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実事求是真凶手(真犯人)
152:斬釘截鉄(二)
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そして吾太雪が今日いまに至るまで監禁されるきっかけとなった日のこと。
またもたった一人で山へ妖邪退治に出かけた瞋九龍を追って、彼は門弟たちと共に彼の手助けに向かった。
その日の敵はただの妖邪ではなく、神獣になり損ねた蛟の怪物だったのだ。
いかに英雄といえどたった一人で立ち向かうには分が悪い――そう判断し、急遽瞋九龍の元に向かったのだった。
「ところが、我々が辿り着いたときに、既に瞋九龍は蛟を倒したあとだった。それで終わりならば良かったのだが、我々はとんでもないものを目にしてしまった」
瞋九龍が、倒した蛟を食っていたのだ。
普通の人間がそのようなことを容易くできるはずもない。
真っ赤に光る瞋九龍の瞳は、まさにそれを物語っていた。
「見てはいけないものを見てしまった。奴は人ではなかった! すぐに理解して儂は門弟たちを逃がそうとした。しかし……」
彼の表情が苦渋で満ちる。
瞋九龍の動きは恐ろしいほど素早く、吾太雪は手も足も出なかった。彼はすぐさま瞋九龍に取り押さえられ、門弟たちは吾太雪の命を救うために従わざるを得なくなってしまったのだ。
「彼らには本当に申し訳ないことをした……。儂がこうしていままで生かされていたのも、儂を人質にして彼らに言うことをきかせるためだったのだろう」
道理で、閉閑修行に入ったまま一向に出てこないわけだ。当人は瞋砂門の地下室に捕らえられていたのだから。出られるはずもない。
門弟たちは彼が捕らえられているがために、仕方なく『閉閑修行で山奥に籠もっている』などという嘘を言わねばならなかったのだ。
「瞋九龍は人ではない。……あれは獣そのものだ。我々が英雄と崇めていた火龍殺は、英雄などではなかった……!」
血を吐くように苦しい形相で吾太雪は低く叫んだ。
吾太雪から明らかにされたのは驚くべき事実だった。
何が起こったか。死体が消える話と瞋砂門の地下に積まれた白骨を見れば、何があったかは想像に難くない。
「私は彼の所業を見た。そしてそれを彼に見つかってしまった。ゆえに私はそのまま瞋砂門へと連れ去られ、地下室に拘束されていたのだ。……一体どれほどの時間であっただろうか……」
吾太雪は苦々しい表情で吐き捨てた。
「阿駄殿が国師殿に伝えたいと申されていた話を聞いて、なぜ奴がそのような所業をするのかようやく理解できた」
国師は吾太雪の話をじっと聞いていたが、彼から阿駄の名が出たことで僅かに震える。彼とてまさか五行盟盟主の手によって阿駄が命を落とすなど、考えてもみなかったのだろう。
「阿駄は……彼はなんと?」
震える声を懸命に耐えながら、国師は吾太雪に尋ねる。
彼の手には、吾太雪から託された阿駄の耳飾りが握られていた。鸞快子から阿駄とどのような状態で出会ったかを聞いている彼だけに、ある程度の覚悟はしていたはずだ。それでも、やはり実際に起こった事実を聞いた衝撃は計り知れない。
「彼が国師殿に伝えたかったこと。それは……『睡龍は眠らず、火龍は人の中にあり。五行盟の盟主、瞋九龍は人に非ず。彼は龍に支配されており、外見は人であるがその皮の中は火龍そのものである――』」
化け物じみた力を持っていると思ったものだが、当然だ。瞋熱燿に迫った凶悪な顔を煬鳳は思い出す。人を食わんばかりの形相だと思ったが、彼の正体が龍であるのならばあるいは……。
煬鳳はそこまで考えて、考えるのを止めた。
そんなことよりも、気になるのは瞋九龍は何者か、ということだ。
