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ゴールデンウィークとアトミク
第186話:愛してるにダメ出し
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え、外にまで聞こえてたってわけ?防音じゃないの?何も聞こえないはずじゃないの??
「は、はい!?」
「どうしてもっと・・・」
ジリリリ、とそこで電話が鳴り、黒井が取って何も聞かずに「ハイどうぞ!!」と怒鳴って切り、また僕に向き直って「だから、何で・・・」と言った。
僕は思わずその先を遮って、「分かってるよ!」と顔を背けた。もうすぐみんなが来ちゃうじゃないか。っていうかどうしてお前だけ先に来るんだよ!・・・と、僕の肩をつかむその手が濡れていることに気づき、ああ、もしかしてトイレ行ってただけだったのか。
「だってさ、お前」
「うるさいな、分かってるって!どうせ、棒読みだとか死んだ魚みたいだとか言うんだろ!?」
「し、死んだ魚とは・・・」
「だから嫌だったんだって!いいよいいよ、お前らみたいにうまくは歌えないよ!」
これでも十分うまく歌えたと思ったけどね!
「べ、別にうまいとかじゃなくて、だって」
「いろいろ言わなくて結構だよ。世の中には歌が下手な人だっているんだから、そっとしとけ!」
「だから下手とかそういう・・・」
「次元じゃないんだろ?もういい、俺帰る」
「ま、待てって!!」
別に、歌をけなされたことを怒ってるんじゃない。
ただ、聞かれたことが恥ずかしくて、どうしていいかわかんなくて、いたたまれないだけだ。
ドアを開ける僕を黒井が止める。腕を強く引かれて、振りほどき、またつかまれる。
何だか、前もあったな、こんなこと。
まったく、僕はいつもこうだ。クロのこと、気まぐれだのわがままだの言えないな。感情に流されて、・・・しかも、本当の気持ちじゃなく、隠したり取り繕うために怒ってみたりして、みっともないったらない。でも素直にはなれなくて、笑いながら「あ、聞かれちゃった?恥ずかしいな」なんて、僕が言えるわけもないし!
「離せって!」
「ちょ、ちょっと、何で怒るんだよ!」
「いいんだよ、もう、とにかくいいんだ、帰る!」
「帰るなって!ちょ、も、もっかいやってよ。<愛してる>のとこだけ」
「だ、だ、誰がやるか!」
「ねえ、お前の愛してるって、そんななの?ねえ、そうなの?」
「な、何言ってんだ、余計なお世話だ、っていうか<そんななの>とは失礼な!」
「いや、ご、ごめん、でも・・・」
「何が気に食わないんだよ!もうほっといてくれ!」
そして空気が揺れて、ドアが開き、先導してきた菅野が「あ、あれ・・・」と固まった。
「あ・・・、菅野さんごめんね。俺ちょっと気分悪いから、帰るよ。ほんと、気にしないで、あとはみなさんで・・・」
「おい、勝手に帰るとか何言ってんだ」
「え、えっと、二人とも、どうしました・・・?」
「ほんと、何でもないから、空気悪くしてごめんね」
「おい、俺との話が終わってないよ。愛してるってちゃんと言えって」
「・・・っ、いや、は、あの・・・」
「別に俺、いいだのだめだの言ってないだろ?ただもっかいちゃんと・・・」
「く、クロ、ちょっと待て」
「愛してるって、そこだけでいいから」
「違う、違う、そうじゃないって・・・!」
「じゃあ何だよ」
「み、みなさん困ってるだろ!事情がわかんないんだから、い、意味不明だろ!」
「みなさんのことなんか関係ない!俺とお前だけの話だ」
「・・・あ、あの、黒井さん・・・?」
「なに?今日はまだ蹴ってないし、いや、もうちょっとわかんないこと言い出したら、蹴るかも」
「え、えっとその、蹴っちゃだめだけど、あの、何が・・・」
「気にしないでいいよ、こいつの愛してるに感情がこもってなさすぎるってだけだから」
「おい!やっぱりそう思ってたんじゃないか!」
思わず周りが見えなくなって、キレた。
いや、キレてもいいかなって、はは、何か、もういいかなって。
