【本編完結】鳳凰抱鳳雛 ～鳳凰は鳳雛を抱く～

旧雨今雨同志们（古き友と今の友）

102：倚門之望（二）

「世話になったな、煬鳳ヤンフォン、それに凰黎ホワンリィ」
「我々はいちど徨州こうしゅうに戻ったあと、翳冥宮えいめいきゅうに行くつもりです。近いうちに会いましょう」
「そうか。凰黎ホワンリィ、黒曜ヘイヨウにも宜しく伝えておいてくれ」
「分かりました、必ず」

　そう言って翳黒明イーヘイミンと凰神偉ホワンシェンウェイは馬車に乗り込むと、霧谷関むこくかんをあとにした。

「俺たちも帰るか」
「そうですね。家を空けっぱなしですし、いちどは戻りませんとね」

　煬鳳ヤンフォンと凰黎ホワンリィは互いに顔を見合わせてほっと息をつく。ようやく本当に二人の時間が戻ってきたからだ。
　凰神偉ホワンシェンウェイと翳黒明イーヘイミンの二人と共に翳冥宮えいめいきゅうに行くという選択肢もあったのだが、それでは大きな問題が残ってしまう。

　――あの兄貴がいたら、凰黎ホワンリィとのんびりする暇なんかありゃしない！

　一応渋々煬鳳ヤンフォンのことを認めてはいるものの、凰神偉ホワンシェンウェイの視線はときおり煬鳳ヤンフォンに対して攻撃的だ。迂闊なことをしようものならただでは済まないだろう。
　だから少しだけ玄烏門げんうもんや蓬静嶺ほうせいりょうで羽を伸ばしたい。
　それくらいは許されるだろう。

「そういえば……」
「どうしたのですか？　煬鳳ヤンフォン」

　荷物もあるし土産もあるしで玄烏門げんうもんに戻ろうと思っていた煬鳳ヤンフォンは大事なことに気づいた。

「俺たち、恒凰宮こうおうきゅうへは鸞快子らんかいしの瓊瑤チョンヤオに乗せて貰ったんだ。翳冥宮えいめいきゅうには近いけど、玄烏門げんうもんには遠いし、何より玄烏門げんうもんからもう一度翳冥宮えいめいきゅうに行くとしたら、一体どれだけ時間が必要なんだ!?」

　そうなのだ。仮にも睡龍すいりゅうは三つの大きな州に跨がっている。さらに言うなら玄烏門げんうもんと恒凰宮こうおうきゅうはほぼ端と端。恒凰宮こうおうきゅうと翳冥宮えいめいきゅうの距離は近い。つまり、いちど戻ってから翳冥宮えいめいきゅうに向かうということは相当骨の折れることなのだ。

「ああ、それなら安心しろよ」
「うわっ、彩藍方ツァイランファン！　いたのか！」
「いたに決まってるだろ」

　実は先ほど二人っきりになったと思い込んでいたが、もう一人彩藍方ツァイランファンが残っていた。先ほどまで覚えていたはずなのにすっかり頭から飛んでしまったのだ。

「やれやれ、二人の世界に入ってばっかりで俺のことすっかり忘れてるもんな」
「わ、悪かったって！」
「……それって、忘れてたこと認めたも同然だろ！」

　彩藍方ツァイランファンに頭をがっちりと抱え込まれて煬鳳ヤンフォンはじたばたと暴れる。煬鳳ヤンフォンに対してこういう邪険な扱いをするのはやはり彩藍方ツァイランファンだけなのだ。

「彩ツァイ二公子？　その辺にしていただきませんと……」
「あ、悪い悪い」

　棘のある凰黎ホワンリィの声に、慌てて彩藍方ツァイランファンは煬鳳ヤンフォンから体を離す。こういうところも微妙に凰黎ホワンリィは凰神偉ホワンシェンウェイに似ていなくもない。人生の殆どを離れて暮らしているというのに不思議なものだ。

「そうそう、それでな。玄烏門げんうもんに戻ったあと冽州れいしゅうに行くんだろ？　恒凰宮こうおうきゅうか翳冥宮えいめいきゅうに」
「うん」
「実は、ここに来たのは俺と、恒凰宮こうおうきゅうの宮主ぐうしゅだけじゃないんだ」
「は？」

　そう言った彩藍方ツァイランファンの向いた方向には、見知った顔がある。

「清粛チンスウ!?」

　そこにいたのは清林峰せいりんほうの峰主ほうしゅの孫である清粛チンスウだった。煬鳳ヤンフォンたちを見て笑った表情が清林峰せいりんほうで見たものと変わりない穏やかさで、つられて煬鳳ヤンフォンも微笑んだ。

　神医を紹介してもらうことと引き換えに五行盟ごぎょうめいから……正確には瞋九龍チェンジューロンに頼まれて清林峰せいりんほうを訪れ、そして清林峰せいりんほうで起こった血なまぐさい事件の犯人を捕まえてから、まだ半月ほどであるにもかかわらず、それがとても昔の出来事のようにさえ思えてしまう。

「お久しぶりです。あれから体調は変わりありませんか？」

　周りに人がいる手前か、それとなくぼかした物言いで清粛チンスウは尋ねる。

「ああ、清林峰せいりんほうが力を貸してくれたお陰で、なんとか死なずに済んでるよ。……あれ、本当に凄かったんだな」

　飲んで暫く経ったあとに鸞快子らんかいしが索冥花さくめいかの力を更に引き出してくれた。そのお陰で、何度か強い翳炎えいえんを放つこともあったが事なきを得ることができたのだ。
　煬鳳ヤンフォンの言葉にぱっと顔を明るくした清粛チンスウは、突然煬鳳ヤンフォンに詰め寄ると、