「でも、もしも瞋九龍が火龍だっていうなら、本当の瞋九龍は一体どうしたんだ? それに、実際に龍はこの地に眠っているからこそ、山があり谷がある。睡龍の影響によっていまも地震が起きているわけだしさ」
巨大な龍は事実この地に横たわっている。ほかならぬ瞋九龍が倒したからだ。それなのに、龍殺しの英雄である瞋九龍が実は龍だったなどというのは笑えない事実。
「恐らくは――」
皆が一斉に声の主、鸞快子を見た。
「恐らくははじめ瞋九龍は本当に火龍を倒したはずだ。だからこそ龍は倒れ伏し眠りについた。しかし、その意識は瞋九龍に乗り移り、彼の意識を侵食していった。……というのはどうだろうか? 時間をかけて瞋九龍の意識は完全に火龍のものとなる。そして、己の本体を目覚めさせるべく、行動を開始した」
つまり阿駄の言った言葉『外見は人であるがその皮の中は火龍そのもの』に他ならない、ということだ。皮肉なのは瞋九龍の一族である瞋熱燿や彼の父や祖父だろう。彼らは皆、瞋九龍の子孫でありながら火龍によって霊脈を封じられ、本来の力も発揮できぬまま日陰の者として過ごし続けていた。
そのうえ、彼らが一族の英雄だと尊敬していたはずのまさにその人が、諸悪の根源である火龍だったのだ。このような酷い話があっただろうか。
煬鳳は急に瞋熱燿のことが心配になって、彼を見た。
案の定瞋熱燿は青い顔で俯き震えている。暫くの間はこの事実を自分の中で消化させることに苦労するだろう。
「瞋九龍は……火龍は一体どうするつもりなのでしょうか? 龍の姿を取り戻してしまうのでしょうか。私たちにできることは何も残されていないのでしょうか……」
先ほどまで吾太雪の世話をしていた清粛が、悲痛な表情で言った。何かしらの力になりたいと、覚悟を決めて父や門弟たちと共に集まった彼ではあるが、いざ睡龍の地全体を覆うほどの巨大な火龍が蘇るかもしれないと聞けば、勝算はそう見いだせるものではない。
万事休すの状態に、どうして良いか分からないのだ。
「睡龍を鎮めるつもりだったのに、まさか頭はバッチリ目覚めてて、意気揚々と復活のために栄養を蓄えてるんだもんな。そりゃ、どうして良いか分からなくなるってもんだ。むしろ鎮めることなんかできるのか?」
彩藍方もまた、清粛と同様に勝算を見いだせていないようではあったが言葉とは裏腹に彼の口調はあっけらかんとしていて悲壮感はない。
「決まっている。火龍の心智の根源である瞋九龍を倒す――それしかない」
声の主へと視線が一斉に注がれる。
言ったのはもちろん――。
「鸞快子! 正気か!?」
これには彩藍方も驚いて彼に聞き返す。
煬鳳は実のところ……鸞快子なら言うだろうな……とは思っていたので、さして驚きはない。同じように考えていたであろう凰黎と視線を合わせ、肩を竦めた。
大地と同化している火龍と戦うことは不可能だ。目覚めてしまえば三州に跨がるほどの強大な龍と戦わなければならない。そして、龍の復活を止める為には、暗躍している瞋九龍を叩く以外の方法はないのだ。
「相手は火龍を倒した英雄……っても、中身は火龍なのか。とにかく奴は化け物じみた力を持ったとんでもない奴だ。鸞快子。あんたにには勝算があるとでも?」
「どの道やらねば睡龍の地だけでなく世界そのものが終わる。勝算があろうとなかろうと、やることに変わりはないだろう」
平然と言い切った鸞快子に彩藍方は返す言葉もない。
睡龍が目覚めれば、世界が終わる――。
それこそ、国師が受けた神託の通りになってしまう。
「逆に考えるんだ。いまならまだ火龍本体を相手にする必要がないんだ。どちらもとんでもない存在ではあるが、少なくとも完全に復活した火龍を相手にするよりは幾分かましではないか?」
比較する対象が間違っている!
