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第三部 宰相閣下の婚約者

【宰相Side】エドヴァルドの誓願(5) ☆☆

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  改めて、出迎えに出ていた使用人たちを見渡して、レイナを公爵夫人として迎える旨、側室云々と言った声が出ようと、全て無視あるいは強制排除で構わないと言ったことを周知徹底しておく。

 レイナも私の視線を受けた形で、この国に、この公爵邸にこれからも留まると口にしてくれた。

 本当なら今すぐ部屋に行きたいくらいだったが、セルヴァンやヨンナが塞いでいた続き扉を使えるようにすると言ったことや、レイナ自身がバリエンダールから持ち帰った海産物でパーティーをするための手紙を書きたがったことで、そこはいったん思い留まった。

 迷っていた婚約届の保証人の件で目処が立ちそうだと言う点では、パーティーも必要なことだと納得をする。

 それぞれの部屋に戻り、いったん湯浴みや寝支度を整える傍らで、セルヴァンがくどいほどに魔力を持たないレイナとの体力差を考えるようにと念を押してきた。

 勉強をして徹夜をするのとはわけが違う、と。

「そんなことは――」

「ただでさえ求婚を受け入れられたことで箍が緩んでいるところ、ヘルマン様の寝間着をご着用のレイナ様をご覧になって、冷静でいられる自信がおありだと?」

「…………」

 セルヴァンもヨンナも、もはやレイナを実の娘のごとく気遣って接していて、むしろ邸宅やしきの主の方が蔑ろだ。

 だいたい、どんな寝間着なんだと内心でひとりごちたが、考えてみればフェリクスが余計な気を回しているだろうことは想像に難くない。

 あまりに酷い場合は止めに入る、などと宣言されているのを背中で聞きながら、私は久しぶりに続き扉から公爵夫人レイナの部屋に足を踏み入れた。

「……うう……もう寝ちゃおっかな……」

 寝台に近付けば、そんな声と共にレイナが寝台の上に膝を抱え込む形で座っていた。

 あの恰好は以前にも目にしたことがある。
 どうやら、よほど心が落ち着く姿勢らしい。
 しかも私の姿を見た途端、余計に身体を強張らせている。

 まだ緊張するのかと聞けば、そんなにすぐには慣れないと、普段とは打って変わった、たどたどしい声が返ってくる。

 強張っていた身体を強引に解すようにして寝台に縫い付ければ、最高級の布地を使いながらも、首元から腰の辺りまでの数か所の紐を解くと、あっと言う間に全てが灯りに晒されてしまうであろう――と言うか、既に白い細身の足が視界の端に止まっている、下手な下着よりも煽情性のある寝間着を、レイナは着させられていた。

 レイナの性格を考えれば、間違いなく「着させられている」だ。
 自分からこんな寝間着に袖を通す筈がない。

 したり顔のフェリクスが目に浮かぶようだった。

 しかも何が腹立たしいかと言えば、自覚済みで自分が煽られていることだ。

 レイナの頬を両手で挟んで「何も考えず、私に溺れていろ」と囁くのが、私の限界だった。

 寝間着の紐を解きながら口づけを繰り返せば、呼吸がままならなくなったレイナの身体から、力が抜けていく。

 少しは楽に呼吸をさせた方が良いだろうと一度顔を上げたものの、視線の先には意識が飛びかけて、目が完全に蕩けているレイナがいて、かえって私の理性てかげんが焼き切れそうになった。

 凶器だな、と思わず溢した私の言葉が、どうやらレイナの耳にも届いていたらしい。

「……ル……ド……?」

 そして吐息と間違えそうなほどの小さな声で呟かれた言葉に、私は思わず寝間着を完全に脱がそうとしていた手を、そこで止めてしまった。

「ルド……とは?私のことか?」
「…………?」

 レイナから答えは返らない。

 何とはなしに「エドヴァルド様」と本人は言ったつもりが、音にならなかったのではないかと思ったが、ふとそれは「今までに誰も呼んでいない愛称」に当てはまるのではないかと、その時思った。

