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第一部 宰相家の居候

246 夜の帳が下りるとき

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「……すまない」

 後ろから抱きすくめられたままの体勢と言い、すぐ耳元で響く破壊力抜群のバリトン声といい、何がどうしてこうなっているのか、そもそもまるで理解が出来なかった。

「そっちの都合で勝手に召喚しておきながら何だ…そう思っていただろう。顔に書いてあった」
「………」

 図星を刺された私は思わず息を呑んでいたけれど、それすらもこの距離で、エドヴァルドには悟られていた。

「あのまま公爵邸に戻ったとしても、貴女はきっと、皆が下がった後の部屋で、一人で泣くだろう」

 次から次へと、反論の出来ない言葉が続く。

「一度ギーレンで泣いたからと言って、すぐに自分の中で消化が出来るとは思えない」

 そうかも知れない。

 公爵邸でようやくひと息ついたとしても、多分眠れずに……またベランダで、見たことのない星を見上げていたかも知れない。

「分かっている。取り返しのつかない事をしたのは分かっているんだ。こちらから何かをう事が出来る立場にはない事も」

 だが…と、熱と苦しさを孕んで、行き場をなくした声がすぐ傍で聞こえる。

「約束まで、まだ早いと貴女は言うのかも知れない。だが一人で泣くのなら……それくらいなら……その時間を、全て私にくれないか……?」

 ――今夜、全て。

 エドヴァルドの腕に更に力が入って、言葉すら返せない。

「ただ責任を感じているだけなら、とうに王宮に居を移させている。そうじゃない。そうじゃないんだ。私が、一人の男として、貴女が欲しいんだ。どこにも行かせたくない。誰にも渡したくない。この世界での後ろ楯じゃなく、隣を歩む男でありたい。受け入れてくれないか、レイナ――私を」

「…エド…ヴァルド…様……」

「自惚れてはダメか?ギーレンにまで来てくれた貴女が…私を選んでくれたのだと……」

 北の館に入ってからほとんど何も言えていない私に、多分、拒否されたと思ったのかも知れない。
 エドヴァルドの腕が悄然とした様に緩んだ。

「やはり私ではダメか…?貴女には…ある日いきなり生活の全てを奪った私は…受け入れられない、か……?」

 自嘲気味なその声に、思わず身体ごと振り返ってしまう。

「それは…そんな…ことは…っ」

「無理強いはしたくない。だがどうしても、貴女が、私ではない誰かの隣で笑う事が受け入れられない。この執着は、私の中の〝オーグレーン〟の血なのか?だとしたらやはり、この思いは葬るべきなのか?レイナ、私は――」

「エドヴァルド様‼︎」

 気がつけば私は、エドヴァルドの頬に両手を伸ばしてしまっていた。
 包み込む様に。

 不安に揺れる紺青色の瞳を、その先に認めてしまったのだ。

 故人にしろ、爆弾でしかない身内を抱えていたのは、自分だけではないと――気付かされてしまった。

 エドヴァルド自身、継承権を放棄して、二度とコニー夫人を「伯母」とは呼べない。

 帰って、部屋で一人になれば、彼だって思うところは出てくるだろうに。
 違う、だからこそ、一人になった私が何を思うか、彼は気が付いた。

 だからこそ私に――寄り添おうとしてくれた。

 ただ、そうと察したところで、勢いで手を伸ばした様なものなので、私も既に引っ込みがつかない。
 ぐるぐると考えて、結果、忘れていた事を一つ思い出した。

「て…手紙!」
「……手紙?」

 多分エドヴァルドの頭にも、それは残っていなかった筈だ。
 困惑した雰囲気を残したまま、私の言葉を繰り返している。

「あの、本から破って持って帰って来た最後の一頁、い、今、燃やしちゃいましょう!だ、暖炉とか……」

 ゆっくりと、エドヴァルドの目が見開かれた。
 …が、何故かクスリと笑われてしまった。

「レイナ。アンジェスこちらの暖炉は、設置場所が決まっていて、暖房や調理機能、給湯機能を兼ねたりする、少し特殊なものだ。取扱いには専門の使用人が必要で、南北の館には常駐していない。滞在予定が決まる都度、公爵邸から整備に出している」

「あ、えっ⁉︎」

 そう言えば、いかにもな暖炉がいくつかの部屋にはあったけど、実際に火がついているところは一度も見た事がなかったかも知れない。
 …あれはインテリアだったのか。

「煉瓦製の煙道が張り巡らされていて、その壁面が持つ熱で部屋を暖める――それは、今はいいな。ともかくそれは、公爵邸に戻ってからだな」

「す、すみません……」

 結果的に場違いな事を言っただろうに、頬を挟んでいた私の両手にそっと手をかけて、エドヴァルドは微笑わらった。

「私にもけじめが必要――そう、思ってくれたんだろう?そうでなければ、私が『自分の血に流されている』との思いが、いつまでも残るかも知れないと」

「え…っと……お…こがましかった…ですよね……その、エドヴァルド様はエドヴァルド様で、血なんてどうでも良いと、私は思うんですけど…どうしたって自分で納得する『何か』は必要なんじゃないか、とか……」

「いや…おこがましくなんかない。多分その通りなんだ。そして私も貴女も、恐らくは自分よりもお互いの方がよく見える。そうは思わないか。表に出す涙も、心で流す血も、全てが見えている。手を離せる筈がないだろう。もしもこの世界でなく出会ったとしても、きっと私は貴女を選ぶ。今までも、これからも、どこへ行ったとしても、私が貴女以外を選ぶ事はない」

 ああ、とエドヴァルドが不意に、さも何でもない事であるかの様に、不穏な笑みを閃かせた。

「すまない。勝手にを告げてしまった。貴女が望んだ時にと、そう言っていたのに」

「‼︎」

 ――貴方は舞菜いもうとじゃなく、私を選んでくれますか?

