黒犬と山猫!

あとみく

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お盆旅行と、告白

第264話:告白

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 ダイニングテーブルのメモには、「冷えてしまいましたけど。おナベのスープは温めて下さい。4時頃には戻ります」とあった。ベッドの天蓋みたいな食卓の覆いを取ると、席にそれぞれ、オムライス。冷蔵庫につぶつぶオレンジのジュースがあって、蔦の飾りのグラスに注いで二人で飲んだ。
 僕はまだ何もいろんなことを考えられなくて、黒井も僕と同じかどうか推し量ることさえできなくて、黙って綺麗なオムライスをつついた。それは当たり前に美味しくて、しかし飾りつきの銀のスプーンを持つ手がゆっくりと止まる。ゆうべ僕の中から出てきたものが一体何だったのか、それは自分自身にさえずっと隠してきたものだったはずだけど、いつものようにそれを整理して理屈をつけて確認しようという気持ちがわいてこないのはなぜなのか。
「・・・ねこ?」
「・・・え?」
「何考えてる?」
「・・・なにも、考えられてない」
 カンカンとスプーンが皿に当たる音がし、黒井はむしゃむしゃとオムライスを食べ進めた。サラダとスープもたいらげ、それを眺める僕を見て、ふと顔を上げて柔らかく微笑む。そんな顔を見たら普段は目を逸らす僕だけど、何だか呆けたように目を離せずに、僕までゆるく笑った。

 食欲はなかったけど人様に作っていただいたものを残すという選択肢はなく、少しずつ卵とチキンライスを口に運んで何とか食べ終えた。マッシュルームと分厚いベーコン、ほうれん草にモッツァレラチーズが入っていて、やっぱり作る人によって全然違うなあと思った。
 食べたら黒井の分まで皿をキッチンに運び、今日は気兼ねせず洗い物をする。これまた自分では使わないタイプのスポンジに洗剤、そして数々の台所用品を見ながらふかふかのキッチンマットの上に立ち、広いシンクで伸び伸びと皿を洗った。だめだ、こんなところに慣れてしまったらうちに帰れなくなる。
 洗ってしまったら、しかししまう場所の見当がつかないほど食器棚は大きく、所定の場所を探すのは諦めて皿はシンクの横に置いた。どの家具も新しく、親父さんが亡くなってからここへ越して来たと言っていたから、黒井が少年時代に使っていたものはもうないのだろう。
 ・・・金髪ピアスの高校生、だって?
 それは見てみたい気がしたが、写真はないかもしれない。想像は全然つかなくて、でも、その頃まだ僕は中学生だったりしたわけで、そんな絶対に接点のない二人がこうして今一緒にいるのは不思議だと思った。
 ・・・一緒に?
 僕はまた、というかいつもよりさらに格段に、自分が誰で何をしている人間で、ここはどこで相手は誰なのか分からなくなるゲシュタルト崩壊に陥った。そりゃ、昨日あんなことがあったんだからそれも当然だろう。しかし、あんなことってどんなことだと、今だけだなく過去もどんどん分からなくなっていく。っていうか自分ってなんだっけ、ここでこうして立って何だか縦長で息をしていて意識というものがあるらしいこの生き物は何だっけ?
「ねえ、ねこ」
「はい」
 あ、ああ、猫なの?え、でも猫ってどちらかっていえば横長じゃなかった?
「あのさ、雨やんでるみたいだし、ちょっと、散歩にでも行かない?」
「え、うん、いいよ」
「何か、ちょっと行ったとこに、公園とかあったから」
「うん、じゃあ、行こう」
 黒井は(そうか、この人は黒井というんだ)冷蔵庫からペットボトルを、そう、あの教えてもらったドイツの何とかいう炭酸水を出し、頬にくっつけながら手ぶらで玄関に向かった。僕は「ちょっと待ってて」と言って二階に引き返し、靴下を履いてリュックを持つと階段を下りた。黒井はめずらしく僕をちゃんと待っていて、「行こっか」と言って車の鍵をくるくると回した。