「感情がこもってなくて悪かったな!昔から、こうなんだよ!どうやったってわかんないんだよ!」
「わかんないとか、そんなのないって。だって気持ちじゃん。だって、その、感じ、それだけじゃん!」
「ああ、お前はそうだろうよ、でも俺は出来ないんだ。あれが精一杯、っていうかあれだって、本当は十分良かったって思ってる!」
「・・・そうなの?」
「・・・そうだよ」
「分かった。じゃあ、俺が歌う」
「へっ?」
「あ、どうぞ、みなさん座って?俺一曲歌ってもいい?」
「・・・そ、それは、いいですけど」
「えっと、黒井です。こっちがやまねこ、じゃない、やまねこうじ。よろしく」
菅野と他三名が苦笑いで顔を見合わせている。そりゃそうだろう。黒井は気にせずリモコン画面を手に取って、菅野を引っ張り、「ねえこれやって」と。
「え、えっと、歌手名か曲名は・・・」
「うーん、曲名」
「何てやつですか、始まりは・・・」
「えっとね・・・」
カラオケ的行為が淡々と行われているせいで、半ば強制的に全員がソファに座った。そして僕は知らない男女三名から、意外と気安く「痴話喧嘩っすか?」「蹴られちゃうんですか」「感じ方は人それぞれですから」と、軽妙な慰めを頂いた。ああ、半分金髪っていうかピンク髪もいて、主張の激しい服を着ていて、もうまったく別の世界の若人たちだ。じゃあもういいや。
「あの、勘違いしないでほしいんだけど、歌の話だから」
「え、そうなんすか?」
「そう、歌詞の話だからね。歌詞」
「ああ、なるほど。お二人で歌うんですか?」
「え、いや、まさか」
「いえ、うちらもね、よく合わせるんですけどねー、やっぱ、相手の歌い方にいろいろ言い始めると、ね、終わりやもんね」
「そうなんですそうなんです。お互い尊重するっていうか、理解っていうか、もう、ここまで来るとなに、慈愛?」
「あは、ほんまそうやわ!」
みんなにつられて笑ったところで黒井がボリュームをぐいと上げ、画面を見ると、うわ、なに、B'zとか歌っちゃうわけ?
「えー、これ知らない」
「アルバム曲じゃない?」
タイトルは<泣いて泣いて泣きやんだら>。ゆっくりめのギターで始まって、前奏中から黒井は「yeah~~!」と叫び、一同「うわ」「すご」「稲葉さんや」と。
座って足首を膝に乗せ、腕も組んだまま、軽く頷いてリズムを取りながら。
・・・。
一番を歌い切って、間奏で、おおーっと声が漏れる。
ロックな感じじゃなくて、ブルース調っていうのか?
僕の感覚でいえば、何度か高い声は上に突き抜けすぎたし、出だしが遅いところもあったけど、でもそんなことは何の関係もない。
うん、分かってるよ。僕のは音符を正確になぞっただけの声であって、歌じゃない。
そしてそれを、お前に聞かれて恥ずかしくて、・・・でも、たぶん本当は、ああ、「それでもいい」って言って欲しかったんだ。お前の歌を聴いていたらそれが分かった。昨日散々泣く前に「泣いていい」って言われたように、今もそう言ってほしかっただけ・・・。
ああ、もしかしてそれで、<泣いて泣いて泣きやんだら>?
俺に、何か伝えようとしてる?
うん、でも、分かってるよ。どうしてお前はそんなふうに機械的に歌うんだって、感情はどこへやったんだって言いたいんだろ?でも、感情はちゃんとあって、ちゃんとお前のこと愛してるって思いながら歌ったんだよ。でもその気持ちが、歌っていう行為にうまく乗っからないんだ。音の高い低いとタイミングばかりが気になって、いつだって正しさを遂行することしか頭になくて、・・・でもそういうのが僕だし、ああ、本当はそのまま、欠点だって泣き顔だって見せちゃって、「ちゃんと言え」って言われて抱かれたいんだ。
・・・・・・・・・・・・・・
ラスト、掠れた声が途切れ、曲が終わるまで聴いて、「わあー!」「すごーい!」「わお、チキン肌!」とみんな手を叩いた。僕は最後の歌詞でもう放心して、鳥肌どころか失神しそう。
昨日、泣いて泣いて泣きやんで、「何か食べに行こう」と微笑まれて、それは、恋の告白と受け取ってもいいって、そしてそれを歌ってしまうのをうるさく思わないで、なんて、黒井も稲葉さんもそう言ってるってこと?