「レイナ……もう一度『ルド』、と」
「……ル、ド……さ――」
「――様はいらない。もう一度」

 一瞬の戸惑いの後、小さな声で「……ル、ド」と返ってきた時には、ざわりと総毛立つほどの歓喜と快感が身体を駆け巡った。

 それでいい。
 少なくとも二人の時はそう呼べばいいと――囁いた後は、もう私も己を止められなかった。

「私の目が他に向く事はないと、疑いようもないほどに貴女を愛し尽くす。もしもこれから先、誰かがいらぬ流言飛語を吹き込んできたら、今夜のことを思い出せ。自分が誰をとりこにしたのかを――これからその身に刻むといい」

 声を押さえようとしたり、シーツを掴もうとしたりするところは無意識なのかも知れないが、今回限り、今夜限りではないのだから、そのあたりは少しずつ慣れさせていくべきだろう。

「ル……ド……っ」

 だいいち、そんな艶のある声で名を呼ばれてしがみつかれるとなれば、止めるなと煽られているも同然だ。

 爪でも何でも好きなだけ立てろとは言ったが、これほどまでの破壊力で己に返ってくるとは思わなかった。

 ――愛している。
 ――貴女だけだ。
 ――貴女しか欲しくない。

 何度も何度も耳元で囁いたが、果たしてどのくらいレイナの中に残っているだろうか。

 贖罪でも同情でもない。
 誰かを抱きたいなどと、レイナ以外に気持ちが湧き上がることすらなかったのだ。

 不安になる度にこの夜を思い出せば良い。

 明け方レイナが気を失うまで、私はレイナを翻弄しつづけた。
 だがそれでも、実際には私の思いの何割も伝えられていないのだ。

「……まだ、足りない」


 明け方、水と果物を少し口にしたところで、私が再びレイナを寝台に沈めれば、驚愕した視線を向けられた。

 エドヴァルド様、と言いかけたところを「ルドだろう?」とすぐさま遮る。

「言った筈だ。今日は私の為に時間を空けて欲しい、と」
「え……それって……」
「ああ。……だ」


 その後も、レイナの全て、知らないところはない――と言うところまで、レイナを翻弄しつづけた。

 部屋の灯りがどうだとか、外の光がどうだとか、時間の感覚を全て意識の外に締め出した。

 溺れていろ、とはレイナに言ったものの、溺れているのは私も同じだった。




「――旦那様」

 そして、まあそうなるだろうとは思ったが、セルヴァンの辛辣な声が不意に鼓膜を揺さぶった。
 ……気付けば窓の外のもすっかり傾いていた。


 セルヴァンは知る由もないことだが、アロルド・オーグレーンと言うどうしようもない人間の血をこの身に宿す以上「それ以上はただの色欲」と言われるのは、実はかなり堪える。

 いくら今の時点で子が授かる可能性はほとんどないと言えど、決して浮ついた気持ちでレイナを抱いているのではないと言うことは、声を大にして言ってもいいくらいなのだが。

「――レイナ様が明日以降、旦那様にはもう触れられるのも嫌だと、幻滅してしまわれてもよろしいのですか?」

 それでも私の思いを伝える以上に「欲」だと見做されるのであれば、私は引き下がらなくてはならない。

 何よりレイナに幻滅されてしまうのは堪える。

 そうなのか……?と、私は思わずレイナの顔を覗き込んでいたが、肝心のレイナはくたりと寝台に沈むだけで、言葉さえ出せる状況になかった。

 せめてと「私の思いは理解してくれただろうか」と聞けば、首だけを数回縦に振っている。

「旦那様っ、少しはレイナ様を気遣われませ!喜ばしいことではあっても、物事には限度と言うものがございます――‼」

 そして辛辣だったセルヴァンの声以上の、ヨンナの雷が部屋に落ちた。

 どうやら明日の王宮への出仕を命じる親書を持ってきた、と言うのがそもそものセルヴァンの声がけ理由だったのだが、それ故に、これ以上部屋に引きこもらせておく訳にはいかないと思ったのだろう。

 結果、ヨンナも連れての「お説教」だったわけだが。

 私はともかくとして、レイナに「否と言うことを覚えろ」と言うのは、無茶な話だろうなと思った。


 ――私が、それを言わせる筈がないのだから。
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