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第一部 宰相家の居候

【バーレントSide】ディルクの片恋(前)

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 バーレント領の現在の領主であり、義父でもあるハンス・バーレントは、蜂蜜色の石灰岩を使った建物が特徴的な景観を持つ、小規模な村の集合体であるこの地域をこよなく愛しており、本人も長閑のどかな風景そのままと言って良い為人ひととなりだった。

 次期領主として、何か特産を生み出して収入を安定させたいと、駆けずり回る義理の息子にも、全く制限をかけなかった程である。

 私がアルプ村の紙漉き職人達と知り合ったのは、そんな中での、全くの偶然だった。

 1日200枚弱しか出来ないと聞いたが、周辺の村の宿帳や、レストランの注文を書き取るのに使われていた、見慣れない素材の紙。

 木綿製のボロ布が、そんな風に化けるなどと、いったい誰が思うだろうか。

 田舎ゆえの清らかな、そして中央山塊の恵まれた水源を持つ水もまた、その生産を後押ししていた。

 当初私は村おこしの一環、あるいは公爵閣下に個人的に使って貰うだけでも、村の未来が明るくなると思い、父に頼み込んで、見本を公爵閣下へと送って貰ったのだ。

 ――当代聖女の姉。

 たった一人の少女の存在が、バーレント領の行く末をここまで左右する事になろうとは、私も義父も、思いもしていなかった。

「王都で甘やかされた、何にも知らない貴族の嬢ちゃんの我儘ワガママかと思いきや、この商品見本の作成依頼書見てたら、ちゃんと、どうやって作られているのかまでを、分かった上での依頼なんだよな。出来ないと言わせない、絶妙なトコを突いてやがるぜ」

 職人気質かたぎの親方さえ、私の依頼にもそう言って苦笑していた程である。

「どうする、ディルク。一度くらい私が王都に行った方が良いかね?それとも、この件に関しては最初から最後まで一人で手掛けてみるかね?」

 それまで、どちらかと言えば新商品の研究開発にばかりかまけていて、予算案の作成や交渉と言った事をあまりやってこなかったため、義父も一度はそんな風に聞いてはくれたのだが、この時には既に、私の意志は固まっていた。

「領主たる義父上ちちうえの裁可を頂かねばならない部分は、もちろん多くあると思いますが、いけるところまでは、自分の手で、この件は手掛けてみたいと思っています」

 ――この件に関わっている限りは、堂々と彼女レイナに会える。

 一部の人間しか知らない事ではあるが、先代イデオン公爵と、平民である侍女との間に生まれた庶子と言う微妙な立場もあって、私の結婚に関しては、義父母も頭を悩ませているようなのだが、アレコレ強制はしてこないので、随分と恵まれた環境にいるのだなと、その点は感謝している。

 王都の花がよりどりみどりの筈の当代イデオン公爵が、彼女に対する独占欲を隠そうともしていない為、望みが薄い事は分かっているのだが、それでも、彼女がまだ完全にイデオン公爵のものではないと言うのなら、少しくらいは足掻かせて欲しいと思うのだ。

「ディルク、すまないが話は明日の朝にしてくれるか。彼女がでは、今日は話し合いにもならん」

 その後しばらくして、新しい試作品と再編成した予算書を持って、私は公爵邸を再訪した訳なのだが、イデオン公爵がレイナ嬢を後ろから抱え込んで、ヤンネ・キヴェカス卿とのいさかいの様な場を、必死で止めようとしている場に出くわしてしまい、いったい何が起きたのかと、らしくもなく目を丸くして、その場に立ち尽くしてしまった。

「そ…うですね。私も出来れば、彼女に最初に見て貰いたいですし」

 答える私の声は、随分と空虚なものだったと思う。

 もっとも、キヴェカス卿は額から血を流して呆然と床に座り込んでいるだけで、レイナ嬢は何か条文の様なものをひたすらそらんじている状況なので、しばらく様子を見ていたところで、起きた事態を把握する事は、私には出来なかった。

寝かせてくる間、この場を任せるが構わないか」

 眠ってしまった彼女の身体を軽々と抱え上げ、名を呼び捨てにした上、目線でまで牽制をかけてくる。
 その事に気付かない程、私も鈍感ではないのだが……。

 そんなに嫌なら、なぜ私にこの場を預けるのだろう。

 思った疑問は、公爵の次の一言で氷解した。

「ヤンネは、バーレント領の木綿関連の開発計画に関して、誰が旗を振っているのかを、理解できていないらしい。ちょうど良いから、今のうちに説明しておいてやってくれ。特に、と言う事を…な」

 なるほど。
 さしずめキヴェカス卿は、彼女を侮辱したと言う事か。

 公爵と言う立場や宰相と言う立場を考えれば、彼の周囲は、伯爵家に連なる自分やキヴェカス卿以上に、多くの女性が群がっているだろう。

 聖女の姉と言う立場しか持たないのために、自ら考案した筈の計画を譲り、地位を確立させようとしている――キヴェカス卿の目には、そんな風に映っているのかも知れない。

「よろしいのですか?許可をいただけるのなら、どれほど彼女が我が領に貢献をしてくれたのか、私のをぶつけさせていただきますよ?」

 見え見えの牽制に、ちょっとした厭味イヤミをこめた視線を返せば、冷徹な鉄壁宰相と陰で囁かれている公爵閣下は、噂にたがわぬ表情で、それを受け止めて見せた。

「今回に限っては、それが最適解と判断した。二度目はないと思って貰いたいが」

 ――私が彼女を好ましく思っている事を、察しているからこそ、この場を預ける。
 そう言われている気がした。

 異母弟おとうとと言う肉親の情を持ち出されるよりも、よほど納得はいったかも知れない。

「公爵閣下のお墨付きとあらば、もちろん喜んで承ります」

 恭しく頭を下げた私をどう見たのかは分からないが、イデオン公爵は、レイナ嬢を抱え上げたまま、二階へと姿を消した。

 その後ろにヨンナ始め数名の公爵邸侍女が付き従って行く。
 
 私はキヴェカス卿がまだ呆然と座り込んでいるのを良い事に、こっそりと公爵邸家令セルヴァンを手招きした。

「……ちょっとこの状況を要約してくれるかな」

 公爵邸ここの家令は優秀だ。

 バーレント領とオルセン領の特許権申請のため、レイナ嬢も、外枠だけでも…と、商法を学ぼうとしていた事。

 家庭教師になる筈だったキヴェカス卿が、レイナ嬢の意見を全てイデオン公爵の受け売りと頭から決めつけてしまい、話にもならなかった事。

 レイナ嬢が、公爵からの受け売りではない事を証明しようと、徹夜で法書を覚えた事。

 本当に、三言四言で、今ここで起きてた事を過不足なく表現しきった。

「私のため……」

 いえ、一応ヨアキム様も……と、冷静にツッコんでくるのは、余計なお世話だと思うが。
 バーレント領のため=私のためと、ここは解釈させて貰う。

 私はとりあえず一息吐き出すと、鞄に入れて持ち歩いていた、木綿紙に関しての、レイナ嬢がイデオン公爵に渡したと言う、そもそものレポートを取り出して、座りこむキヴェカス卿の太ももの上に置いた。

「お会いするのは初めてですね、キヴェカス卿。バーレント伯爵家長子ディルクです。この度は、我が領の特産品に関しての特許権申請の補佐をして下さると聞き、領地より出てまいりました。宜しくお見知りおきの程を」

 呆然としていたキヴェカス卿の視線が、ゆっくりと私の方に向いた。
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