黒犬と山猫!

あとみく

文字の大きさ
上 下
64 / 382
女の子から突然告白されてどうしよう

第64話:「黒井くんの彼女」ごっこ

しおりを挟む
 病院を出てしまうと、もうやることもなかった。すがりついて土下座してでも一緒にいてほしいけど、でもそういうことじゃない。開き直って、したいこと、しちゃおうかとも思うけど、いったい何がしたいのか、よくは分からなかった。
 駅までのタクシー乗り場には五人ほど並んでいて、タクシーはいなかった。少しだけ先延ばし、出来たかな。
「全然来ないね」
「そう、だね」
「ねえ、少し、歩こっか」
「・・・」
 この辺の地理なんか知らないし、歩いて駅まで何分かかるのかも分からないけど・・・そのことには何も触れないで、歩きだした。もう、迷子になって、次元に穴でもあいて、異世界にでも飛んでいけばいい。そうでないなら、これが、最後かも、しれなかった。
 ・・・彼女でも、ないし。付き合っても、いないんだし。だからわざわざ別れたりは、しないけど。でも、このまま、<ただの同僚>に戻っていくことは、十分にあり得ることだった。朝は頭がおかしかったからあんなこと、平気でしちゃったけど。
 何てこと、しちゃったんだろう。
 こないだのあれは、まあ、生理的な、そういうことかもしれないけど。
 僕が告白された女の子にされたことを、黒井がされる理由なんてあるはずもなくて。本当は、嬉しくないどころじゃなかったんじゃないだろうか。
 うん。
 訊く勇気がないから、何も言わないまま、うやむやにしようとしている。でも、僕は僕の意志で、やりたいことをやったんだ。会社も他人も関係なく、身体がおかしくなっていたわけでもなく、どんな状況にも流されなかった。僕じゃない僕、でもなかった。たとえ今思い出してぞっとしてみたって、でも確かに、あれは僕で、あれが僕の行為だった。言い訳も後悔もない。これ以上どうしようもない。
 だから、今度は黒井がしたいようにしてくれたらいい。駅までたどり着いたら、その時は。
 ごく普通の同僚の顔で、「じゃ、お大事にね」って、見送って、くれて・・・うん、それで、いいんだ。
「・・・何かさ、気持ちいいね」
「そうだね、晴れてるし」
 病院から適当に、方向の見当すらつけずに歩き出すと、何かの開発予定地のような空き地が続く一帯に出た。だだっ広くて、少し向こうには川なんか見えたりして、日差しの暖かさが、確かに気持ちいい。
「この辺、まだこんなだったのか」
「そのうちショッピングモールでも、出来るのかね」
「ああ、そうかもね」
 ゆっくりと、他愛ない会話をして歩いた。鳥のさえずりなんかがして、本当に、まったりしている。何もかも忘れて、ちょっとした遠出気分だ。
 ああ、本当に、気持ちいいな。
 駅に着くまでは、もう、全部忘れよう。同僚になるのはそのあとでいい。今は、仲のいい親友同士だ。三十分?一時間?タイムリミットは近いんだ。もう、したいこと全部、人もいないし今のうちに!
「ねえ、ねこさ」
 先をぶらぶら歩いていた黒井が、ちょっと振り向いて僕を待った。
「なに?」
「ちょっと、俺の彼女、やってみない?」
「・・・へっ?」
 僕は今さっきの決意のまま、妙なアクセントの裏返った声で「いいよ?」と言った。