若人たちが「うちも歌いたくなってきた!」とリモコンを取り合って、マイクを置いた黒井が僕の隣に座った。ジャカジャカとテンポの速い曲が早速始まり、誰が何を言うでもなく、誰かがメロディーを歌って誰かがコーラスに入り、それをどんどん入れ替えて、サビはみんなでハモって、大合唱。意味の分からない歌詞が目も追いつかないほどの速さで画面を駆け抜けていき、みんな舌が回らなくても気にせずたたみかけていく。菅野も得意分野はバラード系なのか、ついていくのがやっとのようだ。
黒井と僕はまた隅っこで場末のスナックになって、歌い終わった黒井が僕の烏龍茶を取り上げてぐいと呷った。口元を手首で拭いて、「・・・ね、どうだった?」と。
な、何て言えばいいんだよ!
「あの、それは、すごく・・・」
「うん?」
僕の声が小さくなるので、黒井が気持ち、こちらに寄る。
「いや、だから、えっと・・・」
「え?」
みんなの絶叫がこだまして、僕たちは完全に昭和生まれ組で隔離されている。黒井がさらに顔を寄せるので、「・・・その、とても、うまかった」と言ったけど、でもぜんぜん聞こえてない。
「ええ?」
「だから!」
「うん?」
何も聞こえないので苦笑いして、顔を見て、声は出さずに口の動きだけで、伝えた。絶対分からないように、本当の気持ちを。
<おまえのこと、すきだ>
「・・・ええ?」
首を傾げて眉根を寄せる黒井に、今度は分かりやすく、<あ、り、が、と>と告げた。単語を理解した黒井が、<でもなんで?>と反対側に首を傾げる。
ようやく絶叫が止んで、適度な余韻を残したメロディーだけが響いた。
「だって、その、昨日のこと・・・だろ?」
「うん・・・気にすんな」
「・・・うん」
前かがみになって氷だけになった烏龍茶のグラスを揺らしてかき回す黒井のことを、かっこいいと思う自分と、でも、ふと、ものすごく近くに感じている自分がいた。このくらいの距離が当たり前で、毎日一緒にいるのが当たり前で、心の繊細な部分とか、弱いところを見せ合って、それをお互いに慰めるのも当たり前で・・・。
家族でも恋人でもないのに、どうしてこんな・・・あれ、おかしいな。今まで、<友達>にしてはここまでする?っていうような行為をふつうの顔でしながら、それを噛みしめて、特別なんだって心の中で満足して、思い出しては嬉しくなっていたのに。
でも、何か、今はどうも違う。
勝手に恋人気取り?
ううん、それもちょっと違う。
恋人として、なれなれしく肩を引き寄せてキスしたいとか、そういうのじゃない。もちろんしてほしいけど、でもそこがメインじゃない。
どうしてだろう、二人が、俺たちが、一緒にいて、一緒に何かをするのは当たり前で、その中で、さっきみたいにお互いの苦手やトラウマや小さなひだなんかをちゃんと拾って、すりあわせていって、そんなことをするのが当然と思っている。野球のバッテリーとか、ダブルスのペアだとか、この若人たちのように二人で歌うとき、相手を思いやり、我慢しつつもよい結果を求めて高め合う、慈愛の域に達した、・・・パートナー?
胸が、どきんとした。
心の半分はやっぱりまだ下心でいっぱいだけど、でも残りは、恋心というよりも、パートナーとしての、責任だったり覚悟だったり、感謝だったり、信頼だったり・・・。
どうしよう、何かものすごく、しっくりくるんですけど。
ねえ、俺がお前のこと、そういう風に思っても、いい?
アトミクをやるパートナー、共同研究者兼、共同冒険者?・・・そんな存在だって、登録申請しちゃっていい?
