上 下
522 / 800
第三部 宰相閣下の婚約者

553 有言実行、ここに極まれり

しおりを挟む
 ――まさか夕方になってもまだベッドの住人になっているとは思わなかった。

 しかもセルヴァンが、王宮からの親書が届いていると扉を叩いてくれなければ、夕食までおざなりになりそうな勢いだった。

〝私の目が他に向く事はないと、疑いようもないほどに貴女を愛し尽くす〟

 有言実行、ここに極まれり。

 もしもこの先、何か疑いを持つような事態が起きれば……「まだ足りなかったらしいな」とでも呟きながら、魔王サマが再び降臨する姿が目に浮かぶようだった。

「旦那様。いい加減になさいませんと、明日に差し障ります」

 もはや時間感覚も吹っ飛んだ状態の私が、扉の向こうに返事が出来る筈もないので、答えるとすればエドヴァルドでなければならないのに、私に覆いかぶさったままのエドヴァルドは、答えるどころか口づけを止めない。

「旦那様。また今夜から『続き扉』を塞いでしまってもよろしいのですか?」

 セルヴァンの声に一片の冗談の要素もこもっていないことは、蕩けた状態の私の頭でも理解が出来た。

「旦那様。それ以上は愛情ではなく、ただの色欲にございますよ。レイナ様が明日以降、旦那様にはもう触れられるのも嫌だと、幻滅してしまわれてもよろしいのですか?」

「……っ⁉」

 そして最後の一言は、確実にエドヴァルドの鳩尾にクリティカルヒットを与えていた。

 うん。さすが心の父。
 何を言えばエドヴァルドがダメージを受けるかをよく分かっていた。

 少しだけ身体を起こしたエドヴァルドの右手が、そっと私の頬を撫でる。

「そう……なのか?」
「…………」

 えっと。
 それ、今、の私に聞きますか?

 返事の代わりに、くたりと身体から力が抜けて枕に沈んだ私に、さすがにエドヴァルドも物事の限度と言うものを理解してくれたっぽかった。

「すまない……その……私の思いは、理解してくれただろうか……」

 貴女だけだ。
 貴女しか欲しくない。

 昨夜から、何度囁かれたか分からない。

 私以外の他人の言葉で揺らがないでくれ、と。

 逆に言えば、誰かが余計なことを言えば、誰かが政略婚の話を持ち込んで来たならば、あっという間に身を引いてしまいそうだと、エドヴァルドの目には映ったんだろう。

 だから手加減が出来ない。
 だから箍が外れる。

 抱き潰さずにはいられなかったほどに、エドヴァルドの中にある不安をかき立てたのは、自分なのだ。

 この状態は、お互い様と言うべきなのかも知れなかった。

 だけどせめて、次からは回数を抑えて貰おう。
 そんな風に思いながらも、声の掠れた私は、コクコクと首を縦に振ることしか出来なかった。

「――分かった。入れ」

 そこでようやく、エドヴァルドは扉の外のセルヴァンにそう答えた。

「レイナ様……っ、ですから呼び鈴をとあれほど……!」

 扉が開いたのと同時に、セルヴァンの後ろからヨンナの悲鳴が聞こえてくる。

「旦那様っ、少しはレイナ様を気遣われませ!喜ばしいことではあっても、物事には限度と言うものがございます――‼」

 
 そしてその後は、室内での夕食準備の傍らで「箍でも手加減でもいいので、どちらか呼び戻して下さい」「否と言う単語を覚えて下さい」と、セルヴァンとヨンナ交互に、二人そろってお説教を受ける羽目になった。

