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第5章 覇者時代

第98話  非道な男

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海戦の一方に陸の陣地は大いに沸き立った。
『敵艦隊壊滅、継戦能力喪失』の言葉にみんなが歓声をあげていた。
これで大きな不安要素がひとつ片付いたことになる。
オレは月明に感謝しつつ、そっと胸を撫で下ろした。

陸の方はというと、両軍向き合うように丘に陣取っていた。
2000にも満たない軍では攻め込めないレジスタリアと、多勢を抱えていても警戒をしているグランニアは、どちらも開戦に踏み切れない。
ボンヤリしている訳にもいかないので、戦の切っ掛けとなっているアルノーについて、生存を知らせる使者を再度送った。
クライスは『やるだけ無駄』と考えているようだが、念のためだ。

しかし皇帝といっても人の親だろうに、子供の無事について何故気にしないのか。
交渉持ちかけてくるどころか、これまでの使者への返事すら出さない対応に、疑問の念が尽きない。
そこまで考えてハッと思い出す。
あの男は享楽的に一般人を捕まえて、冗談半分で殺す非道な男だったことを。


あの時の恨みを思い出さない訳じゃない。
今でもたまに夢に見るくらいにはトラウマになっている。
それでも冷静さを欠くわけにはいかず、今は忘れるしかなかった。
遠くに陣取るグランニア勢を、何も言わずにただ睨み続けた。


「領主様、報告を致します!」
「なんだ、送った使者についてか?」
「はい、返答は『何もない』とだけ」
「……なんてヤツだ」
「あとは、こちらを」


目線で促された先には一人の人間が横たわっていた。
服が真っ赤に染まっていることが、離れていてもわかる。
あれは使者として送ったレジスタリアの文官だが、まさか斬られたのか?
いくら敵同士とはいえ、そこまでするとは考えもしなかった。
オレは驚きを隠さないまま、隣にいたクライスに声をかけた。


「交渉に応じないどころか、使者に手をだされるとは。ここまで野蛮なヤツらだったのか?」
「口封じのつもりでしょうな。向こうとしては困るのでしょう。アルノー殿が生きていることを喧伝されるのは」
「どういうことだ? 普通は皇太子が生きてる事は吉報だろうが」
「理由のひとつは、この戦の大義名分が崩れること。もうひとつは、アルノー殿の存在がかの国では疎まれていること、ですね」
「疎まれているって、皇太子なのにか?」


ジワリと嫌な汗が流れる。
これから聞かされる話は、残酷な現実そのものなんだろう。
耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、それには耐えた。


「領主様は不思議に思われませんか? 将軍として名を馳せる皇太子に」
「それはアイツが有能で勇ましいだけの事だろ?」
「いいえ、本来王族は安全な場所にいるものです。世継ぎであれば尚更、危険から離されるべきなのです」
「それが今回の事態にどう繋がるんだよ」
「彼は皇太子に任命されました。ですが、別の者に皇帝を継がせたくなったのでしょう。アルノー殿には『国のために死んだ英霊』になってもらわねば困るのです」


握りしめた拳がギリリと鳴った。
向こうの腹のうちが、うっすらと理解できたからだ。
皇帝は、あの男には人の心がないのか。
命を一体なんだと思っているのか。


「王族であれば、ほどほどに軍歴を積ませてから、将軍位を解任させるのが習わしです。それをせずに『勇名を轟かすことが出来るほど』の激しい戦地へと送り続けた」
「つまり、どっかの戦場で死んで欲しかったからか?」
「死ぬか、大失態を犯すのを待っていたのでしょう。廃嫡は余程の理由がない限りできませんからね。以上の事から、皇太子の身柄を交渉に利用はできない、と言えます」
「今まで攻めてこなかったのは、こちらにアルノーが居たからじゃないのか?」
「恐らくは違います。単純に軍備に手間取っただけでしょう」


クライスの推測は恐らく正しいのだろう。
ここまでの不可解な態度も、使者を斬り殺す暴挙に出たのも、全て整合性が取れるからだ。
『何もない』との返答。
なんて体温のない言葉だろう、腹の底に氷を落とされたような気分になる。

人の想いを、獣人の命を、自分の子でさえも踏みつけにし続けた男。
皇帝とはそこまで偉いのか、神にでもなったつもりか。
いっそ直接乗り込んで首を飛ばしてやりたいが、さすがのオレでもあの防御線は突破できそうにない。
魔法兵による厳重な魔防壁と、周囲を何重にも固められた鉄壁の陣が阻んでいる。
魔王と呼ばれながら、なんて無力なんだ。
一人の人間すら殺すことができないとは。


自嘲と憤怒がないまぜになったような心境で敵陣を睨んでいると、胸が急に熱くなった。
感情の方ではなく、物理的に。
胸元を見ると、そこには懐刀として持っていたミレイアのナイフがあった。

それは熱を発し続け、まるで際限が無いように、より熱くなっていく。
慌てて胸から取り出すと、ナイフがそれを望んでいたかのように、静かになった。
不思議に思ってナイフを眺めていると、奇妙な声が頭に響いた。



ーー皆殺しにしてしまえ。



一体誰の声だろう。
クライスたちには聞こえていないのか、反応が見られない。
男でも女でもない、若いのか年老いているのかすらわからない、不可思議な声。


ーーニンゲンは有益か? ニンゲンは世界に必要か?


外部ではなく、オレの頭に直接響いているのか。
あらゆる思考を、防御をすっ飛ばして、直接心に投げかけられているようだ。


ーー娘の害悪でしかない者共だ。獣人を虐げ続けた種族だ。今後も軋轢は無くなることはない。


そう、そう通りだ。
シルヴィアのために、より良い世界を作らなくてはならないんだ。


だから、オレは……。




邪魔な人間どもを殺し尽くすべきなのだ。




ーー手始めにニンゲンの頭領の首を刎ねよう。安心するといい、私がいれば敵は居ない。


そうだ、きっとそうだ。
お前さえいれば、オレは負けることはないんだ。
遮れるものなんか何も無い。


「領主様、どちらへ?」


「旦那、どこへ行かれるんです?」


「アルフ、どうしたの? 一人で出歩くのは危ないわよ」


背中にかけられた声を全て無視して、向こうの丘へと向かった。
目指すのはあの頂きに居座る、ふんぞり返っている男の首。
その次は辺りに散らばっている有象無象どもだ。
一人残らず灰にしてやる。

オレの心に応えるように、右手のナイフは盛大な黒炎をその身に宿した。
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