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第一部 宰相家の居候

244 扉の向こうへ

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 ああ、睫毛まで紺青色なんだなぁ…とか、私より長い気がする…とか、もはや完全なる現実逃避。

 こんな静止画スチルは〝蘇芳戦記〟にだって、もちろんありません。

 ――自分でも、頬に熱が集まるのが分かった。

 今更手の甲くらいで何だとツッコまれそうだけど、ディルク・バーレント伯爵令息が、来るたび挨拶代わりにしているのとは、破壊力が違い過ぎた。

 エヴェリーナ妃に合わせて、エンタテインメント性を高めるつもりが、ナナメ上から爆弾が降ってきた。

「…何なら抱えて行こうか?」

 私が膝から崩れ落ちそうになっているのを察したエドヴァルドが、ちょっと意地悪く微笑むと、右手を握ったまま、私の耳元に口を寄せて、そんな事を囁いてきた。

 うわぁぁ、目の前のコノヒト誰ですか――っ‼

 などと、恐慌状態に陥ってる場合じゃない。
 お姫様抱っことか、手を繋ぐ以上の公開処刑。
 他国で恥を晒してどうする。 

 私はこれ以上はないくらいに激しく首を横に振って、膝から下にグッと力を入れた。

「だ…大丈夫です…お気持ちだけで……っ」
「そうか?無理だと思ったら途中でも遠慮なく言ってくれ」

 半分本気、半分揶揄からかっていたのだろう。
 そんな雰囲気を漂わせながら、エドヴァルドが握った手の、指と指を絡めてきた。

「……っ」

 所謂「恋人つなぎ」も、この状況ではもう十二分に恥ずかしい。けれどさすがにそこは、受け入れざるを得ない。

 サロン全体の空気が、それ以外を認めない――と言った空気で満ち溢れている。

「ふふ…完成版の書籍、期待していてよ」

 サロンを出る直前、そんな声が背中越しに聞こえた。
 鬼編集者ですか、エヴェリーナ妃。

(あ…足がもつれそう…っ)

 エドヴァルドはちゃんと、私に合わせた速度で歩いてくれてはいるけれど、いかんせんさっきから動揺しまくりの、私の足元が覚束ない。

 多分、そう来る事もないだろうギーレンの王宮内部を、じっくり見学する余裕も時間もなかった。

 どう考えても由緒のありそうなゴシック建築風の、謁見の間がある建物の奥に、ギーレン国の〝転移扉〟は設置されていると言う事だった。

「――ラガルサ殿」

 コニー夫人の声がけで、先に中にいた壮年男性が、ゆっくりと振り返った。

「これは…コニー様」

「ごきげんよう、ラガルサ殿。今回の件、ご協力感謝致します」

 終始穏やかなコニー夫人につられる様に、ギーレン国当代〝扉の守護者ゲートキーパー〟トバル・ラガルサ氏が、やんわりと笑った。

「いえ。まさか私の『体調不良』や『扉の不具合』が取り沙汰されているなどとは露知らず……宰相閣下にはご公務もおありでしょう。微力ながらご帰国のお手伝いをさせて頂きますよ」

「ラガルサ殿。その、体調は本当に……?」

 エドヴァルドも、さすがにやや不安げな様子を見せているけれど、ラガルサ氏は微笑わらって片手を振った。

「魔力を大量に消費するのは、整備や修理と言った部分ですから。特段故障してもいない扉を動かすだけなら、枯渇を心配する程の魔力を使う事はありません。お越しになられるまでの間に、キチンと動くかどうかの確認は済ませましたから、すぐにでもお使い頂けますよ」

 そう言ってふと、何かを思い出したかの様に、エドヴァルドの方に向き直った。

「キスト室長から聞きました。近いうちに、私が王宮から下がれるようにご助力して下さったと。この場をお借りして御礼申し上げます。感謝の念に堪えません」

 深々と頭を下げてくるラガルサ氏に、エドヴァルドも「いや」と片手を上げた。

「私がしたのは、その下準備だけだ。後の事はキスト室長の名前と共にエヴェリーナ妃に引き継がせて貰ったから、以後はそちらの指示に従って欲しい」

「承知致しました。それでもやはり御礼だけは言わせて頂きたく存じます。ありがとう――」

「その続きは、無事に王宮から下がる事が出来た暁にでも、キスト室長経由で聞かせて貰う事にしよう」

 多分、きりがないと思ったんだろう。
 エドヴァルドはそう言って話を切り、ラガルサ氏もそれが分かったのか、最後にもう一度頭を下げて、話はそこで終わった。

「ノーイェル。王宮護衛騎士だけで先に扉をくぐって、向こうに出たら陛下にそのまま知らせに走ってくれ。私は、着いたら彼女を連れて陛下の執務室に向かう」

「承知しました。今回、閣下のお供をさせていただいた事を我ら誇りに思っております。特にに関しましては、王宮でも活用させていただきたく、伏してお願い申し上げたいと存じます」

