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第二部 宰相閣下の謹慎事情
380 大時化はお断り!
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
結局エドヴァルドは、私のバリエンダール行きの用意が終わった後も自分の部屋には戻らずに、この日も「添い寝」で夜を過ごして――朝にはしっかりと赤い痕を付け直されてしまった。
果たして、この「牽制」が必要な箇所なんてあるのか…なんて事を言う余力はなかったし、あったとしても聞いて貰えなかった事は間違いない。
ヨンナの「おはようございます」と部屋の外からでもよく聞こえる声と、扉のノックまでが、もう「お約束」なんだと、諦めるより他なかった。
今回の「テオドル大公の書記官」と言う触れ込み上、服装ってどうなるんだろうと思っていたら、夜会向けではないが、リーリャ王都商業ギルド長が公用で王宮に上がる際などに着る、エンパイアライン程度の裾を持つ洋装と言うのがあるらしく、それに近い既製品を…と言う形で〝ヘルマン・アテリエ〟から届けられていた。
パッと見、ラファエロの絵画「一角獣を抱く貴婦人」を思わせる服装に「大公の聖母」の様な青のストールをかけている感じだ。
晩餐会や舞踏会には参加しないリーリャギルド長にとっては、Aラインにコルセットやパニエの多用されたドレスなど動きづらいだけ――と言う事で、ギルド長就任の際、ヘルマンさんによって、王宮内で違和感のない範囲での服装が考え出されたらしい。
なるほど「くだけた服装」とは一線を画しつつも、貴族ではなくギルド長と言う立場に添っての服装と言う事なんだろう。
テオドル大公と共に食事に招かれた場合は改めて着替えるにせよ、会談中などには、ビジネススーツじゃないけれど、ギルド長仕様の服装で行く方が、各方面からあらぬ誹謗中傷の対象にならなくて良いと言う事なのかも知れない。
荷物の事もあり、ベルセリウス将軍始め軍の一行も、イデオン公爵邸から小型の〝転移扉〟で共に王宮入りする事になっていた。
少し早めにやって来た彼らは、ファルコたち〝鷹の眼〟から、害獣用の罠や毒物中和剤、非常食の説明を受けている内に唖然とした表情になり、極めつけに外交部の同行者の名前をここで初めて聞かされて、一様に阿鼻叫喚…と言うか、ちょっとした恐慌状態に陥っていた。
ベルセリウス将軍ですら、目と口がゼロの形になりかねないくらいに驚いていたのだ。
「「「マトヴェイ卿⁉」」」
古き英雄の名を国王から与えられる程となれば、やはりそれなりに当人の武勇も知られているんだろう。
まして生家は同じ公爵領防衛軍と言う立ち位置の下にある。
驚くなと言う方が難しいのかも知れない。
「お館様……護衛の配置は、当初の予定通りで宜しいのですか?」
外交部の一般官吏と言う想定だったからこその、王宮護衛騎士をそこに配置する話だった筈。
言葉にはしないまでも、表情でそう語っているウルリック副長に「構わない」と、エドヴァルドは言い切った。
「マトヴェイは、今なお走る事に不自由はあれど、歩く事や雑魚相手なら立ち回りにも不自由はないと聞くし、そもそも現在は一外交官僚だ。テオドル大公並みの過剰の配慮は、本人とて遠慮したいところだろう」
後で将軍や副長から聞いたところによると、単純な実力だけなら、先代領主だった兄の方が遥かに上回っていて、マトヴェイ外交部長は、ベルセリウス侯爵家における、弟・ルーカス的な「参謀」の立ち位置にいた人だったらしい。
ところが、先の政変でフィルバートを凶刃から庇った事で一気に評価がうなぎ登りになり、生家ダールグレン侯爵家が、領主と後継者の問題で不穏な空気を醸し出すようになったらしい。
兄弟仲は悪くないものの、周りが勝手に派閥を作り上げたのだ。
