上 下
2 / 20

1話「三角家の日常」

しおりを挟む
 ――――2週間前。


「おまわりさん、今日早番なんだろ? 早く起きろ」
「う~ん……お姫様のキスがないと目覚めませーん」


 布団の中にいるでかいミノムシの寝言に、呆れてため息がでた。
 せっかく作ったスクランブルエッグが冷めてしまうので、しかたなく半開きになった唇に口づけを落とした。
 すると眠り王子はゆっくりと瞼を開け、ふにゃりと笑みを浮かべる。


「琴、おはよ」
「おはようダーリン。ほら、朝ごはんできてるぞ」


 まだ夢見心地な鷲を布団からひっぺがし、洗面所で顔を洗わせ、そのままリビングへと連行する。
 180㎝以上ある大男を引きずるのは、ホームワーカーには辛いものがある。
 しかも後ろから覆いかぶさるように抱きついているので、さすがに苦言を放った。


「重い重い! ちゃんと自分で歩けバカ鷲!」
「う~、昨日は琴みたいな口のわるーいヤンキーの喧嘩止めるのに大変だったんだから、少しは労ってよね」
「さりげにディスってんじゃねぇ。たく、こんなところ鵠に見られでもしたらどうする――――――」


 そこにタイミング良くトイレのドアが開き出てきたのは、パジャマ姿の鵠だった。
 ――なんたる不覚。アラサーのおっさんが二人してイチャついてる光景を見られてしまうとは。息子の純粋な瞳が汚れてしまう。
 必死に言い訳を考えていると、鵠はクスリと笑って挨拶した。


「おはよう。父さん、母さん」
「マイエンジェルくーちゃん! ねえねえ聞いてよ、母さんが苛めてくんの~」


 鷲は困っている息子にガバリと抱きつき、子供のように駄々をこねた。
 これじゃどっちが大人だか分からないなと嘆息しながらも、この空気は嫌いじゃない、と思った。
 何気ない日常の一コマ。それは俺にとって何ものにもたえがたい宝物だ。




 三角家ルールその一。朝食は必ず3人で。
 学生、在宅ライター、警察官と生活スタイルがバラバラなので、せめて朝は互いに顔を見合せ、コミュニケーションをはかろうという鷲の提案によるものだ。
 鷲は朝食を食べながら、息子の制服姿をしみじみと見て言った。


「くーちゃんももう3年生かぁ~。大きくなったもんだなぁ。そういえば進路とかは決まってるの?」
「……だいたいやりたいことは決まってる」
「おお! くーちゃんなら何だってなれるよ! 父さんたちも応援するし!」


 「ね?」と隣にいる鷲に賛同を促され、素直に頷いた。
 事実、鵠はとても優秀だ。
 俺たちが言わずとも勉強なんて当たり前のようにこなしていたし、素行不良で先生に注意をうけたことも一度もない。おまけに王子様のように顔立ちが整っていて中身も優しいもんだから、それはそれは人気者だった。
 ほんと我が息子ながら非の打ち所のない――――と言いたいところだが、一つ欠点があった。


「でも……自信ないんだ。僕、Ωだし――――」


 鵠の言葉を遮るように、鷲は持っていた箸をテーブルに叩きつけた。


「Ωであることは何も悪いことじゃない。成績優秀なのも人望が厚いのも、全部くーちゃんの実力。そうやって自分の性別を悲観するのは悪い癖だぞ」


 二人の顔を交互に眺める。
 鷲の鬼気迫る真剣な表情に、鵠は怯えている様子だった。
 息子は極度のΩコンプレックスだ。同じΩである俺も性別で今まで散々苦労してきたから、その気持ちは痛いほど分かる。
 だけどこの子はそれを差し引いても優れている。自分なんかより、よっぽど。
 もっと自信をもって、性別にとらわれずに堂々としてほしいのが俺たちの願いなのだが――――。


