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第一章 勇神祭
第六話 予選、切り裂く閃光
しおりを挟むリヒトが気の扱い方にだいぶ慣れてきた頃「そろそろご飯にしよう!」と言って、ミヤコが川魚を5、6匹ほど手づかみで持ってきた。すごい絵面だ。
昨日の一件があったので忘れていたが、そういえば食事をとっていない。また腹の虫が騒ぎ出した。
ミヤコが通力を使って火を焚き、野営の準備をする。焼き魚を作ってくれるらしい。こうして誰かと食事を取る機会などそうそうないので、リヒトはドギマギしてしまう。ミヤコは「座って待ってていいよ」と笑った。
焼き魚など、リヒトにとっては大ご馳走だ。あまりにも美味かったもので、ミヤコが用意してくれた大半の魚を平らげてしまった。また笑われて少し照れくさかったが、久々にまともな食事を用意してくれたミヤコに深く感謝した。
午後。
「さっきまでの練習は、戦いにおいての序の序。ここからが本番だよ」
「はい」
「気を纏うことを常に意識し続けて。あと、気を使えば必然的に君の身体能力は上がる。その状態の君の身体に慣れてもらわなきゃならない。簡単なように聞こえるかもしれないけどかなり大変だから、覚悟して」
「は、はい!」
リヒトも、その大変さは先程の練習の中でなんとなく理解できた。気を纏った状態を維持する。これがなかなかに難しい。勢いよく身体を動かした際に、ふと意識が途切れてしまうのだ。
そこから、ミヤコとの模擬戦を何回もこなした。ここからは色々説明を受けるよりも、実際に身体を動かして慣れていった方がいいとのことだったが――
「剣を振った後、気の流れが途切れてるよ! ちゃんと集中して!」
「走る時に勢いつけすぎ! だから何もないところで転ぶんだよ!
身体に振り回されないように!」
「剣の動きが鈍い! 気の循環に意識を集中させすぎ! 意識しなくても自然に気を纏えるようになりなさい!」
模擬戦でのされると、ミヤコからの激が飛ぶ。リヒトはめげずに立ち上がり、彼女の教えを実践しようとする。間に小休憩を挟みながら、この流れが幾度も繰り返された。
大きな声で「お叱り」を受けるのはリヒトにとって日常だが、普段感じているような心を締め付けてくる感触はミヤコにはなかった。
模擬戦は日が暮れるまで続いた。慣れないことばかりで疲労感が尋常でない。身体を動かすこともままならないくらいだ。
「なんとか戦えるぐらいにはなったかな。よし、身体を動かすのは終わりにしよう。お疲れ様!」
「は、はい……」
そう言うなり、リヒトは地に倒れ伏してしまった。しかし、彼はどこか満足げだった。
「じゃ、ご飯にしよっか」
ミヤコは数時間ぶりの笑顔を見せた。
やがて、雑木林を夜の闇が支配した。それを照らすのはミヤコの起こした焚き火だけだった。ゆらゆら揺れる火をぼんやり眺めながら、リヒトは考えた。
何故、ミヤコは『災禍の魔女』と呼ばれているのだろう。
今日のリヒトの鍛錬に、ミヤコは本気で協力してくれていたように思う。飯も二度振る舞ってくれた。昼は焼き魚、夜はミソナベという料理だった。ミソナベなるものは初めて食べたが、これがまた絶品だった。
親切心でわざわざここまでのことをしてくれるミヤコが、何故『災禍の魔女』と呼ばれるようになってしまったのだろうか。
噂話では、魔女は人とかけ離れた醜悪な見た目だという。実際、ミヤコはそんな姿ではない。むしろ美しいと言っていい。
別の噂話では、魔女は人の肉を喰らうために町村を襲って回るような存在だという。だが、ミヤコが口にするのは焼き魚やミソナベやゲンマイ茶などだ。人を襲うこともない。災禍の魔女に関する噂話は間違いばかりだ。
では、約50年前に帝都を壊滅まで追い込んだという話はどうだろうか。
