上 下
372 / 800
第二部 宰相閣下の謹慎事情

420 悪意の囁き

しおりを挟む
「ビリエル…と言うより、まだ幼かったヘリスト・サレステーデを川に突き落としたのは、サレステーデ先代国王の側妃あるいは彼女に近い者だったらしい。これはもう、本人の記憶自体が曖昧だったから、個人の特定までは不可能だ。ただ、息子――つまりは今のセゴール国王を次代の王にしたかった者、と言う事だけが分かっていた」

 当時のサレステーデ先代国王には長く男児が生まれず、側妃がようやく男児を生んだ後に、正妃や他の側妃が男児を生むと言う、聞いただけでも揉める事が確定な状況だったらしい。

 私の表情から、それを察したんだろう。
 だから情報管理がなっておらず、我々には有難い事に、ほぼ筒抜けだった…と、ミラン王太子は苦笑いすら浮かべていた。

 口にはしないけど、まあ、忍び込ませ放題だったって事なんだろうな。

「ただ、セゴール国王自身も、次の王の地位を望んでいそうだと言うのが垣間見えていた。だから、ただ『保護しましたよ』と連絡を入れたところで、向こうだって信じはしなかっただろうし、下手をすればこちらが王子誘拐の責をでっち上げられる可能性もあった」

「と言う事は、川に落ちて行方不明になった王子――と言うのは、確かに存在していたんですね?」

「ああ。だから父は、サレステーデに戻してやって、本来受けるべき待遇を取り戻させてやるべきと思っていたようだ。例えば先代陛下の隠し子を称して、向こうの姉姫の誰かに婿入りさせる…とかな」

「え、でも実際は姉弟になる――」

「白い結婚で後日離縁でも何でもすれば良い。重要なのはサレステーデ王宮に戻る事だと」

 えらくお人好しな話だなと思っていたら、それも見透かされたのか、ミラン王太子は緩々と首を横に振った。

「父は父で、その頃既に婚約をしていた母・ベネデッタ一筋だった。自分の父親が父親だったから、余計に『一人の姫を愛しぬく』事に固執してしまったのかも知れない。だから自分に、側妃だ愛妾だと先代陛下の一存で押し付けられる前に、可能性のありそうな縁組を潰したかったんだそうだ」

 これにはミラン王太子の隣で、フォサーティ宰相が頷いている。

「まあ、はたから聞けば下衆な話かも知れんが、自分のところにすり寄って来たり、夜に忍び込んできた令嬢なりは、悉く先代陛下になされておいでだった。送り込んだ貴族の方とて『陛下の手がついた』となれば、たとえ誤算だろうと文句も言えない」

 先代陛下自身にとっては、年若い令嬢を自分へと回してくれる王太子は「愛すべき息子」だったようだ。
 一人で良いなどと、自分には理解出来ないと首を傾げるだけで、息子の思惑通りに、それ以上の無理を強いる事はしなかったらしい。

「ベッカリーア公爵がカラハティ取引の優遇を求めてすり寄って来た時だけは、派閥関係の問題で、先代陛下自身もメダルド殿下も、その娘を取り込む事が難しかった。結果、まあ……私が矢面に立たされた訳だが」

 静養との名目で、既に王都から離れた島で暮らしていたキアラ夫人の身の安全をチラつかせられては、フォサーティ宰相としても身動きが取れなかったらしい。

 元より子供を作るつもりがなかったキアラ夫人自体が、宰相家の血がそれで繋がるのなら――と、受け入れていたらしいのだ。

「其方の年齢では、義務で子を為すと言う考え方はなかなかに理解は出来ぬだろうな。成人前の王太子殿下にも、当時は随分と責められたものだ」

 もはや先代陛下の所業に疲れ果てていたフォサーティ宰相は、当初は、息子グイドが成人したあたりで、王都を退いてキアラ夫人の暮らす島に自分も向かう事を考えていたらしい。

 当時はキアラ夫人の置かれた状況を知らなかったからな、とミラン王太子はやや申し訳なさそうに微笑わらっていた。

 その、ベッカリーア公爵の娘である夫人は、嫁いでからも父親の言いなりに、ベッカリーア公爵家にすり寄っている者たちばかりとの社交にふけり、息子もまた、その子息が取り巻きとなってひたすらにおだてていたせいか、尊大な性格が見え隠れするようになり、気付けばフォサーティ宰相の言葉だけでは、どうにも動かなくなっていたと言う。

「それでは、遠からず宰相家はベッカリーア公爵家に取り込まれてしまう事になる。だから私は、裏から密かにベッカリーア公爵家の力を削ぐ事から始めていた。彼らが先代陛下にすり寄っていたのが、北方遊牧民達の圧迫によってカラハティの利権を独占する事だったと知ってからは、逆に彼らの保護に手を尽くした。北方遊牧民と言っても、サレステーデにもまたがる問題だ。勝手に利権を狙われては国際問題、サレステーデに一人でも有能な為政者がいれば、喰い尽くされるのはバリエンダールの側になるかも知れない。だから私は私で、メダルド殿下が先代陛下を女性を使って国政から遠ざけようと腐心されている間、裏で動かせて貰っていたのだ」