弟が一代貴族として「マトヴェイ」の名をあっさり受けたのも、お家騒動のボヤが大火事にならないようにとの判断だったんだとか。
兄領主までもが、その座をあっさりと息子に譲り渡したことで、周囲の目論見を悉く不意にした。
そしてどうやらそこまでが、当時はまだダールグレン家の一員だった弟が考えて、実行に移した事だと、周囲からは未だに、まことしやかにそんな囁きが洩れ出ているそうだ。
…それが事実なら、確かにエドヴァルドの言う通り、過剰な配慮は不要なのかも知れない。
サレステーデのキリアン第一王子の謁見や、夕食会の時はどうしていたのだろうと思ったら、謁見の儀や夕食会のセッティングには外交部長として完璧なスケジューリングをしたものの、自身は「既にダールグレン侯爵家を離れ、その場への参加資格は持たない」と、後方で自らの職務に邁進していたらしい。
まさかそんなバカな騒ぎが起きるとは思わなかった、と後で周囲には溢していたようだ。
国王陛下や宰相のいる場で刃が振るわれた――などと聞かされた、マトヴェイ部長の心境はいかばかりだったか。
下手をすればその憤りを、テオドル大公を後押しする事で晴らそうとするかも知れない。
伊達に外交部長なぞやっていない――そんなエドヴァルドの心の内さえ聞こえた気がした。
要は喰えない人と言う事じゃないか。
私はちょっと、背中に薄ら寒い感覚を覚えた。
「最初は今のままの割り振りで良い。その後向こうに行って、配置を変えた方が良いと判断したなら、以降は現場の判断に委ねる。それで良いだろう」
エドヴァルドの言葉は、間違いなくその通りであり、ウルリック副長も「そうですね」としか答える事が出来なかった。
ああ、うん、気持ち分かるよウルリック副長。
どう考えても過剰装備な荷物に加えて、過剰戦力とも言えるマトヴェイ外交部長までいると聞けば、ただ、行って帰ってくるだけだなんて、俄かに信じられないと思う。
副長みたいなタイプは特に、裏があるとしか思えなくても仕方がないと思う。
「………」
そんなウルリック副長の視線が一瞬だけこちらを向いて、私も副長が「自分の不安が理解出来ますよね⁉」的に、目で訴えているのを嫌でも理解してしまった。
とは言え。
「そうか、マトヴェイ卿か!」
何だか微妙にテンション上がっているベルセリウス将軍も隣にいる訳で。
「代替わり前に、先代ダールグレン侯爵の代理として来られていた式典があって、一度だけ挨拶はさせて貰った!その後は官僚として表舞台に出て来られる事がなかったから、何年ぶりだろうか!歩く事に支障はないとの事だが、完治されていないのなら、手合わせは難しかろうな……」
口元に手をやりながら、一人頷く将軍に、最早お馴染み「副長の小言」が炸裂した。
「何をバカな事を言っているんですか、古傷をお持ちの方を相手に!と言うか、そもそもマトヴェイ卿の実力を目の当たりに出来る様な事態が起きたら困るでしょう!」
そらそうだ、と呟いたのはファルコだ。
副長の方は、そんなファルコを見る事なく、お小言を続けている。
「良いですか⁉︎今回は、何も起こらず、起こさせず、凪いだ海の如く平穏無事に帰って来る事が絶対なんですよ!せいぜい、王都に戻ってから、酒の席でも設けて貰えないか聞くくらいに留めておいて貰わないと困ります!」
大公に英雄が同行者となれば、かすり傷一つでも、国と国との争いに発展しかねない。
さもありなん、と私もその時は頷いていたけど、バリエンダールに着いてから「いえ、かすり傷一つ付いても大問題になるのは、大公殿下でもマトヴェイ卿でもありません。私には、キヴェカスの氷窟に自分の墓を自分で掘る様な自虐趣味はありませんので」などと言われてしまったのは、エドヴァルドには秘密だ。
「理解出来ているのは、何よりだ。そろそろ王宮に向かうぞ」
