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短編②蒸し餅の恩返し
016:一宿一飯(一)
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※この短編は2022年の12月に書いた短編に加筆修正したものです。
――――――
なぜ煬鳳が真夜中に湖に入らねばならなかったのか。
それは煬鳳が凰黎に裸で発見されるた日の前日の夜のこと。
ここ暫くのあいだ、煬鳳は地に落ちまくった玄烏門の評判をどうにかするために近隣の問題事の解決に奔走していた。ある時は老人の手伝い、ある時は荷物運び、ある時は妖邪退治。
どうしてそこまで必死になっていたかといえば、ひとえに己の恋人が凰黎であるからだ。彼は周囲からの評判も良い、誰からも好かれ、女子供からも憧れられる特別な人。
そんな特別な人の恋人が、自分のような『田舎の弱小門派の悪ガキでごろつき』ではとても釣り合いが取れやしない。
悪さばかりしていたから反省したというのもあるが、一番の理由は『とにかく凰黎が悪く言われないようにしたい』という思いからだった。
不純な動機と言えばそうなのだが、敢えて問われなければ素知らぬ顔で『非常に反省したので、玄烏門の評判を取り戻すため無償で皆様のお手伝いを致します』という顔をしておくつもりだ。
玄烏門から少し離れた鴻山という山に、小さな郷村がある。村人も数えて数えられる程度、見る者はみな顔見知りで知らぬものは無し。農作物以外を手に入れようとするならば、いくつか山を越えた先まで行かねばならない。
日が落ちれば、足元を照らすも光はないのが常。
――にもかかわらず、今宵ばかりは朱い炎が鴻山の山道を駆け巡っていた。
「小僧を探せ! 仲眠を探せ!」
「見つけ出したら引きずり出して殺せ!」
人は死ぬと鬼になるそうだが、生きていても鬼になるらしい。
炬火に照らし出された男と女の形相は、まるで人ならざる化け物のようだ。そして数人の男女もまた炬火を手に茂みをかき分け、何かを――仲眠を探しているようだ。
煬鳳と少年は草叢の影に身を潜め、じっとその様子を窺っていた。
『いいか。絶対に喋るなよ、仲眠』
声を出さぬまま、視線だけで煬鳳は仲眠と呼んだ少年に訴える。仲眠は青い顔でただ頷くばかり。もっとも、喋るなとは言うが、仲眠の口は煬鳳の手でしっかりと塞がれている。よって、いくら恐ろしくとも声を出すことはできないのだが。
「旦那様……もしかしたらどこで行き違ったのかもしれません。ここまで探して見つからないとなると、もう家に帰ったのでは……」
男の一人がおずおずと口にする。旦那様と呼ばれた男はジロリと男を睨みつけたが、炬火の炎が小さくなってきたことに気づくと溜め息をついた。
「……仕方ない。今日のところは村に戻ろう」
その一言で皆の顔が安堵に包まれる。
「あなた……こうしている今もあの子が……。早く仲眠を見つけなきゃ」
「それも分かっている。しかし灯りが消えれば道を見失ってしまう。ひとまず帰るぞ」
やっていることと裏腹に冷静な言葉だ。恐ろしい集団は、結局それ以上仲眠を探すのを諦めて村へと帰っていった。
* * *
ことの始まりは日が落ちてすぐの頃だ。
煬鳳は野暮用を済ませるために山道を歩いていた。しかし運悪く食料を持ってくることを失念し、ついに腹が減って動けなくなった。そんな煬鳳に、通りすがった仲眠という青年が持っていた蒸餅を恵んでくれたのだ。
ぺろりと硬くなった蒸餅を食べ終え、礼を言おうと思ったその矢先。殺気立った奇怪な気配が近づいてくる。ただならぬ気配を警戒し仲眠の手を引いて咄嗟に草叢の中へ隠れることにした。
