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五趣生死情侣们(恋人たち)
132:震天動地(一)
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恒凰宮に辿り着くと燐瑛珂がみなを出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、宮主様。皆さま」
泰然とした口調の彼は、出迎えたときも見送ったときと何ら様子が変わることはない。
そんな燐瑛珂に対し、凰神偉は労わりの言葉を告げる。
「留守の間はご苦労だった」
「恐れ入ります」
いつも通りの無駄のない言葉。しかし凰神偉はそのあとにもう一言続けた。
「あとで仔細は説明するが、いまはみな疲れている。沐浴の準備と各々の部屋を用意してやって欲しい」
「畏まりました。さあ、皆さまこちらへ」
その燐瑛珂の言葉を聞いて、煬鳳たちはようやく安心できる場所に戻ってきたことを実感する。同時に、体の底からどっと疲れが湧き上がってくるのを感じて堪らず煬鳳は、
「凰黎、俺もう疲れた~」
と凰黎に抱き着いた。
凰黎はそれを、霊力を使ったせいかもしれないと思ったのか慌てて煬鳳の額に己の掌を押し当てる。
「おやおや、熱は……うん、上がっていないようですね、宜しい。……それなら煬鳳が元気になるように私が……」
ごほん、と咳払いがその言葉を遮った。
当然、咳払いの主は凰神偉だ。
「恒凰宮には父上と母上も眠っておられる。……ここでそのようなことを言い合うのは、そなた達の抱える問題が解決したあと、父上母上に報告してからにしなさい」
「……」
煬鳳も凰黎も、凰神偉の言葉に固まってしまった。
(問題が解決したあとって……いまは駄目ってことじゃないか!)
凰黎とのことを認めたのか認めてないのか。とりあえず心の整理がつくまで時間稼ぎをしたいといったところだろうか。
――心が狭い。
凰神偉、実に心の狭い男である。
「そんなことより、阿黎」
しれっと心の狭いことを言ったあと、再び神妙な面持ちで呼びかけたのは凰神偉だ。先ほどとは明らかに表情が異なっている。
「原始の谷に行く前にそなたの抱える万晶鉱の秘密を、きちんと彼に話しておくべきであると私は思う」
「兄上……ですが」
どうやら凰神偉は、先ほどの煬鳳と凰黎の会話を聞いていたようだ。
「いままでそなたの秘密は私と父上、そして母上だけが知っていた。……しかし、このさき彼と共に生きてゆくつもりなら、そなたの抱える重みは己の家族になる人にきちんと話してあげなさい」
煬鳳はその言葉にどきりとした。
先ほどまで心が狭いなどとのたまっていたが、実のところ凰神偉はちゃんと煬鳳のことを考えてくれていたのだ。
(いちゃつくのはあとにしろって言われたけど……)
しかしそれでも彼は煬鳳のことを、家族になる人間だと言ってくれている。認めてくれているのだ。
それだけで煬鳳の胸は一杯になってしまった。
「分かりました。……有り難うございます、兄上」
「ふん。頑固な弟を持つと苦労するものだ」
照れ隠しなのか、捨て台詞と共に凰神偉は長く続く走廊の奥へと消えてゆく。
「では皆さま、こちらへ」
そうして、残された煬鳳たちを燐瑛珂がすかさず案内してくれることになった。
* * *
「ふあ~~! 疲れた!」
凰黎と共に宛がわれた西の廂房へと案内された煬鳳は、戸が閉められるなり寝台に飛び込んだ。寝台の寝具はとてもふかふかとしていて、うっかり気を抜けばそのまま泥のように眠りに落ちてしまいそうだ。
「夕餉まで少し時間があります。そのあいだ少しだけ、私の話を聞いて貰っても良いですか?」
尋ねるように言った凰黎の言葉に煬鳳は飛び起きた。
「もちろんさ! いま凰黎の話を聞く以上に大事なことなんてないからな!」
「ふかふかの寝台で寝ることよりも?」
「うっ、寝るつもりはなかったんだ。体がだるくてつい飛び込みたくなっただけ!」
「ふふふ、冗談です」
慌てる煬鳳に、悪戯っぽく凰黎が笑う。
凰黎は卓子の脇にある椅子に座り、もう一方の椅子をとんとんと叩いて煬鳳を呼んだ。
