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第二部 宰相閣下の謹慎事情

486 惜別のローズティー

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 リファちゃんに餌をあげた後、朝食の席に改めてついたところ、苦笑いぎみのフェドート元公爵以外の居並ぶ面々の顔色が、微妙に悪かった。

 その中で、端に控えている、まだ真面っぽい顔色の〝鷹の眼〟グザヴィエの軽い咳払いに、気付いて視線を向けると、その隣で同じ〝鷹の眼〟コトヴァが、自分の目の下を軽くトントンと叩いていた。

(……あ)

 これはどうやら、私のお茶会でのに、宰相閣下エドヴァルドから一家言あったと言う事だろうか。

 そしてその場に居合わせていなかった彼らからすれば、受ける圧力はまだ少なかったのかも知れない。

「……この後の事だが」

 ただ、そこには誰も何も触れる事なく、私が席についたタイミングでエドヴァルドがまるで別の話を口にしはじめた。

 どうやら既に、誰が「簡易型転移装置」で移動をして、誰が馬と荷馬車を運ぶか(戦闘の可能性有り)と言ったあたりの人員割りは済んでいたらしかった。

 エドヴァルドとテオドル大公にマトヴェイ外交部長、私とシーグに〝鷹の眼〟の三人(バルトリ、グザヴィエ、コトヴァ)に〝草〟のリーシンが転移装置使用組、ベルセリウス将軍以下軍の面々と王宮護衛騎士のトーカレヴァとノーイェルが馬で追いかける組になったらしい。

 なるほど、いざ露見した時の為に、軍と王宮護衛騎士をそこに立てておく事で、国としての恩を売れる様にしておこうと言う事なのかも知れない。

 どのルートを走るのかと言うのも既に固まっていて、ユッカス村にエドヴァルドが着いた時に、ジーノ青年や三族長たちと顔を合わせたところで、イラクシ族の敗走ルートを、こちらの都合の良いように誘導するよう、指示を出してきたんだそうだ。

 敗残兵を捕縛するだけ、油断しなければ大した危険にもならないだろうと言う結論まで、既に出されてしまっていた。

 ……あの調子だと、あの場にいた各部族の力量を図って、イラクシ族の拠点にいる後継の青年と繋ぎを取らせて、連携を取るくらいの指示は出していそうだ。

 そうでないと、敗残兵を誘導するなんて指示も出せないだろうから。

 そんな思いで、ジッとエドヴァルドを見ていると、私の考えている事は分かっていると言わんばかりに、軽く口元を歪めていた。

 まるで、目の前にいるのは誰だとでも言わんばかりだ。

 きっと、その話もしたからこその、皆の顔色なのかも知れなかった。

「昨晩の内に各部族を走らせている。時間的に言えば、明け方には戦闘に入っている筈だ。無駄に殺し合いはせず、有力者だけを押さえる様に言ってあるから、早ければそろそろ決着している筈だ」

「⁉」

「当然、他国人アンジェスの私が突然指示を出したところで、誰も従わない。その辺りは、あの宰相令息ジーノが私の話を叩き台に、今頃ユッカス村から指示を出している筈だ」

 目を瞠った私の疑問を掬い取る様に、エドヴァルドがそう続けた。

「そして、逃げ出した連中のペースを考えれば、こちらはもう少ししてから馬を走らせれば、あまりこちらには近づかない場所で遭遇する事が出来るだろう。それを捕獲してそのまま走れば、夕方にはユッカス村で合流出来る」

 ここは他国だと言うのに、遠慮のかけらもないその指示に、いかにエドヴァルドがこの事態に腹を立てていたのかを、皆が実感させられていた。

 捕まえたイラクシ族の不穏分子を、そのまま荷馬車でドナドナして来いって言う話なのだから、私やマトヴェイ外交部長が移動手段として揺られていたのとは、荷馬車に乗る意味がまるで違う。