そしてやってきたのが先程の奴ら、というわけだ。
「驚いたな。仲眠お前、そんなに恨まれてるのか?」
「や、止めて下さいよ! 僕だって心当たりが全く無いんです!」
「じゃあ、あいつらに見覚えは?」
「もちろんあります。だってうちの村の人たちですもん。毎日顔を合わせるくらい見知った人たちです」
「見知ってるのに、鎌持って殺されそうになってるのか」
人の気配が完全に消えたあと、草むらから這い出してきた煬鳳は仲眠に言う。別に村人の十人や二十人いたところで煬鳳の敵ではない。けれど、色々今日に至るまでに反省した手前、余計な騒ぎは起こしたくなかったのだ。
「そ、そうですけど……僕にも何がなんだか」
仲眠は心外だとばかりに反論した。
年の頃は十六歳。貧しい家の生まれであるせいか、身なりは決して良いとは言い難い。しかし争いごととは無縁な山峡の小さな郷村で育ったお陰か、少々頼りなくは見えるが穏やかで人当たりの良い青年だ。
聞けば母親のために山を越え遠くの市まで行ってきた帰りだと言う。先ほど煬鳳に恵んでくれたのも彼が母に持ち帰ろうとした土産の一つであったそうだ。
――随分親思いの子供じゃないか。
子供というには少々大きいが、自身の荒んだ少年時代を思い起こし、貧しいながらも真っすぐな仲眠を、煬鳳は少しばかり羨ましく思った。
「あの夫妻――金おじさんは村で一番裕福な家の主人です。一緒にいたのも顔見知りの使用人だし、そんな人たちがなんで僕を探しているのか、殺せなんて言ったのかさっぱりですよ」
村人たちは皆知り合いだし、先程の鬼のような夫妻ですら顔を合わせれば挨拶する間柄だと仲眠は語る。
「じゃあ話を変えよう。……それで、今日みたいなことは今まで一度もなかったのか?」
煬鳳の問いに、仲眠は首を振った。
「ありません。――でも、全く無かったと言えば嘘になります。ただ……それも関係があるのかどうか」
「構わない。仲眠、聞かせてくれ」
仲眠は頷くと煬鳳に語り始める。
ここ最近、若い男ばかりが獣に食われるという奇妙な事件が頻発していた。
山で獣に遭うことも、襲われることも、そして殺されることも少ないわけではない。しかし、今回の事件は少々異なっている。
殺された若者は五人。彼らは全員が村の外に出て襲われたわけでもなく、村の中でも外でも、家の中でも襲われたらしい。
共通点は『若い男』ということだけ。
煬鳳はその話を渋い顔で聞いている。
「偶然五人も若い男が獣に襲われて死に、若いお前が普段親しくしてる知り合いの夫妻に理由もなく『殺せ』と追い回される。この二つが完全に無関係だなんて本当に思うか?」
先程の光景を思い出したのか、仲眠は慌てて首をぶんぶんと振る。
「た、確かに変ですよね。こんな不可解な事件二つが完全に無関係なら、この村は呪われているとしか思えませんし……」
煬鳳は先ほどの男女の姿を思い出す。彼らは何かに憑りつかれたような恐ろしい顔をしていた。それほどまでに、必死にならねばならない理由があるのだろう。
(使用人たちは主人の手前、仕方なくだろうな)
あの夫妻は仲眠を探していたのではなく、『若い男』を探していたのだろう。仲眠が村の外へと買い出しに行く日を狙い、戻ってくるときを待ち伏せして狙ったのだ、間違いないと煬鳳は確信していた。
しかし、何故なのかという疑問もついてくる。どんなに恐ろしい化け物に見えても相手はただの人間の夫婦だ。妖邪の類とも違う。
『こうしている今も、あの子が』
その言葉も煬鳳の中でひっかかっていた。
