黒犬と山猫!

あとみく

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「本番」第二章~決着へ

第83話:お前と寝たい

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 淡々と仕事を終えて、まだ少し痛む膝を引きずって、帰りにまた本屋に寄った。
 水を使う犯人はやっぱり<ロスト・シンボル>で、僕が絞った二つのうちの一つが消え、たぶん答えは<ハンニバル>で決まりだ。しかしこうして見ると、<ミレニアム>も<黄金を抱いて翔べ>もみんな、昔のトラウマにとらわれた人たちだな。親に裏切られたり、大切な人を失ったり・・・。別にそういう人が犯罪に走るって意味じゃないけど、しかしそれでも、この世界ではない、この枠組みではないどこかへの切符を手にした人たちなんだろう、きっと。まともに月曜から金曜があって、朝起きて夜に眠って、そういうところじゃない場所へ一度行ってしまったら、こんな虚構は信じられなくなる。何だか、僕にもそんな記憶があるような気もしたけど、そんな劇的な人生は送ってないから、犯人にも主人公にもなれない平凡な脇役だ。だから、死体の第一発見者で十分なんだってば。
 本屋を出て、帰路についた。まずは帰って、まともなものを食べよう。何も考えず、材料とコンソメをぶっこんだスープでも作って、あったまるんだ。僕は電車で立ったまましばらく寝て、座っても寝て、ふと目を開けて、自分の駅で慌てて降りた。

 帰宅すると、玄関にリュックがあった。あれ、そういえば僕は昨日持って帰ってきたんだっけ?脇のポケットに、落としたはずのペンライトとマイナスドライバーが入っていた。ああ、もしかして今朝黒井が持ってきたのか。
 鍋に適当に切った残り物をつっこんで、しかし味付けしようとしたらコンソメがキューブ一個しかなかった。何だこれ、どうすべき?仕方なく火を止めて、コンビニまで買いに行った。寒いし、風が強い。巻いたカシミアをぎゅっと握って、少し気分が落ち着いた。
 コンビニで急に思い立って、ウイスキーを買った。コンビニで、こんな、何百円かで買えちゃうんだな。銘柄はさっぱり分からなかったけど、あの、みーちゃんのベンチコートに入っていたスキットルに入る分くらいの大きさの瓶を選んだ。細長いコンソメ一箱と、外国っぽいウイスキーひと瓶をレジに置いて、何となくおかしかった。小さなレジ袋に同居したそれらの違和感に笑いが込み上げつつ、再び家に帰った。
 スープをコンソメのみで、力任せな味付け。繊細さとかはないけど、十分美味しくなるから悔しい。熱が引いてからこっちの、馬鹿みたいな食欲はふいにおさまっていて、僕はスープだけで満足して、鍋と食器を洗ってウイスキーを移し替えた。
 このまま寝ると朝まで、いや、タイムリミットである昼まで起きなさそうだったので、重い体を引きずって外に出た。最低限だけナップザックに詰め替えて、困ったら困ったでいいやと思って、何だよ、本番の最終ステージにそれでいいのか、お前の本気はそれかと自分に叱咤されながら、それでも家に引き返すことはしなくて、現場に着いた。
 軍手をはめて門扉を、うう、もう軽々とは乗り越えられない。昨日、というか今朝はよく大丈夫だったな。いろいろ麻痺してたんだろう。こことここが痛むだろうな、と明確に想像しながら力を込めるとまさにそこに響いて、うん、こういうのって考えない方がいいんだろう。降りるとき膝にきて、尻もちをついた。いたた、ああ、座ったら、起き上がれないのに。
 四つん這いになり、歯を食いしばって、意志の力で立ち上がった。何だ、この本気。笑えた。僕の人生の本番の本気は、ただの寝不足と、ちょっとひねった膝をかばって立ち上がるために浪費され、歩き出したら、もうすっからかんだった。
 それを補ってくれるような気がして、ポケットから例の銀を出してウイスキーを一口呷った。・・・うわ、きつい。効くな、おい。アルコール四十度は伊達じゃない。余計にふらついてくる気もするけど、連日の寝不足と緊張と日常の繰り返しで、もうすでにふらふらだからもう同じだ。これ以上悪くはなるまい。
 おぼつかない足取りで、しかし体が覚えている通用口に向かい、階段を苦労して上がった。ライトを用意して、ドアからすべりこむ。・・・と、靴に何かの感触。何か蹴っ飛ばした?え、罠?
 とにかく音がしないようじわりとドアを閉じて、ライトを消して耳を澄ませた。もうサバイバルゲームにはついていけそうもないけど、無理矢理体が緊張状態になる。十秒、二十秒・・・何の音もしないし、気配もない。
 意を決してライトをつけ、床を照らした。左右に舐めるように照らしながら進むと、何か、あった。小さな塊・・・毛が生えた・・・ああ、狼だ!
 瞬間緊張し、ライトを正面に向けて襲撃に備えた。・・・誰もいない。もう一度狼を照らすと、何か、折りたたんだ紙が胴体に巻きつけてあった。え、まさか果たし状?
 ・・・果たし状って何だよ、とひとり笑って、もう一度辺りを窺いつつ、狼を手に取った。折りたたんだコピー用紙が輪ゴムで巻きつけられていて、開くと印刷された文面。何だ、脅迫状か?それとも怪盗の予告状?