「じゃあ、ほら」
 ・・・。
 黒井が左手で僕の右手をとった。普通の繋ぎ方じゃなくて、いわゆる、恋人繋ぎ、って、やつ?
「・・・え」
 指をそれぞれの指の間に入れて握り、そのまま黒井のダッフルコートのポケットへ。
「こんな感じ?」
「・・・そ、そ、そうじゃない?」
 もう、だめ。だめ。
 は、腹がもたない。
 ひゅうひゅう透けて、風穴開いて、たぶんスカイダイビングみたい。
 た、たかが手を繋いで、その手がポケットに入っただけなのに。
 そ、それだけで?
 そのまま歩くペースは更にゆっくりなぐらいで、うららかな日差しの中、誰もいない道を歩く。
「あっ、あの、く、・・・くろいくん?これって、どういう・・・」
 あ、黒井くんとか呼んじゃった、ベ、別に彼女になりきってるとかじゃないんだけど、なんか・・・。
「デートだよ、デート」
「はっ、はい・・・」
 たぶん心拍数が二倍くらいになってる。あ、焦りすぎだって分かってるけど、声の震えも止まんないし、足が痺れた時みたいに、ちょっとでも刺激を与えたら、ぎゃーーってことに、なっちゃいそうだ。
 こ、腰が、抜ける・・・。
「ねえ、彼女とはどんな話をすればいいの?いい天気だってことはもう言っちゃったけど・・・」
「え、え、えと・・・」
 そんなこと、わかんないよ!・・・い、いや、焦って分かんないんじゃなくて、今本気でわかんないよ。彼女と?何を話すか?そんなこと言われても、普段お前と何を話しているかさえ、思い出せないよ!
 で、でも、何か言わなきゃ!
「け・・・」
「うん?」
「け、け・・・血液検査の話」
「・・・ええ?」
「う、うそだよ、血液型のはなし!」
「ああ、なるほどね。そういえばお前の血液型、知らないね」
「そ、そうでしょ?」
 これ、ずっと、手は繋いだままなの?このまま歩くの?もうぞわぞわしてきて、普通に歩きたい!っていう衝動と、でも、このままでいたい!っていう欲望が、・・・結局欲望が勝つんだけど。
「・・・で?何型なの?」
「お、俺?び、Bだよ」
「B型?」
「うん」
「俺も」
「え・・・ほんとに?」
「ほんとだよ。でも何か、全然違うね。だってお前、細かいし、綺麗好きで理屈っぽいし、A型って言われるでしょ」
「よく言われる。でもBなんだ。・・・お前はまあ、そうっぽいね」
「マイペース?」
「う・・・うん」
 別に、血液型占いとか、だからどうした、とは思うけど、今まで生きてきた経験と感覚からは、違和感しか感じなかった。黒井のマイペースは、何だかきっと僕と違う。
「でもさ、同じ血液型だって、別に意味ないよね。二人ともBですって言われたって、何も、ないし」
「・・・ゆ、輸血が、できるよ」
「え?・・・ああ、そうか」
 黒井がポケットの手を少しぎゅっと握り、少し腕に力を入れて更に僕を引き寄せた。車が一台、通り過ぎた。見たところ通行人はいないけど、でも、こんなに寄り添って歩いたりして、それが世界に丸見えで、もう目をつぶって、顔を両手で覆ってしまいたくなった。いや、片手しか使えないけど・・・。
「じゃあ今、俺が車に轢かれても大丈夫なんだ」
 そう言って黒井は少しずつ車道へ寄っていく。
「だ、大丈夫とかじゃないよ。別に、そういうことじゃないって・・・ほら、そっち行くな」
 今度は僕が歩道側に引っ張る。でも繋いだ手に力が入らなくて、よけいくっつくだけだった。
「あ、あの、おれ、もう恥ずかしいんだけど・・・!」
「何が?」
「これ・・・」
「じゃあ違うことする?」
「な、なに、それ」
 黒井はポケットの手を出して離すと、街路樹の下で立ち止まり、僕をこちらに向かせた。
「・・・え」
 僕は一瞬黒井の顔をまともに見て、それからすべるように目を逸らす。な、な、何か、嫌な予感。
「あ、あの・・・」
 急に立ち止まって、何となく流れていた空気も止まる。また一台車が通り過ぎて、しゅううん、というタイヤの音とともに去っていく。そのあとは、誰も来なかった。僕はひたすらに車道の向かいの歩道のガードレールとか、向こうの空き地の建設計画の看板とかを見ていた。どんどん、どんどん腹の中心から同心円で緊張が広がって、全身を覆っていく。
 そして。
 黒井が、半歩前に出て、僕に顔を近づけてきた。不意打ちなんかじゃなくて、ゆっくり、確信的に・・・。僕は目を逸らしたまま固まる。あ、あ・・・。
 ほんの気持ち、反射的に後ろに引いて、も、もう、半分、目を閉じて、周りの景色も見えなくなって、息を止めた。
 目を、閉じた。キス、されてしまう。
 ・・・。
 突然両肩をどん、と叩かれ、「ひい」と飛び上がった。
「あ・・・あははは!だめ。だめだよ、出来ない!こんなの、無理だって・・・ははは!」
 黒井は腹を抱えて笑った。声が青空と野っぱらに響き渡る。
「・・・な」
「だって、だってさ・・・!ひひひ、おれ、やっぱ無理!」
「・・・な、何だよ。お、お前が勝手に・・・!」
「彼女とか・・・だって、違うもん!」
 僕の顔を見てまた吹き出す。
「あ、当たり前だろ!!」
「でもさ、だって・・・お、俺、合ってたでしょ?頑張ったもん。ひ、ひい、おかしい。でも、雰囲気、出てたでしょ?」
「・・・ふ、雰囲気は出て、た、けど!そ、そういう問題じゃないよ、相手が俺なんだから!」
「そうだよ、お前にさ、あんなこと、無理無理・・・!!」
 黒井は手をぶんぶん振って、「ないない」と笑った。・・・そ、そうでしょうよ。なくて当たり前だよ。
 ・・・トイレでは、したくせに、さ。
「いやあ、だめだった」
「だ、だから当たり前だって・・・」
 笑いがいったんおさまって、「はあ」と一息つくと、黒井は言った。
「今よく分かったよ。お前はそういう相手じゃない。こんなことする相手じゃないんだよ・・・」
 そう言って、またこみ上げた笑いをこらえることなく、本当に楽しそうに笑った。僕はゆっくりと歩き始め、「そうだよ、そりゃ、そうだよ・・・」とつぶやいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

義兄に寝取られました

天災
BL
 義兄に寝取られるとは…

私の彼氏は義兄に犯され、奪われました。

天災
BL
 私の彼氏は、義兄に奪われました。いや、犯されもしました。

高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる

天災
BL
 高校生の僕は、大学生のお兄さんに捕まって責められる。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。 ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。 だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。

部室強制監獄

裕光
BL
 夜8時に毎日更新します!  高校2年生サッカー部所属の祐介。  先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。  ある日の夜。  剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう  気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた  現れたのは蓮ともう1人。  1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。  そして大野は裕介に向かって言った。  大野「お前も肉便器に改造してやる」  大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…  

白雪王子と容赦のない七人ショタ!

ミクリ21
BL
男の白雪姫の魔改造した話です。

処理中です...