「この話、外部の誰かに助けは求めなかったのか? 役人とか、あるいは近隣の門派とか」
「無理です無理です! 都の役人はこんな小さい村の事件など気にも留めてくれません。門派はその……」
言い辛そうな顔で仲眠は視線を逸らす。その表情で煬鳳は察した。この場所から一番近い門派は――いわゆる世間一般で評判最悪の『玄烏門』だ。好んで助けを求めに行くような者はまず、いないだろう。
「玄烏門の掌門さまは、黒い鳳凰を操り類まれな力を持っていると聞きますが、門弟たちは荒くれものと変わりなく、頼み事など聞き入れても貰えないと皆は言っています。助けを求めて助けて貰ったという話も聞きませんし、とてもとても……」
(その掌門さまは、いまお前の目の前にいるんだけどな……)
そこまで言われると、気まずいし言えないし肩身の狭い煬鳳なのだった。
「えーと……。まあ、なんだ。蒸餅の恩もあるしさ。ここで会ったのも何かの縁だし、俺が力になるよ」
「え。あなたが、ですか?」
仲眠の微妙な表情で、煬鳳はまたもや察した。
「これでも腕には自信があるほうなんだ。今から別の誰かに助けを求めに行くよりは早いだろ? まあ任せてみろって」
「は、はい……」
まだ納得できない顔をした仲眠の肩を叩き、服についた草を払いながら煬鳳は立ち上がる。
「黒曜」
懐から光る珠を取り出すと空へと放った。
光の珠からは縄のようなものが出ていて、それは煬鳳の袖の中に繋がっている。
黒き珠は夜闇の山道を昏く、明るく、照らし出しす。
「さ、行こうぜ」
驚き口を開けたまま呆然と見上げる仲眠の背を叩き、煬鳳は扇動するように促した。
* * *
先ほどは炬火を持った村人に追われ、視界が赤く染まったようにすら思えたが、今目の前にあるのは闇だけだ。微かに灯されるのは先ほど煬鳳が放った黒い珠――黒曜の昏い光のみ。
他に照らす手段が無いかといえばそれも違う。
しかし、煬鳳たちは先ほど村人に鎌を持って追いかけられた身だ。分かりやすい炎など灯そうなら村に入った瞬間に見つかってしまうかもしれない。
極力面倒事は避けて、慎重に事を運ばねばならないのだ。
しかし……。
仲眠の先導で村へと向かう煬鳳は、少々渋い顔で隣を歩く男を見る。
隣の男――仲眠は自分の周りをふよふよ浮いている光の玉が気になって仕方がないらしい。先程から何度も光の方に視線を向けている。あまりに意識がそちらに傾くので、うっかり道から外れてしまいそうになるほどだ。
「まあ気になるのも分かるけど、さっきの夫婦について知ってることを教えてくれないか」
「す、すみません!」
堪りかねて煬鳳が口を開くと、慌てて仲眠は語り始める。
「ええと、先ほど少しお話しましたが、金おじさんの家は村で一番裕福な夫妻です。でも偉ぶってるわけでも無くて、誰にでも優しい。村に小さな廟を立てて毎日お祈りを欠かさないような、そんな信心深い方なんです。会えばいつも笑顔で挨拶をしてくれる、時々お菓子を分けて下さることもあるし、僕も皆も、おじさんとおばさんを慕っていました」
「なら、殺された奴らはどうだった?」
「そりゃ皆あの人たちにお世話になってますよ。小さい村で、しかも優しい金持ち夫妻。僕たちだけでなく、村の皆が同じです。本当に良い人なんですよ」
先ほどあれだけ『殺せ』だの言われて探し回られていたというのに、その夫妻のことを『本当に良い人』などと言うものだから、呆れ半分で煬鳳は苦笑いする。
(本当に良い人はそんなこと言わないんだけどな……)
そうは思ったが煬鳳は黙っておくことにした。
「そういやあの夫婦。『あの子』って言ってたけどさ。お前心当たりあるか?」