 いつか、夢とうつつの狭間でぶつけた言葉。

 ――何か起きても、この手を取って、一緒に足掻あがいてくれますか。

 今、しっかり両手は、エドヴァルドの手の中だ。

「あ…えっ……」

 あの時エドヴァルドは言った筈だ。
 答えを聞けば、もう、後戻りは出来ないと。

「ず…るい…です……」
「…うん?」
「それじゃ『私良いんですか』とも聞けない……」
「聞く必要ないだろう。最初から『貴女良い』と言っているのだから」
「……っ」

 い、今すぐ手を離して床をのたうち回りたい――‼︎

「レイナ」
「……はい」
「この『北の館』には、今、誰もいない。貴女と私の二人だけだ」
「……え?」
「貴女はまだ、常に屋敷のどこかに使用人がいる環境に慣れていないだろう。だから一晩くらいは、誰もいない環境があっても良いと思った」

 確かに、壁の花だと思えと言われて「無理!」と思った事は、公爵邸に限らず、一度ならずあったかも知れない。

 だけど今は。

「だから今夜は、ここで過ごしたい」

 再び耳元に寄せられた唇から、意識が吹っ飛びそうな台詞が聞こえる。

 ――朝まで、二人で。

「……っ」

「この先も公爵邸にいると。どこへも行かないと。私に確信させて欲しい」

 エドヴァルドの唇がうなじに下りて、私は思わず「ひゃ…」と、おかしな声をあげかけた。

「あ、あの…行くアテのない人間が、本気で寄りかかったら…結構重いと思うんですけど…」

「…それで?」

 淡々と答えているようで、手は背中を滑っている。

「め、面倒じゃないです…か?」

「今でも充分予測不可能な事をしている貴女が、重いと思うくらいにこちらに寄りかかってくれるのなら、むしろ望むところだが」

「え……」

「と言うか、自分で言うのも何だが『私ではない誰かの隣で笑う事が許容出来ない』と言った時点で、貴女こそ何も思わなかったのか。相当狭量な事を言った気がするが、貴女はそれで良いのか?」

「あ…れ…?」

 そう言えば。

 どこにも行かせたくない。誰にも渡したくない――シチュエーション自体に気を取られて、右から左にすり抜けていたかも知れない。

 よくよく聞けば、めちゃめちゃ重いのはむしろ向こうエドヴァルド

 あれ、ヤンデレ⁉︎
 違う、この人デレた事ない。

 偏愛…とかなんとか、シャルリーヌが言ったかも知れない…?

「ええっ⁉︎」

 気が付けば、私の肩に頭を乗せる様にしながら、エドヴァルドが低く笑っていた。

「気にしていなかったと言う事は、私は嫌われてはいなかったと言う事で良いか?」
「……ああ…ええっと……」

 そこから顔だけをこちらに傾けた表情が、元が良すぎてただの凶器だった。
 顔面偏差値高めの人が色気を漂わせて微笑わらうのって、凶器じゃなくて何なのか。

「私を受け入れてくれるか?――今夜」

 貴女が欲しい。

 エドヴァルドの唇から、微かな声が洩れる。

 言葉に加えて、視線で問いかけられているみたいだった。
 
「ああっ、あのっ――」

 内心で嵐が吹き荒れたままの私に、エドヴァルドも随分根気よく付き合ってくれていると思う。

 だけどもう一つ、自信を持ちたい事があった。
 ある意味、私の背中を押すための一言。

「某子爵令嬢を手酷くはねつけられた理由は……その、自惚れても……良いですか?」

「――レイナ」

「ごめんなさい、バカなことを聞きました!忘れて下さいっ、ただちょっと、自信を持ちたかったと言うか…そうしたら、受け入れられるかな…とか?ああっ、やっぱりイイです!忘れて――んっ」

 私が話を引っ込めるよりも先に、唇で言葉を塞がれてしまった。

「ん…っ…」

 その上、どんどんと深くなって――力が抜けて崩れ落ちそうになるまで、離して貰えなかった。

「それならば、いくらでも自惚れろ。貴女の全てを私で埋めさせてくれる――ならば私の全ても、貴女のものだ」

 レイナ、と支えられた身体の上に、エドヴァルドの声が降ってくる。

「――良いか?」

 この期に及んで「何が」とも聞けず……と言うか、さすがにそれはないと、自分でも思った。

 首を縦に振るか、横に振るかしかないのなら。
 いずれ誰かと、そう言う事になるのなら。

 目の前の、この人――違う。この人、良いと思った。

 私は小さく…本当に小さく、首を縦に振った。
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