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短編①門派を追放されたらライバルが溺愛してきました。

012:呉越同舟(六)

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「はあ、はあ……」

 自分の体力が人並み以下であることをすっかり忘れていた。勢いよく薪を抱えて走り出したものの、すぐに体力が尽きてへたり込んでしまったのだ。それからは歩いては休み、歩いては休み、の繰り返し。
 ようやく小さく小屋が見えてきて、煬鳳ヤンフォンは安堵の息をつく。

「しっかし……見れば見るほど小さい小屋だな」

 中に入ってみるとそこまで狭さは気にならないのだが、山の中にぽつんと建っているところを見るとやはり小さいものは小さい。何せ寝る時だって殆ど隙間の無い状態で並んで寝ているのだから。
 初めは気になって落ち着かなかったが、今はもう慣れたものだ。それが当たり前のようにすら感じられるし、凰黎ホワンリィが小屋を離れなければならぬとき、一人でいると少し物足りなく感じるほど。

(よし、小屋に戻ったら聞くぞ……!)

 意を決すると一歩を踏み出す。――が。
 その直後、煬鳳ヤンフォンは抱えていた薪を全て取り落としてしまった。

「動くな。大人しくしろ」

 背後から伸びた手に口を塞がれて思うように声が出ない。首には鋭い剣が付きつけられている。

玄烏門げんうもんの手のものか? いや、違うな……)

 逃げ出すことができぬようしっかりと背後から押さえつけられる。そして前には剣を突き付ける男。覆面でもしているかと思いきや、彼らは素顔のままだった。
 しかし、それでもなお煬鳳ヤンフォンはその二人が誰であるか全く分からない。

「どうやら煬昧梵ヤンメイファンが力を失ったというのは本当らしいな」
「!」

 ここにきて、初めて自分が力を失ったことを知る者が現れて、煬鳳ヤンフォンは驚く。一体誰から、どこから漏れたのか。考えを巡らせてみたが、今まで漏れていないことのほうが異常だったのだ。

「兄貴、俺の言ったことは本当だったろ? 町で煬昧梵ヤンメイファンを見かけたって。なのに一切の霊力を感じなかったからおかしいと思ったんだよ! それでずっと調べていたんだからな!」

 しかも彼らの言い方からすると、どこからか情報が漏れたのではなく、彼は町で煬鳳ヤンフォンの姿を見て、それで調べたのだという。

(それって、うっかりこいつらに見つかった俺自身のせいじゃないか……)

 自分では自分の身すら守ることもできないことに煬鳳ヤンフォンは衝撃を受け歯ぎしりをする。本当に、本当に、あまりに自分が無力すぎて悔し涙も出なかった。
 煬鳳ヤンフォンは怒りに任せて口を塞いでいる男の手を思い切り噛む。

「あっ! いってえ! お前、何するんだ!」

 思い切り背後の男に貼り倒され、煬鳳ヤンフォンは斜面に転がった。木の根が足に引っかかったせいで、足を捻ったらしい。起き上がろうとするとずきりと足が痛み、煬鳳ヤンフォンは呻いた。負けるものかと地面に這いつくばったまま、上体だけを起こして男たちを睨み、叫ぶ。

「お前たち、何者だ! 何が目的だ!」

 しかし、そんな無様な煬鳳ヤンフォンの姿を見て男たちはいよいよ腹を抱えて笑い出す。

「こりゃ、傑作だ! こいつ、本当にかの黒鳳君こくほうくんなのか!? 信じられねえ、船乗りだってもっと強いだろうよ!」

 煬鳳ヤンフォンは反論することもできず、拳を握りしめる。
 男は煬鳳ヤンフォンの結いあげた髪を掴み上げると手に持った剣先をその首に突き付けた。男の腕に少しばかり力が入ると、突き刺す痛みで喉が締め上げられるようだ。

「あぐ……っ……」
「ふん、いいざまだ! いいかよく聞けよ。かつて俺たちは、お前に徹底的に痛めつけられた! 掌門しょうもんは責任を感じて自害なされた、残った弟子たちも次々に去って行った! 結果として門派はお前のせいで無くなった!」

 その言葉を聞いて煬鳳ヤンフォンは驚いた。酷い話だが……似たようなことを何度も彼はやっていたのだ。強さを誇示するため、また煬鳳ヤンフォンを倒そうとして次々と大小様々な門派が彼に戦いを挑み、そして破れていった。

「で、でもあれはちゃんとした勝負で……」
「全部お前のせいなんだよ! 何がちゃんとした勝負だ! 徹底的に潰すのがお前のちゃんとした勝負なのか!? そこまでやる必要がどこにあった!? 命を絶った我等の掌門しょうもんの、命の責任をお前は取れるっていうのか!?」

 知らなかったのだ。
 確かに強さに酔いしれて、戦いを挑まれれば必要以上に徹底的に潰してしまったことは何度ともなくあったろう。その時は全く気にも留めていなかったが、今、彼らに言われて初めてとんでもないことをしたのだと煬鳳ヤンフォンは思い知ったのだ。

「……」

 済まなかった、許して欲しい。
 そう言おうとして微かに口が動いたが、その言葉で『命の責任』を取ることはできない。

 ――命の責任をお前は取れるっていうのか!?

