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恋のキューピッドは、敵に塩と夕飯セットを送る
第97話:敵に塩以上を送る
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祝日。何だか火曜日に家にいるのが不思議な感じがする。落ち着かなくて、洗濯と風呂掃除とトイレ掃除と、靴磨き。洗濯機が乾燥に入ると、暖かくて、寄り添って本を読んだ。
といっても何をいってるのかほとんど分からないから、斜め読み。ブラックホールの地平面がホログラフだとか、書いてある。真ん中は、特異点なんだって。ふーん、とっても興味深い・・・っていうか、そもそもブラックホールって、何?穴じゃないの?物体なの?
僕は新しく買ったノートを広げて、最初のページに<ブラックホールについて>と書いた。 何かを知るにあたり、その膨大な量の知識全般を一気に漁るのは、とても無理だ。とりあえず何か一つトピックを立てて、それに関する資料を集めてひとまず専門用語などに慣れ、そこから基礎固めに移り、その後トピックに戻って理解を深め、そしていよいよ本題を決めていく。まず、何か一つの、取っ掛かりが必要だ。
ブラックホール、というだけでもまだ広い気がした。もっと限定しないと、まだまだ知識が広範すぎて集めきれそうにない。マニアックでも、限定されすぎていてもいい。もうちょっと絞れないか。
<ブラックホールについて>の下に、<ブラックホールとホログラフィ原理>とサブタイトルを書く。・・・これがいったい何なのか、書きながらも意味不明だ。トピックとして成り立っているのかどうかすらよく分からない。それでも、先入観は捨てることだ。全てが手探りなのだから、現時点での判断は不要。
気持ちが逸っている、と分かってはいたが、トピックが決まってしまえば体がうずうずした。本を一冊まず読み通そうと思ったのに、<ブラックホール>の文字を求めてつい先を急いでしまう。・・・しかし、変に何かの知識だけ先に得るよりも、むしろ何も知らないまま事に当たった方がいいか?確かヴォルフガングが言っていた。これからの物理をやるにあたり、今までの物理学を知らない者の方がむしろ有利かもしれないぜ。ただし、それが成功する保証にはならないがね。
鶏肉を焼いて遅めの昼食にし、さっさと洗って、外出した。
スーパーで買出し。二階の衣料品売り場で靴下を買った。ああ、そろそろ髪も伸びてきたな。切りに行くのって好きじゃないんだけど、これ自分で何とかならないかな。
ついでに二階の隅にある書店、というか雑誌コーナーに立ち寄った。500円のムック本で、<相対性理論がみるみるわかる>という冊子があったので、つい手に取ってみる。本当にてっきとうなイラストがついているが、一応まともそうだ。ぱらぱらめくっていると、ブラックホールの記述に当たった。ああ、アインシュタインの相対性理論にブラックホールはくっついてくるんだな。しかも、<ブラックホールで時間が凍る>という項目があったので、早速買い求めた。ブラックホールで時間が静止することって、そんなにメジャーな知識だったのだろうか?