誰もが心の中でそう思った。
しかしながら彼の言うことはもっともであり、人の姿をした瞋九龍と復活した火龍とを比べるのであれば、間違いなく瞋九龍を倒す方が数倍マシという結論になる。
結局誰一人鸞快子に異を唱える者はおらず、やるしかないという空気が漂う。
煬鳳はそれとなく集まった面々の顔を見た。
ここは蓬静嶺であるから、当然蓬静嶺の門弟たちは沢山いる。蓬静嶺が清林峰や彩鉱門を現在受け入れているということは、少なくとも彼らは瞋九龍とやりあうつもりなのだ。
彩藍方はやけくそ半分、逃げ腰半分。ただ、彩鉱門は龍の頭が眠る黒炎山を拠点としていた。このままおめおめ別の場所に逃げ出すとも考えにくい。
吾太雪は地下室から脱出したばかりでとても戦える状態ではないし、彼の門弟たちは彼が脱出したことを知らせない限りは瞋九龍の言いなりになるしかないだろう。
国師に戦いを強いることは無理だ。彼は神託を受け、国王に奏上することが彼の責務であり、戦うことはその範疇にない。国のため、世界のためにと従者一人だけ連れて不可侵の睡龍の地にやってきたことだけでも相当なものだ。
そんな彼に、戦いへの協力を求めるのは酷だろう。
彼には全てが終わったあと、睡龍の外に『危機は去った』ということを伝えて貰う役目もあるのだから。
玄烏門は……。
煬鳳は仲間の姿を一人一人思い出す。
「凰黎……」
堪らずに煬鳳は凰黎の袖を引いた。凰黎はいま、どのように思っているのだろうか。煬鳳の視線に気づいた凰黎は、穏やかな眼差しで彼に応える。
「玄烏門の方々の心配をしているのですか? 彼らの殆どは、五行使いではありませんから……瞋九龍と戦うために赴くのは荷が重いでしょう」
凰黎の言う通り、玄烏門の皆は前掌門と夜真を除いて五行の力を使わない。厳しい修行に耐え切ることが出来たのが、結果的に肉体が飛びぬけて強いものだったとか、元々そういった素養が無かった者たちが集まったから、というのもある。
しかし、どんなに肉体が強かろうと炎を操る火龍を前にして、それだけでは無力。
そして夜真は蓬静嶺の門弟である善瀧と二人、煬鳳にとっては凰黎との仲を取り持ってくれた恩人だ。悪戯に危険な目に遭わせたくはない。
煬鳳は否応もなく瞋九龍と戦う。
だから代わりに彼らくらいは玄烏門で門弟たちと共に留守を守っていて欲しい。
そう思うのは我が儘だろうか。
「瞋九龍と互角に戦うことのできる人物は本当に一握りです。それだって完全に互角とはいえないでしょう。なにせ彼は我々とは生きてきた年数が違うのですから」
「うん……」
「だからこそ、戦う者たちに悪戯に命を散らすようなことをさせてはいけません。瞋九龍と戦って、少なくとも持ちこたえることのできる精鋭だけを選ぶのが良いと、私は思います」
煬鳳は凰黎の言葉に心底安堵した。自分の考えを彼が理解してくれたような気がして、嬉しかった。
「どっちにしても、瞋九龍は吾谷主を追いかけてこっち来るんだろ? なら、俺たち彩鉱門も迎え撃つしかないだろ」
腹を決めたのか、彩藍方の言葉に躊躇いはない。
逆に彼が言い切ったことで、煬鳳は別の不安が押し寄せて彼に尋ねた。
「でも、お前んとこの掌門は? なんて言ってるんだ?」
彼は二公子ではあるが掌門ではない。この事態のなかで決断をできるのは、彼の所属する彩鉱門の掌門なのだ。
「ああ、それならさっき嶺主様と話をして……彩鉱門も一緒に瞋九龍を迎え撃つってことを言ってきたぜ。そろそろ彩鉱門も姿を見せる頃合いだろう、ってな」
「よく決断したな! 正直驚いたよ」
「瞋九龍とやりあうなら万晶鉱の宝器は必須だろ? それなのに俺たちだけ高みの見物をしてるわけにはいかないからな。――なにより、彩鉱門が隠れる発端になったあの一件。瞋九龍こそが眠れる火龍であるなら自ずと事情も見えてくる……ってな」
「あっ……」
彩藍方の指摘で煬鳳の脳裏にはあることが閃く。
(もしかして……瞋九龍は万晶鉱の宝器を恐れたのか?)
