聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

627 絶対零度の晩餐会~食堂の間②~

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「……あら?」

 そこでふと、エリィ義母様が何かを思い出した――と言う仕種を見せた。

「そう言えば……コンティオラ公爵夫人、邸宅おやしきの護衛の一人が内通者かもとお聞きになって、思ったほどに驚かれていないのは何故かを伺っても?」

「!」

 言われてみればただ一人、私とエリィ義母様以外で驚いていなかったかも知れない。

「フォルシアン公爵夫人……」

 コンティオラ公爵夫人は、まさかエリィ義母様からそれを聞かれるとは思っていなかったのかも知れない。

 驚いたようにこちらを凝視していた。

愛しい人エリィ、どう言うことかな?」

 イル義父様に聞かれたエリィ義母様は、片手を頬にあてたまま、その時のことを思い出そうとしていた。

「今申し上げた通りですわ、あなた。と言うのもレイナちゃんの護衛が内通者を見たと言う話をした時、わたくしも夫人も馬車の中にいてその話を聞いていなかったんですもの」

「そうなのかい?いや、でも――」

「ええ、そうは言っても何の話をしていたのか、気にはなりましたから、周りに誰もいないところでわたくし一人でレイナちゃんに確認をしましたのよ?いずれにしても、コンティオラ公爵夫人が話を知る機会はなかった筈……と思いまして」

 エリィ義母様の言葉を受けたコンティオラ公爵が「……ヒルダ?」と、夫人に声をかけている。

「あ……母上、もしかして」

 そこで声を上げたのは、意外にもヒース君だった。
 答えの代わりに、コンティオラ公爵夫人はビクリと身体を震わせた。

「その護衛……もしやウリッセだったのではないですか?」
「……ヒース」
「そのお表情かおは、図星ですね」

 名前だけを呼んで、その先を答えない――答えられなかったコンティオラ公爵夫人に、ヒース君は母の苦悩を察した様に頷いていた。

 どうやらコンティオラ公爵の方も、その名前には心当たりがあったらしく「ヒース、どういう意味だ?」と息子に問いかけていた。

「父上、ウリッセは確か、母上のエモニエ侯爵令嬢時代の乳母の息子……でしたよね?」

「ああ、そうだ。ヒルダが母以上に母と慕い、我がコンティオラ公爵家に嫁ぐ際にも共に来る筈だった。その前に病気で亡くなってしまったが……」

「だからその息子が、母の遺志を汲んで護衛として付き従ってきた。今の邸宅やしきで唯一、エモニエ侯爵家からこの邸宅やしきに入った者……でしたでしょう?」

 何でも、エモニエ侯爵家の中でさえ、ナルディーニ侯爵家に買収される使用人が散見されたため、いっそ誰も連れてこない方が――と言ったレベルでほとんど信用がなかったらしいのだ。

「母が内通者がいると聞かされて、心当たりが浮かんだ末に口を閉ざす方を選んだと言うなら、相手はウリッセしか考えられません。ああ、父上、僕――いえ私は、そんなやましいことを思ったりはしていませんから。ウリッセの周辺で何かあったのではないかと思って、それを確かめようと思われたのでは?と言うことなんですよ」

 話の途中でコンティオラ公爵の眉間に皺が寄ったことに気が付いて、ヒース君は慌てて母親の「不貞疑惑」を否定していた。

 実の息子がそんなことを疑っているなどと、コンティオラ公爵も夫人も思いたくはないだろうからだ。

「ウリッセの周辺……」

「父上はお聞きになったことはなかったですか?私は、まだ学園入学前の小さかった頃に、ウリッセから直接話を聞いたことがありますよ。彼の母親、つまり母上の乳母はバリエンダールの北にある少数民族の血を引いていると。迫害の末にアンジェスの地を踏んだ移民で、だいぶ苦労して生計を立てていたらしいですよ?」