「あの子、ですか? ……あるといえばありますが、でも……」
何故か仲眠は言い淀む。どうやら何かしら事情があるようだ。
「話してくれ。多分さっきのことに関係あると思うから」
――――――
なぜ煬鳳が真夜中に湖に入らねばならなかったのか。
それは煬鳳が凰黎に裸で発見されるた日の前日の夜のこと。
ここ暫くのあいだ、煬鳳は地に落ちまくった玄烏門の評判をどうにかするために近隣の問題事の解決に奔走していた。ある時は老人の手伝い、ある時は荷物運び、ある時は妖邪退治。
どうしてそこまで必死になっていたかといえば、ひとえに己の恋人が凰黎であるからだ。彼は周囲からの評判も良い、誰からも好かれ、女子供からも憧れられる特別な人。
そんな特別な人の恋人が、自分のような『田舎の弱小門派の悪ガキでごろつき』ではとても釣り合いが取れやしない。
悪さばかりしていたから反省したというのもあるが、一番の理由は『とにかく凰黎が悪く言われないようにしたい』という思いからだった。
不純な動機と言えばそうなのだが、敢えて問われなければ素知らぬ顔で『非常に反省したので、玄烏門の評判を取り戻すため無償で皆様のお手伝いを致します』という顔をしておくつもりだ。
玄烏門から少し離れた鴻山という山に、小さな郷村がある。村人も数えて数えられる程度、見る者はみな顔見知りで知らぬものは無し。農作物以外を手に入れようとするならば、いくつか山を越えた先まで行かねばならない。
日が落ちれば、足元を照らすも光はないのが常。
――にもかかわらず、今宵ばかりは朱い炎が鴻山の山道を駆け巡っていた。
「小僧を探せ! 仲眠を探せ!」
「見つけ出したら引きずり出して殺せ!」
人は死ぬと鬼になるそうだが、生きていても鬼になるらしい。
炬火に照らし出された男と女の形相は、まるで人ならざる化け物のようだ。そして数人の男女もまた炬火を手に茂みをかき分け、何かを――仲眠を探しているようだ。
煬鳳と少年は草叢の影に身を潜め、じっとその様子を窺っていた。
『いいか。絶対に喋るなよ、仲眠』
声を出さぬまま、視線だけで煬鳳は仲眠と呼んだ少年に訴える。仲眠は青い顔でただ頷くばかり。もっとも、喋るなとは言うが、仲眠の口は煬鳳の手でしっかりと塞がれている。よって、いくら恐ろしくとも声を出すことはできないのだが。
「旦那様……もしかしたらどこで行き違ったのかもしれません。ここまで探して見つからないとなると、もう家に帰ったのでは……」
男の一人がおずおずと口にする。旦那様と呼ばれた男はジロリと男を睨みつけたが、炬火の炎が小さくなってきたことに気づくと溜め息をついた。
「……仕方ない。今日のところは村に戻ろう」
その一言で皆の顔が安堵に包まれる。
「あなた……こうしている今もあの子が……。早く仲眠を見つけなきゃ」
「それも分かっている。しかし灯りが消えれば道を見失ってしまう。ひとまず帰るぞ」
やっていることと裏腹に冷静な言葉だ。恐ろしい集団は、結局それ以上仲眠を探すのを諦めて村へと帰っていった。
* * *
ことの始まりは日が落ちてすぐの頃だ。
煬鳳は野暮用を済ませるために山道を歩いていた。しかし運悪く食料を持ってくることを失念し、ついに腹が減って動けなくなった。そんな煬鳳に、通りすがった仲眠という青年が持っていた蒸餅を恵んでくれたのだ。
ぺろりと硬くなった蒸餅を食べ終え、礼を言おうと思ったその矢先。殺気立った奇怪な気配が近づいてくる。ただならぬ気配を警戒し仲眠の手を引いて咄嗟に草叢の中へ隠れることにした。
そしてやってきたのが先程の奴ら、というわけだ。
「驚いたな。仲眠お前、そんなに恨まれてるのか?」