 責任を取る方法は、一つしかないのだ。

「命には命、お前には命をもってその責任を取ってもらう!」

 剣を握った男の腕に力がこもる。煬鳳ヤンフォンには目を閉じることしかできなかった。

「大丈夫ですか!?」

 頬を包む柔らかい感触。
 恐る恐る目を開ければそこには凰黎ホワンリィの顔があった。
 煬鳳ヤンフォンは死を覚悟したが、その時は訪れなかったのだ。

凰黎ホワンリィ……」

 力なく呟き、凰黎ホワンリィに体を預ける形で煬鳳ヤンフォンは倒れ込む。凰黎ホワンリィに抱き抱えられながら男たちがどうなったかを探ったが、気絶した男たちは縛られ転がっていた。

「おかしな気配に気づいて飛び出したんです。まさか貴方を狙ってくるなんて……」
凰黎ホワンリィ、こいつら……町に出た時に俺だと気づいて、調べまわっていたらしい。油断して済まない」
「なるほど。そういうことでしたか。しかし貴方のせいではありませんよ。私も一緒についていたのだから、私の責任です」

 凰黎ホワンリィは何度も何度も、煬鳳ヤンフォンの頬を撫でる。彼が心から心配してくれているのが分かって、煬鳳ヤンフォンは一層それを申し訳なく思う。

「この者たちは私の信頼できる弟子に任せます。今は怪我の手当てを」

 凰黎ホワンリィはそういうと、煬鳳ヤンフォンを抱え上げた。

 小屋に戻った凰黎ホワンリィは、静かに煬鳳ヤンフォンを寝床の上に降ろす。痛めた足首も気にしているようだったが、真っ先に凰黎ホワンリィが触れたのは首の傷だった。

「首の傷は……良かった、深くはないようですね。それより殴られた傷の方が酷い。腫れているし、口の中も切れたでしょう」

 湯に浸した手巾で傷のまわりを優しく拭う。思い切り地面に張り倒されたから、顔も泥だらけだった。

「どうしましたか?」

 一通り傷まわりの手当てを終えた後、凰黎ホワンリィが覗き込む。ずっと無言だった煬鳳ヤンフォンのことを心配したのだろう。
 煬鳳ヤンフォンはといえば、ずっと男たちに言われた言葉を反芻していた。

「あいつら」
「襲ってきた者たちですか?」

 煬鳳ヤンフォンは頷く。

「あいつら、俺が勝負を挑まれた時に、あいつらの面子が潰れるほど一方的に痛めつけた門派の門弟だった」
「でも、それはお互い納得の上で戦ったのでしょう?」
「そうだけど……」

 力なく煬鳳ヤンフォンは首を振った。同じことを煬鳳ヤンフォンも思ったが、男たちに言われた言葉が蘇ってくるのだ。

 ――何がちゃんとした勝負だ!

 ――徹底的に潰すのがお前のちゃんとした勝負なのか!?

 己がもっと、相手に対して思いやりを持つことができたなら。

 ――命を絶った我等の掌門しょうもんの、命の責任をお前は取れるっていうのか!?

 せめて、もう少し自分が大人であったならば、こんなことにはならなかっただろう。

「貴方は確かに粗暴でしたが、理由なく相手を徹底的に潰すなどという所業をしたと聞いたことはありません。……そこまでしたのは、理由があったのでは?」
「……思い出せない。でも、沢山喧嘩は売られて沢山買った。俺自身も何も考えずに戦ってばかりいたから……」
「剣を交える勝負なのですから、勝ち負けの責任はどんな形の勝敗であってもそれぞれの責任です。もしそれで恥をかいたと命を絶つならば、そもそも覚悟が弱かったのだと思いますよ。本当の戦いは常に命のやり取り。それこそ相手が妖邪ようじゃであれば、力のない者はいつ死んでもおかしくはないのですから」

