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五趣生死情侣们(恋人たち)

137:震天動地(六)

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「わあ! 美味しそう!」

 声をあげたのは小黄シャオホワンだ。いつもなら真っ先に黒曜ヘイヨウが飛んでいくところだが、黒曜ヘイヨウもいまは緊張しているのか少し大人しい。煬鳳ヤンフォンの膝の上にちょこんと座り、羽を休めている。

小黄シャオホワン。待ってろ、いま座らせてやるから……」

 そんな黒曜ヘイヨウの代わりにか、ちょうど翳黒明イーヘイミン小黄シャオホワンを抱き上げて椅子に座らせていた。やはり元は同じ人物であるせいか、翳黒明イーヘイミン黒曜ヘイヨウと同様にまた面倒見が良いらしい。

(特に、黒明ヘイミン小黄シャオホワンに何度か助けられてるしな)

 こうして見ていると無邪気な子供にしか見えないし、周りの応対も子供に対するそれと変わりはない。
 ただ、小黄シャオホワンが不思議な力を持っていたことは事実で、しかし小黄シャオホワンの記憶は一向に戻ることがないため、このあと原始の谷に向かうことになったわけなのだ。

(原始の谷で、記憶が本当に戻るんだろうか)

 鸞快子らんかいしも恐らく確証自体はないだろう。
 万が一、このまま小黄シャオホワンの記憶が戻らなかったら――。

「そんときは、うちで引き取れば良いか。凰黎ホワンリィもいるし」
「はい?」

 思わず考えていたことが口に出てしまったらしい。煬鳳ヤンフォンは慌てて「な、なんでもないよ」と取り繕う。
 煬鳳ヤンフォンたちの目の前では、小黄シャオホワンのため取り皿に料理を取り分ける翳黒明イーヘイミンの姿がある。もしかしたら彼のほうこそ、小黄シャオホワンを引き取りたいと言うかもしれない。
 そんなことを考えながら、煬鳳ヤンフォンは皿の上に載っている肉を頬張った。

    * * *

 煬鳳ヤンフォンは見慣れぬ場所に立っていた。
 見渡す限りの豊かな緑と魏紫姚黄ぎしようこうに彩られた山や丘。夭夭たる桃の木には花が咲き乱れ、ひときわ目を引く。遠くを望む山々は、霞がかかったように白く朧げな姿を見せ、幽玄で秀麗だった。

 ――にもかかわらず、桃の香りを感じることができない。

 嫌悪を感じる鉄錆にも似た臭い。訝しく思いながら見回せば、奇妙な光景に辿り着く。
 美しい景色と相反して地面には赤々とした海が広がっている。そこには淡青たんせいの衣を真っ赤に染めて座り込む人物。

凰黎ホワンリィ!」

 目の前の人物は紛れもなく凰黎ホワンリィだった。深紅の淀みを何度も掬い上げ、嗚咽を漏らしながら何度もその名を呼んでいる。

『……鳳』

 煬鳳ヤンフォンは、息が止まりそうな思いに駆られた。

凰黎ホワンリィ、俺はここだ!」

 叫んでみたが凰黎ホワンリィには届かない。

凰黎ホワンリィ凰黎ホワンリィ!」

 必死で駆け寄り凰黎ホワンリィに触れようとしたが、彼に触れようと伸ばした手は体を突き抜けるばかり。

「どうなっているんだ? なんで凰黎ホワンリィに触れられないんだ!?」

 混乱しながら何度も同じことを繰り返す。凰黎ホワンリィに触れようと手を伸ばし、やはり触れることは叶わない。

 ――どうなっているんだ!?

 ――なにがあったんだ!?

 叫んでいるのに、声も届かない。触れようとしても頬にも指にも、髪の毛一本すら凰黎ホワンリィに触れることができない。
 自分の身に一体なにが起こったのか、分からずに煬鳳ヤンフォンは泣き叫んだ。

 一筋の黄金。
 煬鳳ヤンフォンの前に一縷の光がひらりと降りてきた。細き一本の糸の如く、されど消すことのできぬ強き輝きを帯びる光。

「糸……?」

 細く伸びる黄金の光は、暗闇の向こうから煬鳳ヤンフォンの元へ降り注ぐ。心地よい温かさを感じて、無意識に黄金の光に手を伸ばす。

ヤン大哥にいに。悪い夢を見ているみたい、でも大丈夫』

 この声は小黄シャオホワンだろうか。

(そういえばあいつの髪の毛もこんな色をしていたな)

 光から伝わる心地の良い温かさに、ようやく煬鳳ヤンフォンは心を落ち着け息を吐く。周りを包んでいた陰鬱な景色は、いつの間にか全て霧のように消えていた。

凰黎ホワンリィ……?)

 泣いていた凰黎ホワンリィのことが気になって、煬鳳ヤンフォンは彼の行方を目で探す。けれど景色と共に消えてしまったのか、凰黎ホワンリィの姿は既にどこにもなかったのだ。

小黄シャオホワン凰黎ホワンリィは……?」

 恐る恐る煬鳳ヤンフォンは、小黄シャオホワンと思われる光に尋ねた。

『大丈夫。いまのは、ただの夢だから』

 ああ、良かった。
 煬鳳ヤンフォンは心から安堵する。

    * * *

 人間、腹が減ると腹の虫が鳴るものだ。
 我慢をしていても、していなくても、場合によっては恥ずかしいほどの音を立ててしまうこともある。
 盛大な己の腹の虫が鳴く音で、煬鳳ヤンフォンの意識は浮上した。

