上 下
161 / 798
第一部 宰相家の居候

241 駆け落ちしましょう(2)

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

 ――いつの間に、こんなに寄りかかっていたんだろう。

「エドヴァルド様……」

 顔を見た瞬間、私の中で何かが決壊して、視界が滲んだ。

「……レイナ?」

 侍女から紅茶の入ったティーカップとソーサーを受け取ったエドヴァルドは、もしかしたら私を驚かせるつもりで紅茶を差し出したんだろうけど、逆に思わぬ方向から驚かされて、目をみはっていた。

 片膝をついて、更に片手を私の頭に乗せる様にしながら、こちらを覗き込んできた。

「どうした」

「エドヴァルド様は……全部、受け止めてくれるんですよね……?」

 彼にとってはあまりに唐突で、頭の上にあった手が驚いた様に揺れていたけれど、口に出しては何も言わなかった。
 黙って続きを促してくれていた。

「何があっても軽蔑しない、って……言ってくれましたよね……?」

 震えている私の言葉に答えるよりも先に、エドヴァルドの右手が頭の後ろに下りて、左手が私の腕を掴んでいた。

「……っ」

 気が付けば、座っていたソファから、エドヴァルドの胸の中に倒れ込んでいた。

「全てぶつけて良い。――とも言った」

 耳元に、破壊力が半端ないバリトン声が響く。

「怒りも涙も――全て受け止める。貴女が私にだけ行使出来る、貴女の特権だ」

 ――使え。
 
 最後の囁きが、ダメ押しになった。

 泣いて、泣いて……私自身が、舞菜に引導を渡すに等しい事をしたのだと話せるようになるまで、エドヴァルドはただ黙って、私を抱きしめたままの体勢でいてくれた。

「……すみません、取り乱しました……」

 ようやく我に返って離れようとしたけれど、エドヴァルドの腕は、何故かすぐには解けなかった。

「レイナ」
「……はい」
「私は〝鷹の眼〟の連中に、賊にしろ政敵にしろ『殺せ』と命じた事が何度かある」

 不意に聞こえた声に、私は無意識のうちに、目の前のウェストコートを握りしめていた。

「彼らも、私の知らないところで襲撃犯を手にかけた事が一度ならずある」
「……はい」

 それは実際に、コヴァネン子爵の一件で目の当たりにした事だ。

「貴女は、私や彼らを軽蔑するか?」

「それは…っ!そんな…ことは……」

「同じ事だ。私も〝鷹の眼〟の連中も、決して貴女を責める事も軽蔑する事もしない。胸を張れ。貴女は手持ちの札で、貴女に出来る最善の行動をとった。ただ、それだけだ」

 最後、そう柔らかく呟いたエドヴァルドは、この話はここで終わりだとばかりに、私の背中を軽く叩いた。

「食事にしないか。先ほどから給仕の使用人が、ずっと所在なさげにしている」
「⁉」

 フクロウ並みとは言わずとも、私がぐるんと首を後ろに傾ければ、目がキラキラと輝いている侍女数名と、若干顔を赤くして視線をあらぬ方向にそらしている男性の使用人に、部屋の警護と思しき騎士がいた。

 そう言えば、シーカサーリから流れた紙面を目にしたらしい使用人が一定数いると、さっきエヴェリーナ妃が言っていたかも知れない。

 …自分で噂の火に油を注いでどうする。

「たた…食べますっ。あっ、何も仕込まないと確約はしていただきましたけど、もしまだあの薬が残っていれば、念のため――」

「――なるほど」

 この期に及んでエヴェリーナ妃の側から薬を仕込むメリットなんてゼロと言っても良いけれど、物事に「確実」はない。

 エドヴァルドも頷いて、今回大活躍だったらしい〝霊薬エリクサー〟もどきの残りを荷物の中から出させていた。

 その間に、私も慌てて、エヴェリーナ妃から渡されていた手紙を、食事のテーブルにつこうとするエドヴァルドに手渡した。

「あの、エヴェリーナ妃はこれを、エドヴァルド様が長年、喉から手が出る程に欲していた物だと。読めば分かると、そう……」

「……私が?」

 怪訝そうな表情のまま、エドヴァルドはそれを受け取っていたけれど、封蝋を外して中を開いたところで、ハッキリと顔色を変えていた。

「これ…は……」

 そうして手紙の端から端までくまなく眺めた後で、苦笑交じりに口元を歪めた。

「――オーグレーン家の継承権放棄の正式宣誓受理書面だ」

 多分、私のためだろう。
 エドヴァルドは、わざわざ書面の内容を口に出して教えてくれた。

ギーレンこちらの担当事務弁護士からは、それ自体が〝王族案件〟に相当しているから、すぐには認可されないだろうと言われていた」

「じゃあ、想像以上に早かったって事なんですね」

 嫌がらせ目的で、受理の引き延ばしがされるかも知れないと言う想像は、私にだってつく。
 エドヴァルドもそう思っていたのか「そうだな」と呟いていた。

「署名権者が国王陛下だけだったなら、想像の通り当分許可は下りなかっただろう。だがこれは〝王族案件〟であって〝国王案件〟じゃない。エヴェリーナ妃が、ものの見事にその法律の隙間を突いてきてくれた」