「――要するに、後悔のない選択をして欲しいってこと。自分を型にはめず、やりたいことをやればいい。お前はまだ若いんだから」
「ありがとう、母さん」


 とっさにフォローすると、鵠がはにかむように笑ってくれたので内心ホッとした。
 すると横で突然「あ!」と声を上げた夫に、つかの間の雰囲気をブチ壊された。




 ――――鷲が大阪に出張に行くことになった。


「まだ朝のこと怒ってるの? だからゴメンて。何回も謝ったじゃん~」


 夜、風呂上がりの鷲が寝室のダブルベッドに腰掛け、ふてくされる俺に声をかけた。


「いくら何でも急すぎだ」
「ん、そうだよね」
「しかも一週間」
「うん。ほんとごめん」


 声のトーンが若干低くなっていることに気づき、チラリと鷲を見る。
 いつものように人懐っこい笑みを貼りつかせているが、表情が暗いのをすぐに察した。


「仕事、大変なのか」
「はは……琴には何でもお見通しだね」


 鷲が力なく笑うので、布団の中に無理やり引きずり込み、その大きな体を抱きしめて言った。


「俺の前だけはそんな風に笑うな」


 すると鷲は「ありがとう」と呟き、俺の胸に顔をすり寄せ、半ば独り言のように語りだした。


「今、性犯罪についての事件を扱っているんだ。αによるΩの人身売買、売春行為――ひどいもんだよ。奴らはΩを人ではなく自分達の性奴隷だと勘違いしている。たしかにΩは異質だけども、人間であることに変わらないじゃん。俺たちと同じように泣いたり笑ったり傷ついたり、そこには紛れもなく感情があるのに。俺はαが憎い。お前や鵠を苦しめるαが心から、憎い」
「いつも守ってくれてありがとう。あんたは優しくて立派な父さんだよ」


 俺は震える丸まった背中をぽんぽんと叩きながら言うと、鷲が上目遣いでおねだりしてきた。


「セックス、しない?」


 突然何を言い出すかと思えば、内心呆れながら口を開いた。


「馬鹿、しねーよ。明日早いんだろ?」
「だって~1週間もしないとか、絶対耐えられない」
「知らねーよ。てか明日だって鵠の弁当作んなきゃだから寝るぞ」


 ぶーぶーと文句を垂れるのを無視して照明を消そうと起き上がると、急に真顔になって告げてきた。


「鵠をよろしく頼むな。あとお前、もうすぐ発情期くるだろう? 絶対外に出るなよ」


 何度も念をおしてくる夫に俺は軽く受け答えした。
 何か腹が立った。
 あんたが俺を心配しているのと同じくらい、俺だってあんたを心配しているんだからな。
 そう思いながら顔を近づけ、唇を重ねた。


「んっ……ふぅ、」


 少しの別れを惜しむように、舌を絡ませ合う。
 何回いや、何十回になるだろう愛しい人とのキス。


「あんたも無茶すんじゃねーぞ。俺を悲しませたらブッ殺す」


 鷲は目を細め、愛しそうに俺の首輪に触れた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

恋した貴方はαなロミオ

須藤慎弥
BL
Ω性の凛太が恋したのは、ロミオに扮したα性の結城先輩でした。 Ω性に引け目を感じている凛太。 凛太を運命の番だと信じているα性の結城。 すれ違う二人を引き寄せたヒート。 ほんわか現代BLオメガバース♡ ※二人それぞれの視点が交互に展開します ※R 18要素はほとんどありませんが、表現と受け取り方に個人差があるものと判断しレーティングマークを付けさせていただきますm(*_ _)m ※fujossy様にて行われました「コスプレ」をテーマにした短編コンテスト出品作です

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

運命の息吹

梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。 美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。 兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。 ルシアの運命のアルファとは……。 西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

要らないオメガは従者を望む

雪紫
BL
伯爵家次男、オメガのリオ・アイリーンは発情期の度に従者であるシルヴェスター・ダニングに抱かれている。 アルファの従者×オメガの主の話。 他サイトでも掲載しています。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

オメガバース 悲しい運命なら僕はいらない

潮 雨花
BL
魂の番に捨てられたオメガの氷見華月は、魂の番と死別した幼馴染でアルファの如月帝一と共に暮らしている。 いずれはこの人の番になるのだろう……華月はそう思っていた。 そんなある日、帝一の弟であり華月を捨てたアルファ・如月皇司の婚約が知らされる。 一度は想い合っていた皇司の婚約に、華月は――。 たとえ想い合っていても、魂の番であったとしても、それは悲しい運命の始まりかもしれない。 アルファで茶道の家元の次期当主と、オメガで華道の家元で蔑まれてきた青年の、切ないブルジョア・ラブ・ストーリー

処理中です...