 と言っても、これでも某国王陛下フィルバートが表立って出てくるよりは、遥かに穏便なんだろうな……と、ちょっと遠い目になってしまったのは勘弁して欲しい。

 そして、味わうどころか、いつの間にか終わっていた朝食の最後に、開いた扉の向こうから、ふわりと上品な香りがこちらへと流れ込んできた。

「!……これは」

 どうやらフェドート邸の厨房で、邸宅やしきあるじに出しても大丈夫だと、納得のいく物が完成したようだ。

「ご安心下さい、旦那様。今咲いている花を勝手に切ったりはしておりません。既に邸宅おやしきの中に飾られてあった花の花びらを活用させて頂いております」

 クッキーが出来ていると言う事は、どこかにドライフラワー化した花束なり、リース的な何かでもあったんだろう。
 あれは、乾いた花弁を混ぜるモノなのだから。

 どうやら色味を考えて、濃い方のトーレン殿下をイメージした薔薇をローズティーに、淡い方のジュゼッタ姫をイメージした薔薇をクッキーに練り入れてみたらしかった。

 それとも単に、乾燥させた花びらが淡い色の方しかなかったからかも知れないけど、今はそれはどうでも良いだろう。
 問題は、味と香りだ。

レシピは、其方そなたが?」

 フェドート元公爵に、問われた私は頷いた。

「今日、すぐにとは思ってなかったんですが……表に出すつもりもなかったので、頃合いを見てお出ししてみて下さい、と其方そちらのリチタにレシピだけ預けたんです。見ごろを過ぎたあたりにでも、心の中で花を思い出して頂くのに良いかと思ったので……」

「……心の中」

「長い間、花が咲くのを見ていらしたんですから、香りだけでも思いをはせる事は出来るかと……」

 我ながら、ちょっと詩人じみた事を言ってしまったかも知れない。
 表情かお痙攣ひきつる私を、だけどフェドート元公爵は笑わなかった。

 黙ってクッキーを一つ口に入れ、咀嚼し終わった頃改めて、ローズティーに口をつけた。

 その間は誰も手を動かさず、黙って元公爵の反応を窺っている。

「ああ……いいな」

 そして静かに洩れたその一言に、リチタ始め使用人皆が、ホッと息を吐き出した。

「どちらも、それぞれの花の香りが逃げずに現れている。テオドル、イデオン公。皆もぜひ味わってみてくれ」

 お好みで足して下さい、と私が言うのに合わせて、リチタがスライスされたレモンと瓶入りの蜂蜜をテーブルにそっと置いた。

「ふむ……」
「どう思う、テオドル。良い香りだと思うが」
「そうだな、ヴァシリー。これならば確かに、香りから花も想像出来ようぞ」

 長い間、お茶やお酒を酌み交わしてきたであろう元公爵と大公様は、浮かんでくる思い出を噛みしめようとするかの様に、ローズティーとクッキーを静かに味わっていた。

 どうやら悪印象は持たれなかった様なので、私は密かにリチタに向けて親指を立てておいた。

「このレシピは、本当に持ち帰らないのかね?」

 再度問われた私は「はい」と、頷いた。

「写しは取っていないのはリチタが目の前で見ていますし、原本自体もリチタに渡しています。これ以外にもいくつか案がありますので、釣り以外にも日々の手慰みとして、ぜひ形になさってみて下さい」

「……そうか」

 ローズティーに視線を落として、何かを考えているかの様な仕種をフェドート元公爵は見せていたけれど、結局最後まで、それを口にする事はなかった。

 そろそろ、この邸宅おやしきを辞去する時間になってきているからだ。

「まあ、忘れ物があっても、後日テオドルが来た時にでも渡しておくから、そう気にせずとも良い。何なら、其方そなたやイデオン公とて、時勢が許すならまた来てくれても構わぬ。歓迎しよう」

 最後フェドート元公爵は、そう言って微笑わらった。
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