両手に荷物を抱えて、そのまま図書館へ向かった。老人と子どもでいっぱいだったが、誰もいない理学書コーナーではじっくり棚を見ることが出来た。
アインシュタインの相対性理論に関する本は当然のことながらたくさんあった。しかし相対性理論をマスターしている暇はない。基礎からじっくり固めるんじゃなくて、まずは偏った一つでいいのだ。
僕は敢えて雑多な、物理というか科学一般の中から<ブラックホール><ホログラフ>のキーワードを拾い、何冊か借りることにした。<超ひも理論への招待>は専門的すぎたし、<ホログラフィック・ユニバース>はいささか精神世界に入り込んだ怪しげなものだったが、それはそれだ。<ホーキング、宇宙を語る>も一緒に借りて、いったん帰るのも面倒なので隣の喫茶店へ・・・と思ったが、スーパーの袋の中の鮭のことを思い出してやめた。いくら寒くても、やはり冷蔵庫、いや冷凍しておかなくては。
帰り道でふと、黒井はちゃんと食べてるかな、と思った。このまま行って、何かまともなものを作って食わしてやりたい。風呂もまた洗ってやらなくちゃ。部屋を掃除して、布団も干して・・・そんなことを考えていたら、冷たいものが頬に当たった。思わず空を見上げると、小雪がちらついていた。また?どおりで寒いわけだ。
またお前は屋上へ行っちゃったかな、風邪引くなよ、と思いつつ帰宅した。そういえばうちのマンションに屋上なんかあるのか?犯罪のにおいがしないところに好奇心などわかないから、必要最低限の範囲以外は、この周辺も、駅の周辺も知りはしないのだった。迷子になった黒井のほうがむしろ詳しいかもしれない。
部屋で暖房を入れ、コーヒーを淹れてふせんを用意した。こうなってしまえば仕事みたいなもので、ひたすらに事務作業だ。ページをめくる、キーワードを探す、ふせんを貼る、貼る、貼る・・・。そうしたらコンビニまで行って今度はコピー。次に、コピーした用紙の該当箇所に蛍光ペンを引きながら何となく字面を追う。理解しなくていいから単語のイメージだけ。
その後は一服して、コンビニで買ってきたドーナツを食べた。食べながら、もっとも易しそうな<相対論がみるみるわかる>のアホっぽいポンチ絵を眺める。残念ながらこれを今の僕の基本としなければならないようだ。
図入りで、平易な言葉で書いてあるそれを基準に定め、まずはそれを読み込んだ。<ブラックホールとホログラフィ>を理解するにあたって集めた資料のうちの、一番簡単そうなもの。取っ掛かりのトピックの中の、取っ掛かり。広範な地図ではなく、まずは、駅から家までのルートだけ分かればそれでいい。最短ルートでなくたって、せめて迷子にならない道を覚えること。家と駅を往復できれば、いつの日か東京を歩けるようになる。電車に乗って、新宿で乗り換えだって出来るかもしれない。まあ、いつかの話だけど。今はまだマンションの屋上どころか、部屋の配置すら分からない状態なんだから。
・・・何だ、しかし、こんなものでももう眠くなってくるな。ちょっとだけ昼寝しちゃおうかな、なんて。ああ、時間が足りない。明日からまた仕事なんて憂鬱だ。今日が木曜ならやる気も出るのに、あと水、木、金と三日間も行かなくちゃならないんだ。祝日は嬉しいけど、逆に次の日が億劫になるんだよな…。あ、だめだ、もう眠い。集中力はここまでだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
たかだか本を借りてきてコピーをとっただけで、さも<勉強>したような気になってしまうところがこの方法の悪いところだ。いや、別に方法というほどの何ってわけじゃないけど、まあ僕が昔からやっている、山猫メソッド?大げさか。昔のノートには、RPGの攻略から始まって、ミステリ本のまとめとか、警察機構や鑑識のことや、死体のことなんかが山ほど書かれているはずだ。もうあまり覚えてないし、どっかへやってしまったけど。
夕飯はラーメンで済ませて、風呂に入った。そういえば昼寝の間、ブラックホールの時間を線で表した図が頭の中をうねっていた。点が線になり、二本の線がやがてくっついて、一本になればそこは特異点。風呂の湯を手のひらで揺らして何となく戯れ、ぐにゃりと歪む自分の下半身を見ながらやっぱり黒井のことを考えた。
…どうして、こんなに好きなのかな。
それもノートにまとめたら、分かるんだろうか。
一人の人間が好きで、好きすぎて、きりきりするような毎日。いったいいつまで続くんだろう。こんなの、人生で初めてじゃないだろうか。もしそうなら、これからどうなってしまうのか予測することだって出来まい。ラプラスの悪魔。
・・・ん?さっき本のどこかで出てきたのかな。理解していなくても、触れ続けていれば脳みそが勝手に覚えてくれることもある。うん、これから毎日きちんと時間を取って続けなきゃな。
・・・ああ、好きだなあ、とまた思った。
一緒にいたいし、触れたいし、その先まで。
