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第二部 宰相閣下の謹慎事情

【宰相Side】エドヴァルドの更夜(前)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 その夜、レストラン〝チェカル〟の前でサレステーデの第二王子と思わしき人物に遭遇した事は、私の内心を酷く苛立たせた。

 本当なら〝アンブローシュ〟での食事に合わせて、ピアスを渡して、正式に公爵夫人となってくれる事を乞うつもりだったところが、段階を踏む前に「婚約者」となる事を周囲に知らしめざるを得なくなった。

(これではレイナに本気だと思って貰えない)

 自分への好意には、もともとが鈍いレイナだ。
 それよりも「王子が帰国するまでの仮の話」とする方が、よほど納得をするのが目に見える。

 私としても、王子の出現によってのなし崩し的な婚姻など望んではいない。
 だからこそ、今回は「王子除け」だと口にしてみれば、驚く程あっさりとその話を受け入れてしまった。

 ――あと何度、夜を共にして名を呼べば、彼女は私の本気を信じてくれるだろうか。

 異世界の保護者と言う立場からは抜け、ようやく一人の男として受け入れられた。
 それでもまだ、彼女の目が時折不安に揺らいでいる事には、嫌でも気が付いてしまう。

 そう思えば思うほど、彼女を翻弄してしまう自分への抑えも効かなくなるのだ。
 
 不安も罪悪感も、全てを溶かして私に溺れさせたい。
 誰にも、サレステーデの第二王子ごときになど、エスコートの手すら触れさせたくはない。

 例えフィルバートやフォルシアン公爵が半ば呆れていようと、王宮の謁見の間でも、私は堂々と〝聖女の姉〟との婚約を告げた。

 身分差を主張するならば、王子との方が公爵よりも問題だろうと言ってやると、ドナート第二王子は怯み、クヴィスト公爵は唇を噛みしめていた。

 もちろん宰相の職位を振りかざさないのは、わざとだ。
 わざわざ反論のきっかけを与えてやる義理はない。

 ただ、さっさと諦めて国へ帰れと、全身で主張したのは、もしかするとやり過ぎだったのかも知れない。
 公爵邸に押しかけて来るのであればまだしも、ユセフ・フォルシアンを無理矢理連れ去って、王女と共に行方をくらますなどとは、完全に想定外だった。

 絵姿を手に、謁見の間で何やら喚いているのは視界の端に見ていたが、第二王子さえ抑えていれば、同時に牽制になると思っていたのだ。

 実際には、レイナがヘリファルテを使っての捜索を提案してくれなければ、既成事実が成立したのではないかと思うくらいの、綱渡りだった。

 先に部屋に入った護衛騎士サタノフに後で聞いたところによると、どうやら下着姿のドロテア王女が馬乗りになって、ユセフ・フォルシアンの上着のボタンを外して、それを脱がせたところだったらしい。

 そんなモノをレイナに見せられるか!と思った私は悪くはない筈だ。

 ただ「男性だけの証言だと弱い」と、私に目隠しをされたままの状態で呟くレイナに、反論が出来なかった事もまた確かだった。

 私の手の中で、真綿にくるんで蕩けさせたい――誰に悟らせる訳にもいかない、私のそんな醜い欲望を、無意識の彼女は軽々と超えていってしまう。

「……しばらくは、ただ、寄り添ってあげるのが良いと思います。自分が一人ではないと、自分自身で気が付くまで、寄り添っていてあげるのが良いと」

 ユセフの事と言いながらも、それは多分、レイナ自身の心の内だろう。
 一人ではないと納得してくれたのかどうか、私はまだ確かめられてはいないのだが。

「貴女の傍に、この先私が寄り添う事は許して貰えるだろうか」

 ――その時も、結局答えを聞く事が出来なかった。

 第一王女ドロテアの次は第二王子ドナートが、見事にしでかしてくれたからだ。

 我が邸宅やしきで、セルヴァンとファルコに門前払いをくらったのは、さもありなんと思っていたが、まさかそのままクヴィスト公爵と、王宮内の国王陛下フィルバートのところに押しかけているとは、これも想定外だった。

 …二人とも、とても王族がする振る舞いとは思えない。

 ただ、誰とは言わないがアンジェス国最高位にあるも、ほぼ同時刻に、王宮内でやらかしてくれていた。

 悲鳴と呼ぶにはおこがましい、ポヴァを踏みつけでもしたかの様な声が廊下に響いて、サタノフに確認に行かせたところが、返って来た言葉は「国王陛下がクヴィスト公爵閣下を手にかけられたのではないか」と言う、まさかの一言だった。

 フィルバートの腰には、金細工と散りばめられた小ぶりの宝石が人目を引く短剣が常に下げられている。

 一見するとその派手さから、儀式用にすら見えてしまうのだが、実際には幾人もの血を啜ってきた、ある意味〝魔剣〟とも言える「相棒」だと、私は知っている。

 何とはなしに、レイナを中に入れない方が良い気がして、一人で国王の執務室の中に入ってみたところが、やはりと言うべきか、視界にまず止まったのは、斜め前方の壁や本棚、机に飛び散った――どうみても赤い血と、恐らくは応接用のソファから床に転げ落ちたらしい第二王子、ソファに横たわったままピクリとも動かず、喉元からは未だに血を流したままのクヴィスト公爵だった。

「――何だ、宰相エディ。今ものすごくいいところだったんだが?」

 そして、不満はあれど恐怖心など欠片も持っていないと言った国王陛下フィルバートが、むしろ嬉々として、座り込んでいる第二王子ドナートに短剣を突き付けていた。

 …人としての倫理をどこかに置き忘れた「サイコパス陛下サマ」と、時々レイナが呟いている事に、こんな時思わず納得をしてしまう。

 首元をスパッと切れば、それは勢いよく壁やら本人フィルバートやら、色々なところに血は飛び散るだろうなと、むしろ私の頭の中は冷えたくらいだった。

 それに確かに、先触れもなく押しかけてきた挙句に「第一王子とコトを構えるのに後ろ楯になれ」などと上から目線な願い事を持ちかけられては「寝言は寝て言え」と返したくもなるだろう。

 寝る事と二度と起き上がらない事とは決して同義語ではないが、そんな事をフィルバートには言うだけ無駄だ。
 本人だって、分かってやっている筈だ。

 ――これをクヴィスト家にどう説明すべきかと、とっさに悩んだその時間がまずかった。

 フィルバートが、盛大に返り血を浴びたままのその恰好で、国王の執務室を出ようとしたのだ。
 それに気付いて制止をするタイミングが、そこで遅れてしまった。

「…やあ、姉君」

 ヒラヒラと手を振っているフィルバートを見ても、レイナは気絶こそしなかったが、コヴァネン子爵配下の連中が〝鷹の眼〟に斬り捨てられた時だって、最初は「何でもない」と言う表情かおをしていたのだ。

 だからこそ、今が平気そうでも、後にこない保証がない。

「今夜も貴女の部屋に行くが構わないな?」

 それだけは決定事項だと耳元で囁けば、自分の「前科」は自覚しつつも、彼女は明らかに動揺していた。

 第二王子が王宮で捕らえられているからには、同じ部屋で眠る必要はないだろうと言われれば、反論するのが難しい――と言うか、セルヴァンやヨンナあたりならば間違いなく言いそうなところが、血塗れのフィルバートを目撃した直後だったからだろう。拒否の言葉は、彼女の口からは出なかった。

「そ…添い寝で、ぜひ……」

 あまり自信はないが、今のレイナにそれを言う事は出来なかった。
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