<山猫 様

     休戦協定のお知らせ

 拝啓 時下、ますますご清祥のことと存じます。さて、休戦する。期間:夜明けまで。
 地下のベッドで寝てるから、来てください。ただし、何も喋らないこと。
                            平成二十六年二月一日未明
        
             株式会社***
              東京支社                   黒犬>


 ・・・。
 ・・・休戦?
 っていうか。
 ・・・ベッド?
 僕はライトを一度消し、もう一度つけてそれを読み返した。
 ・・・お前、会社の共有フォルダのひな型、上書きしてないだろうな?まあ、保護がかかってるから大丈夫か・・・なんて現実的な心配をよそに、心臓は高鳴っていく。目は見開いたまま紙の上をさまよう。休戦?ベッド?寝てる?・・・おい。
 さ・・・誘われてるのか?
 わ、罠?まんまと誘惑に引っかかるのか?どうする?
 でも、ああ、まずは駒を取らなきゃいけないんだし。
 そうだ、駒はたぶん昨日、あの半地下のゴミ置き場みたいなとこで落として、きっと狼に拾われていて。
 ああ、猫は捕まってるのか。
 どうしよう。休戦?信じていいのか?っていうか・・・。
 今の僕には、<ベッド>の三文字があまりに甘美な響きで、内側からとろけそうで、もう、やっぱり、だめだった。僕は拾った狼を握りしめて、幽鬼のようにライトをふらつかせながら廊下を進み、手すりにつかまりながら、階段を下りた。