 寝台ベッドのヘッドボードに身体を預けた体勢で、とても冴えない話ではあったけど。

*        *         *

 セルヴァンが握りしめていた親書は、予想通りに明日の朝、王宮へ来るようにと促している書面だった。

「サレステーデへの『招待状』が出来たと言う事でしょうか」

 何杯もほんのり果実の味が付いた水を飲んで、ようやく出るようになった声で、私はエドヴァルドに問いかける。

 書面に視線を落としたまま、ものすごく嫌そうに「……ああ」とエドヴァルドも答えた。

「さすがに宰相としては、正式な送付の前に目を通しておく必要があるからな」

 それはそうかと思った私も「なるほど」と頷いて見せる。

「それから、コンティオラ公とマトヴェイ卿、テオドル大公と戻ってくれば良いか?また、中庭で昼食会をするのだろう?」

 出来そうか?と言った不安げな視線をエドヴァルドからは向けられたけど、海産物の消費期限を考えたら、ここは這ってでも遂行すべき「任務」なのだ。

「意地でもやります」
「いや、それは……」

 思わず、と言ったていでエドヴァルドが表情かおしかめているけれど、私はここは全力無視スルーを決め込んだ。

「中止にされたら、当分口を利きませんので。私の国では、ことわざとまでは言いませんけど『食べ物の恨みは恐ろしい』なんて言葉もあるくらいですから」

「…………恐ろしい言葉だな」

 肝に銘じよう、なんて零したエドヴァルドの顔色は、もしかしたらちょっとばかり青っぽかったかも知れない。

「その後は、郊外にある〝エウシェン〟と言う場所まで共に出かけた後、フォルシアン公爵の邸宅やしきに立ち寄ることになるから、そのつもりでいてくれ」

 エウシェン、と言うのがどういう所なのかは知らないけれど、最終的には着けば分かるのだろうから、ここでは私は何も言わないことにした。

「分かりました」
「他に急ぐ話はあるか?あればこの際まとめて聞いておくが」
「……他」

 急ぐかと言われれば、そうでもないとは思うものの、とりあえず今のうちに「商法の講師」の件は話しておこうかと、ふと思い立った。

 キヴェカス卿の事務所で、と聞かされたエドヴァルドが流石にちょっと困惑していたけれど、同時に必要な事と認識もしたみたいだった。

「貴女が学びに行くよりは、遥かに良いだろうが……しかし、それだとギーレンもいずれ、と言う話になるだろう」

「そうですね……ただ、バリエンダールと違うのは、シーカサーリ王立植物園を間に挟むので、そこまで切羽詰まっていないと言うか……」
 
 ギーレンでは固定店舗ではなく、基本的には植物園側の運営に任せて、こちらは手数料を受け取る式で考えていた。

 そういえば、とエドヴァルドもそこで思い出したらしかった。

「そしてサレステーデはバレス宰相令嬢がいる、か。なるほど急務なのはバリエンダールだけなのか」

「はい。それでバリエンダールでの手続きに関する詳細は、近いうちにナザリオギルド長が書面にまとめて送って下さるそうです」

「……あの男か」

 お世辞にも好意的には受け取れない声がエドヴァルドの口からはこぼれ落ちている。

「頭の切れる男だと言うのは認めるが……」
「ちょっと思考がヘルマンさん的で、ぶっ飛んだところはありますよね」

 詰まった才能分だけ一般常識のこぼれ落ちた人。

 とりあえず正直に思った所を伝えてみれば、エドヴァルドは何とも複雑そうな表情を垣間見せた。

「それを私に頷け、と?」
「いやぁ……」
「いや、まあいい。私としては、貴女の目があの男に向いていないことさえ分かればそれで良い」
「え」

 何の話だ、と思うよりも早くエドヴァルドの手が、私の手を掴んでいた。

「貴女の目が、バリエンダールのギルド長だろうと、宰相の養子だろうと、誰にも向いていないことは理解している。だが、理解をしていても……感情が追い付くかと言われれば、それは別だ」

「……っ」

 またしても空気が甘い方向に傾きそうになって、一瞬夕食の心配をしかけたところで――さすがに心の父と母の、再びの牽制が入った。

「「旦那様」」


 見事なハモりに、本人はおろか誰も、何も、言えなかったのだった。
しおりを挟む
感想 1,393

あなたにおすすめの小説

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

(完結)嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?

和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」  腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。  マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。  婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?    

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

傷付いた騎士なんて要らないと妹は言った~残念ながら、変わってしまった関係は元には戻りません~

キョウキョウ
恋愛
ディアヌ・モリエールの妹であるエレーヌ・モリエールは、とてもワガママな性格だった。 両親もエレーヌの意見や行動を第一に優先して、姉であるディアヌのことは雑に扱った。 ある日、エレーヌの婚約者だったジョセフ・ラングロワという騎士が仕事中に大怪我を負った。 全身を包帯で巻き、1人では歩けないほどの重症だという。 エレーヌは婚約者であるジョセフのことを少しも心配せず、要らなくなったと姉のディアヌに看病を押し付けた。 ついでに、婚約関係まで押し付けようと両親に頼み込む。 こうして、出会うことになったディアヌとジョセフの物語。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。