「ここは昔、私の部屋だったんです」
「凰黎の部屋?」
「そう。……ですが、流石にもう十五年以上経っていますから、当時と変わらず残っているものは両親が飾ってくれた掛け軸くらいでしょうか」
客のために用意したにしては広すぎるとは思ったが、凰黎の部屋だと言われれば納得だ。
大人が眠れるであろう大きさの寝台。
机案の上には硯が置かれており、この部屋を使う者がいたならばきっと書画でも嗜んでいたことだろう。けれど残念ながら誰かが墨を磨った様子は無く、それを使う者はこの部屋には存在しないようだ。
立派な家具や床に至るまで埃ひとつない様子は、恐らく凰黎の父母や凰神偉が、いつの日か凰黎が戻ってくる日を夢見て部屋の手入れを続けていたに違いない。
両親が飾ったという掛け軸には竹が一本だけ描かれている。
不思議に思ってその絵を見つめていると、凰黎が気づいて微笑んだ。
「ふふ、変わっているでしょう? 父曰く『そなたは一見すると脆く見えるが、ほんとうは芯が強く、どんな困難にも折れることのない竹のような子だ』と言ってこの絵を私の部屋に飾ったのだそうです」
「それ、当たってるかも」
「本当ですか?」
煬鳳の言葉に凰黎は肩を揺らす。
この竹の絵を選んだとき、宮主はよもや蓬莱が凰黎を連れ去ろうとするとは思わず、その先に途方もない困難が待ち受けているとまでは思わなかっただろう、しかし凰黎は数々の困難に負けず、沢山の人々に愛されこうして今も人界で過ごしている。
きっと凰黎の両親がこの掛け軸を残しておいたのも、離れていても凰黎がこの竹の絵のように強くあって欲しいと願いを込めていたのだろう。
それに、凰神偉も。
中庭へと通じる格子戸には、夕日を浴びた笹の影が落ち、どこか寂しさを感じさせる。
本来は凰黎が毎日見るはずだった光景をぼんやりと見つめながら、今日一日に起こった様々な出来事を思い出し、煬鳳は物思いに耽った。
「さて……。時間も限られていますから、本題に入りましょう。私がむかし原始の谷に迷い込み、万晶鉱を持ち帰ったことは話しましたよね?」
「うん。そのあと蓬莱がそれを知って恒凰宮に押しかけてきたんだったな」
「その通りです」
凰黎は頷く。これは恒凰宮から白宵城へ向かう途中で聞いた話だったから、煬鳳はとてもよく覚えている。
「万晶鉱はすさまじい力を持つもの。なぜそのような力を持っているかは彩二公子が以前説明して下さいました」
「確かものすごい情報を圧縮できる鉱石、だから人知を超えた力を発揮できる。そんな感じの話だったな」
黒炎山で彩鉱門に行ったとき、彩藍方は凰黎のために万晶鉱について知っているかぎりのことを教えてくれた。彩鉱門は鉱石の扱いに長けるがそれだけではなく、万晶鉱を鋳造する技術を持った唯一の門派だったからだ。
「そう。……ただ、万晶鉱の力がそれだけかと言えば違います。それになぜ万晶鉱を扱うことができるのが彩鉱門だけかといえば、それにも理由があるのです」
凰黎は語る。
万晶鉱はみなが喉から手を出して欲しがるほどの素晴らしい鉱石だ。それがあれば普通の剣や少し呪力が込められた程度の宝器などとは比べ物にならぬほどの威力を発揮する。
だからこそ、みなが血眼になって求めているのだ。
しかし同時に、大きな力は不幸をもたらすという。
「不幸?」
「煬鳳は原始の谷のおとぎ話、知っていますよね?」
「そりゃあ、もちろんだよ。原始の谷の宝物を持って帰ろうとしたら死んだっていう、変な話だったけど」
「実はあのおとぎ話は揶揄でも例えでもなくほぼ真実を語っているのです」
「えっ!?」
煬鳳が驚いていると、凰黎は「いまから説明します」と告げた。
まず、万晶鉱がなぜ恒凰宮と翳冥宮の双宮によって封印されているかといえば、そうせざるを得ないほど万晶鉱が危険な代物だったからだ。その封印はとても強固であり、人界の人間のみならず冥界・天界、何人たりとも双宮の協力失くしては入ることはできないという。
おとぎ話の通り、過去に『万晶鉱』に触れた人間には破滅が訪れた。
それも一人残らず、だ。
ある意味凰黎も程度は違えど苦しい結果となってしまった。
それはなぜか?