そうであるならば、確かに五行盟が……いや、瞋九龍が五行盟を利用して、宝器を扱うことのできる彩鉱門を滅門させようとした理由、その辻褄があうのだ。
「そうか……あいつは、もともと瞋九龍の持つ万晶鉱の槍に追い詰められた。だからこそ、他の門派の奴らが万晶鉱の武器を、宝器を持つことをよく思わなかったのか!」
「たぶんな。俺の推理、間違ってるか?」
「分からないけど、納得はできる!」
「だろ? だから、俺たちは奴と戦うべきなんだ。いまこそ」
そう言った彩藍方の眼差しは強く勇ましい。
その瞳は黒炎山の噴火のときに見た、決意の眼差しを思い起こさせる。
「そうと決まったら――っ!?」
不意に地面が揺れ、煬鳳の体の熱が急激に上昇した。あまりに突然のことで体を支えることもできずに煬鳳は崩れ落ちる。
「煬鳳!」
すぐさま凰黎が煬鳳を受け止めてくれたので事なきを得たが、上昇する体温と下げようとする凰黎の冷気とが拮抗して視界がぐるぐると回る。急激な体温の変化に体はついて行くことができず、嘔吐感が込み上げてきた。
「だ、大丈夫だ。すぐに落ち着くから……っ! それより……」
それよりも言わなければならないことがある。
いま何よりも大事なことなんだ。
煬鳳は歯を食いしばり、凰黎の襟を必死の思いで掴む。
「あいつは多分、黒炎山の火口に行く気だ。体が凄く熱い。きっと、龍の目覚めが近いんだ……!」
「なっ……」
凰黎が絶句し、煬鳳の様子を心配そうに見ていた面々もまた言葉を失った。
黒炎山の翳炎と繋がっている煬鳳だから分かる。
龍は封じられた黒冥翳魔の翳炎を養分として、睡龍の大地にすまう妖邪や人々の生気を糧にして、いま目覚めのときを待っている。
あとどれほどの養分があれば火龍が復活するのかまでは分からない。
しかし、確実のそのときは近づいている。
己の体が、上昇する体温が、そう告げているのだ。
またもたった一人で山へ妖邪退治に出かけた瞋九龍を追って、彼は門弟たちと共に彼の手助けに向かった。
その日の敵はただの妖邪ではなく、神獣になり損ねた蛟の怪物だったのだ。
いかに英雄といえどたった一人で立ち向かうには分が悪い――そう判断し、急遽瞋九龍の元に向かったのだった。
「ところが、我々が辿り着いたときに、既に瞋九龍は蛟を倒したあとだった。それで終わりならば良かったのだが、我々はとんでもないものを目にしてしまった」
瞋九龍が、倒した蛟を食っていたのだ。
普通の人間がそのようなことを容易くできるはずもない。
真っ赤に光る瞋九龍の瞳は、まさにそれを物語っていた。
「見てはいけないものを見てしまった。奴は人ではなかった! すぐに理解して儂は門弟たちを逃がそうとした。しかし……」
彼の表情が苦渋で満ちる。
瞋九龍の動きは恐ろしいほど素早く、吾太雪は手も足も出なかった。彼はすぐさま瞋九龍に取り押さえられ、門弟たちは吾太雪の命を救うために従わざるを得なくなってしまったのだ。
「彼らには本当に申し訳ないことをした……。儂がこうしていままで生かされていたのも、儂を人質にして彼らに言うことをきかせるためだったのだろう」
道理で、閉閑修行に入ったまま一向に出てこないわけだ。当人は瞋砂門の地下室に捕らえられていたのだから。出られるはずもない。
門弟たちは彼が捕らえられているがために、仕方なく『閉閑修行で山奥に籠もっている』などという嘘を言わねばならなかったのだ。
「瞋九龍は人ではない。……あれは獣そのものだ。我々が英雄と崇めていた火龍殺は、英雄などではなかった……!」
血を吐くように苦しい形相で吾太雪は低く叫んだ。
吾太雪から明らかにされたのは驚くべき事実だった。
何が起こったか。死体が消える話と瞋砂門の地下に積まれた白骨を見れば、何があったかは想像に難くない。