・・・・・・・・・・・・・・
一通り歌い倒した若人たちと飲み物をリモコンで再注文して、ちょっとした歓談タイム。「自主練だから気にしないで」と、菅野だけが例のセトリをまだ迷って、控えめに歌い続けている。
「前はバンドやってたんですけど、やっぱ、方向性の違いってやつで」
ピンク髪の女の子は<ルーコ>と名乗った。芸名というか、歌うときのハンドルネームのようなものらしい。
「だよね、結局一人の方が楽ってのもある、けど、でもやっぱ誰かとやりたいって気持ちもあるよね」
金髪だけど常識的な<マサユキ>、通称<ゆっきい>。
「本当はねー、楽器もいろいろやりたいし、セッションもしてみたいね。まあ、うちキーボードしかでけへんけど」
そして関西弁の小柄な女の子<マイティー>。
つい、将来は音楽で食べていくって考えてるの?なんて上から目線の面接官みたいな質問を発しそうになってしまう。彼らが僕の年になるまで七年も八年もあるんだから、それだけあれば働き方も、人と音楽の関わり方も全く変わっていくだろう。もうカセットテープの始まりの空白を鉛筆できゅるきゅる巻き取る時代じゃないんだ。
「どこで録音とかしてるの?スタジオ、とか?」
一応無難そうな質問をしてみる。撮った歌をネットで発表しているらしい。
「あー、うちは宅録ですよ。おかんにめっちゃ怒られながら。ってか、うちが歌うと近所の犬が一緒に歌うねん!」
カラカラと楽しそうに笑う。何か、若いなあ。黒井が新人たちと過ごして感じたことが、少し分かった。
「スタジオはねー、やっぱ高いし、でもそう思うと余計気負っちゃって声出なかったりして、宅録のがいいかもよ」とゆっきぃ。
「でも、マイティは、何だかんだで家族の理解があるから出来るんですよ。私なんて今勘当寸前ですからね。それどころじゃないですよ」
ふ、ふ、と低い声で自嘲気味に笑うルーコは、三人の内輪じゃなく僕と黒井を交互に見て話しかけてくれる。ああ、ホント、若くてピンク髪でもコミュ力高いなあ。
「勘当って、なんかあったの?」
黒井が訊くと、「まあ、アレですよ、父親が大学行けってマジギレするっていう、お約束の」と。瞬間、黒井の父親のことを思い出してちょっとどきっとする。でも黒井は気にしていないようで、「えー、そんなんルーコの自由じゃん。キレる意味わかんない」と、おい、もう呼び捨て?
その後も音楽談義は続き、ふだん接することのない人種と話して、新鮮だった。いつもなら興味もないんだけど、アトミクを始めようとしている今は、何かに打ち込む彼らの話が意外と参考になる。ネット上で目立つためにマーケティングを学んでいるとか、新しいコラボを常に模索しているとか、テクニック的なことを学びつつも、本来の音楽への情熱を忘れないよう、ヨガをしたり博物館へ行ったりしてクリエイティブな感覚を養っている、だとか。
いろいろ、考えてるんだ。
やはり若者らしくバイトに追われてそれどころじゃない時期の方が多かったりするらしいが、それでも彼らの前には常に音楽がある。僕たちには、物理の、何があるんだろう?
カラオケを出たら、「モモさんとお洋服見に行くんです」と、みんなとはあっさり別れた。未成年だからなのか、飲み会そして二次会とは流れない。メアドだなんだの交換会にもならない。若者の何とか離れというやつ?
