佐〟だったと聞くが、これなら明日からでも外交部で働けるのではないかと思ったほどだ。
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コンティオラ閣下からの、娘であるマリセラ嬢とのさりげない見合いの相談をにべもなく斬り捨てた当代の宰相は、このまま先代と同じ道を歩むのかと周囲には思われていた。
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「もはやイデオン公のみならず、国にとっても欠かせない――か」
「はい。近いうちに特許権申請の出された新たな他国の商品、食品が国を席巻するのではないかと思われます」
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どこか遠い目の閣下は、恐らくはマリセラ嬢に勝ち目がないことを悟っているのだろう。
ここから更にコンティオラ閣下に「お願い」をしなくてはならないのが、心苦しいほどだった。
「閣下……実は〝ジェイ〟を参加料に、イデオン公爵邸での食事会の話がありまして……」
「…………」
今度はジェイ、と微かな呟きが確かに耳に届いた。
ジェイはスヴァレーフよりも、遥かに取り扱い量が多い。
特にレストラン〝アンブローシュ〟に卸すほどの品物でなければ、当日でもなんとか手に入る。
私と閣下は、それを手土産にイデオン公爵邸を訪問した。
まさかその後、その〝ジェイ〟が、コンティオラ公爵領全体を巻き込む事件の中心に位置することになろうとは、その時は夢にも思っていなかったのだ。
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