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第二部 宰相閣下の謹慎事情
533 ただいま経過報告中(前)
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親書はマトヴェイ外交部長の手から、いったん国王付で雑務をこなす老侍従の手に渡って、改めてフィルバートに恭しく差し出されていた。
あまり見ない人だなと思っていたけど、専属侍従と言う事なら、単にこれまで私に接点がなかっただけなのかも知れない。
後でエドヴァルドに聞いたところによると、その老侍従は、先の政変で第一王子の味方をし、爵位を失くした一族の一人と言うから、驚きだった。
今は家名を失くした状態で「マクシム」とだけ、周囲からは呼ばれているらしい。
没落して生活に困った息子に泣きつかれて、お手打ち覚悟でフィルバートに「王宮の隅でも良いから雇って欲しい」と頭を下げに来たんだそうだ。
「本人が裏切ったワケでもないのに、いちいち手打ちになんぞするか。キリがない」
と、言い放った末に、その息子ではなく陳情に来た本人を雇用したのは、いかにもな話だと思う。
怯えて親に泣きついた息子より、斬られるのも覚悟で動いた親の方を評価したんだろう。
「雇った給金をどう使うかは、おまえの勝手だ。だが、こんな事も自分の口で言いに来られない腑抜けに与える様な職務はこの王宮にはない」
出来れば息子を雇って欲しいと言う親の願いは察しながらも、そこはきっぱりと斬り捨てたのだ。
せいぜい、仕送りをするのには目を瞑る――と言うのが、フィルバートなりの慈悲であり、第一王子派に付いていた一族への牽制でもあったんだろう。
次から次へと甘えた就職希望者が、湧いて出ない様にと。
実際、そんな老人が侍従で雇用されたんなら……と、ヘラヘラ笑いながら謁見申請をしてきた、旧第一王子派のどこかの子爵家の男性に関しては、フィルバートは管理部に「好きに使え」と、有無を言わさず実験台として放り込んだらしい。
ブレませんね、と思わず溢した私に、エドヴァルドも苦笑していた程だった。
本当に、賢君と暴君の境目が曖昧な王だと思う。
そんなマクシムが、親書を差し出して、部屋の隅へと下がって待機をしたのを横目に、フィルバートは筒状になっていたそれを解いて、内容にざっと目を通していた。
「ほう……自治領化と事実上の共同統治に関しては受け入れる、サレステーデの宰相を呼びつけての三国会談を我が国で、か」
親書の内容をさくっと要約したフィルバートに、テオドル大公が何とも言えない表情を見せた。
「呼びつけ……ま、まあそうかも知れませんな」
「しかしそれをしてしまうとサレステーデの国政に空白が出来るぞ。セゴール国王は寝たきり、第三王子は醜聞をまき散らして蟄居同然に押し込められているときてる。そこに宰相までが国を空ければ、たとえ半日にしたとしても、国政の空白につけ込む貴族が出ないとも限るまい。自治領化の話をするより先に内紛で倒れるんじゃないのか」
「とは言え、我が国とバリエンダールからそれぞれサレステーデに人を遣ると、ギーレンに話を気取られる危険が増すうえに、乗っ取りの印象をより濃くしてしまいますからな」
「なら、バリエンダールでも良いだろう。私の方には断る理由もない」
その瞬間、サイコパス陛下サマの口元に確かに愉悦の笑みが浮かんだ。
言うと思った……と、この場にいた人間の大半の顔が痙攣っていた。
「――そこは少々、ミラン王太子殿下に思惑があるようで」
テオドル大公をフォローする形で、それまでは黙って成り行きを窺っていたエドヴァルドが、ここにきて初めて口を開いた。
「ん?メダルド国王ではなく、王太子にか?」
「ええ。本人、明言はしませんでしたが、王の留守を狙って大掃除をしたいようですよ」
暗に、陛下の仕事は残らないだろうと仄めかすエドヴァルドに、フィルバートは微かに眉を顰めていた。
「……なるほど、王の優しさに見切りをつけたワケか」
「そこまでは言っておりませんが。メダルド国王陛下の慈悲の姿勢は、確かに今までは必要な事でしたでしょうから」