「伝説では、万晶鉱を手にすれば過去と未来を垣間見ることができ、一生かかっても得られないような素晴らしい知識を身に着け、更には世の理を支配できると言い伝えられています。さて……彩二公子の言う通り万晶鉱の中にはとてつもないほどの力が圧縮されているわけで。それはつまりこの世界が始まったときから遥か未来に至るまでの全ての記憶」
「世界が始まったときから遥か未来に至るまでの全ての記憶……?」
「そう。ですが問題もあります。万晶鉱に触れた瞬間その記憶が触れたものの脳内に流れ込むため、結果としてその奔流に耐え切れず、例外を除いてほぼ全員が死に至ってしまうというわけです」
煬鳳はそれは一体どれほどのものなのだろうかと考えてみた。しかし少し考えただけでも目が回りそうなほど、それは果てしなく恐ろしく長い時間。
「彩鉱門の門弟たちは唯一、万晶鉱から流れ込む記憶の奔流を遮断する術を持っているそうです。ただ、あくまで彼らは万晶鉱を使って武器や宝器を造り上げるのが目的であり、危険性を知っているからこそ彼らは未来を垣間見ないのだとか」
およそ想像もつかないが、やはり万晶鉱とはとんでもない代物に違いない。そんな鉱石を彩鉱門はよくまあ扱えるものだと煬鳳は感心してしまう。
(あれ? でも変だな?)
先ほどの話の通りであれば、凰黎は万晶鉱に触れた。ならば彼も万晶鉱から記憶の濁流の洗礼を受けたのではないだろうか?
煬鳳が凰黎に尋ねる前に凰黎は別の話題を投げかけた。
「私が蓬静嶺に引き取られることになった、切っ掛けは覚えていますよね?」
「ああ、しつこい爺さんが言い寄りまくってきたからだろ?」
一つ一つ確認するように凰黎は煬鳳に問いかける。しかしあまりに歯に衣着せぬ言い方をしたからか、凰黎が苦笑した。
「言い方……。まあ、そうであったとして。なぜ彼がそこまで私のことを欲したと思いますか? 単なる五歳の子供です」
「有能だから?」
「半分は当たっています。もう半分、それは……彼らを含め、皆が一様に欲している原始の谷の力。万晶鉱に触れ、過去と未来を垣間見た者の一人だからです」
やはり凰黎も過去と未来を、万晶鉱の記憶を見たのか。先ほど考えていたことの結論が導き出され、やっぱりという気持ちと驚きとで煬鳳は一杯になった。
ほぼすべての人間が万晶鉱に触れれば死に至る。
――にもかかわらず、凰黎は『例外』となって生還したのだ。
「そもそも、原始の谷は封印されていた。それなのに何故か私は原始の谷に迷い込み、しかも万晶鉱に触れ、子供でありながら無傷で戻ってきた。彼らはそれで『神に選ばれた子供』だと私のことを思ったようです」
凰黎が禁忌である原始の谷に入ったのは本当に、神のいたずらか奇跡としかいいようがない。当時の恒凰宮の宮主――凰黎の両親は相当驚いたそうだが、それも無理はないことだろう。
「……いまでもそれが何故なのか、分かりません」
凰黎は俯く。その瞳は微かに揺らめいている。
「じゃあ、凰黎は過去のこととか未来のこととか、知ってるのか?」
煬鳳は恐る恐る尋ねた。
「ほんの少しは。ですが、それとて過去未来全ての事象から見たら、空から落ちた雫の一滴のようなもの。決して自分が選んだ過去や未来を見ることができるわけではないので……」
ただ、そのことによって恒凰宮は大騒ぎになった。
このことは外部の者に知られてはいけない、そうでなければ未来を知った凰黎の身が狙われるかもしれない。凰黎の両親は大層悩んだという。
それなのに、よりにもよって一番厄介なところ――仙界が凰黎に目を付けてしまった。
凰黎の苦難の道はそこから始まったともいえる。
だが、蓬莱は仙界のに住まう仙人の中でも、五仙が一人と呼ばれるほどの類まれな存在だ。そんな彼が未来が見えるだの、神に選ばれただのという理由だけでここまで執拗に凰黎を引き入れようとするのは違和感がある。
(なにか、他にもまだ理由が……?)