またいろいろ思い出して、腹は透けるし心拍数は上がる。だめだ、またのぼせちゃうな。さっさと上がって、身体が温かいうちに寝ることにした。その前にちょっと妄想することは、自分に許す事にした。
・・・・・・・・・・・・・
<相対論がみるみるわかる>を読みながら出勤。時間と空間は、重力によってゴムシートのように伸び縮みすることを何となく理解し、新宿で降りる。ゴムシートにバレーボールを置いたらたわむが、ボーリングの球、あるいはもっともっと、ものすごく重いものを置いたら破れるんじゃないか、というのがブラックホールらしい。やっぱり穴なのか?とも思うが、穴というか、その重いものと、そのせいで破れたシートで起こっている事象をまとめてブラックホール、ってことらしい。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
制服姿の菅野は相変わらず十五分前には席についていた。
「どう、順調?」
「え、あ、はい。おかげ様で」
「そりゃ良かった」
宇宙の極上ミステリのおかげで、何だか余裕。二月十四日がどうした。宇宙では時間が凍ってるんだ。
「でも・・・今度は違う問題があって」
「え、どうしたの」
「あの、当日・・・いったいいつ渡せばいいと思います?いつ、どこで?」
「え・・・別に、朝だって、いつだって」
「こ、ここで?みんなの前で?」
「あ、そうか」
パソコンを立ち上げながら、確かにそれもそうかと思った。下駄箱も校門もないんだし、席に行って手渡すか、机に置いておくかしかないか・・・。五時で帰る菅野は、僕みたいに帰りがけに捕まえることも出来ないんだし。いつ終わるかわからない残業を待っているってのも大変すぎる。
「どうしたらいいと思います?あたしが帰るときちょうどすれ違っちゃうかもしれないし・・・たとえ廊下でばったり会えても、夕方結構人がいるじゃないですか。帰社してくる人たちと、17時上がりの女の子たちと・・・」
「・・・ふうん、意外と二人っきりになって渡せるタイミングってないもんだね」
「感心してる場合じゃなーい!」
「でも僕には関係なーい!」
菅野はちょっとびっくりして、でもすぐに笑ってまた僕の腕を叩いた。
「山根さん、おちゃめなこと言ってる場合じゃない!ちゃんと助けて!」
「知らないよ、そこまで面倒みきれません」
「お願い!山根さんにもちゃんとチョコ用意したから、ね?」
「・・・」
え、そうなの?
何だろ、百パーセント義理でも、やっぱりちょっと嬉しい。
「あ、いらない?いらないか・・・」
菅野は肩をすぼめて下を向いてしまった。冗談めかして、というより、本当に恥ずかしそうに。
「い、いや、いりますいります。くれるなら下さい」
「ふふ、なーんだ。それならあげます。だから早く、どうにかしてください」
「どうにかって、なあ・・・」
全く、女の子はめげないなあ。
僕はパソコンのTODOリストを立ち上げ、黒井の予定表を盗み見た。十四日は、まあ通常どおり外回りの顧客名がいくつか。遠方でもないからそれほど帰社は遅くないだろうが、ここに入れてる予定自体適当というか、ころころ変わることが多いから、それほど当てにならない。
その他は、セミナーが一件。・・・うん?デモセミナー?ああ、確かこないだメールで来てたやつ、かな。
メールの案内を読み返す。バージョンアップ版の変更点を説明する社内セミナーが今週から、金曜に三週連続で開かれるらしい。営業、SSともに、そのどれかに参加せよとのこと。ああ、僕は来週でいいやって思ってたやつだ。あいつは今週出るのか。時間は、夕方の17時半から18時半、場所はセミナールームAにて、講師は小嶋さん。
「・・・これだ」
「え?」
「17時半からだって。ってことはさ、17時くらいには帰ってくるってことでしょ。そしたら、半まで少し待ち時間が出来る。ま、もちろん出先で何かトラブったりしたらそれどこじゃないけど、普通にいけばさ、この辺でちょっと、連れ出せるかもよ」
「え、え、それって、いい感じってことですか!?」
「た、たぶん」
「つ、連れ出すって、どこへ、どうやって?」
「ううん、それは知らないけど」
「山根さーん」
「ああ、セミナールームの方のさ、応接スペースとか」
「え、給茶機のあっち側?あたし入ったことなくて」
「あ、そう?」
「あの、後で連れてって下さい」
「ええ?・・・ま、まあいいけど」
そして朝礼が始まり、しばらくは朝の連絡事項などで過ぎていった。九時半頃になって少し手が空いて、はあ、敵に塩どころか米も釜も、茶碗に箸まで送ってるけど、大丈夫かな。
といっても何をいってるのかほとんど分からないから、斜め読み。ブラックホールの地平面がホログラフだとか、書いてある。真ん中は、特異点なんだって。ふーん、とっても興味深い・・・っていうか、そもそもブラックホールって、何?穴じゃないの?物体なの?
