黒犬と山猫!

あとみく

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行きたくない場所へ

第380話:キャンプに行きたい

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 ・・・。
 水の気配。
 部屋の、こっち側に風呂があって、そろそろ止めないと水があふれる。
 風呂といってもバスタブではなく、造り付けのジャグジーみたいなものが床下収納のように埋まっていて(?)、水が、あふれたら、ひたひたと部屋のこっちまできてしまう。
 それから、部屋のあっち側のトイレはドアが開いて電気がつけっぱなしだ。
 ・・・部屋の中に、風呂トイレ付き?
 妙に、部屋が、広かった。
 こんなに広かったっけ?
 ・・・ここは、どこだっけ。
 ・・・。
 ・・・まさか、実家に泊まった?ここは二階の自分の部屋?
 自分の部屋で、寝てる時に見える景色は、こんなのだったか?
 よく覚えていない。でも今、この部屋には見覚えがない。
 ・・・それはともかく、水を何とかしないと。
 少し金縛り気味になっているらしく、体を起こすのが大変だった。それでも肩を使って体勢を横にして、いちにのさんで手をついて立ち上がる。
 風呂の前まで行くと、暗くてよく見えないが、茶色いクマのぬいぐるみみたいなものが浮かんでいた。
 その手前には、三人ほど、白っぽい服を着た人間が、ランダムな感じの配置でうつ伏せに倒れている。
 ああ、殺しちゃったんだっけ・・・。
 たぶん、今日、会った人。父と、母と、叔父。
 そうしてトイレの方に目をやって、その見えている便座の角度が、さっきと変わっていない。
 この、風呂の前からだと、この角度で見えるはずないんだけど。
 ・・・ああ、起きてないんだ。
 それを認識したら振り出しに戻り、また布団で目だけを開けている状態から。
 今度こそきちんと部屋の中を見て、うん、やっぱり妙に広い気がするけど、暗い中でも薄明かりでしっかり見えている。
 よし、次は本当に起き上がるぞ。
 少し体勢を動かすと、背中に、何かくっついてくる気配がした。
 温かくてぐんにゃりしているもの。
 何だか分からないけどそれを好ましく思って、あらためて目を開けて、・・・さっきはなかった白っぽい光の反射が天井に見えた。
 ・・・くそ、何だ、これが本物か。今見えているのが本当の僕の部屋か。うん、そうだこの部屋だった。じゃあここで起きればここが現実世界のはず・・・。

「・・・っ、はあ、はあ」
「・・・ねこ、どしたの」
 まだ全身の感覚はゆるいけど、たぶん、起きたと思う。だってクロがいる。
「もしかして・・・また?」
「・・・はあ、はあ、・・・風呂に、行かないと」
 今度こそ本当に床に足をつけて、ふらふらとドアに向かう。何だっけ、えっと、どうして風呂に行くんだっけ?
 部屋のドアを開けて、キッチンの電気をつけて、そしてようやく、気がついた。
 寒い。
 ・・・上が裸で、下は・・・。
 あ、ズボンの、中。そうだ、そのまま出しちゃったんだ・・・。しかもそのまま寝ちゃってたのか。ああもう、全部洗濯だし、そうかそれで風呂に行きたかったのか!
 急いで浴室に入ると何だかむわっとして、床が濡れていた。・・・ん、まさかクロがシャワーを浴びた?その水音が幻覚に出てきたのか?
 とにかく湯沸かしボタンを押して、トイレに行きたかったけど、ズボンの中のことを考えるとやめておいた。
「ねこ・・・あの、だいじょぶ?」
「え・・・ああ」
 僕が今朝脱いだ寝間着を着て、髪の先だけ濡れた黒井は、何となくしっとりして妙な雰囲気。・・・い、いや、僕たちはまだ一線を越えてはいない・・・はず。
「また、何か、あったんだろ?」
「・・・う、うん」
「教えてよ、何があった?」
「・・・」
 ちょっと親を殺しちゃってて・・・とも言えず、「風呂の水を止めなきゃって・・・」と濁した。
 思わず浴槽を見て、そういえばあのクマは何だったんだろう。
 分析するのなら、それは実家にいた時の無感情な僕かもしれないと思った。


