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 柊静。ナツメの直属指導者。先輩。仕事仲間。
 ナツメがこの男と関わる程、一緒にいる時間は増えて行く。

 ナツメの回りは、大きく変化していった。

 学校も、研修先でも。
 今まで寄ってこなかった人間が、露骨な態度で近寄って来た。

 “柊静のお気に入り”。
 
 露骨には口にしないものの、メリットのお溢れでも狙っているのか……上部だけの笑顔を浮かべ、少ない情報を駆使して愛想を振りまいて来た。
 浅く理解を示し、それを共感でかさ増しをする。

『1人暮らし、長いんだって?』
『友達と話してるところ見た事無いけど、1人って楽だよね』
『今は彼女とかいらない感じ?』
『夏目君ってシャイだよね。可愛い』

 勝手な価値観や推測を押し付けて、答えないナツメをこれ幸いと都合良く扱う。
 肯定と解釈して進む会話。行動までは操れないナツメを、トドメの一言で誘惑する。

『勿体ないよ?』

 疑問符を付けた所で、角を落としたつもりだろうか?
ーー否定以外の何者でも無い。

 質問なんかじゃ無い確定事項を、まるでアドバイスかの様に振る舞う。
 優しさでも、同情ですらないそれを、突きつけて来る。

 ほぼ脅迫に近い、駆け引きだ。
 それは殺傷能力抜群で、拳銃の弾の如くナツメを貫通するのだ。

 真っさらだった携帯のアドレス帳は、顔と名前が一致しないまま、見返すのが億劫なほどに埋まっていった。

 それでも、ナツメの携帯電話は鳴ることが無かった。

ーー目に見える程清々しい、上部の付き合いっぷりだな。


 ルーティーンに組み込まれていた人格達との会話。
 その為にとセットされた深夜0時のアラームもいつの間にか鳴らなくなり、故障を疑い確認すると、設定が削除されていた。

ーー何故? でも、誰がやったかはどうでも良い。
 誰がやったとしても、納得出来るから。


 ナツメは”誰か“のお望み通り、人格との会話に参加しなくなった。
 人格達は消滅したわけでは無く、今も平常運転。
 むしろ、悪い方へと進化していった。

ーーと言うのも、ナツメに限った話。
 
 ナツメ自身が、人格達に対して回答を必要とする“問いかけ”をしなければ、返事をしてこなかった人格達はーー変化してきた。

 人格が入れ替わるタイミングは、睡魔・衝撃・意識の散漫・精神の弱体している時。
 それに加えて、“きかっけ”と“互いの合意”が必要……だった。

ーーそれぞれが強い意思を持ち、ナツメの権限で抑制出来なくなっていった。

 生活の変化による精神の不安定さーーそれが人格達の主張を加速させる。
 研修の数が増えると、未成年で無くなったこともあり、仕事終わりの飲みが断れなくなっていった。
 その度、静はナツメを、ナツメは静の隣の席を陣取ってきた。

 都会方面の現場が多いこの職種は、ナツメの自宅からは遠い場所ばかりで、静の数ある自宅へ招かれる事も多くなった。

 静の所持していた自宅は4つ。静はその内の一つを解約し、その家の清掃をしていた業者をナツメの自宅へ配分した。

 ナツメは清掃の費用を自分で負担する事を申し出たが、断られた。
 せめて半分でもと言うと、『ナツメの自宅も、なんかあった時に使わせてくれれば、それで良いよ』と、反論の余地を与えなかった。

ーー何かあった時? 僕の家に何て、来ない癖に。

 そんな事、あり得ないだろう。
 彼らの業種には不便で、無縁であろう“田舎”に値する土地に、ナツメ自宅はあったのだから。
 それでも、その時は期待してしまったのだ。

ーーお金に変わりはないけど……これは、愛なのかもしれない。


 そう思えたのは、束の間だった。


***


 静の自宅から清掃業者の依頼先を変更した際、請求金額に変更が無かった。
 高給取りであると自負する静の住む高層マンションと、学生であるナツメが1人で住むマンションの清掃の請求額が、ほぼ同じ。
 どう考えてもおかしいと思った静が業者に問い合わせる。