結局菅野には「ライブ、誘ってね」の一言も言えないまま別れてしまった。元はと言えば菅野の誘いだったのに歌の感想なんかもろくに伝えられず、っていうかそもそもは黒井を誘ったのに二人で話せるよう気も遣えなくてちょっと申し訳ない。今なら、少なくとも菅野に対してなら嫉妬の気持ちもそれほど感じないのに。
そして、しかし、当たり前のように、黒井と歩いている。
少し小雨になって、傘にも飽きたらしく捨ててしまって、濡れながら。
無言、だった。
頭の内側はまだぐわんぐわんと音が響く感じで、外の、開けた空と開けっぴろげな空間との間で、少し耳鳴りがするような気がした。
どこに行くの、とは、訊かない。
僕だって少し、歩きたい気分だ。
ただ何も言わず、お前にあわせて少しゆっくりめに、気が向くまま。
それでもぼうっとして、つい歩みが速くなって、何度か立ち止まって待った。黒井が追いつくたび、ほんの少し肩や腕が当たって、それはたぶん、特に言葉にはならない「よう」とか「うん」とかいうスキンシップ。分からないほど微かに頷いて、また歩き始める。
結局新宿三丁目まで歩いて、都営新宿に乗った。ホームで初めて、口を利く。
「・・・眠い」
僕は少し笑って、「帰ろう」と言った。
「は、はい!?」
「どうしてもっと・・・」
ジリリリ、とそこで電話が鳴り、黒井が取って何も聞かずに「ハイどうぞ!!」と怒鳴って切り、また僕に向き直って「だから、何で・・・」と言った。
僕は思わずその先を遮って、「分かってるよ!」と顔を背けた。もうすぐみんなが来ちゃうじゃないか。っていうかどうしてお前だけ先に来るんだよ!・・・と、僕の肩をつかむその手が濡れていることに気づき、ああ、もしかしてトイレ行ってただけだったのか。
「だってさ、お前」
「うるさいな、分かってるって!どうせ、棒読みだとか死んだ魚みたいだとか言うんだろ!?」
「し、死んだ魚とは・・・」
「だから嫌だったんだって!いいよいいよ、お前らみたいにうまくは歌えないよ!」
これでも十分うまく歌えたと思ったけどね!
「べ、別にうまいとかじゃなくて、だって」
「いろいろ言わなくて結構だよ。世の中には歌が下手な人だっているんだから、そっとしとけ!」
「だから下手とかそういう・・・」
「次元じゃないんだろ?もういい、俺帰る」
「ま、待てって!!」
別に、歌をけなされたことを怒ってるんじゃない。
ただ、聞かれたことが恥ずかしくて、どうしていいかわかんなくて、いたたまれないだけだ。
ドアを開ける僕を黒井が止める。腕を強く引かれて、振りほどき、またつかまれる。
何だか、前もあったな、こんなこと。
まったく、僕はいつもこうだ。クロのこと、気まぐれだのわがままだの言えないな。感情に流されて、・・・しかも、本当の気持ちじゃなく、隠したり取り繕うために怒ってみたりして、みっともないったらない。でも素直にはなれなくて、笑いながら「あ、聞かれちゃった?恥ずかしいな」なんて、僕が言えるわけもないし!
「離せって!」
「ちょ、ちょっと、何で怒るんだよ!」
「いいんだよ、もう、とにかくいいんだ、帰る!」
「帰るなって!ちょ、も、もっかいやってよ。<愛してる>のとこだけ」
「だ、だ、誰がやるか!」
「ねえ、お前の愛してるって、そんななの?ねえ、そうなの?」
「な、何言ってんだ、余計なお世話だ、っていうか<そんななの>とは失礼な!」
「いや、ご、ごめん、でも・・・」
「何が気に食わないんだよ!もうほっといてくれ!」
そして空気が揺れて、ドアが開き、先導してきた菅野が「あ、あれ・・・」と固まった。
「あ・・・、菅野さんごめんね。俺ちょっと気分悪いから、帰るよ。ほんと、気にしないで、あとはみなさんで・・・」
「おい、勝手に帰るとか何言ってんだ」
「え、えっと、二人とも、どうしました・・・?」
「ほんと、何でもないから、空気悪くしてごめんね」
「おい、俺との話が終わってないよ。愛してるってちゃんと言えって」
「・・・っ、いや、は、あの・・・」
