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第二章 暮れてゆく空は

六道まいり(2)

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 六道珍皇寺は、地元では「六道さん」と略して呼ばれることも多い。

 ろくどうちんのうじ、ろくどうまいり――そう言われているから、当然「六道さん」となれば「ろくどうさん」と呼ぶのが普通で、実際にそう言っている人たちも多いのだが、何故か深町家では「ろくどさん」と、家族皆が言っている。

『菜穂子、ろくどさん行こか』

 が、夏の祖母の常套句だったのだから、誰も疑問にすら思っていなかったのだ。

 もしかしたら「何か違う」と思う人間が周囲にいたとしても、時期と名称を考えれば言いたいことは皆が理解出来るので、誰も修正しないままここまできたのかも知れない。

 多分菜穂子も、深町家に関わりのない赤の他人がそこにいれば「六道まいりに行ってくる」とでも言ったのだろうが、実家から出て来ただけなので、告げた言葉は「そしたら、陶器市寄ってろくどさん行って来る」だった。

 言葉とは、こうした些細な積み重ねで変遷してくのだろうか……などと言えば聞こえはいいが、単に深町家が間違えているだけという可能性もある。

 これも祖母との思い出と、二、三度頭を振って菜穂子は六道珍皇寺の境内に足を踏み入れることにした。



 どうして複数ある「六道まいり」のお寺の中でも六道珍皇寺が殊更に有名なのかと問われれば、理由はいくつか考えられる。

 境内の立て看板をざっと見たところによれば、六道とは死後の世界。

 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六つを指し、生前の善悪を閻魔王により裁かれ、六道のいずれかに赴く、あるいは生まれ変わると考えられていて、中でも六道珍皇寺がこの六道の分岐点と言われていた。

 分岐点、いわゆるこの世とあの世の境、冥界への入り口が境内あたりにあると長年信じられているのだ。

 そして平安時代、朝廷の役人だった小野篁おののたかむらが、境内にある井戸を使って現世と冥界を自在に行き来していたという伝説も、六道珍皇寺には存在していた。

 本来は副遣唐使に任じられたり、百人一首にもある「わたの原 八十島やそしまかけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人あまの釣舟」を詠んだ歌人・参議篁さんぎのたかむらとしての才を讃えられるべきところ、何故かそれ以上に冥府の官吏としての名前の方が有名になってしまったという、謎多き人物だ。

 昼は朝廷の役人、夜は冥界の閻魔庁で冥官を務めていたと言われ、閻魔大王の信も厚かった……と、ここまでくればある意味ファンタジーかも知れないが、このお寺で主に新春に開かれる「寺宝特別展」では、小野篁や閻魔大王にゆかりのある仏教画を多く目にすることが出来るので、小野篁の伝説は室町時代以前から既に存在していたものと考えられている。

 山門の門前には、昨日今日の建立ではない「六道の辻」と刻み込まれた石碑もあり、六道珍皇寺が京のお盆行事の中心地であることすら伺わせていた。



 山門側からまず中へ入ると、目に入ってくるのは「高野槙」を売っているテントだ。

 高野槙はその名の通り、高野山真言宗の花としての由来が最初であり、現在臨済宗である六道珍皇寺も、かつては真言宗に属していた時代があったための名残りで、今も売られているのではないかとの説が有力だ。

 真言宗派でしか使用してはいけないと言う決まりもないらしい。

 ただ、深町家の菩提寺は日蓮宗、そちらは日頃はしきみを使う。
 だから例年であれば「迎え鐘」をつくだけで、高野槙を買うことはしない。
 そこは作法ではないが、宗派への義理立てのようなものだと、以前に祖母が言っていたように思う。

 本来の「六道まいり」の作法としては、高野槇を参道で買い、本堂前で水塔婆みずとうばと呼ばれる塔婆に、迎える先祖の戒名や俗名を書いて貰う。

 それらを手に迎え鐘をつくための列に並び、鐘をついた後は手にしていた水塔婆を線香で浄めて、境内の地蔵尊宝前で、その場に用意されている高野槇で水塔婆に水をかけて供養をするのだ。
 水回向みずえこうと呼ばれるその供養を行って、最後は水塔婆を納めて、一連のお参りが終了する。

『今年は初盆やさかいな。7日に一番最初にお参りに行く、あんたが水塔婆を納めてきたらええわ』

 そしてここにも、謎の深町家ルールがあり、身内の新盆の時に限って、参道で売られている高野槇は買わないまでも、水塔婆に戒名(戒名がまだな場合には俗名)を書いて貰っての水回向は行うのだ。

 鐘はめいめいにつくと言うのに、水回向は最初に参拝する一人だけがそれをする。それも新盆の時だけ。

 もちろん、祖母の供養、新盆なのだから菜穂子に否やがあるはずもないが、作法、しきたりとして、それでいいのかと思わなくもない。

 ただ、供養したい気持ちあればどんなカタチでもよい――どこかの雑誌のインタビューで、そう語っているお寺の関係者もいるそうだから、必要以上のこだわりは見せなくてもいいのかも知れない。

 要は自分の心の中の「折り合い」なのだろうと、菜穂子は思うことにした。
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