「や、止めて下さいよ! 僕だって心当たりが全く無いんです!」
「じゃあ、あいつらに見覚えは?」
「もちろんあります。だってうちの村の人たちですもん。毎日顔を合わせるくらい見知った人たちです」
「見知ってるのに、鎌持って殺されそうになってるのか」
人の気配が完全に消えたあと、草むらから這い出してきた煬鳳は仲眠に言う。別に村人の十人や二十人いたところで煬鳳の敵ではない。けれど、色々今日に至るまでに反省した手前、余計な騒ぎは起こしたくなかったのだ。
「そ、そうですけど……僕にも何がなんだか」
仲眠は心外だとばかりに反論した。
年の頃は十六歳。貧しい家の生まれであるせいか、身なりは決して良いとは言い難い。しかし争いごととは無縁な山峡の小さな郷村で育ったお陰か、少々頼りなくは見えるが穏やかで人当たりの良い青年だ。
聞けば母親のために山を越え遠くの市まで行ってきた帰りだと言う。先ほど煬鳳に恵んでくれたのも彼が母に持ち帰ろうとした土産の一つであったそうだ。
――随分親思いの子供じゃないか。
子供というには少々大きいが、自身の荒んだ少年時代を思い起こし、貧しいながらも真っすぐな仲眠を、煬鳳は少しばかり羨ましく思った。
「あの夫妻――金おじさんは村で一番裕福な家の主人です。一緒にいたのも顔見知りの使用人だし、そんな人たちがなんで僕を探しているのか、殺せなんて言ったのかさっぱりですよ」
村人たちは皆知り合いだし、先程の鬼のような夫妻ですら顔を合わせれば挨拶する間柄だと仲眠は語る。
「じゃあ話を変えよう。……それで、今日みたいなことは今まで一度もなかったのか?」
煬鳳の問いに、仲眠は首を振った。
「ありません。――でも、全く無かったと言えば嘘になります。ただ……それも関係があるのかどうか」
「構わない。仲眠、聞かせてくれ」
仲眠は頷くと煬鳳に語り始める。
ここ最近、若い男ばかりが獣に食われるという奇妙な事件が頻発していた。
山で獣に遭うことも、襲われることも、そして殺されることも少ないわけではない。しかし、今回の事件は少々異なっている。
殺された若者は五人。彼らは全員が村の外に出て襲われたわけでもなく、村の中でも外でも、家の中でも襲われたらしい。
共通点は『若い男』ということだけ。
煬鳳はその話を渋い顔で聞いている。
「偶然五人も若い男が獣に襲われて死に、若いお前が普段親しくしてる知り合いの夫妻に理由もなく『殺せ』と追い回される。この二つが完全に無関係だなんて本当に思うか?」
先程の光景を思い出したのか、仲眠は慌てて首をぶんぶんと振る。
「た、確かに変ですよね。こんな不可解な事件二つが完全に無関係なら、この村は呪われているとしか思えませんし……」
煬鳳は先ほどの男女の姿を思い出す。彼らは何かに憑りつかれたような恐ろしい顔をしていた。それほどまでに、必死にならねばならない理由があるのだろう。
(使用人たちは主人の手前、仕方なくだろうな)
あの夫妻は仲眠を探していたのではなく、『若い男』を探していたのだろう。仲眠が村の外へと買い出しに行く日を狙い、戻ってくるときを待ち伏せして狙ったのだ、間違いないと煬鳳は確信していた。
しかし、何故なのかという疑問もついてくる。どんなに恐ろしい化け物に見えても相手はただの人間の夫婦だ。妖邪の類とも違う。
『こうしている今も、あの子が』
その言葉も煬鳳の中でひっかかっていた。
「この話、外部の誰かに助けは求めなかったのか? 役人とか、あるいは近隣の門派とか」
「無理です無理です! 都の役人はこんな小さい村の事件など気にも留めてくれません。門派はその……」