『これは柊様、いつもお世話になっております』
ーー謝罪も無ければ、悪びれた様子は無い、か。

『先日登録して頂いたマンションは、指定地域外でして……移動距離代を加算した額となっております』
「交通費って事だろ? 他に加算要素は無いのか?」
『加算、でございますよね? それ以外の原因は……見当たらないです。正当な請求額かと思われます』

ーーそれにしたって、ぼったくりだ。
 静は、長年任せて来た業者を疑うしかなかった。

「今後の使用は、考えさせて貰おうかな……」
『他のご自宅への請求も、ご不満ありましたでしょうか!?』
「いや。新しく依頼した件だけだ」
『そのマンション自体にオートロック等のセキュリティ管理が備わっていた場合、ご利用になっていない場合も、同等の手数料を加算しております。
 家具も少ない物件ではございましたが、当社は本来空き家専門のハウスクリーニングですので、清掃時間は一定、広さと部屋数で計算させて頂いておりまして……』

ーー俺の自宅と同様だって、言いたいのか?

 静は、ナツメから住所を聞いただけで、自宅のマンション自体を確認していなかった。

 ナツメの暮らす自宅の正体。
 それは、父親が関与しているマンションで、静と同等の広さだったのだ。

 部屋の使用感、清掃内容、依頼回数の少なさ、部屋の広さ、依頼先への交通費。
 静への請求額と比べた時、それらにプラスマイナスが発生した結果、静自宅への請求額へとたいさが無かったと言う事だった。

 業者も、今まで同様に“静の自宅”の一つだと認識していた為、その広さの違和感を指摘出来なかったのだ。

ーーナツメの両親アイツら、ネグレクトするだけの為のに無駄なこんな金使ってる何て……馬鹿げてる。



「ナツメ。どうせなら、俺ら一緒に暮らさないか?」

 静は、ナツメが学校を卒業するのと同時に、同棲の提案をした。

「いえ……両親と連絡付かないんで。僕の管理じゃ無いんです、あの家」

 勿論それをナツメは断ったが、静は、強行突破せざる負えない状況にいた。

ーーまあ、流石にこうなるか。

 ナツメに気付かれ無い様、マンション解約を進めていたのだ。
 ナツメには帰る家はが無いとは悟らせず、両親との繋がりも明かさず、此処まで来た。

「実は、さ。ナツメの父親……椿社長と、お会いする機会があってさ」
ーー嘘、だけどね。

「いつですか!?」
ーーいつ、ねえ……あ、そうだ。

「来週の7月7日。ナツメの自宅付近で仕事の依頼が入ったんだ。仕事はナツメに任せて、俺は外させて貰う予定だけど」
「ど、どうして!? それに、話逸らさないで下さいよ!」
「その時に、不動屋さんで解約してくるよ」
ーー咄嗟にしては、都合の良い嘘が出たもんだ。

「え!? そんな……両親が、許さないと思います」
ーーまあ、そうなるよな。

「実は、さ。頼まれてたんだ……ナツメの事。学校の入学から、全部」
「そ、そう……だったんですか」
ーー大丈夫、このまま推しても行ける。

「俺がナツメを気に入ったのは、義務感からじゃ無い。ちゃんと、ナツメの努力と才能の結果だから……それにね、そう思ってるのは俺だけじゃ無い」

 封の空いた封筒から飛び出した便箋。
 差し出し人の住所は、出版社からだった。
 S松駅付近にある小ホール開催のトークイベントの詳細が入っており、見た限りでは静の会社が依頼を受けるレベルの催しでは無い。

 無礼な依頼であるのは承知で、その上での急な連絡を詫び、可能であれば依頼したい……と言う、低姿勢な内容だった。
 それに追加で入っていたのは、同日開催のイベントのチラシだった。