昔の出来事を実際に見たわけではない。それでも、ここ二日見た限りではミヤコがそのような凶行に及ぶとは到底考えられない。
帝都壊滅が事実だとしても、別の者が働いた罪をミヤコが押し付けられたと言われた方がまだ納得できる話だ。
彼女は、本当に『災禍の魔女』なのだろうか。
ミヤコが夕飯の片付けを終え、ちょうど焚き火を挟む位置に「ふいー」と息を吐きながら座り込んだ。「今の時間は休むのが仕事だよ」と言われたので、リヒトはずっとその場にいた。
「ありがとうございます。何から何まで……」
「いいんだって。明日しっかり活躍してもらわないと困るんだから。あと、お礼なら優勝した後にしてよ~」
「あはは……」
通力に対抗するための気の力。今のリヒトは、それをある程度制御することが可能な領域にまで達している。優勝できる未来が、以前よりも格段に現実的になっている。勝てる。
そうだ。ミヤコが何者だろうが関係ない。宿願を果たすために、そしてミヤコに恩返しをするためにも、明日は全力で頂点を掴みに行くのだ。
リヒトの心に、再び火が灯った。
◆◆◆
「シュヴァルツ様、明日の準備が整いました」
老齢の執事が、ある男の前でかしづいた。男は「そうか」とだけ告げ、ほくそ笑む。
第一街の貴族、カッター家嫡男のシュヴァルツ。
彼もまた、勇神祭で名を馳せることを目論む実力者である。
この日のために、金の力に物を言わせてあらゆる手を打った。男の炯々たる蒼眼は、己が勝利する姿をしかと描き切っていた。
波乱の予感。
◆◆◆
勇神祭、当日。
今回は、十年前の勇神祭よりも一際大きな盛り上がりを見せていた。帝都で催される大々的な祭であること、そして『勇者』という栄えある称号を皇帝陛下から直々に賜われること。
十年前の優勝者が実際に皇帝陛下の元に招かれたというのも、話を大きくしている。
前の勇者は出来損ないであった。であれば自分が、と野望を抱く者が多く、帝都外からの参戦者も多数。
その総数、約二百。
生死を賭けた戦いにこれだけの人数が臨むのは、異例であった。
勇神祭は、第一街と第二街に挟まれる位置にある帝都闘技場で行われる。
勇神祭開幕の時、コロシアムの中心に一人の騎士が立った。フルフェイスの兜の上に豪奢な赤い羽根飾りをつけ、鎧もこれまた派手な布地の飾りつけがされていて、いかにも高位の人物だとわかる。この祭りの見届け人である。
「これより、勇神祭を開幕する!」
観戦者一同は湧き、会場中が熱に包まれる。それを合図に、予選の出場者が入場を始めた。
予選は四組に分けて実施されるが、リヒトは一組目の出場者として選ばれた。約五十名の選手が一度に集う。
ここで行われるのはバトルロワイヤル。つまり、この約五十人全員が敵。勝ち上がれるのは、一人ないし二人だけ。明らかに主催者側が想定していない規模だ。かなりの混戦が予想された。
リヒトは、円形のコロシアムの端の方に陣取った。辺りを見回してもケインの姿はない。どうやら同じ予選組にはいないらしい。
しかし、人が多すぎて一人一人の特徴を把握している暇がない。
(とにかく、やるしかない……!)
近くには、怖気づいて震えている者や、苦虫を噛み潰したような顔をしている者もいる。暇がないのは相手も同じことだ。
ゴオーーーーーーン
開戦の合図の銅鑼が打ち鳴らされる。参加者が一斉に動き出す。会場はさらに湧いた。
どの方面から敵が来ても良いように、リヒトはその場に構えた。だが――
(! これはっ……)
突然、猛烈な寒気が襲ってきた。何か嫌なことが起こる。そう予感したリヒトは、とっさに気の力を使って全身の防御を固めた。
刹那
ズバアアアアアババババババ!
破裂音を伴う、凄まじい衝撃が会場内にもたらされる。
リヒトが見たのは、光だ。熾烈な光。それは、身体の表皮を焼き焦がさんと、リヒトの身にも襲いかかってきた。
(熱ッ!!)