「お帰りなさいませ、宮主様。皆さま」
泰然とした口調の彼は、出迎えたときも見送ったときと何ら様子が変わることはない。
そんな燐瑛珂に対し、凰神偉は労わりの言葉を告げる。
「留守の間はご苦労だった」
「恐れ入ります」
いつも通りの無駄のない言葉。しかし凰神偉はそのあとにもう一言続けた。
「あとで仔細は説明するが、いまはみな疲れている。沐浴の準備と各々の部屋を用意してやって欲しい」
「畏まりました。さあ、皆さまこちらへ」
その燐瑛珂の言葉を聞いて、煬鳳たちはようやく安心できる場所に戻ってきたことを実感する。同時に、体の底からどっと疲れが湧き上がってくるのを感じて堪らず煬鳳は、
「凰黎、俺もう疲れた~」
と凰黎に抱き着いた。
凰黎はそれを、霊力を使ったせいかもしれないと思ったのか慌てて煬鳳の額に己の掌を押し当てる。
「おやおや、熱は……うん、上がっていないようですね、宜しい。……それなら煬鳳が元気になるように私が……」
ごほん、と咳払いがその言葉を遮った。
当然、咳払いの主は凰神偉だ。
「恒凰宮には父上と母上も眠っておられる。……ここでそのようなことを言い合うのは、そなた達の抱える問題が解決したあと、父上母上に報告してからにしなさい」
「……」
煬鳳も凰黎も、凰神偉の言葉に固まってしまった。
(問題が解決したあとって……いまは駄目ってことじゃないか!)
凰黎とのことを認めたのか認めてないのか。とりあえず心の整理がつくまで時間稼ぎをしたいといったところだろうか。
――心が狭い。
凰神偉、実に心の狭い男である。
「そんなことより、阿黎」
しれっと心の狭いことを言ったあと、再び神妙な面持ちで呼びかけたのは凰神偉だ。先ほどとは明らかに表情が異なっている。
「原始の谷に行く前にそなたの抱える万晶鉱の秘密を、きちんと彼に話しておくべきであると私は思う」
「兄上……ですが」
どうやら凰神偉は、先ほどの煬鳳と凰黎の会話を聞いていたようだ。
「いままでそなたの秘密は私と父上、そして母上だけが知っていた。……しかし、このさき彼と共に生きてゆくつもりなら、そなたの抱える重みは己の家族になる人にきちんと話してあげなさい」
煬鳳はその言葉にどきりとした。
先ほどまで心が狭いなどとのたまっていたが、実のところ凰神偉はちゃんと煬鳳のことを考えてくれていたのだ。
(いちゃつくのはあとにしろって言われたけど……)
しかしそれでも彼は煬鳳のことを、家族になる人間だと言ってくれている。認めてくれているのだ。
それだけで煬鳳の胸は一杯になってしまった。
「分かりました。……有り難うございます、兄上」
「ふん。頑固な弟を持つと苦労するものだ」
照れ隠しなのか、捨て台詞と共に凰神偉は長く続く走廊の奥へと消えてゆく。
「では皆さま、こちらへ」
そうして、残された煬鳳たちを燐瑛珂がすかさず案内してくれることになった。
* * *
「ふあ~~! 疲れた!」
凰黎と共に宛がわれた西の廂房へと案内された煬鳳は、戸が閉められるなり寝台に飛び込んだ。寝台の寝具はとてもふかふかとしていて、うっかり気を抜けばそのまま泥のように眠りに落ちてしまいそうだ。
「夕餉まで少し時間があります。そのあいだ少しだけ、私の話を聞いて貰っても良いですか?」
尋ねるように言った凰黎の言葉に煬鳳は飛び起きた。
「もちろんさ! いま凰黎の話を聞く以上に大事なことなんてないからな!」
「ふかふかの寝台で寝ることよりも?」
「うっ、寝るつもりはなかったんだ。体がだるくてつい飛び込みたくなっただけ!」
「ふふふ、冗談です」
慌てる煬鳳に、悪戯っぽく凰黎が笑う。
凰黎は卓子の脇にある椅子に座り、もう一方の椅子をとんとんと叩いて煬鳳を呼んだ。
「ここは昔、私の部屋だったんです」
「凰黎の部屋?」
「そう。……ですが、流石にもう十五年以上経っていますから、当時と変わらず残っているものは両親が飾ってくれた掛け軸くらいでしょうか」
