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第三部 宰相閣下の婚約者
567 エウシェン(後)
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ヨーロッパの古城にありそうな、アイリスの紋章風なデザインを持つ鉄の柵が、村から更に奥へと向かう道を遮っていた。
王都から来て、カティンカさんのお店を通って、お墓があると言うところまで、ひたすらなだらかに道は傾斜していた。
「レイナ、ちょっと持っていてくれ」
エドヴァルドが、持っていたドライフラワーの花束を私へと預けて、鉄の柵と同じデザインを散らした門扉の鍵を開けた。
その先はと言うと、森の木々の中に枕木にも似た木が奥へと並べられて、その両端には木の杭が打たれ、杭と杭の間が紐で繋がれていた。
どんなに方向音痴だったとしても、道を間違えることはない仕様に整えられていた。
本当に、トーレン殿下のためだけに整えられた場所と言うことなんだろう。
「あと、これも」
あまりにさりげない口調と動作だったため、私も反射的に右の手のひらを差し出していたけれど、そこに今度は今使ったばかりの門扉の鍵がすっと乗せられた。
「え……ひゃっ⁉」
そして、その鍵を受け取ったのとほぼ同じタイミングで、エドヴァルドの手が私の膝の裏と肩、それぞれに回されて、あっという間に抱えあげられていた。
「エ、エドヴァルド様っ⁉」
「まだ本調子ではないのだろう?ここから先なら誰の目に晒されることもない」
「いえっ、でも、邸宅の階段を上り下りするのとはワケが……っ」
エドヴァルドは単に私が恥ずかしがっているのだと思ったのかも知れない。
だけどそもそも、重いとは言わないまでも、人ひとり抱えて歩くには、向いている地形だとも距離だとも言えないのだ。
下ろして貰おうと身体をねじろうとしたら「レイナ」と、恐らくは意図的にトーンを下げた、腰砕け間違いなしのバリトン声が上から降ってきた。
「少しは頼ることを覚えろ。他の連中はともかく、私にだけは、貴女は何を言ってもいいんだ」
何せ「夫」になるのだから――。
囁かれた私の表情は、自分でも自覚が出来るくらいに、朱色の熱を帯びた。
この間もエドヴァルドは私を抱えて歩いているのだけれど、下ろして欲しいと言う余裕は既に無くなっていた。
そんな私に、エドヴァルドの囁きは止まらない。
「それとレイナ、今は二人きりだ。貴女は閨の場でしか私の名前は呼んでくれないのか――?」
「!!!!」
事ここに至って、私の言語機能が完全にどこかに吹き飛んだ。
色々と、聞き捨てならない科白が多すぎなんですが――‼
「レイナ」
えーっと、これは、名前……愛称を呼べと、そう言う圧力が……。
「よ、呼んだら下ろしてくれますか……」
エドヴァルドの囁きよりも小さい声だったかも知れないけど、お姫様抱っこの距離で、聞こえない筈がない。
おずおずと顔を上げれば、存外真剣に葛藤しているらしいエドヴァルドの視線とぶつかった。
ここはイエスノーを聞く前に!と心の中で気合を入れた。
「……ル、ルド……下ろして……?」
「⁉」
そしてどうやら、この賭けは成功したらしい。
ピタリと歩くのが止まったと思ったら、エドヴァルド自身が地に崩れかねない勢いで、下におろされてしまった。
「……い」
えーっと……今すぐ押し倒したいとか……聞かなかったことにしようかな、うん。
宰相閣下、それ以上はキャラ崩壊です。
「……レイナ」
「……ハイ」
「帰ったら、私を煽った責任は取って貰うぞ」
「⁉」
だから毎回、いつ煽ったのか分からないんですってば――⁉
今回も、それがどこなのかと聞く前に、パシリと腕を掴まれた。
「どのみち、もうすぐそこだ。このまま歩く」