言い辛そうな顔で仲眠は視線を逸らす。その表情で煬鳳は察した。この場所から一番近い門派は――いわゆる世間一般で評判最悪の『玄烏門』だ。好んで助けを求めに行くような者はまず、いないだろう。
「玄烏門の掌門さまは、黒い鳳凰を操り類まれな力を持っていると聞きますが、門弟たちは荒くれものと変わりなく、頼み事など聞き入れても貰えないと皆は言っています。助けを求めて助けて貰ったという話も聞きませんし、とてもとても……」
(その掌門さまは、いまお前の目の前にいるんだけどな……)
そこまで言われると、気まずいし言えないし肩身の狭い煬鳳なのだった。
「えーと……。まあ、なんだ。蒸餅の恩もあるしさ。ここで会ったのも何かの縁だし、俺が力になるよ」
「え。あなたが、ですか?」
仲眠の微妙な表情で、煬鳳はまたもや察した。
「これでも腕には自信があるほうなんだ。今から別の誰かに助けを求めに行くよりは早いだろ? まあ任せてみろって」
「は、はい……」
まだ納得できない顔をした仲眠の肩を叩き、服についた草を払いながら煬鳳は立ち上がる。
「黒曜」
懐から光る珠を取り出すと空へと放った。
光の珠からは縄のようなものが出ていて、それは煬鳳の袖の中に繋がっている。
黒き珠は夜闇の山道を昏く、明るく、照らし出しす。
「さ、行こうぜ」
驚き口を開けたまま呆然と見上げる仲眠の背を叩き、煬鳳は扇動するように促した。
* * *
先ほどは炬火を持った村人に追われ、視界が赤く染まったようにすら思えたが、今目の前にあるのは闇だけだ。微かに灯されるのは先ほど煬鳳が放った黒い珠――黒曜の昏い光のみ。
他に照らす手段が無いかといえばそれも違う。
しかし、煬鳳たちは先ほど村人に鎌を持って追いかけられた身だ。分かりやすい炎など灯そうなら村に入った瞬間に見つかってしまうかもしれない。
極力面倒事は避けて、慎重に事を運ばねばならないのだ。
しかし……。
仲眠の先導で村へと向かう煬鳳は、少々渋い顔で隣を歩く男を見る。
隣の男――仲眠は自分の周りをふよふよ浮いている光の玉が気になって仕方がないらしい。先程から何度も光の方に視線を向けている。あまりに意識がそちらに傾くので、うっかり道から外れてしまいそうになるほどだ。
「まあ気になるのも分かるけど、さっきの夫婦について知ってることを教えてくれないか」
「す、すみません!」
堪りかねて煬鳳が口を開くと、慌てて仲眠は語り始める。
「ええと、先ほど少しお話しましたが、金おじさんの家は村で一番裕福な夫妻です。でも偉ぶってるわけでも無くて、誰にでも優しい。村に小さな廟を立てて毎日お祈りを欠かさないような、そんな信心深い方なんです。会えばいつも笑顔で挨拶をしてくれる、時々お菓子を分けて下さることもあるし、僕も皆も、おじさんとおばさんを慕っていました」
「なら、殺された奴らはどうだった?」
「そりゃ皆あの人たちにお世話になってますよ。小さい村で、しかも優しい金持ち夫妻。僕たちだけでなく、村の皆が同じです。本当に良い人なんですよ」
先ほどあれだけ『殺せ』だの言われて探し回られていたというのに、その夫妻のことを『本当に良い人』などと言うものだから、呆れ半分で煬鳳は苦笑いする。
(本当に良い人はそんなこと言わないんだけどな……)
そうは思ったが煬鳳は黙っておくことにした。
「そういやあの夫婦。『あの子』って言ってたけどさ。お前心当たりあるか?」
「あの子、ですか? ……あるといえばありますが、でも……」
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