「私は彼の所業を見た。そしてそれを彼に見つかってしまった。ゆえに私はそのまま瞋砂門へと連れ去られ、地下室に拘束されていたのだ。……一体どれほどの時間であっただろうか……」
吾太雪は苦々しい表情で吐き捨てた。
「阿駄殿が国師殿に伝えたいと申されていた話を聞いて、なぜ奴がそのような所業をするのかようやく理解できた」
国師は吾太雪の話をじっと聞いていたが、彼から阿駄の名が出たことで僅かに震える。彼とてまさか五行盟盟主の手によって阿駄が命を落とすなど、考えてもみなかったのだろう。
「阿駄は……彼はなんと?」
震える声を懸命に耐えながら、国師は吾太雪に尋ねる。
彼の手には、吾太雪から託された阿駄の耳飾りが握られていた。鸞快子から阿駄とどのような状態で出会ったかを聞いている彼だけに、ある程度の覚悟はしていたはずだ。それでも、やはり実際に起こった事実を聞いた衝撃は計り知れない。
「彼が国師殿に伝えたかったこと。それは……『睡龍は眠らず、火龍は人の中にあり。五行盟の盟主、瞋九龍は人に非ず。彼は龍に支配されており、外見は人であるがその皮の中は火龍そのものである――』」
化け物じみた力を持っていると思ったものだが、当然だ。瞋熱燿に迫った凶悪な顔を煬鳳は思い出す。人を食わんばかりの形相だと思ったが、彼の正体が龍であるのならばあるいは……。
煬鳳はそこまで考えて、考えるのを止めた。
そんなことよりも、気になるのは瞋九龍は何者か、ということだ。
「でも、もしも瞋九龍が火龍だっていうなら、本当の瞋九龍は一体どうしたんだ? それに、実際に龍はこの地に眠っているからこそ、山があり谷がある。睡龍の影響によっていまも地震が起きているわけだしさ」
巨大な龍は事実この地に横たわっている。ほかならぬ瞋九龍が倒したからだ。それなのに、龍殺しの英雄である瞋九龍が実は龍だったなどというのは笑えない事実。
「恐らくは――」
皆が一斉に声の主、鸞快子を見た。
「恐らくははじめ瞋九龍は本当に火龍を倒したはずだ。だからこそ龍は倒れ伏し眠りについた。しかし、その意識は瞋九龍に乗り移り、彼の意識を侵食していった。……というのはどうだろうか? 時間をかけて瞋九龍の意識は完全に火龍のものとなる。そして、己の本体を目覚めさせるべく、行動を開始した」
つまり阿駄の言った言葉『外見は人であるがその皮の中は火龍そのもの』に他ならない、ということだ。皮肉なのは瞋九龍の一族である瞋熱燿や彼の父や祖父だろう。彼らは皆、瞋九龍の子孫でありながら火龍によって霊脈を封じられ、本来の力も発揮できぬまま日陰の者として過ごし続けていた。
そのうえ、彼らが一族の英雄だと尊敬していたはずのまさにその人が、諸悪の根源である火龍だったのだ。このような酷い話があっただろうか。
煬鳳は急に瞋熱燿のことが心配になって、彼を見た。
案の定瞋熱燿は青い顔で俯き震えている。暫くの間はこの事実を自分の中で消化させることに苦労するだろう。
「瞋九龍は……火龍は一体どうするつもりなのでしょうか? 龍の姿を取り戻してしまうのでしょうか。私たちにできることは何も残されていないのでしょうか……」
先ほどまで吾太雪の世話をしていた清粛が、悲痛な表情で言った。何かしらの力になりたいと、覚悟を決めて父や門弟たちと共に集まった彼ではあるが、いざ睡龍の地全体を覆うほどの巨大な火龍が蘇るかもしれないと聞けば、勝算はそう見いだせるものではない。
万事休すの状態に、どうして良いか分からないのだ。
「睡龍を鎮めるつもりだったのに、まさか頭はバッチリ目覚めてて、意気揚々と復活のために栄養を蓄えてるんだもんな。そりゃ、どうして良いか分からなくなるってもんだ。むしろ鎮めることなんかできるのか?」