 いつも自分と戦っていたはずの凰黎ホワンリィがそんなことを言うなんて。彼が、煬鳳ヤンフォンを励ますために懸命に言葉を選んでくれているのだと感じる。しかし、彼にそのような気を使わせることが申し訳なかった。

凰黎ホワンリィ……お前は優しいから、そう言ってくれるんだよ」
「そんなことはありません。私は貴方を信じている、そんな顔をして欲しくない、それだけだ」
「俺なんかの、どこに信じられる心があるっていうんだ。お前は、あいつらと同じ立場になったら、同じことが言えるのか?」

 自分がどれほど酷い人間なのか、理解している。凰黎ホワンリィが初めに言った通り、お山の大将で力が全てとしか思っていなかった、力を失ったら残ったのはただ一つ。何一つ自分ではできない弱い己という人間だった。
 しかしそれでも凰黎ホワンリィは力強く頷く。

「ある。私は貴方と何度も剣を交えた。貴方がどんな男か、少なくとも他の者たちよりよく知っている。それに私は絶対に彼らと同じ立場にはならない。なぜなら私は戦いにおいての覚悟も、誇りも、信念も持っているからです」
「でも、もうお前と戦うことすらできない」
「戦わなくても、良いじゃありませんか。今こうして共に語り合えるのなら」
「良くなんかない!」

 気づけば涙声で煬鳳ヤンフォンは叫んでいた。
 自分で自分が許せなかったからだ。
 掠れる声で、喉の奥から絞り出すように呻く。

「頼む、殺してくれ……」

 凰黎ホワンリィの目が見開かれた。

煬鳳ヤンフォン……」

 言いかけた言葉を叫びで遮る。

「こんなどうしようもない俺は、無価値な存在だ! ……いっそ、お前の手で一思いに殺してくれ、頼む!」

 暫くの間、凰黎ホワンリィは呆然と煬鳳ヤンフォンを見つめていた。
 怒るのか、それとも怒鳴られるだろうか。殺されるとしても、できるのなら怒られるよりは先ほどまでの優しい凰黎ホワンリィの殺されたい。しかしそれも難しいだろう。
 いつの間にか鋭く見つめる視線に気づき、煬鳳ヤンフォンはそう思った。
 不意に凰黎ホワンリィは静かに煬鳳ヤンフォンの横に膝をつくと労わるようにそっと彼の頬に触れ、優しく瞼に口づけた。
 なぜなのか分からないが、それは不思議と煬鳳ヤンフォンを安らかな気持ちにさせる。

「……そこまで言うのなら、貴方の命を私にくれませんか」

 それはつまり――殺してくれる、ということだろう。
 躊躇わず煬鳳ヤンフォンは頷く。

「……好きにしてくれ」

 覚悟を決めて、目を閉じた。

「っ!?」

 ――と思ったのに、突然唇を塞がれて煬鳳ヤンフォンの心臓は跳ね上がる。

 思わず身を捩ろうとしたのだが凰黎ホワンリィに抑え込まれ仰向けに倒れ込み、いわゆる押し倒される形になった。慌てて煬鳳ヤンフォンは目をかっ開く。驚いて起き上がろうと試みるも、凰黎ホワンリィが覆いかぶさっていて微動だにしない。

(!?)

 一体何が起こったのか。
 煬鳳ヤンフォンにも全く分からない。
 身動きも取れず、暫くの間その状態が続く。
 ようやく唇が離れたと思ったら、今度は煬鳳ヤンフォンの服を脱がせ始めたものだから、煬鳳ヤンフォンは慌てて凰黎ホワンリィに呼びかけた。

「ちょっ、ちょっと凰黎ホワンリィ!? お前、何する気だ!?」
「貴方が言ったんでしょう、好きにしていいって」

 いやいやいやいや。
 思わず心の中で煬鳳ヤンフォンは突っ込んだが、心の中では意味がないと気づき、急いで言葉を口にする。

「いやいやいや! お前が命をくれって言ったから、それでいいって言ったんだよ!」
「そう。ですから、私にその命をください」

 いやいやいやいや。
 またもや煬鳳ヤンフォンは心の中で突っ込んだ。
 なぜ、殺してくれ、からの命をくれ、から……こんなことになった!?
 承諾したはずの煬鳳ヤンフォンですら何故こうなったのか、今の会話の流れから読み取ることができなかった。精一杯じたばたと抵抗しながら必死で訴える。