「え」

 うっかり声を洩らしてしまったのは、私だ。
 見ればエドヴァルドもちょっと眉根を寄せている。
 
「再婚したばかりの先代エモニエ侯爵が、当時、夫人に気を遣ってあまり母上に接することが出来ないからと、雇われたことで恩を感じている彼女なら、陰に日向に母上を支えてくれるのでは、と乳母になってくれるよう頼んだと聞いています」

 迫害された少数民族の血を引く乳母は、見知らぬ土地で自分の居場所を作り出すために、乳母と言う役目に心血を注いだそうだ。

 ナルディーニ侯爵家に目を付けられ始めた頃は、この乳母が、あの手この手で接触を遠ざけたりしていたため、コンティオラ公爵家との縁組が決まった時には、真っ先に同行の打診もあったほどだと言う。

 コンティオラ公爵家への輿入れを楽しみにしていたと言う乳母。
 だが彼女自身はそれを見ることは叶わず、己の忠誠を息子へと託した。

 エモニエ侯爵家から唯一付き従って来たと言う護衛・ウリッセ。
 コンティオラ公爵夫人が信頼を置くのは無理からぬ話だった。

 万一その彼に不審な動きが見えたのだとしたら……まずは自分で確かめたかったのかも知れない。

 何かよからぬことに手を貸してしまっているのだとしたら、乳母のためにも、止めるのは自分でなくてはならない、と。

「……乳母の出自のことは、先代エモニエ侯爵から聞いていた」

 知らなかったのか?と息子に問われたコンティオラ公爵は、やんわりとそれを否定した。

「コンティオラ公爵家は国の外交を束ねる家。いずれどこからか、彼女の出自を論ってくる者が出るかも知れない、と。バリエンダールにおいて北方遊牧民族に対する差別や圧力が和らいだのは、つい最近と言っても良いくらいの話だから、まだその偏見は随所に残っていると思った方が良いと言われていた」

 イデオン公爵家にも、バルトリがいる。

 私はチラとエドヴァルドを見上げたけど、彼は無言で頷いただけだった。
 もしかしたら、バルトリを雇うにあたって、同じような危惧はあったのかも知れなかった。

「エモニエ侯爵領は、自領の茶葉も有名だが、バリエンダールから仕入れる茶葉に関してもある程度の強みがあった。だから乳母の出自を取り沙汰されたところで、何とでも言えると先代侯爵は考えていたようだし、乳母自身の仕事ぶりも評価をしていたから、こちらへの同行も推挙していた。だが、それでも公爵夫人の乳母となれば、あることないこと言い募る者は出ると――まあ、具体的にはナルディーニ侯爵家が文句を言ってきてもおかしくはないと思って、事情を明かしてくれていた」

 どうやら先代エモニエ侯爵、後妻の手綱を上手く取れずに実の娘とギクシャクしていたらしい代わりに、何とかその周囲を固めることで、侯爵なりの愛情を示そうとしていたようだった。

「ただ、乳母はこちらに来る前に亡くなっていたし、ウリッセのことをこれまでとやかく言う者はいなかった。親はどうであれ、ウリッセ自身はアンジェス生まれのアンジェス育ちだ。公爵邸内で素性を知る者すら減りつつあった筈なんだが……」

 バリエンダール、北方遊牧民族、茶葉。

 何となくイヤな繋がりを感じて、私がこめかみをぐりぐりと揉み解している間に、淡々と息子の問いかけに答えていたコンティオラ公爵は、その視線を己の妻へと向けた。

「ヒルダ……私では、貴女の憂いを分かち合うことは出来ないのだろうか」

「あなた……」

「マリセラの縁組の件で、希望を通してやれなかったことはすまないと思う。だからと言って、私が貴女やマリセラを蔑ろにしているわけではない。ない……つもりだった」

 むしろ甘すぎるくらいだ、と横でポツリと呟いているヒース君のそれは、父親へのフォローのつもりなんだろうか。

「今はもう、己一人の胸に抱えておける事柄ではないことは分かっているね、ヒルダ?……話してくれないか」

 決して無理強いをしているわけではないにせよ、それは黙秘を拒む声色ではあった。

 コンティオラ公爵夫人は、覚悟を決めたように顔を上げた。
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