彩藍方もまた、清粛と同様に勝算を見いだせていないようではあったが言葉とは裏腹に彼の口調はあっけらかんとしていて悲壮感はない。
「決まっている。火龍の心智の根源である瞋九龍を倒す――それしかない」
声の主へと視線が一斉に注がれる。
言ったのはもちろん――。
「鸞快子! 正気か!?」
これには彩藍方も驚いて彼に聞き返す。
煬鳳は実のところ……鸞快子なら言うだろうな……とは思っていたので、さして驚きはない。同じように考えていたであろう凰黎と視線を合わせ、肩を竦めた。
大地と同化している火龍と戦うことは不可能だ。目覚めてしまえば三州に跨がるほどの強大な龍と戦わなければならない。そして、龍の復活を止める為には、暗躍している瞋九龍を叩く以外の方法はないのだ。
「相手は火龍を倒した英雄……っても、中身は火龍なのか。とにかく奴は化け物じみた力を持ったとんでもない奴だ。鸞快子。あんたにには勝算があるとでも?」
「どの道やらねば睡龍の地だけでなく世界そのものが終わる。勝算があろうとなかろうと、やることに変わりはないだろう」
平然と言い切った鸞快子に彩藍方は返す言葉もない。
睡龍が目覚めれば、世界が終わる――。
それこそ、国師が受けた神託の通りになってしまう。
「逆に考えるんだ。いまならまだ火龍本体を相手にする必要がないんだ。どちらもとんでもない存在ではあるが、少なくとも完全に復活した火龍を相手にするよりは幾分かましではないか?」
比較する対象が間違っている!
誰もが心の中でそう思った。
しかしながら彼の言うことはもっともであり、人の姿をした瞋九龍と復活した火龍とを比べるのであれば、間違いなく瞋九龍を倒す方が数倍マシという結論になる。
結局誰一人鸞快子に異を唱える者はおらず、やるしかないという空気が漂う。
煬鳳はそれとなく集まった面々の顔を見た。
ここは蓬静嶺であるから、当然蓬静嶺の門弟たちは沢山いる。蓬静嶺が清林峰や彩鉱門を現在受け入れているということは、少なくとも彼らは瞋九龍とやりあうつもりなのだ。
彩藍方はやけくそ半分、逃げ腰半分。ただ、彩鉱門は龍の頭が眠る黒炎山を拠点としていた。このままおめおめ別の場所に逃げ出すとも考えにくい。
吾太雪は地下室から脱出したばかりでとても戦える状態ではないし、彼の門弟たちは彼が脱出したことを知らせない限りは瞋九龍の言いなりになるしかないだろう。
国師に戦いを強いることは無理だ。彼は神託を受け、国王に奏上することが彼の責務であり、戦うことはその範疇にない。国のため、世界のためにと従者一人だけ連れて不可侵の睡龍の地にやってきたことだけでも相当なものだ。
そんな彼に、戦いへの協力を求めるのは酷だろう。
彼には全てが終わったあと、睡龍の外に『危機は去った』ということを伝えて貰う役目もあるのだから。
玄烏門は……。
煬鳳は仲間の姿を一人一人思い出す。
「凰黎……」
堪らずに煬鳳は凰黎の袖を引いた。凰黎はいま、どのように思っているのだろうか。煬鳳の視線に気づいた凰黎は、穏やかな眼差しで彼に応える。
「玄烏門の方々の心配をしているのですか? 彼らの殆どは、五行使いではありませんから……瞋九龍と戦うために赴くのは荷が重いでしょう」
凰黎の言う通り、玄烏門の皆は前掌門と夜真を除いて五行の力を使わない。厳しい修行に耐え切ることが出来たのが、結果的に肉体が飛びぬけて強いものだったとか、元々そういった素養が無かった者たちが集まったから、というのもある。
しかし、どんなに肉体が強かろうと炎を操る火龍を前にして、それだけでは無力。
そして夜真は蓬静嶺の門弟である善瀧と二人、煬鳳にとっては凰黎との仲を取り持ってくれた恩人だ。悪戯に危険な目に遭わせたくはない。
煬鳳は否応もなく瞋九龍と戦う。