「いや……だからなんでそうなる!? お、俺をただ殺すだけじゃ不満なのか!? お、俺のことからかってるのか!?」

 しかし、凰黎ホワンリィからの答えは更に煬鳳ヤンフォンが予想だにしない言葉だった。

「貴方を……愛しているからです」
「え……は……!?」

 凰黎ホワンリィは目を伏せ、少し躊躇いながら顔を逸らす。意外だが、彼でもそのような表情をすることがあるのかと、こんな状況の中でも煬鳳ヤンフォンは少しばかり驚きを覚えた。同時に少しだけそんな彼が可愛らしく思えたのも本当だ。
 やがて意を決したように凰黎ホワンリィは視線を向ける。その強くて眼差しに思わず煬鳳ヤンフォンは息を飲んだ。

「正直に言いますが……。ずっと前から、貴方のことが好きでした。……本来はこんな時に言うべきではないと分かってはいます。しかし……」

 躊躇いなく続ける凰黎ホワンリィの言葉を、煬鳳ヤンフォンは信じられなかった。

「いや……冗談だろ……?」
「私はいたって本気です。貴方を私にください」

 見つめる凰黎ホワンリィの眼差しは、真剣だ。
 その真っ直ぐな視線をどう受け止めたらいいのか分からず、押し倒された状態のままの煬鳳ヤンフォンは戸惑う。

「……」

 恨まれるだけ恨まれて、何の力も持たない自分。
 もしもその自分にほんの欠片ほどでも価値を見出して貰えるのなら、それでいいのではないか。

(好きにしろって言ったのは、俺だもんな……)

 投げ捨ててしまいたい命を、欲しいという奴がいるのなら。くれてやっても良いだろう。

「……分かった。どうせ人並み以下の俺じゃ、そのうち誰かに殺されて終わりだ。お前がそうしたいなら、好きなようにすればいいさ」

 なるようになってしまえばいい、そんな気持ちで煬鳳ヤンフォンは暴れるのを止めた。しかし、何故だか凰黎ホワンリィはすぐに立ち上がると煬鳳ヤンフォンの体から離れてしまったのだ。

「やっぱり、いい」
「へ? なんで?」

 煬鳳ヤンフォンとしては、死んだ時くらいの気持ちで今の言葉を言ったつもりだった。

(それなのに、こうもあっさり『やっぱり、いい』とか言われたら、俺の立場は!?)

 しかも何故だか凰黎ホワンリィは不機嫌そうに見える。くれといったからやると言ったはずなのに、先ほどまでは奪う勢いで押し倒してきたのになぜなのか。理不尽で仕方がない。

「お、お前がくれって、言ったんだろ。なのに、なんで急にそんなことを言うんだよ」

 思わず抗議した煬鳳ヤンフォンに、凰黎ホワンリィは冷たい眼差しを向けた。それは、以前の彼が――力を失う前の煬鳳ヤンフォンに向けた眼差しのように見えて、煬鳳ヤンフォンはギクリと体を強張らせる。

「……貴方はまだ私が冗談を言っていると思っている。それに、今の言葉は私の気持ちを汲んで言ったわけでもなく、ただのやけくその投げやりに言ったように感じたからだ。欲しいとは言ったが、どうでもいいと思われるのは本意ではありません」

 欲しいと言ったり要らんと言ったり、実に面倒な奴だ。
 堪らず煬鳳ヤンフォンは思った。
 しかし、彼の言うことも当たっている。
 もう全てがどうでもいいと思ったからそう言っただけで、決して凰黎ホワンリィの気持ちを汲んで出た言葉ではなかったのだ。
 言い当てられて、なんとも決まりの悪さを覚え、煬鳳ヤンフォンは俯く。

「悪かった……」
「いえ、貴方の気持ちもよく考えず、一方的に言った私が良くありませんでした」

 突き放したような言葉が痛い。
 助けられてからずっと、凰黎ホワンリィには優しく接して貰っていた。今ほど距離を感じたことなどなかっただろう。
 結局そのあと何事も無かったかのように……いや、少しだけ余所余所しい態度をとられつつも凰黎ホワンリィとの夕餉を済ませ、悶々としたまま床についた。

(俺はなんて言ったら良かったんだろう……)

 凰黎ホワンリィのあんな顔を見るくらいなら、もっと心を込めて違う言葉を言うべきだったのだろうか。しかし何を言えば良かったのか、答えはすぐに出てこない。
 凰黎ホワンリィは小屋の壁に張り付くように隅の方で横になっている。普段より少しだけ……いや、結構寝る場所が離れたことにも煬鳳ヤンフォンは内心落ち込んだ。
 けれど、なぜ自分が今、こんな空虚で不安な思いを抱えているのか分からない。

(俺はこのまま凰黎ホワンリィに見放されてしまうんだろうか……)

 そう考えると、胸が苦しくて苦しくて眠ることができなかった。
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