「本当ですか!?　それ、あとでじっくり経過の詳細な報告と一緒に聞かせてくださいね！　全部記録として書き留めたいので！」

　と、興奮気味に迫る。薬のこととなると急に積極的になるのは、さすがは医術に長けた者の多い清林峰せいりんほうの出身といったところか。
　呆気にとられながら煬鳳ヤンフォンはこくこくと頷くと「それで、一体どうして霧谷関むこくかんに来たんだ？」と尋ねる。

「はい、それはですね。蓬静嶺ほうせいりょうの嶺主りょうしゅ様が倒れたという――」
「嶺主りょうしゅ様が、倒れた……!?」

　煬鳳ヤンフォンより先に声をあげたのは凰黎ホワンリィだった。さすがにこれは寝耳に水だったのか、目を見開いて唇を震わせている。
　煬鳳ヤンフォンは慌てて凰黎ホワンリィの肩を掴むと強請った。

「凰黎ホワンリィ、しっかりしろ！」

　青い顔のまま凰黎ホワンリィは小さく頷く。しかし、ここまで凰黎ホワンリィが人前で動揺を見せるのは珍しいことだ。

（でも、変だな……？）

　しかし、同時に煬鳳ヤンフォンはどこか妙であることにも気づく。

（もし本当に蓬静嶺ほうせいりょうの嶺主りょうしゅが倒れたのなら、こんな笑いあったりしてる場合じゃないんじゃ……？）

　訝しく思い彩藍方ツァイランファンの方に振り返ると、煬鳳ヤンフォンの考えを察したのか彩藍方ツァイランファンは片目を瞑る。どうやらこの話には何か裏があるようだ。

「あ、いえ。倒れたというていで、ですね……？」

　なんだか決まりが悪そうに清粛チンスウが口ごもる。やっぱり何かこの話には裏があるらしい。

「そこは大丈夫、心配しなくて平気だ。細かいことはここでは言い辛いから、詳しくは蓬静嶺ほうせいりょうまで行ってから話そう」

　痺れを切らした彩藍方ツァイランファンが煬鳳ヤンフォンをぐいぐいと霧谷関むこくかんの外へ外へと押しやろうとする。慌てて凰黎ホワンリィの様子を窺えば、呆然と立ち尽くす彼の姿。

「ちょっと、凰黎ホワンリィ！」

　煬鳳ヤンフォンは咄嗟に凰黎ホワンリィの手を取ると、まだ動揺している凰黎ホワンリィを連れて霧谷関むこくかんの外へと歩き始めた。

「とりあえず霧谷関むこくかんには雪岑谷せきしんこくの門弟たちが何人もいる。おまけに五行盟ごぎょうめいからも使者が蓬静嶺ほうせいりょうに向かってるらしいから、追いつかれる前に蓬静嶺ほうせいりょうに向かいたいんだ。誰かに聞かれたら不味いから、詳しい話もまずはここを発ってから」
「俺たちを!?　何でだ!?」

　彩藍方ツァイランファンから笑みは消え、真剣な表情で彼は語る。冗談を言っている場合ではないということだろう。

「知るか。そもそも黒冥翳魔こくめいえいまのことでお前は五行盟ごぎょうめいから睨まれっぱなしじゃないか」
「それは、そうだけど。でも疑いはちゃんと晴らしたぞ！」
「それだって渋々納得させたようなもんで、不満はくすぶってるんだろ」
「うっ……」

　図星なのである。

「っていうか、彩鉱門さいこうもんは滅門めつもんしたって世間では思われてるのに、何でお前がそんなこと知ってるんだよ」
「そりゃ、俺たちの存在を認識している門派もいるからさ。蓬静嶺ほうせいりょうだって五行盟ごぎょうめいの頃からずっと付き合いは続いてる。何より強力な武器防具は、ただの鍛冶屋より俺たち彩鉱門さいこうもんのほうが圧倒的だ。鍛冶屋に特殊な力を帯びた鉱石は扱えないからな。五行盟ごぎょうめいに属さず、金を持ってる奴らは数は少なくてもいないわけじゃないし、わざわざ俺たちの存在を外部に漏らして他人が有利になるようなことはしないだろう？　五行盟ごぎょうめいの動向が知りたいと思えばそれなりに知ることはできるんだよ」

　不服そうに尋ねた煬鳳ヤンフォンに、彩藍方ツァイランファンは飽きた顔でそう答えた。
　考えてもみれば、以前訪れた彩鉱門さいこうもんの人々はとても貧しいようには見えなかった。少なくとも彩鉱門さいこうもんの中にあった庭園は美しく管理されていたし、屋敷の中に飾られた装飾品も歴史を感じるものから新しいものまで、様々なものが溢れていたように思う。

　それとは正反対に、他との接触を可能な限り避けていた清林峰せいりんほうは、彼らの信条も相まってかなり質素な生活送り、ともすると貧しさに苦しんでいたように見えた。

　二つを比べると、やはり清林峰せいりんほうよりも存在が知られないはずの彩鉱門さいこうもんが生活に全く困っていないように見えるのは少々不思議なものだ。
　やはり隠れてはいても、彼らを支援してくれる強力な存在がいくつかあるのだろう。