客のために用意したにしては広すぎるとは思ったが、凰黎の部屋だと言われれば納得だ。
大人が眠れるであろう大きさの寝台。
机案の上には硯が置かれており、この部屋を使う者がいたならばきっと書画でも嗜んでいたことだろう。けれど残念ながら誰かが墨を磨った様子は無く、それを使う者はこの部屋には存在しないようだ。
立派な家具や床に至るまで埃ひとつない様子は、恐らく凰黎の父母や凰神偉が、いつの日か凰黎が戻ってくる日を夢見て部屋の手入れを続けていたに違いない。
両親が飾ったという掛け軸には竹が一本だけ描かれている。
不思議に思ってその絵を見つめていると、凰黎が気づいて微笑んだ。
「ふふ、変わっているでしょう? 父曰く『そなたは一見すると脆く見えるが、ほんとうは芯が強く、どんな困難にも折れることのない竹のような子だ』と言ってこの絵を私の部屋に飾ったのだそうです」
「それ、当たってるかも」
「本当ですか?」
煬鳳の言葉に凰黎は肩を揺らす。
この竹の絵を選んだとき、宮主はよもや蓬莱が凰黎を連れ去ろうとするとは思わず、その先に途方もない困難が待ち受けているとまでは思わなかっただろう、しかし凰黎は数々の困難に負けず、沢山の人々に愛されこうして今も人界で過ごしている。
きっと凰黎の両親がこの掛け軸を残しておいたのも、離れていても凰黎がこの竹の絵のように強くあって欲しいと願いを込めていたのだろう。
それに、凰神偉も。
中庭へと通じる格子戸には、夕日を浴びた笹の影が落ち、どこか寂しさを感じさせる。
本来は凰黎が毎日見るはずだった光景をぼんやりと見つめながら、今日一日に起こった様々な出来事を思い出し、煬鳳は物思いに耽った。
「さて……。時間も限られていますから、本題に入りましょう。私がむかし原始の谷に迷い込み、万晶鉱を持ち帰ったことは話しましたよね?」
「うん。そのあと蓬莱がそれを知って恒凰宮に押しかけてきたんだったな」
「その通りです」
凰黎は頷く。これは恒凰宮から白宵城へ向かう途中で聞いた話だったから、煬鳳はとてもよく覚えている。
「万晶鉱はすさまじい力を持つもの。なぜそのような力を持っているかは彩二公子が以前説明して下さいました」
「確かものすごい情報を圧縮できる鉱石、だから人知を超えた力を発揮できる。そんな感じの話だったな」
黒炎山で彩鉱門に行ったとき、彩藍方は凰黎のために万晶鉱について知っているかぎりのことを教えてくれた。彩鉱門は鉱石の扱いに長けるがそれだけではなく、万晶鉱を鋳造する技術を持った唯一の門派だったからだ。
「そう。……ただ、万晶鉱の力がそれだけかと言えば違います。それになぜ万晶鉱を扱うことができるのが彩鉱門だけかといえば、それにも理由があるのです」
凰黎は語る。
万晶鉱はみなが喉から手を出して欲しがるほどの素晴らしい鉱石だ。それがあれば普通の剣や少し呪力が込められた程度の宝器などとは比べ物にならぬほどの威力を発揮する。
だからこそ、みなが血眼になって求めているのだ。
しかし同時に、大きな力は不幸をもたらすという。
「不幸?」
「煬鳳は原始の谷のおとぎ話、知っていますよね?」
「そりゃあ、もちろんだよ。原始の谷の宝物を持って帰ろうとしたら死んだっていう、変な話だったけど」
「実はあのおとぎ話は揶揄でも例えでもなくほぼ真実を語っているのです」
「えっ!?」
煬鳳が驚いていると、凰黎は「いまから説明します」と告げた。
まず、万晶鉱がなぜ恒凰宮と翳冥宮の双宮によって封印されているかといえば、そうせざるを得ないほど万晶鉱が危険な代物だったからだ。その封印はとても強固であり、人界の人間のみならず冥界・天界、何人たりとも双宮の協力失くしては入ることはできないという。
おとぎ話の通り、過去に『万晶鉱』に触れた人間には破滅が訪れた。
それも一人残らず、だ。
ある意味凰黎も程度は違えど苦しい結果となってしまった。
それはなぜか?