だから代わりに彼らくらいは玄烏門で門弟たちと共に留守を守っていて欲しい。
そう思うのは我が儘だろうか。
「瞋九龍と互角に戦うことのできる人物は本当に一握りです。それだって完全に互角とはいえないでしょう。なにせ彼は我々とは生きてきた年数が違うのですから」
「うん……」
「だからこそ、戦う者たちに悪戯に命を散らすようなことをさせてはいけません。瞋九龍と戦って、少なくとも持ちこたえることのできる精鋭だけを選ぶのが良いと、私は思います」
煬鳳は凰黎の言葉に心底安堵した。自分の考えを彼が理解してくれたような気がして、嬉しかった。
「どっちにしても、瞋九龍は吾谷主を追いかけてこっち来るんだろ? なら、俺たち彩鉱門も迎え撃つしかないだろ」
腹を決めたのか、彩藍方の言葉に躊躇いはない。
逆に彼が言い切ったことで、煬鳳は別の不安が押し寄せて彼に尋ねた。
「でも、お前んとこの掌門は? なんて言ってるんだ?」
彼は二公子ではあるが掌門ではない。この事態のなかで決断をできるのは、彼の所属する彩鉱門の掌門なのだ。
「ああ、それならさっき嶺主様と話をして……彩鉱門も一緒に瞋九龍を迎え撃つってことを言ってきたぜ。そろそろ彩鉱門も姿を見せる頃合いだろう、ってな」
「よく決断したな! 正直驚いたよ」
「瞋九龍とやりあうなら万晶鉱の宝器は必須だろ? それなのに俺たちだけ高みの見物をしてるわけにはいかないからな。――なにより、彩鉱門が隠れる発端になったあの一件。瞋九龍こそが眠れる火龍であるなら自ずと事情も見えてくる……ってな」
「あっ……」
彩藍方の指摘で煬鳳の脳裏にはあることが閃く。
(もしかして……瞋九龍は万晶鉱の宝器を恐れたのか?)
そうであるならば、確かに五行盟が……いや、瞋九龍が五行盟を利用して、宝器を扱うことのできる彩鉱門を滅門させようとした理由、その辻褄があうのだ。
「そうか……あいつは、もともと瞋九龍の持つ万晶鉱の槍に追い詰められた。だからこそ、他の門派の奴らが万晶鉱の武器を、宝器を持つことをよく思わなかったのか!」
「たぶんな。俺の推理、間違ってるか?」
「分からないけど、納得はできる!」
「だろ? だから、俺たちは奴と戦うべきなんだ。いまこそ」
そう言った彩藍方の眼差しは強く勇ましい。
その瞳は黒炎山の噴火のときに見た、決意の眼差しを思い起こさせる。
「そうと決まったら――っ!?」
不意に地面が揺れ、煬鳳の体の熱が急激に上昇した。あまりに突然のことで体を支えることもできずに煬鳳は崩れ落ちる。
「煬鳳!」
すぐさま凰黎が煬鳳を受け止めてくれたので事なきを得たが、上昇する体温と下げようとする凰黎の冷気とが拮抗して視界がぐるぐると回る。急激な体温の変化に体はついて行くことができず、嘔吐感が込み上げてきた。
「だ、大丈夫だ。すぐに落ち着くから……っ! それより……」
それよりも言わなければならないことがある。
いま何よりも大事なことなんだ。
煬鳳は歯を食いしばり、凰黎の襟を必死の思いで掴む。
「あいつは多分、黒炎山の火口に行く気だ。体が凄く熱い。きっと、龍の目覚めが近いんだ……!」
「なっ……」
凰黎が絶句し、煬鳳の様子を心配そうに見ていた面々もまた言葉を失った。
黒炎山の翳炎と繋がっている煬鳳だから分かる。
龍は封じられた黒冥翳魔の翳炎を養分として、睡龍の大地にすまう妖邪や人々の生気を糧にして、いま目覚めのときを待っている。
あとどれほどの養分があれば火龍が復活するのかまでは分からない。
しかし、確実のそのときは近づいている。
己の体が、上昇する体温が、そう告げているのだ。
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