「う~~ん……」

 目をこすり、瞼を押し上げれば驚くほど至近距離に凰黎ホワンリィの顔がある。

「わ! 凰黎ホワンリィ!?」

 驚いて仰け反ろうとしたが、凰黎ホワンリィにぐいと背中を引き寄せられた。

煬鳳ヤンフォン! 良かった、目が覚めた!」
「ほ、凰黎ホワンリィ……?」

 きつく抱きしめる凰黎ホワンリィ。密着した体から体温がじわりと伝わってくる。

 ――ああ俺、生きているんだ。

 妙にほっとしたような気持ちになって、煬鳳ヤンフォン凰黎ホワンリィの背に手を伸ばした。

「心配かけたかな? ごめん、凰黎ホワンリィ
「心配など……いいえ、そうですね。心配しました。とても心配しました」

 凰黎ホワンリィはいつだって何事にも自信を持ち、迷うことなく行動する。どんな相手にも怯むことはないし、たとえ相手が格上であったとしても、微笑んで立ち向かう。必ずやると決めたことはやり遂げるような強い男だ。

 それなのにいま、凰黎ホワンリィの体は震えている。すすり泣く彼の声が聞こえている。
 どれほど彼が、己のことを心配してくれていたのか。
 改めて煬鳳ヤンフォンは身に染みて分かった。

「ほんとごめんな。……ええと、俺、成功したのかな? もう、大丈夫なのかな?」

 もう大丈夫――と言いかけて、大丈夫なのかどうか、まだ何も分かっていなかったことに気づく。

「安心しなさい。予定通り、煬六郎ヤンリウラン殿の助けを借りて、霊力の融通方法を調整する治療は無事に成功した」
鸞快子らんかいし!」

 煬鳳ヤンフォンが寝台から降りようとすると、なにかが煬鳳ヤンフォンの頭の上にぽすりと落ちてきた。

『クエ!』

黒曜ヘイヨウ!」

『ようやく目覚めたようだな。もう昼過ぎてるぞ!』

「えっ!? そんなに!?」

 格子窓からは燦燦とした日の光が溢れ出し、清潔で整えられた室内は光を受けて輝いている。
 煬鳳ヤンフォンが寝かされていたのは、凰黎ホワンリィの部屋だ。昨晩と変わらず部屋の中には壁に掛けられた竹の絵の掛け軸、趣味のいい箪笥や卓子たくし、それに洒落た椅子が二脚置いてある。卓子たくしの上には茶椀が三つと茶瓶が置かれ、机案きあんの上にあった墨と硯は片付けられていた。

 昨晩夕餉を食べたあと、特別に用意された部屋で煬鳳ヤンフォン鸞快子らんかいし拝陸天バイルーティエンたちと共に治療を始めた。いま昼過ぎであるならば、煬鳳ヤンフォンは夜から朝を超えて半日以上も眠っていたことになる。

 驚きのあまり、煬鳳ヤンフォンが立ち上がろうとすると凰黎ホワンリィが「まだ無理はしないで」と言って煬鳳ヤンフォンを寝台に押し戻す。代わりに上体だけを起こせるように被褥を折り重ね、背中の後ろに置いてくれた。

「有り難う、凰黎ホワンリィ。それから、鸞快子らんかいしも有り難う」

 鸞快子らんかいしは微笑み小さく頷くと、手に持っていた盆を傍の卓子たくしに置く。盆には稀飯きはん[*1]の入った器が載せられており、温かい湯気が昇っている。

「なに、元よりそのつもりだったのだから気にすることはない。それより、私が治療を行っている間に何者かの介入が数度にわたってあったのだ。……煬六郎ヤンリウラン殿のお陰もあり、問題なく治療を終えることができた」
「……介入?」

 瞬時にあの恐ろしい悪夢のことを思い出す。あれほど生々しい夢はなかったのだ。

(あれは本当に小黄シャオホワンだったのかな……)

 煬鳳ヤンフォンを悪夢から救ってくれた黄金の光。
 夢だ、と小黄シャオホワンは言っていたが、鸞快子らんかいしの言葉は煬鳳ヤンフォンを多少不安にさせた。

「そうだ、小黄シャオホワンは? 黒明ヘイミンも見えないけど……」

 煬鳳ヤンフォン小黄シャオホワンの姿が見えないことに気づき、室内を見回す。
 もしかしたら黒明と一緒に散歩にでも出ているのかもしれないが。

小黄シャオホワンなら、原始の谷に向かいました」
「えっ!?」

 煬鳳ヤンフォンは耳を疑った。

「そんな、だって俺たちも一緒について行くつもりだったのに!? 一人で行ったのか!?」
「まさか。……兄上と、翳黒明イーヘイミンも一緒です。兄上は私が原始の谷を恐れていることを知っているので、代わりに自分たちが行くと言って下さったのです」

 凰黎ホワンリィの話では昨晩の地震で、原始の谷を隠していた結界が破れてしまったのだという。原始の谷に入るための封印自体は全くの無傷であったものの、姿が見えてしまったことで各地の門派が谷に向かって集結の兆しを見せ始めたのだ。

「……それで、もはや一刻の猶予もならないということで、いま朝早くに小黄シャオホワンを連れて原始の谷に向かったというわけです」

 凰黎ホワンリィは以前、原始の谷は幾重の封印がかけられて厳重に隠されていると言っていた。それもこれも、万晶鉱ばんしょうこうを狙う者たちから谷を守るため。いや――むしろ、彼らの命を守るためでもあった。

 にもかかわらず、原始の谷が世間から見えるようになってしまったら、原始の谷に無理やり立ち入ろうとする者も出るだろうし、恒凰宮こうおうきゅうに対して原始の谷を開くように迫るものだっているだろう。
 何にせよ危険な兆候だ。彼らが焦り急いだ気持ちは、煬鳳ヤンフォンにも痛いほど分かる。

――――
[*1]稀飯(きはん)……ざっくり言えばお粥に近いもの。
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