そして確かに感覚として数分歩いたところで、行く先の景色が徐々に広がり始めていた。
「……わぁ」
並んだ木の終わり。
道の終点。
視界の先には、墓碑と眼下に緑一色の森が横たわっていた。
景観法云々と言わずとも、王宮以外に高さのある建物はないし、その王宮とて見えるとすれば逆方向。
今は森の木々で姿は隠されている。
「遠く北の大地に思いを馳せることが出来るようにと、あちらの方向だけ木を伐採し、地面の雑草も抜くか刈るかした。今でも村の人間が定期的な剪定をしている」
「そうなんですね」
頷く私の手から、ドライフラワーの花束を半分だけ手にしたエドヴァルドは、そこに片膝をつくように腰を下ろして、墓碑の前に花束を置いた。
墓碑には名前もない。
ただ、紋章が刻まれている。
王家の紋章にトーレン殿下個人を示すデザインを融合させて出来た紋章らしい。
墓を荒らされないために、出来る限りのリスク回避を試みたみたいだった。
「――殿下」
発した声の冷ややかさとは裏腹に、エドヴァルドの表情は明らかに、昔を懐かしんでいた。
「長く義理を欠いてしまい、申し訳ありませんでした。しかも私は長い間、殿下がずっと何を思っておいでだったのか、考えることさえしてきませんでした。……彼女と出会わなければ、恐らくは一生気が付かないままだった」
「――レイナ・ユングベリと申します、トーレン前宰相閣下。その……おこがましくもこの度、エドヴァルド・イデオン公爵閣下の隣に席をいただくことになりました」
「……レイナ」
エドヴァルドが、ちょっと驚いている。
でも、ここはキチンとした挨拶をするべきところだと思うのだ。
ただちょっと「婚約者」と名乗るのは、まだ恥ずかしかった。
頭の切れる方だったとのことだから、きっとすぐに理解して下さるだろうと思う。
見上げたエドヴァルドの視線を受けながら、私もエドヴァルドを見倣うように、残っていた花束を墓標に捧げた。
***********************
予約時間を間違って登録していました!!
明日からはアルファポリス一本となります。
引き続きどうぞよろしくお願いします……!m(_ _)m
王都から来て、カティンカさんのお店を通って、お墓があると言うところまで、ひたすらなだらかに道は傾斜していた。
「レイナ、ちょっと持っていてくれ」
エドヴァルドが、持っていたドライフラワーの花束を私へと預けて、鉄の柵と同じデザインを散らした門扉の鍵を開けた。
その先はと言うと、森の木々の中に枕木にも似た木が奥へと並べられて、その両端には木の杭が打たれ、杭と杭の間が紐で繋がれていた。
どんなに方向音痴だったとしても、道を間違えることはない仕様に整えられていた。
本当に、トーレン殿下のためだけに整えられた場所と言うことなんだろう。
「あと、これも」
あまりにさりげない口調と動作だったため、私も反射的に右の手のひらを差し出していたけれど、そこに今度は今使ったばかりの門扉の鍵がすっと乗せられた。
「え……ひゃっ⁉」
そして、その鍵を受け取ったのとほぼ同じタイミングで、エドヴァルドの手が私の膝の裏と肩、それぞれに回されて、あっという間に抱えあげられていた。
「エ、エドヴァルド様っ⁉」
「まだ本調子ではないのだろう?ここから先なら誰の目に晒されることもない」
「いえっ、でも、邸宅の階段を上り下りするのとはワケが……っ」
エドヴァルドは単に私が恥ずかしがっているのだと思ったのかも知れない。
だけどそもそも、重いとは言わないまでも、人ひとり抱えて歩くには、向いている地形だとも距離だとも言えないのだ。
下ろして貰おうと身体をねじろうとしたら「レイナ」と、恐らくは意図的にトーンを下げた、腰砕け間違いなしのバリトン声が上から降ってきた。