「伝説では、万晶鉱を手にすれば過去と未来を垣間見ることができ、一生かかっても得られないような素晴らしい知識を身に着け、更には世の理を支配できると言い伝えられています。さて……彩二公子の言う通り万晶鉱の中にはとてつもないほどの力が圧縮されているわけで。それはつまりこの世界が始まったときから遥か未来に至るまでの全ての記憶」
「世界が始まったときから遥か未来に至るまでの全ての記憶……?」
「そう。ですが問題もあります。万晶鉱に触れた瞬間その記憶が触れたものの脳内に流れ込むため、結果としてその奔流に耐え切れず、例外を除いてほぼ全員が死に至ってしまうというわけです」
煬鳳はそれは一体どれほどのものなのだろうかと考えてみた。しかし少し考えただけでも目が回りそうなほど、それは果てしなく恐ろしく長い時間。
「彩鉱門の門弟たちは唯一、万晶鉱から流れ込む記憶の奔流を遮断する術を持っているそうです。ただ、あくまで彼らは万晶鉱を使って武器や宝器を造り上げるのが目的であり、危険性を知っているからこそ彼らは未来を垣間見ないのだとか」
およそ想像もつかないが、やはり万晶鉱とはとんでもない代物に違いない。そんな鉱石を彩鉱門はよくまあ扱えるものだと煬鳳は感心してしまう。
(あれ? でも変だな?)
先ほどの話の通りであれば、凰黎は万晶鉱に触れた。ならば彼も万晶鉱から記憶の濁流の洗礼を受けたのではないだろうか?
煬鳳が凰黎に尋ねる前に凰黎は別の話題を投げかけた。
「私が蓬静嶺に引き取られることになった、切っ掛けは覚えていますよね?」
「ああ、しつこい爺さんが言い寄りまくってきたからだろ?」
一つ一つ確認するように凰黎は煬鳳に問いかける。しかしあまりに歯に衣着せぬ言い方をしたからか、凰黎が苦笑した。
「言い方……。まあ、そうであったとして。なぜ彼がそこまで私のことを欲したと思いますか? 単なる五歳の子供です」
「有能だから?」
「半分は当たっています。もう半分、それは……彼らを含め、皆が一様に欲している原始の谷の力。万晶鉱に触れ、過去と未来を垣間見た者の一人だからです」
やはり凰黎も過去と未来を、万晶鉱の記憶を見たのか。先ほど考えていたことの結論が導き出され、やっぱりという気持ちと驚きとで煬鳳は一杯になった。
ほぼすべての人間が万晶鉱に触れれば死に至る。
――にもかかわらず、凰黎は『例外』となって生還したのだ。
「そもそも、原始の谷は封印されていた。それなのに何故か私は原始の谷に迷い込み、しかも万晶鉱に触れ、子供でありながら無傷で戻ってきた。彼らはそれで『神に選ばれた子供』だと私のことを思ったようです」
凰黎が禁忌である原始の谷に入ったのは本当に、神のいたずらか奇跡としかいいようがない。当時の恒凰宮の宮主――凰黎の両親は相当驚いたそうだが、それも無理はないことだろう。
「……いまでもそれが何故なのか、分かりません」
凰黎は俯く。その瞳は微かに揺らめいている。
「じゃあ、凰黎は過去のこととか未来のこととか、知ってるのか?」
煬鳳は恐る恐る尋ねた。
「ほんの少しは。ですが、それとて過去未来全ての事象から見たら、空から落ちた雫の一滴のようなもの。決して自分が選んだ過去や未来を見ることができるわけではないので……」
ただ、そのことによって恒凰宮は大騒ぎになった。
このことは外部の者に知られてはいけない、そうでなければ未来を知った凰黎の身が狙われるかもしれない。凰黎の両親は大層悩んだという。
それなのに、よりにもよって一番厄介なところ――仙界が凰黎に目を付けてしまった。
凰黎の苦難の道はそこから始まったともいえる。
だが、蓬莱は仙界のに住まう仙人の中でも、五仙が一人と呼ばれるほどの類まれな存在だ。そんな彼が未来が見えるだの、神に選ばれただのという理由だけでここまで執拗に凰黎を引き入れようとするのは違和感がある。
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