僕は新しく買ったノートを広げて、最初のページに<ブラックホールについて>と書いた。 何かを知るにあたり、その膨大な量の知識全般を一気に漁るのは、とても無理だ。とりあえず何か一つトピックを立てて、それに関する資料を集めてひとまず専門用語などに慣れ、そこから基礎固めに移り、その後トピックに戻って理解を深め、そしていよいよ本題を決めていく。まず、何か一つの、取っ掛かりが必要だ。
ブラックホール、というだけでもまだ広い気がした。もっと限定しないと、まだまだ知識が広範すぎて集めきれそうにない。マニアックでも、限定されすぎていてもいい。もうちょっと絞れないか。
<ブラックホールについて>の下に、<ブラックホールとホログラフィ原理>とサブタイトルを書く。・・・これがいったい何なのか、書きながらも意味不明だ。トピックとして成り立っているのかどうかすらよく分からない。それでも、先入観は捨てることだ。全てが手探りなのだから、現時点での判断は不要。
気持ちが逸っている、と分かってはいたが、トピックが決まってしまえば体がうずうずした。本を一冊まず読み通そうと思ったのに、<ブラックホール>の文字を求めてつい先を急いでしまう。・・・しかし、変に何かの知識だけ先に得るよりも、むしろ何も知らないまま事に当たった方がいいか?確かヴォルフガングが言っていた。これからの物理をやるにあたり、今までの物理学を知らない者の方がむしろ有利かもしれないぜ。ただし、それが成功する保証にはならないがね。
鶏肉を焼いて遅めの昼食にし、さっさと洗って、外出した。
スーパーで買出し。二階の衣料品売り場で靴下を買った。ああ、そろそろ髪も伸びてきたな。切りに行くのって好きじゃないんだけど、これ自分で何とかならないかな。
ついでに二階の隅にある書店、というか雑誌コーナーに立ち寄った。500円のムック本で、<相対性理論がみるみるわかる>という冊子があったので、つい手に取ってみる。本当にてっきとうなイラストがついているが、一応まともそうだ。ぱらぱらめくっていると、ブラックホールの記述に当たった。ああ、アインシュタインの相対性理論にブラックホールはくっついてくるんだな。しかも、<ブラックホールで時間が凍る>という項目があったので、早速買い求めた。ブラックホールで時間が静止することって、そんなにメジャーな知識だったのだろうか?
両手に荷物を抱えて、そのまま図書館へ向かった。老人と子どもでいっぱいだったが、誰もいない理学書コーナーではじっくり棚を見ることが出来た。
アインシュタインの相対性理論に関する本は当然のことながらたくさんあった。しかし相対性理論をマスターしている暇はない。基礎からじっくり固めるんじゃなくて、まずは偏った一つでいいのだ。
僕は敢えて雑多な、物理というか科学一般の中から<ブラックホール><ホログラフ>のキーワードを拾い、何冊か借りることにした。<超ひも理論への招待>は専門的すぎたし、<ホログラフィック・ユニバース>はいささか精神世界に入り込んだ怪しげなものだったが、それはそれだ。<ホーキング、宇宙を語る>も一緒に借りて、いったん帰るのも面倒なので隣の喫茶店へ・・・と思ったが、スーパーの袋の中の鮭のことを思い出してやめた。いくら寒くても、やはり冷蔵庫、いや冷凍しておかなくては。
帰り道でふと、黒井はちゃんと食べてるかな、と思った。このまま行って、何かまともなものを作って食わしてやりたい。風呂もまた洗ってやらなくちゃ。部屋を掃除して、布団も干して・・・そんなことを考えていたら、冷たいものが頬に当たった。思わず空を見上げると、小雪がちらついていた。また?どおりで寒いわけだ。
またお前は屋上へ行っちゃったかな、風邪引くなよ、と思いつつ帰宅した。そういえばうちのマンションに屋上なんかあるのか?犯罪のにおいがしないところに好奇心などわかないから、必要最低限の範囲以外は、この周辺も、駅の周辺も知りはしないのだった。迷子になった黒井のほうがむしろ詳しいかもしれない。
