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第二部 宰相閣下の謹慎事情

551 この夜を刻んで(前) ☆☆

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 さすがはアンジェス国の宰相閣下、と公爵邸じたくで感心するのもどうかとは思ったけれど、エドヴァルドがコンティオラ公爵とテオドル大公への手紙を書き上げるのは、そのくらい早かった。

 何なら私がシャルリーヌに手紙をかくのとほとんど変わらなかったくらいだ。

「マトヴェイ卿へは、コンティオラ公爵から話をして貰えば良いだろう。どうせ上司と部下だ」

 書き上げた書面は明日、私の書面はボードリエ伯爵邸に、エドヴァルドの書面は王宮の文書管理官宛にそれぞれ出すようにとセルヴァンに命じながら、エドヴァルドはそうも口にする。

 王宮で働く人間に対し手紙を送ったり差し入れを渡したりしたい場合には、一度文書管理の部署での検閲を受けることになっているそうだ。

 コンティオラ公爵はもちろん、テオドル大公も現在王宮の一室に臨時に滞在していると言うからには、手紙の送り先はそこ一択と言う事になるんだろう。

「すみません、お任せします……」

 他に言いようもない私は、亀のごとく首を縮こまらせるしかなかった。

 その言葉の代わりに、私が羽根ペンを置いたのと前後して、手の甲がふわりと持ち上げられ、そのままエドヴァルドの唇が落とされた。

「エドヴァルド様……」
「……もう、良いか?」
「!」

 こちらを見上げた目に、色気と熱が渦巻いているのが見えて、思わず身体を強張らせてしまう。

「――旦那様」

 そこへ、軽い咳払いと共にヨンナが冷静な声を滑り込ませてきた。

「せめて就寝の準備は整えさせて下さいませ。このままと言うのは、私ども使用人の矜持に関わります」
「さようでございます。北の館の二の舞いは御免被りたく存じます」

 ツルなし眼鏡をわざと持ち上げるようにしながら、セルヴァンも追従する。

「……っ」

 出鼻をくじかれた、とでも言う風にエドヴァルドがテーブルに突っ伏しそうになっていた。
 
 あはは……と、ここは乾いた声であっても、笑うところで良かったんだろうか。

「続き扉の打ち付けは外させていただきますから、一度部屋にお戻り下さいませ、旦那様」

「「!」」

 ここしばらくの間、エドヴァルドの部屋と私の部屋は物理的に塞がっていた。

 それを外すことの意味。

「…………分かった」

 そう、セルヴァンに向かって頷いたエドヴァルドは「では、後で」と言い置いて、部屋を後にして行った。

「先に湯浴みを致しましょう、レイナ様。その間に寝台はこちらで整えておきますから」

 にっこりと微笑わらうヨンナに、私はこくりと頷くことしか出来なかった。

*        *         *

 正直、短時間でも湯船に浸かれたのは有難かった。

 バクバクとうるさいくらいだった心臓が、ほんのちょっと落ち着きを取り戻した。

「ご結婚後の初夜であれば、寝間着や香り付けなど、風習のようなものもございますが、今夜はあくまで旦那様のお気持ちを受け止められた、と言うお話ですし、たとえ婚約届を出した後にしましても、作法のようなものは特にございません。ですから、あまり気負われなくてもよろしいんですよ」

 それは、あれだろうか。よくTL小説なんかで透け透けの下着とか、寝台にバラの花びらが散っているとか描写される、ああ言う慣習のことだろうか。

 若干顔が痙攣ひきつりながらも、さすがにそこは怖くて聞けなかった。

「レイナ様。先ほどのご挨拶、私ども感無量でございました。アンジェスに、この公爵邸に残るとお決め下さったこと、大変嬉しく存じます」

「ヨンナ……」

「とは言えレイナ様、恐らく今の旦那様は、箍も手加減も吹き飛んだ状態。本当に、本当に無理だと思われたら遠慮なく呼び紐を引いて下さいませ」

「え……」

 箍も手加減も吹き飛ぶって、なんだろう。怖すぎなんですが。

 それに毎日の寝間着とは違って、今日は頭からすっぽり被る仕様のナイトドレスで、しかも胸元のリボンを数個解けばすぐにはだけてしまいそうな、表現のしづらい服に着替えさせられてしまい、言葉に詰まる。

「ヨンナ、これ……」

「これはこれで、初夜の衣装と言う訳ではないですから……ただ単にヘルマン様が、旅先で便利だろうと、おかしな気を利かせた結果と申しましょうか……」

 エドヴァルドのことだから、謹慎と言いながら絶対にどこか泊りがけで出かけるだろうと踏んでいたらしい。

 ある意味、さすがは長年の友人と言ったところかも知れない。

酒精分おさけ抜きのフルーツワインと、お水と、寝台脇のテーブルに置いておきますので、もし追加でご入用な時は、それもあちらの呼び紐をお使い下さい」

 さりげなく呼び紐の具合を確かめてから、下がるヨンナさんもさすがのプロフェッショナルだと思うのですが。

 おやすみなさいませ、と一礼したヨンナが部屋を立ち去って行き、一人ぽつんと残された私は、急に心細くなって――と言うか、このナイトドレスを晒したくない心境もあって、慌てて寝台ベッドの中に下半身だけを滑り込ませて、ヘッドボード部分を背に「体育座り」の状態になった。

「うう……もう寝ちゃおっかな……」

 結婚の約束をしたと言っても、恥ずかしいと思ってしまう事とは全くの別問題だ。感情が追い付かない。
 寝台ベッドどころか、すみっ〇ぐらししたい心境だ。

「それは……困るな」
「ぴゃっ⁉」

 いつの間に隣の部屋から移動をしてきていたのか、気付けば寝間着姿のエドヴァルドが、寝台ベッド脇に姿を現していた。

「……あの日だけかと思っていたが、よほどその恰好は落ち着くんだな」
 
 私の「体育座り」の姿勢を見るのが二度目となるエドヴァルドは、むしろ感心したかの様な表情を浮かべながらも、ベッドのデュベカバーを持ち上げて、私のすぐ傍へと身体を滑り込ませてきた。

「……っ」
「まだ緊張するのか?」
「そ、そんなすぐに慣れません……」

 現時点での偽らざる心境だ。

 ピシリと身体を強張らせたままの私に更に近付いたエドヴァルドは、私の膝下に左手を差し込むと、あっと言う間に私の足を真っすぐに延ばして、ヘッドボードに預けていた身体全体を引き倒すようにして、私の上へと伸し掛かった。

「あっ……」
以前まえにも言った筈だ」

 エドヴァルドの両手が私の頬を包んで、私の目は、真っすぐエドヴァルドを見るしかなくなった。

「何も考えず、私に溺れていろ――と」
「……ぁ……っ」

 重ねられた唇は、離れることなくいっそう深い口づけへと変わっていき、やがて呼吸さえもままならなくなっていった。

 くたりと身体から力が抜けたと言う点では、エドヴァルドも間違ったことはしていない。

 一度口づけが止んで、その手がナイトドレスのリボンへとかかる頃には、私は息切れをしたかのような、頭に酸素が行き届かない状態で、呆然とそれを見つめていた。

「そのとろけた目は……凶器だな……」

 そんな声が、どこか遠くで聞こえた気がした。
 今の声の主は、エドヴァルドの筈。

 蕩けた目……私のことだろうか。

「……ル……ド……?」

 ――ナイトドレスを脱がそうとしていたエドヴァルドの手が、そこでピタリとその動きを止めた。

















***************************************


……もう、決定稿はお分かりいただけたでしょうかf(^^;)

正解はのちほど近況ボードで!
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