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第十一章 記憶の森

死の報復(6)

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『――八瀬様』

 祖父母が昔を懐かしみ、菜穂子が初めて聞く話にあれこれ驚いていた頃。

 閉められたドアの向こうから、八瀬青年を呼ぶ男性と思しき声が小さく聞こえてきた。

『餓鬼道の獄卒からこちらを預かってきました』

 そう言って、姿無く二つ折りにされた紙だけが扉の隙間から差し込まれる。

 どうやら死者ではない菜穂子の存在を鑑みて、祖父母と八瀬青年以外、出来る限り菜穂子には接触をさせないようにと取り計らわれているらしかった。

『ああ……』

 そしてその中身を一瞥した八瀬青年の表情は、お世辞にも良い報告と思える表情それではなかった。

『八瀬君? 本来のお仕事が立て込んでるんやったら、行ってくれても構へんよ? 少しの間くらいやったら、ここで菜穂子と喋ってるさかいに』

 おい、と祖父のツッコミが速攻入っているけれど、祖母はにこやかにそれを無視スルーしている。

『ああ……いえ、何と言いますか……餓鬼道の獄卒が、辰巳一家と接触出来たみたいなんですけどね』

 どうやらさっきまで聞いていた「調査結果」は、あくまで八瀬青年が秦広王筆頭補佐官から聞いた情報だったと言うことで、ここへ来て情報が直接上書きをされたようだ。

『どのツラ下げて……か。まあ、ある意味自己防衛ではあるんでしょうね』

 呟くその表情は、とても苦々しげだ。

『八瀬さん?』

『いえね。どうやら辰巳一家むこうは、誰一人として幸子あのこには会いたくないらしいんですよ』

『え?』

 ポカンと口を開けたのは菜穂子だけではない。

『血の繋がった家族やのに、そんなこと言うてはるの?』

 驚いたように問いかけた祖母も同様だ。
 祖父だけは無言のまま、ただ目だけを細めていた。

『こればっかりは……血の繋がりがかえって憎しみに繋がることもありますし。まあ、僕もここで色々と見てきましたから、そこは諸手を上げて先生の味方言うのは出来ひんのですけど』

 辰巳幸子さっちゃんを見殺しにしてしまった自分たちが、今更どのツラ下げて声などかけられるのか――と、そう餓鬼道の獄卒に語ったんだそうだ。

 どうやら八瀬青年は、彼らの意思次第で、真実を映す「浄玻璃じょうはりの鏡」とまでは言わないが、各王の補佐官が持つ連絡用の鏡を転用して、餓鬼道と賽の河原を一時的に繋いで互いに会話をさせることを考えていたらしかった。

 ただ、肝心の辰巳一家の方にそれを固辞されてしまったのだ。

『そこだけ切り取って聞くと、後悔と悔悟の涙に濡れて餓鬼道で罪を償おうとしているように聞こえるんですけど……』

『八瀬さんは、違うと思てはるんですか?』

 何となく、答えを聞かずとも表情がもう「そうだ」と言っている気がしたが、菜穂子も聞かずにはいられなかった。
 せめてそうあって欲しいとの願望が、そうさせたのかも知れなかった。

『それはもちろん、多少はそんな思いもあるとは思いますよ? ただ一番の理由は、目の前に再び自分達が犯した罪の象徴が現れるのが嫌なんやないかと思うんですよね。何年餓鬼道で飢えの責め苦を受けているのかは分かりませんけど、恐らくは「この上まだ自分達は新たに苦しまないといけないのか」と……そっちの思いの方が強いんやないかと』

 餓鬼道とは、満たされることのない飢えと乾きに苦しむ世界だと言われている。

 生前に、強欲、嫉妬、貪りの心に囚われた人が主に餓鬼道に落ちると言われていて、食糧難の折に一人分を切り捨てて、自分達の飢えを満たそうとした辰巳一家は、確かに餓鬼道行きと言われても仕方がない状況ではあったのだ。

『未だに彼らがそこから抜け出せていないのは、本質のところでは「あの時代は仕方がなかった」と言う責任の転嫁があるからやと思いますよ。たとえ無意識にせよ、そこに向き合いたくないんでしょうね』

 仕方がない。

 それで済まされたとしたら、辰巳幸子さっちゃんの立場はどうなるのか。

『将来は分かりませんよ? 辰巳家の関係者ではなく、洋子の嫁ぎ先の船井家の関係者が三途の川を渡ったところで、もしかしたら心境が変化する可能性もある。本音と向き合おうと思えるようになるかも知れない。ただ……今は、これでは無理ですね。皆さんやったら、どう思います? 家族に会わせてあげる言われて、実際にうてみたら「ごめんね、あの時は仕方がなかったんよ」――とか言われたら』

『…………』


 菜穂子も、祖父も祖母も、八瀬青年のその言葉には、返す言葉なく絶句してしまった。
 
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