部屋で暖房を入れ、コーヒーを淹れてふせんを用意した。こうなってしまえば仕事みたいなもので、ひたすらに事務作業だ。ページをめくる、キーワードを探す、ふせんを貼る、貼る、貼る・・・。そうしたらコンビニまで行って今度はコピー。次に、コピーした用紙の該当箇所に蛍光ペンを引きながら何となく字面を追う。理解しなくていいから単語のイメージだけ。
その後は一服して、コンビニで買ってきたドーナツを食べた。食べながら、もっとも易しそうな<相対論がみるみるわかる>のアホっぽいポンチ絵を眺める。残念ながらこれを今の僕の基本としなければならないようだ。
図入りで、平易な言葉で書いてあるそれを基準に定め、まずはそれを読み込んだ。<ブラックホールとホログラフィ>を理解するにあたって集めた資料のうちの、一番簡単そうなもの。取っ掛かりのトピックの中の、取っ掛かり。広範な地図ではなく、まずは、駅から家までのルートだけ分かればそれでいい。最短ルートでなくたって、せめて迷子にならない道を覚えること。家と駅を往復できれば、いつの日か東京を歩けるようになる。電車に乗って、新宿で乗り換えだって出来るかもしれない。まあ、いつかの話だけど。今はまだマンションの屋上どころか、部屋の配置すら分からない状態なんだから。
・・・何だ、しかし、こんなものでももう眠くなってくるな。ちょっとだけ昼寝しちゃおうかな、なんて。ああ、時間が足りない。明日からまた仕事なんて憂鬱だ。今日が木曜ならやる気も出るのに、あと水、木、金と三日間も行かなくちゃならないんだ。祝日は嬉しいけど、逆に次の日が億劫になるんだよな…。あ、だめだ、もう眠い。集中力はここまでだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
たかだか本を借りてきてコピーをとっただけで、さも<勉強>したような気になってしまうところがこの方法の悪いところだ。いや、別に方法というほどの何ってわけじゃないけど、まあ僕が昔からやっている、山猫メソッド?大げさか。昔のノートには、RPGの攻略から始まって、ミステリ本のまとめとか、警察機構や鑑識のことや、死体のことなんかが山ほど書かれているはずだ。もうあまり覚えてないし、どっかへやってしまったけど。
夕飯はラーメンで済ませて、風呂に入った。そういえば昼寝の間、ブラックホールの時間を線で表した図が頭の中をうねっていた。点が線になり、二本の線がやがてくっついて、一本になればそこは特異点。風呂の湯を手のひらで揺らして何となく戯れ、ぐにゃりと歪む自分の下半身を見ながらやっぱり黒井のことを考えた。
…どうして、こんなに好きなのかな。
それもノートにまとめたら、分かるんだろうか。
一人の人間が好きで、好きすぎて、きりきりするような毎日。いったいいつまで続くんだろう。こんなの、人生で初めてじゃないだろうか。もしそうなら、これからどうなってしまうのか予測することだって出来まい。ラプラスの悪魔。
・・・ん?さっき本のどこかで出てきたのかな。理解していなくても、触れ続けていれば脳みそが勝手に覚えてくれることもある。うん、これから毎日きちんと時間を取って続けなきゃな。
・・・ああ、好きだなあ、とまた思った。
一緒にいたいし、触れたいし、その先まで。
またいろいろ思い出して、腹は透けるし心拍数は上がる。だめだ、またのぼせちゃうな。さっさと上がって、身体が温かいうちに寝ることにした。その前にちょっと妄想することは、自分に許す事にした。
・・・・・・・・・・・・・
<相対論がみるみるわかる>を読みながら出勤。時間と空間は、重力によってゴムシートのように伸び縮みすることを何となく理解し、新宿で降りる。ゴムシートにバレーボールを置いたらたわむが、ボーリングの球、あるいはもっともっと、ものすごく重いものを置いたら破れるんじゃないか、というのがブラックホールらしい。やっぱり穴なのか?とも思うが、穴というか、その重いものと、そのせいで破れたシートで起こっている事象をまとめてブラックホール、ってことらしい。