・・・・・・・・・・・・・・・


 湯をためながら、浴槽のへりに座った。
 濡れていたけど、もう洗うズボンだ。
 黒井は話題を変えて「そういや本当は今日、お前の部屋・・・見てみたかったな」などと言い、まるでさっきの幻覚の部屋のことを見透かされたみたいで、・・・僕はさっき見たものを、湯がたまる水音の中、訥々と話した。
 ・・・わざわざ言う必要なんてない、とは思ったけど。
 もう、隠しておくほどの他人でもない・・・、そんな気がして。
 そして、幻覚の中身を聞くと黒井は風呂場の電気を消して、さっさと僕の隣に座り(寝間着が濡れる!)、給湯器のデジタル表示が煌々とその顔を照らした。
 そうして、僕のズボンに、手をかける。
「・・・っ、ちょっと」
「いいから。風呂入るんだろ?」
「そう、だけど」
 「見せてよ、しないから」と言われ、心拍数が上がり、本来なら拒否すべきなのに、何となく、言う通りにしなくちゃいけないような・・・むしろそれにかこつけて見せてしまいたいような、それで僕はされるがまま腰を浮かせた。
 絶対に、断固として行く気なんかなかったのに、結局、実家に連れて行かれて。
 でも結果として、僕の心の中で何かが進んだようでもあり、行ったことを後悔はしていない。
 ・・・風呂上がりでもないのに一人だけ全裸になって、しかも下は白濁液にまみれて、恥ずかしいどころか、下手すれば屈辱感すらわいてきそうだ。
 ・・・。
 黒井は暗がりの中、僕の身体を上から下まで見て、腕をやわく掴むと唇にそっとキスをした。
 手はゆっくり下がっていって、手首を強く握る。
 きつく力を込められて、ああ、クロは、俺を手放したくないんだなと思った。
 黒井は自分の<それ>を追いかけるのをやめて、僕の人生に介入してきて、「生きてるのが楽しい」と言った。
 そうか、今更だけど、お前はもう流れ星を見てるんじゃなく、俺を、見てるのか。
 見て楽しいものなんかないはずなのに、それが楽しいのか。
 ・・・その上、俺の中身を訊き出して、でもそこに出てくるのは親ばかりで、自分が登場しないから、少し、悔しがってる・・・?
 手首を握る強さにそれを感じたら急にこの男がいとおしくなって、僕は触れ合っているだけの唇から舌を挿れて、少し強引にその口の中を探った。
 奥歯の内側がつるつるとして、ふと歯磨き粉の味がして、自分だけシャワーを浴びて歯も磨いたなんてずるいな。
 濡れた息で唇を離すと、僕は壁に寄りかかり、「・・・俺は、どうだよ」と、上目遣いに黒井に問うた。なあ、俺なんか見て本当に楽しい?もしそうなら世界一嬉しい。

 黒井は、僕の勃ち上がりかけたそれを見た後、すうと息を吸い込んだまま、眉根を寄せてほんの一ミリ微笑んだ。
 それから少し震える手で、掴んでいた僕の手首を思いきり振り払うと、風呂場を出ていき部屋のドアがばたんと閉じた。

 腕が壁に当たって大層痛かったけど、勢いのまま、まだたまっていない風呂に途中から入ってやった。秩序という壁の内側が少しずつ剥がれていき、領域がやや広がったような、息がしやすくなったような気がした。


・・・・・・・・・・・・・・・


 日曜日。
 結局今日買い物に行くということで、黒井は早朝から腹が減ったとコンビニへ出かけていった。
 僕はとにかく二人分のアレなパンツとズボンを洗濯しなくちゃならず、でも黒井のそれを見ようか見まいか迷って、心を鬼にしてそのまま洗濯機に入れた。
 ・・・でも。
 部屋の中に、明らかに二回分の、丸めたティッシュ。
 え、つまりこれって、お前は僕と一緒にイった後、一人で二回もした?
 僕と風呂場でキスした後に二回したのか、あるいは、その前に僕が寝てる(金縛りに遭っている)横でしてたのか・・・。
 考えるとえらくどぎまぎしてくるけど、っていうか、それって一晩に三回も出したってことで、ずいぶん、その・・・。
 ・・・あれ。
 ・・・もしかして。
 今まで、男同士でどうやってやるんだ、そんなの無理だって思ってたけど。
 もし、もしも何らかの形で滞りなくできたとして。
 そうしたら、一晩に三回もやるの!?
 いや、いや、そういう心配はしたことなかったけど、どうしよう、そんな自信ない・・・!