・・・・・・・・・・・・


 例の、搬入口の、半地下。
 明かりが、ともっていた。オレンジの光の元は、小さなロウソク一本。おい、火事にでもなったらどうするんだ。
 段ボールを敷き詰めたらしい床に、白いシーツが敷かれていた。ベッドというにはあまりに簡素。それでも、・・・やはりベッドだった。いや、ロウソクのせいで何かの儀式の場にすら見える。その真ん中に、丸くなった狼が寝ていた。
「・・・」
 静かな寝息が聞こえた。ロウソクの減り具合からそれほど時間が経っていないことが分かる。分かるよ、五分もしないで寝れるよな、今の寝不足の僕たちなら。
 地下への階段を静かに下り、昨日と同じ埃っぽいにおいをかいで、やはり罠だったかなと少し思った。でも、それでもいい。僕だって、寝たいんだ。眠い、眠いよ。頭の芯がろくな思考を紡がないよ。僕はナップザックをおろして、ライトもドライバーも持たず、ウイスキー片手にその寝床へと歩いた。何かに当たる。何だ、靴?ああ、一応土足厳禁なのね。
 僕を翻弄し、場を支配してきた王に近づく。このやろう、昨日はよくもここでいたぶってくれたな。・・・手加減してくれてたけどね。もっと容赦なくてもよかったのに。
 僕は靴下の足で、その尻だか太ももだかのあたりを揺さぶった。すぐには気づかない。夢も見ないで落ちてるんだろう。
 やがて黒井は「んん・・・」とうなって、腕を上げ、枕元を探る。目覚ましが鳴ったと思ってるのか?そっちはロウソクだよ、おい、倒れる!
 黒井の上に覆いかぶさって、その手首をつかんだ。何の上に立ててるんだこのロウソク?どちらにしても布のシーツと段ボールでは危なすぎる。
「あ・・・」
「しぃーっ」
 空気が揺れて、炎と世界がゆらめく。手首をしっかりつかんだまま、ゆっくりとその腕を手前におろし、床に押しつけた。まったく、寝ぼけて手が届くようなところにロウソクを置くなよ。
 まるで組み敷いてるみたい、と思いつつ、黒井が何度かまばたきして僕を認識するのを待った。
「ねこ・・・来たんだ」
 僕は例の<休戦のお知らせ>を出して、もう一度「しぃー」と、人差し指を口に当てた。
 しかし黒井は「もういいよ」と言った。
「・・・?」
「もういいじゃん。書いたけど、何かお前が来たら、どうでもよくなっちゃった」
「・・・、な、何だよ」
 僕はあわてて、乗っかっていた黒井から飛び退く。その場に座り込んで、「なんだよ」と繰り返した。何だか、一気に緊張が解けて、突然、今という瞬間が何なのかよく分からなくなる。誰と、誰と何を喋ってる?
「・・・もう、眠くて!」
 黒井が言う。場違いな大声で。あわてて僕はまた「しぃー」と人差し指を出す。ひそひそ声で、怒鳴りつけた。
「声が大きい!っていうか、自分で決めたことだろ!」
 それに対して、黒井は声をひそめもしない。
「えー、だってさ、もう限界だよ。俺、全然寝てないんだ」
 分かってる。分かってるよ、そんなこと。でも、だからって、<本番>ではそんな言い訳、誰も聞いてくれないだろ?幕が開いた舞台で居眠りするやつがどこにいる。
 しょうがないからもう僕も普通の声。久しぶりに喉が震えて、自分の声じゃないみたい。
「お、俺だって寝てないよ。でも、人生の本番なんだろ?自分で言ったんじゃないか」
「そうだけど!でももう、体が、動かない!」
 横たわったままの黒井は、腕をだるそうに持ち上げたが、ぱたんと落ちた。もう目も閉じてしまって、僕を見もしない。
「そ、それでも頑張れよ!もうちょっとだろ!」
 いったい僕は誰に何の説教をしてるんだ。何だかよく分からなくなる。ふいに、忘年会の夜、桜上水の駅前で吐いた黒井に「そんなこともあるよ」と励ましていた自分を思いだし、ちょっと、笑えた。思えば、誰だお前っていう自分が跋扈し始めたのは、あの時からか。
「だってさ・・・」
「本当の、本気の本番なんだろ?人生かけるんだろ?眠いからって、誰も待ってはくれないんだぞ」
「・・・誰もって、だれ?」
 ・・・。
 まあ、誰と言われれば、他には、いないわけで。
「そりゃ、俺、だけど」
「じゃあ待ってよ。お前が待つって言ったらそれでいい話じゃん」
「そういう問題じゃないって、だから・・・」
 黒井はぐんにゃりとしたまま体を起こし、重い瞼を何とか開いてほとんど睨みつけるように僕を見た。
「おまえが・・・」
「え?」
「だから、お前も寝ればいいって話だよ!一緒に寝て!」
 抱きつかれて、倒されそうになる。ひい、腹が透けるけど、僕だって眠いせいで誘惑と戦う。だめだ、僕はそんな、本番の途中で寝るような、そんな適当さは許せないんだ!
「お、俺は寝ないよ!離せ!」
「やだ!」
 もみ合いになるけど、寒いし、手に力が入らない。押し退けて、つかまれて、あ、だめだ、ロウソクが倒れるって!