「それは私も否定はしない。各国それぞれに国を動かすやり方と言うのはある訳だからな。ただ――そのやり方は、永遠には続けられない事もまた確かだ」
フィルバート自身が、玉座に就く自分を最初から思い描いていた訳じゃない。
今、玉座にいる人間の誰もが、永遠にそこに座していられる訳でもない。
たとえ追い落とす訳ではないにせよ、息子が父親の、自主的な退位への道筋をつけようと目論んでいる事に、フィルバートは気が付いたんだろう。
「言ってくれれば、いくらでも手は貸してやるんだがな。王太子がその気なら、支持に回ってやる事はやぶさかではないと言うのに」
「「……陛下……」」
エドヴァルドとテオドル大公の嘆息が、ほぼ同時に吐き出されていた。
多分ミラン王太子が頼めば、フィルバートはむしろ喜んで「大掃除」に手を貸すだろうな、と思ったに違いない。
「けじめと言うものは、何でも自分の手でつけるのが一番だと思いますがね」
ため息と共にそう諭してきたのは、エドヴァルドではなくテオドル大公の方だった。
過去の王室のあれこれを知る大公様の言葉ほど、この場で重いものはなかった。
「確かにな。自分の預かり知らぬところでやられるのも、たまったものじゃないだろうしな。まあでは、こちらとしては、後から素知らぬ顔で王太子を支持してやるのが一番と言う事か」
「年寄りの愚考ですが」
「くく……ここで急に年寄りになるか、大公」
フィルバートも、理があれば問答無用で意見をはねのける事はしないので、ここではただ、笑っただけだった。
そしてそれは、アンジェスでの三国会談を認めた事と同義語でもあった。
「それで、サレステーデの宰相に国を空けさせる事をどう納得させるつもりだ?ただ招いたところで、なんだかんだと理由をつけて来ない――と言うか、来れるだけの理由が捻り出せまい」
「これはまだ、私と大公との間でのみ話をしていた案ではあるのですが」
当初の疑問に立ち返るフィルバートに、エドヴァルドが、レイフ殿下とバリエンダールのフォサーティ宰相を「駒」として使い、しばらくサレステーデに居座らせると言う話を説明していた。
そこはさすがに想像の外にあったらしく、一瞬目を見開いていた。
「なるほど、何も知らない態で訪問をし、ただ居座る……か。宰相の不在中に国政の乗っ取りを目論もうとしても、他国の客人が来ている以上は、コトを起こしづらいと言うわけか」
「これまでのサレステーデの様子を考えれば、それでもコトを起こしそうな、分別のない貴族もいるかも知れませんが、それでもそれが、もっとも危険度の低いやり方ではないかと」
殺されても替えの効く二人――とは、大きな声では言わないまでも、フィルバートには充分に伝わったらしく、くつくつと低く笑っていた。
「もっとも危険度が低い、か。言われてみればそうかも知れんな。では、突然訪問すると言う態を取るならば、会談自体はあまり先の日付には出来んと言う事だな。まあこちらも、いつまでもあの愚か者どもを牢で養う義理もない訳だから、ちょうど良いのか」
部屋の隅で黙って待機をしていた老侍従に、フィルバートが「レイフ叔父上をここへ呼んでくれ」と、声をかけた。
ここのところのサレステーデの起こしている騒動のせいもあってか、王族であるレイフ殿下も、王宮内の与えられた宮から外へは出ないようにしているらしい。
なんだかんだ言って、王族としての務めは疎かにしない人なのだ。
ただただ、フィルバートとソリが合わないだけなんだろう。
「招待状の作成は任せる。周囲を振り切ってでもアンジェスに来たくなる様な、魅力的な文章をせいぜい書きあげてくれ。署名はやぶさかではない」
「……では外交部に、その様に依頼しておきましょう」
自分の預かり知らないところで話を振られたマトヴェイ外交部長が「え」と小声を洩らしているものの、誰もその声を拾い上げる事はしなかった。
「陛下には、マトヴェイ外交部長渾身の、今回の一連の会談のやり取りを書き起こした傑作をしばしお読みいただくとして、私とテオドル大公は、数日休ませていただきますので、そのつもりで何とぞ」