「別に俺、いいだのだめだの言ってないだろ?ただもっかいちゃんと・・・」
「く、クロ、ちょっと待て」
「愛してるって、そこだけでいいから」
「違う、違う、そうじゃないって・・・!」
「じゃあ何だよ」
「み、みなさん困ってるだろ!事情がわかんないんだから、い、意味不明だろ!」
「みなさんのことなんか関係ない!俺とお前だけの話だ」
「・・・あ、あの、黒井さん・・・?」
「なに?今日はまだ蹴ってないし、いや、もうちょっとわかんないこと言い出したら、蹴るかも」
「え、えっとその、蹴っちゃだめだけど、あの、何が・・・」
「気にしないでいいよ、こいつの愛してるに感情がこもってなさすぎるってだけだから」
「おい!やっぱりそう思ってたんじゃないか!」
思わず周りが見えなくなって、キレた。
いや、キレてもいいかなって、はは、何か、もういいかなって。
「感情がこもってなくて悪かったな!昔から、こうなんだよ!どうやったってわかんないんだよ!」
「わかんないとか、そんなのないって。だって気持ちじゃん。だって、その、感じ、それだけじゃん!」
「ああ、お前はそうだろうよ、でも俺は出来ないんだ。あれが精一杯、っていうかあれだって、本当は十分良かったって思ってる!」
「・・・そうなの?」
「・・・そうだよ」
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「へっ?」
「あ、どうぞ、みなさん座って?俺一曲歌ってもいい?」
「・・・そ、それは、いいですけど」
「えっと、黒井です。こっちがやまねこ、じゃない、やまねこうじ。よろしく」
菅野と他三名が苦笑いで顔を見合わせている。そりゃそうだろう。黒井は気にせずリモコン画面を手に取って、菅野を引っ張り、「ねえこれやって」と。
「え、えっと、歌手名か曲名は・・・」
「うーん、曲名」
「何てやつですか、始まりは・・・」
「えっとね・・・」
カラオケ的行為が淡々と行われているせいで、半ば強制的に全員がソファに座った。そして僕は知らない男女三名から、意外と気安く「痴話喧嘩っすか?」「蹴られちゃうんですか」「感じ方は人それぞれですから」と、軽妙な慰めを頂いた。ああ、半分金髪っていうかピンク髪もいて、主張の激しい服を着ていて、もうまったく別の世界の若人たちだ。じゃあもういいや。
「あの、勘違いしないでほしいんだけど、歌の話だから」
「え、そうなんすか?」
「そう、歌詞の話だからね。歌詞」
「ああ、なるほど。お二人で歌うんですか?」
「え、いや、まさか」
「いえ、うちらもね、よく合わせるんですけどねー、やっぱ、相手の歌い方にいろいろ言い始めると、ね、終わりやもんね」
「そうなんですそうなんです。お互い尊重するっていうか、理解っていうか、もう、ここまで来るとなに、慈愛?」
「あは、ほんまそうやわ!」
みんなにつられて笑ったところで黒井がボリュームをぐいと上げ、画面を見ると、うわ、なに、B'zとか歌っちゃうわけ?
「えー、これ知らない」
「アルバム曲じゃない?」
タイトルは<泣いて泣いて泣きやんだら>。ゆっくりめのギターで始まって、前奏中から黒井は「yeah~~!」と叫び、一同「うわ」「すご」「稲葉さんや」と。
座って足首を膝に乗せ、腕も組んだまま、軽く頷いてリズムを取りながら。
・・・。
一番を歌い切って、間奏で、おおーっと声が漏れる。
ロックな感じじゃなくて、ブルース調っていうのか?
僕の感覚でいえば、何度か高い声は上に突き抜けすぎたし、出だしが遅いところもあったけど、でもそんなことは何の関係もない。
うん、分かってるよ。僕のは音符を正確になぞっただけの声であって、歌じゃない。
そしてそれを、お前に聞かれて恥ずかしくて、・・・でも、たぶん本当は、ああ、「それでもいい」って言って欲しかったんだ。お前の歌を聴いていたらそれが分かった。昨日散々泣く前に「泣いていい」って言われたように、今もそう言ってほしかっただけ・・・。
ああ、もしかしてそれで、<泣いて泣いて泣きやんだら>?
俺に、何か伝えようとしてる?