「おはようございます」
「あ、おはよう」
制服姿の菅野は相変わらず十五分前には席についていた。
「どう、順調?」
「え、あ、はい。おかげ様で」
「そりゃ良かった」
宇宙の極上ミステリのおかげで、何だか余裕。二月十四日がどうした。宇宙では時間が凍ってるんだ。
「でも・・・今度は違う問題があって」
「え、どうしたの」
「あの、当日・・・いったいいつ渡せばいいと思います?いつ、どこで?」
「え・・・別に、朝だって、いつだって」
「こ、ここで?みんなの前で?」
「あ、そうか」
パソコンを立ち上げながら、確かにそれもそうかと思った。下駄箱も校門もないんだし、席に行って手渡すか、机に置いておくかしかないか・・・。五時で帰る菅野は、僕みたいに帰りがけに捕まえることも出来ないんだし。いつ終わるかわからない残業を待っているってのも大変すぎる。
「どうしたらいいと思います?あたしが帰るときちょうどすれ違っちゃうかもしれないし・・・たとえ廊下でばったり会えても、夕方結構人がいるじゃないですか。帰社してくる人たちと、17時上がりの女の子たちと・・・」
「・・・ふうん、意外と二人っきりになって渡せるタイミングってないもんだね」
「感心してる場合じゃなーい!」
「でも僕には関係なーい!」
菅野はちょっとびっくりして、でもすぐに笑ってまた僕の腕を叩いた。
「山根さん、おちゃめなこと言ってる場合じゃない!ちゃんと助けて!」
「知らないよ、そこまで面倒みきれません」
「お願い!山根さんにもちゃんとチョコ用意したから、ね?」
「・・・」
え、そうなの?
何だろ、百パーセント義理でも、やっぱりちょっと嬉しい。
「あ、いらない?いらないか・・・」
菅野は肩をすぼめて下を向いてしまった。冗談めかして、というより、本当に恥ずかしそうに。
「い、いや、いりますいります。くれるなら下さい」
「ふふ、なーんだ。それならあげます。だから早く、どうにかしてください」
「どうにかって、なあ・・・」
全く、女の子はめげないなあ。
僕はパソコンのTODOリストを立ち上げ、黒井の予定表を盗み見た。十四日は、まあ通常どおり外回りの顧客名がいくつか。遠方でもないからそれほど帰社は遅くないだろうが、ここに入れてる予定自体適当というか、ころころ変わることが多いから、それほど当てにならない。
その他は、セミナーが一件。・・・うん?デモセミナー?ああ、確かこないだメールで来てたやつ、かな。
メールの案内を読み返す。バージョンアップ版の変更点を説明する社内セミナーが今週から、金曜に三週連続で開かれるらしい。営業、SSともに、そのどれかに参加せよとのこと。ああ、僕は来週でいいやって思ってたやつだ。あいつは今週出るのか。時間は、夕方の17時半から18時半、場所はセミナールームAにて、講師は小嶋さん。
「・・・これだ」
「え?」
「17時半からだって。ってことはさ、17時くらいには帰ってくるってことでしょ。そしたら、半まで少し待ち時間が出来る。ま、もちろん出先で何かトラブったりしたらそれどこじゃないけど、普通にいけばさ、この辺でちょっと、連れ出せるかもよ」
「え、え、それって、いい感じってことですか!?」
「た、たぶん」
「つ、連れ出すって、どこへ、どうやって?」
「ううん、それは知らないけど」
「山根さーん」
「ああ、セミナールームの方のさ、応接スペースとか」
「え、給茶機のあっち側?あたし入ったことなくて」
「あ、そう?」
「あの、後で連れてって下さい」
「ええ?・・・ま、まあいいけど」
そして朝礼が始まり、しばらくは朝の連絡事項などで過ぎていった。九時半頃になって少し手が空いて、はあ、敵に塩どころか米も釜も、茶碗に箸まで送ってるけど、大丈夫かな。
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