「少しは頼ることを覚えろ。他の連中はともかく、私にだけは、貴女は何を言ってもいいんだ」
何せ「夫」になるのだから――。
囁かれた私の表情は、自分でも自覚が出来るくらいに、朱色の熱を帯びた。
この間もエドヴァルドは私を抱えて歩いているのだけれど、下ろして欲しいと言う余裕は既に無くなっていた。
そんな私に、エドヴァルドの囁きは止まらない。
「それとレイナ、今は二人きりだ。貴女は閨の場でしか私の名前は呼んでくれないのか――?」
「!!!!」
事ここに至って、私の言語機能が完全にどこかに吹き飛んだ。
色々と、聞き捨てならない科白が多すぎなんですが――‼
「レイナ」
えーっと、これは、名前……愛称を呼べと、そう言う圧力が……。
「よ、呼んだら下ろしてくれますか……」
エドヴァルドの囁きよりも小さい声だったかも知れないけど、お姫様抱っこの距離で、聞こえない筈がない。
おずおずと顔を上げれば、存外真剣に葛藤しているらしいエドヴァルドの視線とぶつかった。
ここはイエスノーを聞く前に!と心の中で気合を入れた。
「……ル、ルド……下ろして……?」
「⁉」
そしてどうやら、この賭けは成功したらしい。
ピタリと歩くのが止まったと思ったら、エドヴァルド自身が地に崩れかねない勢いで、下におろされてしまった。
「……い」
えーっと……今すぐ押し倒したいとか……聞かなかったことにしようかな、うん。
宰相閣下、それ以上はキャラ崩壊です。
「……レイナ」
「……ハイ」
「帰ったら、私を煽った責任は取って貰うぞ」
「⁉」
だから毎回、いつ煽ったのか分からないんですってば――⁉
今回も、それがどこなのかと聞く前に、パシリと腕を掴まれた。
「どのみち、もうすぐそこだ。このまま歩く」
そして確かに感覚として数分歩いたところで、行く先の景色が徐々に広がり始めていた。
「……わぁ」
並んだ木の終わり。
道の終点。
視界の先には、墓碑と眼下に緑一色の森が横たわっていた。
景観法云々と言わずとも、王宮以外に高さのある建物はないし、その王宮とて見えるとすれば逆方向。
今は森の木々で姿は隠されている。
「遠く北の大地に思いを馳せることが出来るようにと、あちらの方向だけ木を伐採し、地面の雑草も抜くか刈るかした。今でも村の人間が定期的な剪定をしている」
「そうなんですね」
頷く私の手から、ドライフラワーの花束を半分だけ手にしたエドヴァルドは、そこに片膝をつくように腰を下ろして、墓碑の前に花束を置いた。
墓碑には名前もない。
ただ、紋章が刻まれている。
王家の紋章にトーレン殿下個人を示すデザインを融合させて出来た紋章らしい。
墓を荒らされないために、出来る限りのリスク回避を試みたみたいだった。
「――殿下」
発した声の冷ややかさとは裏腹に、エドヴァルドの表情は明らかに、昔を懐かしんでいた。
「長く義理を欠いてしまい、申し訳ありませんでした。しかも私は長い間、殿下がずっと何を思っておいでだったのか、考えることさえしてきませんでした。……彼女と出会わなければ、恐らくは一生気が付かないままだった」
「――レイナ・ユングベリと申します、トーレン前宰相閣下。その……おこがましくもこの度、エドヴァルド・イデオン公爵閣下の隣に席をいただくことになりました」
「……レイナ」
エドヴァルドが、ちょっと驚いている。
でも、ここはキチンとした挨拶をするべきところだと思うのだ。
ただちょっと「婚約者」と名乗るのは、まだ恥ずかしかった。
頭の切れる方だったとのことだから、きっとすぐに理解して下さるだろうと思う。
見上げたエドヴァルドの視線を受けながら、私もエドヴァルドを見倣うように、残っていた花束を墓標に捧げた。
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