うん、でも、分かってるよ。どうしてお前はそんなふうに機械的に歌うんだって、感情はどこへやったんだって言いたいんだろ?でも、感情はちゃんとあって、ちゃんとお前のこと愛してるって思いながら歌ったんだよ。でもその気持ちが、歌っていう行為にうまく乗っからないんだ。音の高い低いとタイミングばかりが気になって、いつだって正しさを遂行することしか頭になくて、・・・でもそういうのが僕だし、ああ、本当はそのまま、欠点だって泣き顔だって見せちゃって、「ちゃんと言え」って言われて抱かれたいんだ。
・・・・・・・・・・・・・・
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黒井と僕はまた隅っこで場末のスナックになって、歌い終わった黒井が僕の烏龍茶を取り上げてぐいと呷った。口元を手首で拭いて、「・・・ね、どうだった?」と。
な、何て言えばいいんだよ!
「あの、それは、すごく・・・」
「うん?」
僕の声が小さくなるので、黒井が気持ち、こちらに寄る。
「いや、だから、えっと・・・」
「え?」
みんなの絶叫がこだまして、僕たちは完全に昭和生まれ組で隔離されている。黒井がさらに顔を寄せるので、「・・・その、とても、うまかった」と言ったけど、でもぜんぜん聞こえてない。
「ええ?」
「だから!」
「うん?」
何も聞こえないので苦笑いして、顔を見て、声は出さずに口の動きだけで、伝えた。絶対分からないように、本当の気持ちを。
<おまえのこと、すきだ>
「・・・ええ?」
首を傾げて眉根を寄せる黒井に、今度は分かりやすく、<あ、り、が、と>と告げた。単語を理解した黒井が、<でもなんで?>と反対側に首を傾げる。
ようやく絶叫が止んで、適度な余韻を残したメロディーだけが響いた。
「だって、その、昨日のこと・・・だろ?」
「うん・・・気にすんな」
「・・・うん」
前かがみになって氷だけになった烏龍茶のグラスを揺らしてかき回す黒井のことを、かっこいいと思う自分と、でも、ふと、ものすごく近くに感じている自分がいた。このくらいの距離が当たり前で、毎日一緒にいるのが当たり前で、心の繊細な部分とか、弱いところを見せ合って、それをお互いに慰めるのも当たり前で・・・。
家族でも恋人でもないのに、どうしてこんな・・・あれ、おかしいな。今まで、<友達>にしてはここまでする?っていうような行為をふつうの顔でしながら、それを噛みしめて、特別なんだって心の中で満足して、思い出しては嬉しくなっていたのに。
でも、何か、今はどうも違う。
勝手に恋人気取り?
ううん、それもちょっと違う。
恋人として、なれなれしく肩を引き寄せてキスしたいとか、そういうのじゃない。もちろんしてほしいけど、でもそこがメインじゃない。
どうしてだろう、二人が、俺たちが、一緒にいて、一緒に何かをするのは当たり前で、その中で、さっきみたいにお互いの苦手やトラウマや小さなひだなんかをちゃんと拾って、すりあわせていって、そんなことをするのが当然と思っている。野球のバッテリーとか、ダブルスのペアだとか、この若人たちのように二人で歌うとき、相手を思いやり、我慢しつつもよい結果を求めて高め合う、慈愛の域に達した、・・・パートナー?
胸が、どきんとした。
心の半分はやっぱりまだ下心でいっぱいだけど、でも残りは、恋心というよりも、パートナーとしての、責任だったり覚悟だったり、感謝だったり、信頼だったり・・・。
どうしよう、何かものすごく、しっくりくるんですけど。
ねえ、俺がお前のこと、そういう風に思っても、いい?
アトミクをやるパートナー、共同研究者兼、共同冒険者?・・・そんな存在だって、登録申請しちゃっていい?