【 村木薫 サイン会開催のお知らせ 】
 
 S松市で一番大きな本屋前で、トークイベントから2時間後の開催。
 小ホールからは徒歩での移動が可能な範囲内ではあったが、静は乗り気ではなかった。
 トークイベントに参加するゲストの1人。
 個人依頼で、他の参加者は各自メイクを済ませてくるそうで、依頼主1人分だけの為に呼ばれると言うこと。
ーーたった1人の為の出張サービス……しかも、形に残らないイベント。普通やらないっつーの。
 静の会社のスタッフを希望としてはいたが、指名同然の内容だった。

 研修生である事がわかっている体で、学生の夏目懐目が在籍しているかの確認の一文があったからだ。

ーーまあ。撒き餌をするには、良さそうな案件だ。

「これ、依頼主って……カオル先生って事ですか?」
「出版社からの依頼ではあるけど、実質そうだろうね」
「名刺も無い時だったから、渡して無いのに」
「俺が渡しといた。ナツメの名前も、書いといたし」
「静さんの真似しただけだったのに……まさか、本当に指名してくれるなんて」
「俺の真似したから、だろ?」
「はい……すみません」
「まあ、当日、先生のマネージャー的な人は別で居ると思うけど、イベント掛け持ちだから。1日付き添う形になると思うけど……どうする?」


ーー俺だったら絶対断る案件。出版社相手は、高確率でタクシー代ケチるからね。こっちは道具の持ち歩き大変だってのにさ。

「……やります」
「その日、現場まで行くタクシー、雅美さん経由で頼んどくから。場所は伝えとくし、支払いこっちでやっとくから」
「わかりました。ありがとうございます」
「有名なりかけの先生だから、次もある様に上手にやって来てね」
「……はい!」

 終いには多少バレる結果に終わったわけだが、これが功を奏した。
ーー成程。嫌よ嫌よも、好きの内。飴と鞭ならぬ、鞭と飴?

 ナツメの表情から不信感が薄まるのがわかる。
 静の企みは、確実に良い方向へ舵を切った。

ーー村木薫先生、ね。良いモンみーつけた。


***


「おはようございます、ナツメ様」
「あれ!? 何で、柊さんが此処に?」
「本日ナツメ様のタクシードライバーを担当させていただきますのは、柊雅美でございます」

 柊雅美が、タクシー前で待っていた。丁寧なお辞儀と共に挨拶をし、後部座席の扉を開ける。
「静さんは……?」
「不満たらたらの静様は、同僚が担当致します。既に出発しております」
「あらら。柊さんが、僕の担当で……良かったんでしょうか?」
「お客様を選ぶ権利はありませんが、お客様を思って判断をするのは、こちらの仕事ですので」
「……静さんを思った結果が、これ何ですか?」
「お若いく緊張なさっているナツメ様に、僅かながらでも顔見知りであるわたくしがついた方が良いかと思ったのですが……思い過ごしだったでしょうか?」
「いえいえ! ありがとうございます。お世話になります……!」

 静とナツメを天秤にかけた訳では無い。
ーー直属指導者の静さんにとって、僕のミスは不都合でしか無い。

 結論、柊のいう『お客様を思っての判断』は、お金を払うお客様。
 静を思っての決断に過ぎない。

ーーそれでも、この選択には……間違いなく、柊さんの優しさが詰まってる。
 それが、嬉しかった。


「本日、1日契約でご依頼受けましたので、気兼ねなく、何でもお申し付け下さい」
「1日!? 待ち時間、結構ありますよ?」
「……ここだけのお話ですが、本日は休暇届を出していたのです」
「そ、そんな! ごめんなさい……送っていただければそれで大丈夫ですし、帰りは何とかしますから! そこで休暇に戻って貰って大丈夫です」
「その点は、ご心配ご無用でございます!!」
「……え?
「実はですね……私、村木薫先生の作品のファンでして」
「そ、そうだったんですか……」
「イベント観覧の為に、有給頂いておりましてですね」
「そっか。なら、確実に間に合いますね! 良かった~」
「そこで、ナツメ様にご協力頂きたくてですね……」
「え、僕ですか?」
「事前に静様がスタッフ専用駐車場の申請を済まして下さってますので……可能であれば、付き添い扱いで、私も連れていって欲しいのです」
「え!? そ、そんな事、して良いのかな……」
「静様の代わりをナツメ様が勤め、僭越ながら、私がナツメ様の代わりを勤めさせて頂こうかと」
「ええっ!? 実は……メイクやられてたとか、なんですか?」
「滅相もない! 私は、お化粧はお手伝い出来かねますので……出来る事といえば荷物運びと、用意された静様の分のお弁当を食べる位なのです」