・・・・・・・・・・・・・


 ここ数日ですっかり車というものにも慣れ、黒井が運転して住宅街をゆっくり進む。助手席の僕はシートベルトをもてあそびながら、ただ外の景色を見ていた。憧れのドライブのはずなんだけど、何だかぼうっとしてやっぱりよく分からない。
 やがて住宅街の中にふと公園のような、緑地のようなものが現れ、黒井はそこで車を停めた。シートベルトを外して外に出ると蒸し暑くて、木々の上からうるさいほどのセミの合唱。
 小さな子を二人連れた母親が入れ違いに出ていくと、中にはほとんど誰もいなかった。遊歩道にでもなっているのか、奥の方まで細長く続いている。そこここに砂場やすべり台などの遊具が点在し、いかにも公園というSEIKOの時計は3時5分を指していた。
 ゆっくりぶらぶら入っていくと、後ろの黒井が「あの、ごめん俺忘れ物」と。
「え、忘れ物?」
「車戻るから、ちょ、ちょっと先、行ってて」
「うん、分かった・・・」
 言われたまま奥へと進み、黒井がすぐ戻ってくる気配もないので、何となく、ブランコを見つめた。ブランコなどという物体を間近で見るのは久方ぶりだ。近寄ってみるとあまり濡れてもいなかったので、ちょっと、腰かけてみる。そして小さく揺らしてみると、何だか懐かしい感覚がした。
 入り口の方を見遣るが、黒井の姿は見えない。
 どうしたんだろうと思いつつ、ゆっくりと揺れてみた。
 そうして、僕が公園というものに遊びに行っていた小学生の頃が思い出され、そして、ゆうべのことを思い出した。
 ・・・あの女の子の顔も名前も、もう、覚えていない。
 まさかあんな事件があったなんて、本当に忘れていた。
 しかし確かに、あれ以前の小学一年や幼稚園の僕は、何かを抑えたり絶対一人でやるんだと周囲を拒否していたり、ではなかった気がする。そう、公園で遊ぶ誘いを断り続けていたけど、こうしてブランコで、二人乗りまでした記憶があるということは、たぶん一年生の時は僕もみんなと遊んでいたんだ。
 僕の一人癖も、断り癖も、非リア充ぶりも、・・・遡ればあれから始まったのか。
 そうして死にたい夏とミステリを経由して、卑屈な理屈屋は完成度を上げたのか。
 ミーンミンミン、とセミが鳴く。
 僕は、もう今はすっかり形の変わってしまった自分の・・・あの女の子に見せたモノを思い浮かべた。そんなの、仕方がなかったじゃないかと自動的に言葉が浮かぶけど、あれで自分の人生が決定的に方向づけられたのかと思うと、何だか、乾いたやるせなさがあった。今更どうという感慨もなく、馬鹿げてるとか悔しいとかいうのもわいてこない。
 どうしようもなかった。そして、今の僕が在る。
 いつの間にか止まっていた足を動かして、もう一度ブランコを揺らす。
 大人になって乗るとえらく低くて、膝を曲げていないと足が地面を擦ってしまう。
 ・・・黒井は、どう、思ったかな。
 ぼんやりとそう思った。あんな話を聞いて、あの時は僕を慰めてくれたけれど、本音では、「子どもの頃はそんなこともあるよ」とか、「ちゃんと言い返せばよかったじゃん」とか、あるいは「へえー」くらいかもしれない。
 一晩経ってしまうと何だか記憶もおぼろげで、あれだけ感情的になっていたのが、今は少し白けて感じた。
 ・・・でも、どっちにしろ、気持ちのいい話ではないな。
 自分から誘った肝試しで、ひどいオマケを付けたもんだ。
 ちょっと自嘲気味に笑い、曇り空を見上げた。

 やがて人影があって、黒井がこちらに歩いてきて、僕の目の前まで来た。
 ブランコを囲っている低い柵の前、青々とした樹々とセミの声を背景に、大人っぽいけれど子どもっぽいような青年が立っている。今朝、「前からお前を知ってる気がする」と言われたが、僕はその反対だ。
 そして、「・・・えっと、あの、さあ」なんて言われ、僕は少し身構えた。
「ねこ、あの、俺・・・ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
「え、なに?」
「ちょっと、あの、言いにくいことなんだけど・・・」
 ・・・言いにくいこと。
 ああ、何だか、いよいよなのか。
 緊張して心拍数は上がったけれど、腹は据わっていた。
 今までの僕であれば、あれこれ考えて理論武装し、自衛に努めていただろう。でも今は、・・・もう、自分のことを全部知られてしまった今は、取り繕うものもないので武器庫は空っぽだ。何を言われてもそのまま受け取るしかない。そう、<冷たいところがある>山根ヒロフミがあの新人研修でなぜところ構わずマシンガンをぶっ放し、爽やか班長のお前にそれが当たってしまったのか、その真相にもう謎はないのだ。
 ・・・お前のこと、大っ嫌いだった。
 そう言われた低い声は、今でも思い出せる。しかし正直言って、僕は「嫌い」という言葉に嫌悪感はなく、言われても困らないから、ショックでもなかった。
 でも、今度は、言ってくれていい。
 ・・・お前が気持ち悪い、と。
 そう言われたくないがためだけに、すべての労力を費やして二十年も奔走してきた僕だ。「嫌い」は相手の好き嫌いの問題だが、「気持ち悪い」は僕が治すべき害悪であり、でもどうすればいいかは分からないから、葛藤を抱えながら隠すという道しかなかった。
 でも、もういい。
 別にそれは拗ねてるんじゃなく、もういいんだ。自分でそれを思い出して、受け入れたんだから、バレたってもう、構わないんだ。
「うん、なに?・・・言ってくれて、いいよ」
「いや、お前、言っても、・・・戸惑うかもしんないし」
「いいよ、大丈夫。覚悟はできてる」
「え・・・?じゃあ、その、言う、よ」
「うん」
 黒井はブランコに座る僕のすぐ前まで来て、止まった。
「えっと、その、俺、・・・お前のこと」
 見上げた黒井は、眉根を寄せて目を泳がせ、唇を噛んでいた。でもやがて僕の顔を見て、「俺、お前が、好きだ」と言った。
「・・・」
「その、好きってのは、ちゃんと、恋の、好きだから・・・」
 ・・・。
 すき・・・?
 ・・・。
 え?
 ちゃんと、こいの、すき?
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