・・・・・・・・・・・・・・
一通り歌い倒した若人たちと飲み物をリモコンで再注文して、ちょっとした歓談タイム。「自主練だから気にしないで」と、菅野だけが例のセトリをまだ迷って、控えめに歌い続けている。
「前はバンドやってたんですけど、やっぱ、方向性の違いってやつで」
ピンク髪の女の子は<ルーコ>と名乗った。芸名というか、歌うときのハンドルネームのようなものらしい。
「だよね、結局一人の方が楽ってのもある、けど、でもやっぱ誰かとやりたいって気持ちもあるよね」
金髪だけど常識的な<マサユキ>、通称<ゆっきい>。
「本当はねー、楽器もいろいろやりたいし、セッションもしてみたいね。まあ、うちキーボードしかでけへんけど」
そして関西弁の小柄な女の子<マイティー>。
つい、将来は音楽で食べていくって考えてるの?なんて上から目線の面接官みたいな質問を発しそうになってしまう。彼らが僕の年になるまで七年も八年もあるんだから、それだけあれば働き方も、人と音楽の関わり方も全く変わっていくだろう。もうカセットテープの始まりの空白を鉛筆できゅるきゅる巻き取る時代じゃないんだ。
「どこで録音とかしてるの?スタジオ、とか?」
一応無難そうな質問をしてみる。撮った歌をネットで発表しているらしい。
「あー、うちは宅録ですよ。おかんにめっちゃ怒られながら。ってか、うちが歌うと近所の犬が一緒に歌うねん!」
カラカラと楽しそうに笑う。何か、若いなあ。黒井が新人たちと過ごして感じたことが、少し分かった。
「スタジオはねー、やっぱ高いし、でもそう思うと余計気負っちゃって声出なかったりして、宅録のがいいかもよ」とゆっきぃ。
「でも、マイティは、何だかんだで家族の理解があるから出来るんですよ。私なんて今勘当寸前ですからね。それどころじゃないですよ」
ふ、ふ、と低い声で自嘲気味に笑うルーコは、三人の内輪じゃなく僕と黒井を交互に見て話しかけてくれる。ああ、ホント、若くてピンク髪でもコミュ力高いなあ。
「勘当って、なんかあったの?」
黒井が訊くと、「まあ、アレですよ、父親が大学行けってマジギレするっていう、お約束の」と。瞬間、黒井の父親のことを思い出してちょっとどきっとする。でも黒井は気にしていないようで、「えー、そんなんルーコの自由じゃん。キレる意味わかんない」と、おい、もう呼び捨て?
その後も音楽談義は続き、ふだん接することのない人種と話して、新鮮だった。いつもなら興味もないんだけど、アトミクを始めようとしている今は、何かに打ち込む彼らの話が意外と参考になる。ネット上で目立つためにマーケティングを学んでいるとか、新しいコラボを常に模索しているとか、テクニック的なことを学びつつも、本来の音楽への情熱を忘れないよう、ヨガをしたり博物館へ行ったりしてクリエイティブな感覚を養っている、だとか。
いろいろ、考えてるんだ。
やはり若者らしくバイトに追われてそれどころじゃない時期の方が多かったりするらしいが、それでも彼らの前には常に音楽がある。僕たちには、物理の、何があるんだろう?
カラオケを出たら、「モモさんとお洋服見に行くんです」と、みんなとはあっさり別れた。未成年だからなのか、飲み会そして二次会とは流れない。メアドだなんだの交換会にもならない。若者の何とか離れというやつ?
結局菅野には「ライブ、誘ってね」の一言も言えないまま別れてしまった。元はと言えば菅野の誘いだったのに歌の感想なんかもろくに伝えられず、っていうかそもそもは黒井を誘ったのに二人で話せるよう気も遣えなくてちょっと申し訳ない。今なら、少なくとも菅野に対してなら嫉妬の気持ちもそれほど感じないのに。
そして、しかし、当たり前のように、黒井と歩いている。
少し小雨になって、傘にも飽きたらしく捨ててしまって、濡れながら。
無言、だった。
頭の内側はまだぐわんぐわんと音が響く感じで、外の、開けた空と開けっぴろげな空間との間で、少し耳鳴りがするような気がした。
どこに行くの、とは、訊かない。
僕だって少し、歩きたい気分だ。
ただ何も言わず、お前にあわせて少しゆっくりめに、気が向くまま。
それでもぼうっとして、つい歩みが速くなって、何度か立ち止まって待った。黒井が追いつくたび、ほんの少し肩や腕が当たって、それはたぶん、特に言葉にはならない「よう」とか「うん」とかいうスキンシップ。分からないほど微かに頷いて、また歩き始める。
結局新宿三丁目まで歩いて、都営新宿に乗った。ホームで初めて、口を利く。
「・・・眠い」
僕は少し笑って、「帰ろう」と言った。
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少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。
ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。
だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
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