「は?」
「彼女はもともと、臨時の書記官。ここでお役御免で良いでしょう」
「おまえ……」
呆れた様に表情を顰める国王に、エドヴァルドはビクともしていなかった。
「久しぶりの外交渡航、大公もさぞやお疲れかと」
「う……うむ、そうだな」
あまり部屋が冷えては困ると、テオドル大公もエドヴァルドの同調圧力に屈している気がした。
あまり見ない人だなと思っていたけど、専属侍従と言う事なら、単にこれまで私に接点がなかっただけなのかも知れない。
後でエドヴァルドに聞いたところによると、その老侍従は、先の政変で第一王子の味方をし、爵位を失くした一族の一人と言うから、驚きだった。
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「雇った給金をどう使うかは、おまえの勝手だ。だが、こんな事も自分の口で言いに来られない腑抜けに与える様な職務はこの王宮にはない」
出来れば息子を雇って欲しいと言う親の願いは察しながらも、そこはきっぱりと斬り捨てたのだ。
せいぜい、仕送りをするのには目を瞑る――と言うのが、フィルバートなりの慈悲であり、第一王子派に付いていた一族への牽制でもあったんだろう。
次から次へと甘えた就職希望者が、湧いて出ない様にと。
実際、そんな老人が侍従で雇用されたんなら……と、ヘラヘラ笑いながら謁見申請をしてきた、旧第一王子派のどこかの子爵家の男性に関しては、フィルバートは管理部に「好きに使え」と、有無を言わさず実験台として放り込んだらしい。
ブレませんね、と思わず溢した私に、エドヴァルドも苦笑していた程だった。
本当に、賢君と暴君の境目が曖昧な王だと思う。
そんなマクシムが、親書を差し出して、部屋の隅へと下がって待機をしたのを横目に、フィルバートは筒状になっていたそれを解いて、内容にざっと目を通していた。
「ほう……自治領化と事実上の共同統治に関しては受け入れる、サレステーデの宰相を呼びつけての三国会談を我が国で、か」
親書の内容をさくっと要約したフィルバートに、テオドル大公が何とも言えない表情を見せた。
「呼びつけ……ま、まあそうかも知れませんな」
「しかしそれをしてしまうとサレステーデの国政に空白が出来るぞ。セゴール国王は寝たきり、第三王子は醜聞をまき散らして蟄居同然に押し込められているときてる。そこに宰相までが国を空ければ、たとえ半日にしたとしても、国政の空白につけ込む貴族が出ないとも限るまい。自治領化の話をするより先に内紛で倒れるんじゃないのか」
「とは言え、我が国とバリエンダールからそれぞれサレステーデに人を遣ると、ギーレンに話を気取られる危険が増すうえに、乗っ取りの印象をより濃くしてしまいますからな」
「なら、バリエンダールでも良いだろう。私の方には断る理由もない」
その瞬間、サイコパス陛下サマの口元に確かに愉悦の笑みが浮かんだ。
言うと思った……と、この場にいた人間の大半の顔が痙攣っていた。
「――そこは少々、ミラン王太子殿下に思惑があるようで」
テオドル大公をフォローする形で、それまでは黙って成り行きを窺っていたエドヴァルドが、ここにきて初めて口を開いた。
「ん?メダルド国王ではなく、王太子にか?」
「ええ。本人、明言はしませんでしたが、王の留守を狙って大掃除をしたいようですよ」
暗に、陛下の仕事は残らないだろうと仄めかすエドヴァルドに、フィルバートは微かに眉を顰めていた。
「……なるほど、王の優しさに見切りをつけたワケか」
「そこまでは言っておりませんが。メダルド国王陛下の慈悲の姿勢は、確かに今までは必要な事でしたでしょうから」
「それは私も否定はしない。各国それぞれに国を動かすやり方と言うのはある訳だからな。ただ――そのやり方は、永遠には続けられない事もまた確かだ」
フィルバート自身が、玉座に就く自分を最初から思い描いていた訳じゃない。
今、玉座にいる人間の誰もが、永遠にそこに座していられる訳でもない。
たとえ追い落とす訳ではないにせよ、息子が父親の、自主的な退位への道筋をつけようと目論んでいる事に、フィルバートは気が付いたんだろう。