 とっさに手を出して、溶けたロウが手にかかる。あわてて引っ込めそうになるのをこらえて、そのまま炎を、ロウソクごと握りつぶした。一瞬で世界が暗闇になり、熱いのか冷たいのか痛いのか、痺れるような感覚が、手のひらと、手の甲に遅れてやってきた。何で軍手を外しちゃったんだ。肝心なときに準備した装備が役に立たないなんて、本当に悔しくなる。使うべきところで使うべきものをしっかり役立てたいだけなのに。
 僕が息をついて、一時停止ボタンを押したみたいに止まっていた二人の体が動き出す。さっきまであった炎が網膜に焼き付いていて、青緑にチカチカした。
「だ・・・だいじょぶだった?」
 黒井が控えめな声を出す。だいじょぶじゃないよ、溶けたロウがシーツにこぼれたよ。きっとカピカピになっちゃって、洗ってもどうしようもなくなる。この寒さできっと既に固まり始めてて、そのイメージとともに、僕の手のロウに触れた部分も、そこだけじんじんと痺れ始めた。
 ・・・まあ、いいか。
 別に、シーツなんて、捨てちゃえば。
 みんな捨てちゃえばいいんだ。ロウソクだって燃えるゴミに出しちゃえばいい。みんなみんな袋に詰めて、分別なんかくそくらえで、どっかへ放り投げたらいい。こんなとこにロウソクを置くから面倒が増えるんだ。置くならもっと固定したり、燭台を買うとか、やりようがあるだろ!何でそこまで考えない?やりたいことだけさっさとやって、あとはどうするつもりだったんだ?・・・全部自分で綺麗に整えられないなら、もう俺の知ったこっちゃない。お前が寝たいなら、寝ればいいんだ。もう僕の秩序の外側だ。好きにすればいい、もう、ルールも約束も知ったことか。僕には今出来ることだけが出来て、出来ないことは出来ないんだ!
「大丈夫じゃないよ、熱いよ。火傷した。ヒリヒリしてきた。でもそんなことはどうでもいい。そんなことはどうでもいいんだ」
 暗闇で言葉を紡ぐ。耳を塞ぎながら喋ってるみたいな感じで、内側に響いて、誰に言ってるのかよく分からない。目もチカチカしてるし、お前と、どういう姿勢になってて、どこがどう触れあってるのかもよく分からなかった。体の感覚がなくて、ただ火傷の皮膚の表面だけが、そこに何か貼り付いてるみたいに感じた。それは痛みというより、毒のあるナマコだかなめくじみたいなものが這ってるから取らなくちゃ、という感じだった。
「あ、あの、俺・・・ごめん」
 黒井の声がどこかからする。あれ、そっちにあったの、頭?もっと正面にいるんだと思ってた。
「・・・いいよ、もう。俺だって、眠いんだ」
「・・・やっぱり」
「そうだよ。眠いよ。こんなとこにベッドなんか作って、卑怯だ」
「だから、寝ようって」
「だめだ、俺は、お前みたいなヘタレじゃない!」
「な・・・」
「ちゃんとやるんだよ、分別だって何だって、きっちりやりたい!でも、お前がいつもぐちゃぐちゃに」
「そ、そんなこと、気にしなけりゃいいだけじゃんか。勝手に気にして、余計なもの抱えて、怪我してりゃ世話ないよ!」
「う、うるさいな!ちゃんとしてなきゃ、おかしくなるだろ」
「もう十分おかしいよ!」
「・・・っ、だ、だからこそ、もっと、ちゃんと」
「うるさい、バカ!」
 何だかぎゅうと抱きしめられて、でも、違う!今はそうしてほしいんじゃない、離せって!思いきり抵抗して、その腕の中から出て、でもまた引っ張られて、一瞬止まった。
「もう、俺と、寝ろよ!」
 ・・・っ。
 ・・・。
 もがいてる手が止まって、その言葉が闇に反響する。
「・・・俺と、寝てくれ。今、ここで」
「・・・」
 ・・・頭が、真っ白だ。そんな真剣な声で、そんなせりふ、僕に、言ってるの?
「・・・そ、そんな、こと」
「・・・」
「お、俺を丸め込もうとしたって、そ」
「俺は本気だよ。本気の本番で言ってるんだ。ここでお前と寝なきゃ、きっと俺はもうもたない。一分一秒、無駄には出来ない」
「・・・」
「・・・押し倒してでも、そうするよ」
「・・・」
「お前が、うんって、言ってくれなきゃ」
「・・・」
「気絶させてでも、そう、するよ」
「わかったよ!俺だってな、俺だって・・・」
「・・・」
「さっきから、もうずっと!」
「・・・」
「正直に言う!お前と寝たくて、しょうがないよ!!」
 僕は黒井に抱きついて、そのままの勢いで後ろに倒れた。笑いだか何だかがこみあげて、「もう寝よう、今すぐ寝よう」と二人で言い合った。「眠いよ、もうだめ!」「休戦!」「おやすみ!」「さよなら!」
 二人で抱き合って暖をとりながら、でももう、目を閉じたらすぐ、ああ、吸い込まれる・・・。
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