 実質、研修にて静とは別行動が多かった。今回の依頼内容的に、現場に行くスタッフがいなくとも、ナツメ1人で賄える。静が行くには手に余るくらいだった。
 それもあっての静の欠勤だったのかもしれないが、静は行く人数の変更はしなかった。
ーー忘れた、面倒臭かった……いや、わざとなのかも。

「柊さんがいるの、とても心強いです。助かります」
「そう言って頂けると、こちらも救われます」

 会場へ到着すると、柊は誘導スタッフに会社名を名乗り、問題なく駐車場へ通された。

 ガコンッ。
 停車と同時にトランクが開いた。運転席から降りた柊は、いつも通り後部座席の扉を開けてくれた。
 
「あ。柊さん……その格好」
「ん?」

 いつも通りの制服と帽子。タクシー運転手にしか見えない風貌。
 スーツの上着を脱ぐも、帽子の主張が強く、付き添いといえど、止められそうな雰囲気を漂わせていた。
 帽子へ手を触れる触れるも、中々取ろうとはしない。

「……これじゃ、まずいですかね?」
「んー……タクシーの運転手さんが勝手に入って来ちゃったって感じ……良くないですよね?」
「良くないと思います」
「まあ、申し訳程度ですけど。中は涼しいと思いますんで、このジャケット着ときますか? あと、帽子は確実に取った方がいいです。カッコいいんですけどね?」
「あはは。ありがとうございます。取らなきゃ……ですよね」
ーーああ、そっか。
「ちょっと待って下さいね」

 ナツメが脇に抱えていた物を差し出した。
 フリーサイズのカジュアルジャケット。柔らかい生地のそれは、ふくよかな柊の体でも難なく包み込む。
 きっちり締められたネクタイは外し、首元まで止められていたシャツのボタンを2つ外す。
 制服の帽子を取り上げ、鞄から出したキャップ帽を被せた。

「これ、勝手に使って良いんですか?」
「僕の私物なんで問題無いです」
「こんな、おっさんが……すみません」
「???」
「私汗っかきで、加齢臭もあるのに……ホント、すみません」
ーー可愛いのにって、言ってあげてよ。
「タクシー運転手から、休日のおじさんくらいには、変わりました。可愛いですよ」
「そ、そうですか……?」
ーー本当に言ったよこの子、キャハハハッ!
「あ、えっと……大丈夫ですから!」
「ありがとう、ございます」

 入り口直ぐに、関係者を示すネームタグを渡され、互いの顔を見て思わず笑ってしまった。
ーーよく考え……無くても、普通そうだよね。

 照れ臭そうに笑う柊とを見て、無駄な事では無かったと確信しながら、ナツメは程よい緊張感で現場に向かった。


***


 施設内は予想以上にさっぱりした空間で、いつもの現場とは別物だった。

ーー控え室らしい控え室が見当たらない……何処だ!?
 立ち止まるナツメを他所に、柊は最寄りのスタッフへ聞きに行っていた。

「ナツメ君、こっちだって!」
ーーあ。君になった。
 反応した事に気付かれたのか、柊は直ぐに訂正してくる。

「外で様は不自然だし……失礼致しました」
「ううん、君が良いです。言葉も崩して欲しいです」
「そっか。なら、良かった」


 会議室を急遽控え室にしたであろう部屋の扉に、見覚えのある文字が並ぶ。

【 村木薫 様 控え室 】

 その部屋の扉をノックし、帰ってきた返事もまた、聞き覚えのある声だった。

「失礼します。〇〇会社所属のナツメです。本日のメイク担当で来ました」
「お久しぶりです、ナツメさん!」

 そこには、あの日会った時に比べて垢抜けたカオルが待っていた。
 髪も伸びてはいたが、全体的に清潔感があり、ガリガリだった体も普通になっていた。
 声色も表情も明るい。マスクを外した口周りから赤みは無くなっており、発色の良い肌になっていた。
 それでも、変わらず残ったままのクマ。眼鏡越しに見てもくっきりわかるほど、そのままだった。