「言ってくれれば、いくらでも手は貸してやるんだがな。王太子がその気なら、支持に回ってやる事はやぶさかではないと言うのに」
「「……陛下……」」
エドヴァルドとテオドル大公の嘆息が、ほぼ同時に吐き出されていた。
多分ミラン王太子が頼めば、フィルバートはむしろ喜んで「大掃除」に手を貸すだろうな、と思ったに違いない。
「けじめと言うものは、何でも自分の手でつけるのが一番だと思いますがね」
ため息と共にそう諭してきたのは、エドヴァルドではなくテオドル大公の方だった。
過去の王室のあれこれを知る大公様の言葉ほど、この場で重いものはなかった。
「確かにな。自分の預かり知らぬところでやられるのも、たまったものじゃないだろうしな。まあでは、こちらとしては、後から素知らぬ顔で王太子を支持してやるのが一番と言う事か」
「年寄りの愚考ですが」
「くく……ここで急に年寄りになるか、大公」
フィルバートも、理があれば問答無用で意見をはねのける事はしないので、ここではただ、笑っただけだった。
そしてそれは、アンジェスでの三国会談を認めた事と同義語でもあった。
「それで、サレステーデの宰相に国を空けさせる事をどう納得させるつもりだ?ただ招いたところで、なんだかんだと理由をつけて来ない――と言うか、来れるだけの理由が捻り出せまい」
「これはまだ、私と大公との間でのみ話をしていた案ではあるのですが」
当初の疑問に立ち返るフィルバートに、エドヴァルドが、レイフ殿下とバリエンダールのフォサーティ宰相を「駒」として使い、しばらくサレステーデに居座らせると言う話を説明していた。
そこはさすがに想像の外にあったらしく、一瞬目を見開いていた。
「なるほど、何も知らない態で訪問をし、ただ居座る……か。宰相の不在中に国政の乗っ取りを目論もうとしても、他国の客人が来ている以上は、コトを起こしづらいと言うわけか」
「これまでのサレステーデの様子を考えれば、それでもコトを起こしそうな、分別のない貴族もいるかも知れませんが、それでもそれが、もっとも危険度の低いやり方ではないかと」
殺されても替えの効く二人――とは、大きな声では言わないまでも、フィルバートには充分に伝わったらしく、くつくつと低く笑っていた。
「もっとも危険度が低い、か。言われてみればそうかも知れんな。では、突然訪問すると言う態を取るならば、会談自体はあまり先の日付には出来んと言う事だな。まあこちらも、いつまでもあの愚か者どもを牢で養う義理もない訳だから、ちょうど良いのか」
部屋の隅で黙って待機をしていた老侍従に、フィルバートが「レイフ叔父上をここへ呼んでくれ」と、声をかけた。
ここのところのサレステーデの起こしている騒動のせいもあってか、王族であるレイフ殿下も、王宮内の与えられた宮から外へは出ないようにしているらしい。
なんだかんだ言って、王族としての務めは疎かにしない人なのだ。
ただただ、フィルバートとソリが合わないだけなんだろう。
「招待状の作成は任せる。周囲を振り切ってでもアンジェスに来たくなる様な、魅力的な文章をせいぜい書きあげてくれ。署名はやぶさかではない」
「……では外交部に、その様に依頼しておきましょう」
自分の預かり知らないところで話を振られたマトヴェイ外交部長が「え」と小声を洩らしているものの、誰もその声を拾い上げる事はしなかった。
「陛下には、マトヴェイ外交部長渾身の、今回の一連の会談のやり取りを書き起こした傑作をしばしお読みいただくとして、私とテオドル大公は、数日休ませていただきますので、そのつもりで何とぞ」
「は?」
「彼女はもともと、臨時の書記官。ここでお役御免で良いでしょう」
「おまえ……」
呆れた様に表情を顰める国王に、エドヴァルドはビクともしていなかった。
「久しぶりの外交渡航、大公もさぞやお疲れかと」
「う……うむ、そうだな」
あまり部屋が冷えては困ると、テオドル大公もエドヴァルドの同調圧力に屈している気がした。
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