「………」

 エドヴァルドがそこで複雑そうな表情を浮かべたので、何の事だろうとチラと顔色を窺うと「……貴女が私の荷物にねじ込んだ、物騒な罠の話だ」と返されてしまった。

 しまった。藪蛇だった。

 エドヴァルドがラガルサ氏に指示して〝転移扉〟を起動させている間、護衛騎士たちは、あの害獣用の罠が今回いかに役立ったかを私に滔々と聞かせてくれた。

 戻ったら管理部の連中と共同で改良します!とヤル気に満ち溢れているあたり、相当なインパクトがあったんだろうなと予測。

 声に出したらエドヴァルドに怒られる気が何故かしたので、とりあえずトーカレヴァに向かってこっそり「出来上がったら融通してね」と口パクで伝えておいた。

 もしかしたら〝鷹の眼〟の方でも何かしら改良しそうな気はするけれど、頼んでおいて損はない。
 トーカレヴァはエドヴァルドを見てちょっと顔色を変えているけど、そこは無視スルー

 うーん、やっぱりトーカレヴァには王宮にいて貰う方が何かと便利なのかも知れない。

「!」

 その時不意に、斜め前あたりの床がぼんやりと光り始めた。
 そして幾筋かの光が、中心から外へと放射線状に広がって、やがて一定の距離のところで今度は横へと伸び始め、最終的には弧を描く形へと変貌した。

「あ……」

 私の動揺が、繋いだままだった手を通して、エドヴァルドにも伝わったんだろう。
 光っていた方角から、弾かれた様にこちらへと視線を向けた。

「や…やっぱり、簡易装置とか、公爵邸の限定装置とかとは、規模が違いますね…っ」

 何なら声の上ずりも悟られてしまっただろう。

「レイナ……」

 円の中央の景色が、少しずつ揺らぎ始めた。

 ――これはまさに〝召喚陣〟だ。

 私がアンジェスの王宮に連れてこられた瞬間、目の前にあったのはまさにこの景色だった。

 多分、異世界から人を呼ぶのと、国と国との間を行き来するのとでは、足元の術式は大きく違うんだろう。
 だけどそれは、私には判断が出来ない。

 分かるのは、自分が召喚された瞬間を彷彿とさせる景色が、目の前に広がっている事だけだ。

「レイナ。レイナ、大丈夫だ」

 気が付けばエドヴァルドが、空いていた右手を私に伸ばして、私の背中に手を回しながら、軽く何度か叩いてくれていた。

「もう二度と、貴女が見知らぬ土地に投げ出される事はない。この〝扉〟の先は、アンジェスだ」

 帰ろう、と耳元で囁く声が聞こえる。
 繋いだ手は離さないから――とも。

 気が付けば私は、こっくりと頷いていた。
 ゆっくりと、気持ちを落ち着かせる様に。

「…あら、レイナ嬢は〝転移扉〟が苦手なのね?」

 そこへ、コニー夫人を止めようと追いかけてきた(あくまでフリ)エヴェリーナ妃が、まったく急いでいない動きで、部屋の中へと入って来た。

「…ああ。なので、そう頻繁にギーレンこちらへは行かせられない。は早々に諦めて貰いたい」

 またしても、聞かれた私よりも先にエドヴァルドが答えている。
 今はちょっと有難いかも知れないけど。

「でしたら、今も――ほほ、冗談よ。まあ、本当にこの先が行きたい所に繋がっているのかとか、陛下の同行で慣れているわたくしですら、時々不思議に思いますもの。最初の内は無理からぬ事ですわね」

 そうこうしている間に、王宮護衛騎士や〝鷹の眼〟の皆が先に〝扉〟の向こうへと姿を消して、残されたのが私とエドヴァルドだけになった。

「…では御前失礼致します」

「手紙はサイアス経由にしてくれれば、確実に私の所に届くわ。戻って落ち着いたら、諸々のを始めましょうね」

 軽い〝カーテシー〟で頭を下げた私に、エヴェリーナ妃はそう言って微笑わらった。

 エドヴァルドとコニー夫人は、お互いに目礼を交わし合うだけだ。
 複雑な血の流れがある以上は、そうするしかないのだろう。

「レイナ」

 挨拶の為に離した手を、今度はエドヴァルドの方が私に差し出した。

「さあ、から逃げようか」

「―――」

 そんなセリフは、ラウラの物語にはなかった筈。
 明らかに、私の気持ちをほぐす為の、エドヴァルドのアドリブだ。

 あらあら…なんて、エヴェリーナ妃やコニー夫人も笑っている。

 それにつられて、私も微笑わらってしまった。

「……はい、ご一緒します」

 伸ばした手を掴まれて、あっと言う間に指と指を絡ませられる。

 そのまま力強く、引き寄せられるように――私は〝転移扉〟を通ってギーレンを出国した。
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