 後ろについて来ていた柊は緊張した様子で頭を下げ挨拶をする。
ーーファンって言ってたもんね。

 今まで見たことの無い様子には新鮮さがあったが、顔を上げた柊は仕事モードに切り替わっていた。

「急なお願いだったのに、ありがとうございました」
「こちらこそ。ご指名ありがとうございます」
「こんな田舎呼び寄せちゃって、ごめんねー」
「僕、ここ住み何ですけど?」
「え!? それは失敬! ……実は、俺もここ出身」
「そうだったんですかー!? なら、許します」
「ど田舎では無いんだけそねー。お互い、ここには仕事が無いよね」
「ですねー……さて、メイク、して行きますね」
「はい。お願いします」

 鏡越しに視線の合ったカオルは照れ臭かったのか、瞼を閉じた。
 にやけた口元も次第に冷静を取り戻して行き、一文字に閉じられる。
 クマに乗せたそれを肌に馴染ませて行くと、力の入った頬は緩み、軽く唇が開く。

「その感じで。リラックスしてて下さい」
「それ言われちゃうと、逆に緊張しまーす」
「ははは。今日はアイメイクもして行くんで、そのままじっとしてて下さいね」
「はーい」

 閉じた瞼に筆を乗せ、引いたその線をぼかし、色を馴染ませてを繰り返す。
 瞳が開いた時を想定し、明暗を強調する。
 均等なカオルの瞳は誤魔化しが効かず、それはまた難しく、緊張した。

「一回、目開けて貰って良いですか?」

 輪郭のくっきりした瞳に見つめられ、我ながらの良い出来に思わず見惚れた。
 カオルとの距離の近さが今更恥ずかしくなり一歩引こうとするも、足が突っ張ったまま動かなかった。
ーーあ、あれ?

 カオルの顔はさらに近づき、視界を遮った。唇に何かが触れたのを感じながら、呆然とするしか出来なかった。

ーーえ?これ、僕から……した?

 カオルが離れて視界が開けた途端、足を滑らして尻餅をついた。
 そばに置かれたメイク道具に肘がぶつかり、手に持ったそれらも全て、音を立てて散らかった。

「ナツメさん、大丈夫!?」
「す、すみません……なんか、意識飛んでたかも」
ーー夢?
「怪我無い? もしかして、体調悪いの?」
「いえ、カオルさんこそ……何も無いですか?」
「俺は……おおお! 小綺麗になってる! 凄えじゃん」

 そう言いながら、鏡を見ていたカオルは、唇を触っている。
ーーや、やっぱり……。

「男は、唇、私物のリップだけでいいかな? なんか、不健康そうじゃない?」
 
 カオルは自分の唇を触り、ポケットから出したリップクリームを塗っていた。
 安っぽいメンソールの匂いが、ここまで漂って来た。
ーー気のせい、か? 何だったんだ、今の。

「ナツメさんって、それ、自然体ですか?」
「いいえ。僕も血色悪いんで、ピンク色少し乗せてますよ。」
「ピンク、かあ……」
「薄いオレンジ、乗せてみましょうか?」
「うん、それで! お願いしまーす」

ーー違う。気のせいじゃ、無い。

 カオルの唇には、ピンクのグロスがうっすら移っていた。
 匂ったメンソールはナツメの口元からで、微かにミントの味がする。

「カオルさんのリップ、無色ですよね?」
「そうですけど……それが、どうかしました? 」
「僕、本当に何もして無いですよね?」
「ナツメさんは、何もしてないですよ」

ーーくそ、やっぱり。一体どの人格ダレが……

「すみません、僕ーー」

 ナツメの謝罪に対し、カオルが笑ったのがわかった。

「なんで、謝るんですか? ……キスをしたの、俺なのに」

 カオルは、ハッキリそう口にした。





 


 










 
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