 黒井が帰ってきてしばらく手が震えるほど緊張していたけど、渡されたベーコンを焼いていたら少し落ち着いて、何とか出かける準備をした。


・・・・・・・・・・・・・・


 昼前に家を出て、各駅に乗って新宿を越え、九段下で東西線。
 日本橋で降りて、大きな通りをしばらく歩く。
 ・・・昨日あの電話がかかってきて、本当に、冷や水を浴びせられたようにキャンプのわくわく感が消えたけど、こうしていつもと違う景色の中を歩いていると、もう一度気持ちを立て直せそうだった。

 だんだん東京駅が近い雰囲気になってきて、黒井が「あれだよ」と指さした先に、去年オープンしたばかりというその大きな店。
 店、というか、建物。
 アウトドアショップなどという存在とは無縁だったから、お茶の水や神保町によくあるスキー用品店みたいなものを思い浮かべていたが、そこはまったくオシャレな、外国の家具屋みたいなどでかい建物だった。
 日曜だからか人も多く、ちょっとしたレジャー施設のようですらあり、「店員に色やサイズを尋ねながら目的の商品を購入する会」じゃなく「いろんなグッズや展示を自由に見ながら楽しめる会」になったようで、もうこの建物自体がアウトドア感満載だ。
 あ、やばい。
 これはちょっと、本格的にわくわくしてきた。気分的にはクロと二人でディズニーランドに来たくらいの盛り上がりだ。どうしよう。
「ここ、こないだ通りかかってさ、見てみたかったんだよね」
「ふ、ふうん。ずいぶん大きいんだね、へえー」
 平静を装ったつもりだけど、間髪置かず「お前、なんか緊張してる?」と顔を覗き込まれた。・・・いや、本当は隣にいるだけでもまずいのに、その顔を近づけられたら余計に緊張するって。
「・・・べ、べつに」
「なんか・・・こういうの、苦手?」
「えっ、いや」
「別に、ここじゃなくて、他の店でも・・・」
 ・・・。
 もしかして、気を遣ってくれてる?
 どうしよう、そうじゃないって言いたいけど、そんなこと言えないし。
 ・・・言えない?
 あれ、もしかして一生懸命隠さなくても、いい・・・?
 インドア派の意地はあるけど、でも、僕たちはインドアなアウトドアをするわけだし。
 入り口手前の階段で立ち止まり、ガラス張りの店内を窺う。
 ・・・な、なんか、色とりどりの物が奥までいっぱい並んでいて、やっぱり楽しそうだ。
「あの、・・・クロ」
「なに?」
「は、早く入ろう」
「・・・無理、してる?」
「違う。うるさいな。楽しそう、だ、から・・・」
 それは、やや、昨日全裸を見られたよりも恥ずかしいことだったけど、「な、んだよっ!」と肩に腕を回されて、「いやだって・・・ああ、すごい!」「うわっ、いっぱいある!」で、店内になだれこんでしまえばあとは二人とも目を輝かせた。


・・・・・・・・・・・・・・


 ああ、なんか、すごい。
 丸みを帯びたいい感じのテントが張ってあって、その後ろにはカヌーまで展示されていて、他にも登山用らしき様々な形の金属や、防水や防風の機能的なパーカー、折り畳みができる様々なキャンプ用食器類など、・・・なんだ、ホームセンターの工具売り場の超オシャレ版みたいじゃないか。
「ねこ、ねえこっち!」
「なに?」
「ほらこれ、これで料理したりさ、ベーコン焼くんだよ」
「・・・シェラ、カップ?へえ」
 渡されて、えらく、軽い。
 値段を見ると、二千円もする。え?こんな、百均で売ってそうな単なる中途半端な大きさのカップが?
「重ねるとちっちゃくなって、持ち運びしやすいって」
「ああなるほど。そうか、持って行く荷物が限られてるから、携帯性が大事なのか」
 ふむ、いろんな形の皿より、この中途半端な大きさで統一してしまった方がむしろ汎用性があり、軽いのもそのためなのか。

 その後、僕も興味がわいて色々な商品を見ていると、向こうの棚から黒井が「ねえこれ、俺がいつもキャンプで座ってた折り畳み椅子!」と、固定された展示品を指さしてはしゃいでいた。
 ・・・。
 なぜだか急に、目の前が真っ暗になる感じ。
 まずい。
 ゆっくりその場でしゃがみ込んで、何とか、棚の下の方にある商品を見ている振りをする。
 どうしよう、頭がぐらぐらして、気分が悪い。
 ・・・。
 ああ。
 ・・・黒井は、キャンプに行ったことがあるんだ。そんなの当たり前か。
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