光の眩さと熱さ。目を瞑り、ただただこらえた。
程なくして衝撃は収まった。リヒトが目を開けると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
参加者の人々は、全身を痙攣させながら床で蠢いていたり、身体の節々を炭のようにして倒れていたりと、ひどい有り様だった。黒くなった部分からプスプスと音を立てながら煙を上げている。肉を焼くのに失敗した時の嫌な臭いがした。
(なんだ……これ……)
これは通力による攻撃だ。誰がやった。
視線を上げると、そいつはすぐに見つかった。
「ほう、運良く残った奴がいたか」
リヒトとは対極の位置に悠然と立っている。金髪を長く伸ばした男だった。年齢は二十代前半といったところか。高慢そうな態度、白を基調とした長いコート、そして絶対の自信を帯びた蒼眼は、彼が只者ではないことを如実に表していた。
この場に立っているのは、その男とリヒトだけだ。ぞっとした。一歩間違えれば、自分も同じようにされていたかもしれない。
会場の人々は息を呑む。誰もがその男の挙動を見逃すまいとしている。
見届け人が高らかに宣言した。
「そこまで! 予選一組の通過者はこの二人だ!」
会場はどよめいた。
「予選通過者は決勝トーナメントに進出する! また、トーナメント一回戦において、この二人の対戦を行うこととする! 以上!」
こうして、予選一組の試合はものの数秒で決着がつくこととなった。誰もが予想していなかった展開だった。流石に皆動揺していた。
一人、金髪の男シュヴァルツ・カッターだけは、悠然と笑みを浮かべていた。
◆◆◆
控え場所には、おそらく主催者側が急造で用意したのであろう木製の椅子がたくさん置かれている。だが、その大半が今は使われていない。あの金髪の男も早々に出ていってしまった。
リヒトは、一人になった部屋で頭を抱え込んだ。
本当に、一瞬の出来事だった。
あんな化け物がいるとは思っていなかった。奴は外からやってきたのか、それとも帝都内に潜んでいたのか。
もしかしたらケイン以上の実力者かもしれない。そんな相手と決勝トーナメント一回戦で当たるのだ。
自分に、勝てるのだろうか。
あの規模の通力を使ってなお涼しい顔をしていた。まだまだ余力があるということだ。あれを連打されたらケインとてたまったものではないだろう。
リヒトの悪い癖で、一度不幸な出来事が起こると、何もかも上手くいかなくなってしまうのではないかと嫌な想像力を働かせてしまうのだ。そうして負の渦に呑まれそうになった時、無愛想な声が聞こえた。
「何をしている」
その方を見ると、すぐに碧の双眸と向かい合う。ケインだ。
「もう予選二組目の試合が始まる。さっさと出ていけ」
彼は強い口調でそう言った。いつもの調子でリヒトは縮こまり、逃げるようにその場を後にした。
「お前も、つくづく悪運が強いようだ」
去り際にそんな言葉が聞こえた。リヒトは耳をふさいで、予選二組目参加者でごった返す通路を足早に通り抜けていった。
「やあやあ、なんかすごかったね~。って、なんで耳ふさいでるの?」
観覧席で一人腰をかけているところに、ミヤコが近寄ってきた。昨日と同じ、旅装の姿である。
リヒトは両手をだらんと下げた。
「……なんでもないです」
「わかりやすく落ち込んでるね~。そんなにショッキングだった? さっきの対戦」
「…………」
「まぁ、あんなの見せつけられたらびっくりしちゃうよね、普通は」
会場中が騒ぎになっているというのに、ミヤコは驚くほど落ち着いていた。魔女の余裕というやつか。
「あの男は、何なんですか」
「それ、気になって色々聞いて回ってたの。正しい情報かはわからないけど、教えよっか?」
リヒトは頷いた。
「あの金髪男、帝都の第一街にいる貴族らしいよ。名前はシュヴァルツ・カッター。小さい頃から最先端の教育を受けてる、本物のエリートってやつだね」
「第一街の……!? どうして第一街にいる奴なんかが勇神祭に……!」
第一回勇神祭の参加者は、誰もが第二街からの成り上がりを求めていたと聞く。第一街の強者が参加するなど、夢追い人たちを嘲笑うかのような冒涜的行為だ。
「他の人からも、そんな感じであんまり良く思われてないみたい。シュヴァルツの目的は良くわからないけど。『勇者』の称号を求めるのは、人生を変えたい人だけじゃないみたいだね」
胸の奥で怒りの感情がふつふつとたぎってきた。
奴は既に十分に持っている。なぜそんな奴に邪魔をされないといけないのだという、不条理に対する怒りだ。
「僕は、あいつに、勝てるでしょうか……」
「勝てるよ」
即答された。
「たぶん、シュヴァルツの通力は雷を操るもの。見た感じ相当な威力がありそうに思えるけど、君はあの一撃を防ぎきった。それがあいつと対等以上に戦える何よりの証拠」
ミヤコは雄弁に語る。リヒトの心に巣食う不安を消し去ろうとしている、そんな気がした。
「そうですか……?」
「もちろん、簡単にはいかないと思うけどね。あれだけの通力を操る力、一朝一夕では身につかない。あいつもあいつで相当な努力を重ねていると思うし」
コロシアムの中心には、ちょうど予選二組目の出場者が集まってくるころだった。観覧席のいたるところから歓声が上がり始めた。
「でも! 君はそれ以上に苦しい思いをしてきた! そして耐えてきた! だから君の方が強い!」
歓声に負けじとミヤコも声を張った。大きな声で言われると少し気恥ずかしい。
「今から作戦会議するよ! 絶対に勝つからね、リヒト君!」
ゴオーーーーーーン
開戦の合図だ。ケインも奮闘し始めていることだろう。
だが、リヒトの視線は、力強く拳を握るミヤコの姿に釘付けになっていた。
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