時間だとでも言う様にエドヴァルドが話を切り上げ、公爵邸の面々の不安そうな視線を背中に受けながらも、小型の〝転移扉〟を抜けて、王宮へと向かった。
結局エドヴァルドは、私のバリエンダール行きの用意が終わった後も自分の部屋には戻らずに、この日も「添い寝」で夜を過ごして――朝にはしっかりと赤い痕を付け直されてしまった。
果たして、この「牽制」が必要な箇所なんてあるのか…なんて事を言う余力はなかったし、あったとしても聞いて貰えなかった事は間違いない。
ヨンナの「おはようございます」と部屋の外からでもよく聞こえる声と、扉のノックまでが、もう「お約束」なんだと、諦めるより他なかった。
今回の「テオドル大公の書記官」と言う触れ込み上、服装ってどうなるんだろうと思っていたら、夜会向けではないが、リーリャ王都商業ギルド長が公用で王宮に上がる際などに着る、エンパイアライン程度の裾を持つ洋装と言うのがあるらしく、それに近い既製品を…と言う形で〝ヘルマン・アテリエ〟から届けられていた。
パッと見、ラファエロの絵画「一角獣を抱く貴婦人」を思わせる服装に「大公の聖母」の様な青のストールをかけている感じだ。
晩餐会や舞踏会には参加しないリーリャギルド長にとっては、Aラインにコルセットやパニエの多用されたドレスなど動きづらいだけ――と言う事で、ギルド長就任の際、ヘルマンさんによって、王宮内で違和感のない範囲での服装が考え出されたらしい。
なるほど「くだけた服装」とは一線を画しつつも、貴族ではなくギルド長と言う立場に添っての服装と言う事なんだろう。
テオドル大公と共に食事に招かれた場合は改めて着替えるにせよ、会談中などには、ビジネススーツじゃないけれど、ギルド長仕様の服装で行く方が、各方面からあらぬ誹謗中傷の対象にならなくて良いと言う事なのかも知れない。
荷物の事もあり、ベルセリウス将軍始め軍の一行も、イデオン公爵邸から小型の〝転移扉〟で共に王宮入りする事になっていた。
少し早めにやって来た彼らは、ファルコたち〝鷹の眼〟から、害獣用の罠や毒物中和剤、非常食の説明を受けている内に唖然とした表情になり、極めつけに外交部の同行者の名前をここで初めて聞かされて、一様に阿鼻叫喚…と言うか、ちょっとした恐慌状態に陥っていた。
ベルセリウス将軍ですら、目と口がゼロの形になりかねないくらいに驚いていたのだ。
「「「マトヴェイ卿⁉」」」
古き英雄の名を国王から与えられる程となれば、やはりそれなりに当人の武勇も知られているんだろう。
まして生家は同じ公爵領防衛軍と言う立ち位置の下にある。
驚くなと言う方が難しいのかも知れない。
「お館様……護衛の配置は、当初の予定通りで宜しいのですか?」
外交部の一般官吏と言う想定だったからこその、王宮護衛騎士をそこに配置する話だった筈。
言葉にはしないまでも、表情でそう語っているウルリック副長に「構わない」と、エドヴァルドは言い切った。
「マトヴェイは、今なお走る事に不自由はあれど、歩く事や雑魚相手なら立ち回りにも不自由はないと聞くし、そもそも現在は一外交官僚だ。テオドル大公並みの過剰の配慮は、本人とて遠慮したいところだろう」
後で将軍や副長から聞いたところによると、単純な実力だけなら、先代領主だった兄の方が遥かに上回っていて、マトヴェイ外交部長は、ベルセリウス侯爵家における、弟・ルーカス的な「参謀」の立ち位置にいた人だったらしい。
ところが、先の政変でフィルバートを凶刃から庇った事で一気に評価がうなぎ登りになり、生家ダールグレン侯爵家が、領主と後継者の問題で不穏な空気を醸し出すようになったらしい。
兄弟仲は悪くないものの、周りが勝手に派閥を作り上げたのだ。
弟が一代貴族として「マトヴェイ」の名をあっさり受けたのも、お家騒動のボヤが大火事にならないようにとの判断だったんだとか。
兄領主までもが、その座をあっさりと息子に譲り渡したことで、周囲の目論見を悉く不意にした。