 特に示し合わせてはいなくとも、その時点では利害は一致していたと言う事だろう。

「私としては、ビリエル・イェスタフが真にサレステーデ王家の血を持つ者なら、ただ戻すのではなく、あの男にこそ王位を継がせたかった。そうして復権の恩を着せて、北方遊牧民達を双方から保護するのが、カラハティの利権も互いに分け合えると思ったからだ。息子グイドほどの愚か者だったら流石に考え直しただろうが、そこそこに飲み込みの早い男だったからな」

 どうやらビリエル本人にも、自分に生死の境をさまよわせた者達への恨みはあったようで、フォサーティ宰相からの、復讐者としての王位への返り咲きを提案されて、頷いていたんだそうだ。

 年齢や政情を考えて、息子あるいは娘をもうける事で、自分の血を王家に戻すあるいは次代による王位を狙っているかと思っていたけれど、本人にも多少の色気はあったと言う事か。

 このあたりは、また「喋りたくなる薬じはくざい」で聞いておいてもらった方が良いのかも知れない。

「あの、王家の護衛も真っ青な腕っぷしは、宰相様の所で鍛えられたんですか」

「正確には、私の護衛候補と称して、共に同じ師の下で学ばされた。私は王太子ではなく何を目指しているんだと、真面目に悩んだ頃もあったな」

 低く笑うミラン王太子からは、自分もそれなりに剣が使えるのだとの牽制を感じるけれど、腕っぷしゼロの私に、何が出来る筈もないので「そうですか」と相槌を打つくらいの事しか出来ない。

「そのうち流石に、父も宰相の思惑に気付いた。父としては、あの男をサレステーデに戻した後は、セゴール国王と手を取り合って王家を盛り立てていってくれれば、自ずとカラハティの利権に関しても共有出来ると思っていたようだったから、敢えて血を流させる必要もないと思っていたみたいだ」

「それはちょっと……」

 いくらなんでも、突然「弟」だと言って、王位継承権を持つ人間がバリエンダールから戻ってくれば、王宮内に広がるのは疑心暗鬼と言う名の悪意の塊だろう。

「まあ、普通ならユングベリ嬢の様に思うだろう。父が『穏健派』の王と言われる所以だ。自分の家族関係がズタズタだったから、せめて自分の周囲にはそれを期待していたのかも知れないな。密かにビリエルを、王子ヘリストとしてサレステーデに戻す点では一致していても、戻した後どうすると言うところで、父と宰相は意見を異にしていた訳だ」

「それで……殿下は宰相様を支持された、と?」

「まあ、せざるを得なかったと言うところも多分にあるが」

 そう言うと、ミラン王太子はチラリとフォサーティ宰相に視線を向けた。
 フォサーティ宰相の方は、王太子が何を言い出すのか察しているのか、無言を選んだようだった。

「宰相が北方遊牧民族の内の一つユレルミ族から養子を迎えた事で、先代陛下にしろベッカリーア公爵にしろ、側室夫人と息子が宰相から見放されたと言う事実を突きつけられた。そのままいけば、カラハティの利権は得られなくなる。だから彼らは次のに打って出てきた。――まだ年端もいかないミルテへの縁談、と言う形で」

 メダルド「国王」がフォサーティ宰相に尋ねた時期よりも遥かに前、しかもそれは、サレステーデの、バルキン公爵が相手だったと聞いて、私は居並ぶ面子の地位も忘れて叫んでしまった。

「えっ、あの転がした方が早そうなダルマと⁉って言うか、年齢差いくつ⁉」

 多分、この場の誰一人「ダルマ」の何たるかは知らなかったに違いないけど、私が「転がした方が早そう」と言った部分で、何となく言いたい事は理解した様に見えた。

「まあ……それで私の中で『ビリエルを穏便に国へ戻す』と言う選択肢そのものが消え失せた訳だ。父が何を言おうと、あの男をサレステーデに戻すのであれば、全てを無に返す為の斥候として使ってやれ――とね」

 その瞬間、ミラン王太子の目には明らかな憎悪の炎が浮かんでいた。

 全てを無に――そこには決して、縁談を潰して終わりと言う生易しい意志だけが存在している訳ではなかった。

「あの男を、復讐者から暗殺者にしたのは私だ。と言っても、私はちょっと囁いてやっただけだ。あの男に『殿下ヘリストがサレステーデにお戻りになるためのがありますよ』と、その名をいくつか――な」

 誰、とは言っていない。
 直接「殺せ」と命じた訳でもない。
 それでも。

「父はあの男がサレステーデに戻る事自体には反対していない。ならばその前にを手伝わせても良いだろうと思ってな。あの男の正体を知っていたのは、父と私と宰相のみ。イェスタフ伯爵ですら、その時にはもう亡くなっていた。あとは、正体を知る可能性があるを排除してしまえば、北方遊牧民達とは穏便に手を取り合えると思った」

「……そのは、王宮の奥深くに鎮座していたりなんかしましたか?」

 半ば確信を持って問いかけた私に、ミラン王太子は無言のまま、凄艶な笑みをもってそれに答えてみせた。
 
 ――今更誰も追及出来ない事を、分かっているからこそ。
しおりを挟む
感想 1,393

あなたにおすすめの小説

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

交換された花嫁

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」 お姉さんなんだから…お姉さんなんだから… 我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。 「お姉様の婚約者頂戴」 妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。 「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」 流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。 結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。 そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

(完結)嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?

和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」  腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。  マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。  婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?    

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。