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悠弥と遥

遥からの提案

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 遥が運転する車内で、当たり障りのない会話を続けていると、十分ほどで目的地にたどり着いた。

 アパートへ向かう道の最後は、畑の間をすり抜けるように通る細道。車1台分の幅しかないうえに、傾斜のきつい坂道になっていた。自転車で登り切るには、それなりの脚力が必要だろう。賃料の安さの要因はこのあたりにもあるかもしれない。

「お待たせいたしました。中へどうぞ!」
 102号室。軽量鉄骨造2階建、1階の中部屋だ。
 きちんと並べられたスリッパを拝借して、部屋へ入る。

 物件の内見の際に悠弥が見るポイントは決まっている。設備の確認、水回りの清掃状況、傷や汚れの有無。
 長年の癖のようなもので、さらりと見て回っているようでも、ポイントはしっかりチェックしている。

 清掃状況は良好。一口ガスコンロのついたミニキッチンも、丁寧に掃除されている。やや長期空室のようで、床は少し埃っぽいが、これは仕方ない。及第点。

 バストイレ別、トイレはシャワートイレではない。洗面台は二点ユニットタイプで、バスルームの中だ。これだと女性ウケはあまり良くない。

 部屋とキッチンは扉で仕切られている。料理の際に出る臭いを気にする客にはポイントが高い。洋室は八帖で、ほぼ正方形。畳一帖分ほどの収納はクローゼットタイプ。一人暮らしには十分だろう。

 テキパキと動く悠弥を見て、遥がクスクスと笑う。
「まるでお仕事しているみたいですね」

 言われて我に帰り、悠弥は苦笑いを浮かべつつ、自分の素性を正直に話すことにした。
「実は俺、前職は不動産営業だったんですよ」
「あ、やっぱり! チェックの仕方がプロっぽいと思いました。同業者さんだったんですね」

「なんか……すみません、別に隠すつもりとかはなかったんですが……」
 賃貸営業を経験してから、自分が部屋探しをするのは初めてだった。客として丁寧に扱ってくれるのは嬉しいが、元同業者としては、なんとはなしに気が引けていた。

「じゃ、基本的なことは説明なしでいいですね! では、ここの一番のオススメを……」
 遥が部屋の窓を開け放ち、ベランダに出て悠弥を呼ぶ。冷えた一月の風が部屋へ入り込んでくる。

「見てください、この眺め! なかなか素敵でしょう?」
 眼下に広がるのは葡萄畑、その斜面の先に町が見える。今までいた場所を見下ろすこの場所は、どこか浮世離れした景色に思えた。

「夜は夜景がまた一段と綺麗ですよ」
 悠弥も、都会とは少し違う田舎の夜景を知っている。周囲の山は闇色に包まれ、街の明かりだけが控えめに、でも確かにきらめく景色。

「私、都会の夜景よりも、こっちの夜景の方が好きなんです」
「わかります! 俺も、電車で帰ってきたとき、トンネルを抜けて見える夜景が好きで」
 遥が目を輝かせて、今までで一番の笑顔を見せた。

「あ、そうだ東雲さん。私と一緒に、うちで働きませんか?」
「へ?」
 唐突に放たれた言葉を受け止め損ねて、悠弥は頓狂な声を出した。

「賃貸営業もされていたんですよね? 実は今、人手不足なんです。ほら、今月からもう繁忙期に入るじゃないですか……」
 不動産業界は、就職、転勤、進学などの新生活を控え、一月後半から三月が繁忙期なのだ。

「今うちの会社で賃貸部門を担当しているの、私だけなんです。さすがにこの時期は一人じゃ厳しいかなって……。経験者の方なんて、願ってもないことで、大歓迎なんです」
 賃貸営業をもう一度……。

 転職を考えたとき、不動産業界は真っ先に候補から外した業界だった。
 悠弥は接客業が好きだし、営業という職種自体も嫌いではなかった。ただ、納得ができなかったのだ。

 前の職場は全国チェーンの不動産屋だった。営業職はノルマが厳しい、ブラックだなどと言われていたが、自分にはできると自負していた。仕事がキツいのは構わなかった。とっとと稼いで自立してやると息巻いてたからだ。

 働いてみると、業務は無難にこなせた。もともと人と話すことは好きだし、誰かの役に立ちたいと思っていた。
 だが、後者の考え方はよくなかった。

『おまえさぁ、あんな客、相手にしたって利益になんねぇのわかるだろ? 馬鹿みたいに世話焼いてんじゃねえよ』
 上司はよく悠弥の仕事に口を出した。その月は全体の営業ノルマが達成されるかどうかが微妙なラインだった。営業部長であるその上司は、ことあるごとに営業マンたちを怒鳴りつけた。

 そのとき悠弥が相手をしていたのは、上京希望の二十歳になったばかりの若者だった。仕事がまだ決まっておらず、勢いだけで地方の実家を出てきたという。

 希望賃料はもちろん近隣相場の最低額だったし、仕事が決まっていないとなれば、契約成立に至るには手間がかかる。長く相手にしていては、機会損失が出ることは明白だった。
 自社の管理物件に彼が住めるような部屋はなく、悠弥は残業して他社の物件をあたり、なんとか契約にこぎつけた。客から貰う仲介手数料は、他業者と折半になり、自社の利益は微々たるものだった。

 それでも、悠弥自身は満足していた。彼が住処を見つけられず、ネットカフェやファストフード店で寝泊まりするようになってしまっては、定職を見つけるにも難儀するだろう。
 彼を思っての行動であったが、会社側にはそんな「気持ち」は無意味だった。売上という数字がすべて。誰かのためではなく、利益のため。己のノルマのために、時には客を食いものにしても。

「東雲さん?」
 己の名前を呼ぶ声に我に帰ると、遥が不思議そうにこちらを見つめている。
「もし他のお仕事を探すようでしたら、4月頃までの短期でも。……助けてもらえませんか?」

 言われて悠弥は返答に窮した。
 正直なところ、不動産営業はもうウンザリだと思っていた。営業力がついていくにつれ、罪悪感が増していく。悪事とまでは言えないが、決して相手の利益にはならないことを騙しだまし推し進めるような仕事もした。

 しばしの間をおいて、少しうつむくようにして視線をそらし、遥が言う。
「急にこんなこと言ってごめんなさい。忘れてください、今の……」
「いえ、やらせてください」
 遥の言葉が終わらないうちに、悠弥は早口で答えた。

「え?」
「俺で……よかったら。お手伝いさせてください」
 本当は……。

「いいんですか!?」
 この仕事が好きだったんだ。

 生活の拠点となる住処を一緒に探し、提供する仕事。誰かの役に立つ仕事。
 遥の目をしっかりと見て、悠弥は深く頷いた。
 遥の表情が見る間に明るくなっていく。

「嬉しい!」
 全身で喜びを表現するかのように、遥は小さく跳ねてみせた。ベランダが小さくきしむ。

 この人となら、もう一度。
「よろしくお願いします」

「こちらこそ」
 大輪の花のような。そんな比喩が似合う笑顔だった。
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