「……あ」

 エドヴァルドの言いたい事が分かった私が軽く目を見開き、エドヴァルドもそれが正解だと言わんがばかりに頷いた。

「エヴェリーナ妃は、王の正妃。現時点では、押しも押されぬ『王族』の一人だ。ベルトルド国王の署名でなくとも、彼女の署名があれば、正式書面として成立する…いや、成立したんだ」

 エドヴァルドが、オーグレーン家の継承権を正式に放棄した。
 これで公式には、エドヴァルドとギーレン王家との繋がりは切れた。

 現時点ではエヴェリーナ妃が王の正妃である以上は、例え今後没したり離縁が発生したとしても、効力はそのまま残る。
 そう簡単に後で無効に出来るようでは、王族の命など幾つあっても足りはしない。

 この書面をもって、実際の血筋はともかく、エドヴァルドはイデオン公爵家に対してのみ、責任を負う者となったのだ。

「腹の立つ事ばかりだったが、これでかろうじて、ギーレンでの収穫を得る事が出来たな。これがなければ、戻ってからフィルバートにどう八つ当たりすべきか、真面目に悩むところだった」

 どう考えても「既に真面目に悩んでいた」表情だったけど、念の為、口には出さずにおいた。
 空気は読まないと、後で大変なコトになる。

「……良かったですね」

 そもそもアロルド・オーグレーンを実の父親と認めるつもりがなかったのだから、血のしがらみを一つでも捨てる事が出来るのは、きっと悪い事じゃない。

 だから「良かったですね」と声をかけるのは、きっと間違ってはいない。

「エドヴァルド様。は、を除いて、エヴェリーナ妃に進呈しました。本自体はに隠されて、地位を脅かされない為の抑止力になる予定です」

 基本的に、王宮侍女や使用人は、仕える主の情報を外に洩らす事はない。
 ただ、王宮の中で話が止まる場合は、そうとは限らない。

 使用人達にだって、無所属含めて派閥は色々とある。

 だから「何の本」が「何処に隠された」かは、ここでは言わない。
 エドヴァルドなら、きっと察せられる。

 ――「最後の手紙」が「最後の頁」である事も。

「手紙は戻ったら、一緒に燃やしましょう。多分そこまでが、このはなしの『けじめ』だと思います。出過ぎた事を言っているのは分かっているんですけど」

 私には関係ないと言われてしまえば、それまでの話だ。
 けれどエドヴァルドは、そうは言わなかった。

「……いや」

 まるで私には最後まで関わっていて欲しいとでも言うかのように、エドヴァルドは微笑わらった。

「本も手紙も、私が貴女に一任した事だ。貴女がそうしようと言うのなら、私に否やがある筈もない」

 ――ありがとう。

 使用人達には聞こえないところで、確かにエドヴァルドの唇は、そう動いた。
しおりを挟む
感想 1,383

あなたにおすすめの小説

白い結婚はそちらが言い出したことですわ

来住野つかさ
恋愛
サリーは怒っていた。今日は幼馴染で喧嘩ばかりのスコットとの結婚式だったが、あろうことかバーティでスコットの友人たちが「白い結婚にするって言ってたよな?」「奥さんのこと色気ないとかさ」と騒ぎながら話している。スコットがその気なら喧嘩買うわよ! 白い結婚上等よ! 許せん! これから舌戦だ!!

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

【完結】え、別れましょう?

須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」 「は?え?別れましょう?」 何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。  ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?  だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。   ※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。 ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

【完結】結婚して12年一度も会った事ありませんけど? それでも旦那様は全てが欲しいそうです

との
恋愛
結婚して12年目のシエナは白い結婚継続中。 白い結婚を理由に離婚したら、全てを失うシエナは漸く離婚に向けて動けるチャンスを見つけ・・  沈黙を続けていたルカが、 「新しく商会を作って、その先は?」 ーーーーーー 題名 少し改変しました

旦那様、愛人を作ってもいいですか?

ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。 「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」 これ、旦那様から、初夜での言葉です。 んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと? ’18/10/21…おまけ小話追加

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。