そしてどうやらそこまでが、当時はまだダールグレン家の一員だった弟が考えて、実行に移した事だと、周囲からは未だに、まことしやかにそんな囁きが洩れ出ているそうだ。
…それが事実なら、確かにエドヴァルドの言う通り、過剰な配慮は不要なのかも知れない。
サレステーデのキリアン第一王子の謁見や、夕食会の時はどうしていたのだろうと思ったら、謁見の儀や夕食会のセッティングには外交部長として完璧なスケジューリングをしたものの、自身は「既にダールグレン侯爵家を離れ、その場への参加資格は持たない」と、後方で自らの職務に邁進していたらしい。
まさかそんなバカな騒ぎが起きるとは思わなかった、と後で周囲には溢していたようだ。
国王陛下や宰相のいる場で刃が振るわれた――などと聞かされた、マトヴェイ部長の心境はいかばかりだったか。
下手をすればその憤りを、テオドル大公を後押しする事で晴らそうとするかも知れない。
伊達に外交部長なぞやっていない――そんなエドヴァルドの心の内さえ聞こえた気がした。
要は喰えない人と言う事じゃないか。
私はちょっと、背中に薄ら寒い感覚を覚えた。
「最初は今のままの割り振りで良い。その後向こうに行って、配置を変えた方が良いと判断したなら、以降は現場の判断に委ねる。それで良いだろう」
エドヴァルドの言葉は、間違いなくその通りであり、ウルリック副長も「そうですね」としか答える事が出来なかった。
ああ、うん、気持ち分かるよウルリック副長。
どう考えても過剰装備な荷物に加えて、過剰戦力とも言えるマトヴェイ外交部長までいると聞けば、ただ、行って帰ってくるだけだなんて、俄かに信じられないと思う。
副長みたいなタイプは特に、裏があるとしか思えなくても仕方がないと思う。
「………」
そんなウルリック副長の視線が一瞬だけこちらを向いて、私も副長が「自分の不安が理解出来ますよね⁉」的に、目で訴えているのを嫌でも理解してしまった。
とは言え。
「そうか、マトヴェイ卿か!」
何だか微妙にテンション上がっているベルセリウス将軍も隣にいる訳で。
「代替わり前に、先代ダールグレン侯爵の代理として来られていた式典があって、一度だけ挨拶はさせて貰った!その後は官僚として表舞台に出て来られる事がなかったから、何年ぶりだろうか!歩く事に支障はないとの事だが、完治されていないのなら、手合わせは難しかろうな……」
口元に手をやりながら、一人頷く将軍に、最早お馴染み「副長の小言」が炸裂した。
「何をバカな事を言っているんですか、古傷をお持ちの方を相手に!と言うか、そもそもマトヴェイ卿の実力を目の当たりに出来る様な事態が起きたら困るでしょう!」
そらそうだ、と呟いたのはファルコだ。
副長の方は、そんなファルコを見る事なく、お小言を続けている。
「良いですか⁉︎今回は、何も起こらず、起こさせず、凪いだ海の如く平穏無事に帰って来る事が絶対なんですよ!せいぜい、王都に戻ってから、酒の席でも設けて貰えないか聞くくらいに留めておいて貰わないと困ります!」
大公に英雄が同行者となれば、かすり傷一つでも、国と国との争いに発展しかねない。
さもありなん、と私もその時は頷いていたけど、バリエンダールに着いてから「いえ、かすり傷一つ付いても大問題になるのは、大公殿下でもマトヴェイ卿でもありません。私には、キヴェカスの氷窟に自分の墓を自分で掘る様な自虐趣味はありませんので」などと言われてしまったのは、エドヴァルドには秘密だ。
「理解出来ているのは、何よりだ。そろそろ王宮に向かうぞ」
時間だとでも言う様にエドヴァルドが話を切り上げ、公爵邸の面々の不安そうな視線を背中に受けながらも、小型の〝転移扉〟を抜けて、王宮へと向かった。
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