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第1話

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   黒澤 眞央くろさわ まおは誰にも言えない秘密を抱えていた。
 それは同じ夢を何度も見ること。
 しかもその夢の中は漫画やアニメでいうところの「異世界」に酷似しており、眞央はそこで異世界の悪者である「魔王」になっているのだ。
 そこでは魔王らしく、自軍の悪魔数万を従え、人間の住む町々を破壊し、虐殺行為を繰り返す。まさに絶対悪。
 心が痛むことはなかった。どうせフィクションだと思っていたし、卑屈な性格の眞央は勇者より魔王の方が好きだったから。
 しかし所詮夢は夢。
 社会の底辺であるニート。親からのささいな援助で一人暮らし。友達もいない、彼女いない歴=年齢の童貞という残念な現実は変わらずにあり続ける。
 この夢みたいに誰もが畏怖し、かしずく魔王になれたらと眞央は何度思ったか。

―――そう、何度も。



***

「ああ……悲願がついに叶った。やっと見つけましたよ。我が魔王様」

 イッタイ ナニガ オキテイルンダ ?

 眞央は状況が全く飲み込めず、硬直していた。
 好きなアニメの新刊をゲットしようと新宿に赴き、何やら騒々しいなと思い人ごみの隙間から覗きこめば、TVで一度は観たことある世界的ハリウッド俳優がお忍びで来ていて……うわ~~足長っ顔小さっ! 同じ人間とは思えねぇ、と一人ツッコミをしていたら、俳優とバチッと目が合って、突然人を掻きわけてこちらに来たと思ったら、ひざまずかれ手の甲にキスをされ、冒頭のセリフに戻るというわけだ。
 この好奇な状況に、周りはいっそう騒々しくなり、「何かの番組のドッキリかなぁ」とはやし立てながら、二人をスマホのカメラで撮り始める。
 それでも俳優はおかまいなし。一筋の涙を零し、眞央の手の甲をひしと両手で握っている。
 その様は王子が長年の旅路の末にようやく探し当てたお姫様そのものだ。
 普段家に引きこもっているニートには、この都会のド真ん中、周りから脚光を浴び続けるにはキャパ越えで、ついに眞央は俳優の手を引っ張りがむしゃらに人ごみの中を脱走した。

「どこへ行くんだいっ!?」

「分かんねぇよ! けどあのままだと恥ずかしさで死ぬわっ!!」

「なるほど、じゃあ僕に任せてくれ。いい場所がある」

 今度は俳優が眞央の手をグイッと引っ張った。


 俳優が案内してくれたのは、路地裏にある寂れた喫茶店だった。
 周辺のビルに挟まれてるせいで日中でも薄暗い店内は、客が一人もおらず閑散としているが、むしろ好都合だった。
 俳優は年老いたオーナーにコーヒーを二つ注文すると、眞央と向き合う。

「まさか日本にいらっしゃるとは思わなかった。どうりであんなに探しても見つからなかったわけだ」

 間近で見ると、その美しさと只ならぬオーラがより一層感じられた。
 一言でいうと、泣きボクロがセクシーなアジアンビューティー。
 サイド三つ編みされた濡烏色のロングヘアは、彼の妖艶さをいっそう引き立てていて、男の眞央でもドキリとしてしまう。
 眞央はドギマギしながらも、勇気を出して告げる。

「あの……そのことなんですが、人違いだと思いますよ。あなたと会ったのはこれが初めてですし」

「それは嘘だね」

 俳優は断言した。
 びっしりと生えそろった睫毛に囲まれた双眼が、有無を言わさない迫力を感じさせる。

「僕と君の関係は家族の血よりも濃く、深く、友情や愛情という言葉では言い表せない固い絆で結ばれているんだから」

 俳優はそう言いながら、テーブルに置かれた眞央の手を指先でなぞる。
 眞央が恐怖を覚え、委縮するのを見ると、「どうやら本当に何も覚えてなさそうだね」と寂しげに微笑んだ。

「では改めて名乗らせていただこうではないか。親愛なる魔王様に仕えし『七つの大罪』が一人、『色欲』のアスモデウスとは僕のことさ」

「七つの大罪……」

 眞央はその存在を夢で知っていた。魔王が束ねていた数万の悪魔の軍勢の、頂点に君臨せし七人の悪魔のことだ。
 彼らは、魔王の最高の側近であり忠実な配下として幾千の戦いを乗り越え、魔王に勝利を捧げてきた。

「でもそれは夢の中の出来事で、現実じゃありえないはず……」

 混乱する眞央をよそに、アスモデウスはクスクスと笑う。

「こんな動揺する魔王様を拝めるとは、転生というのも実に愉快な余興じゃないか」

「転生?」

「そうだよ。赤子のように無知な我が王にお答えしようとも。僕達は、世界征服まであと一歩というところで、勇者の捨て身の攻撃に遭い死んだ。そして今、前世の記憶を引き継いで別の世界に生まれ変わったというわけさ」
 
「じゃあ、俺が繰り返し見ていた夢っていうのも――――」

「フィクションなんかじゃない。確かにあった前世の記憶さ」

 眞央の頭の中はもう滅茶苦茶にグチャグチャだった。
 突然あったイケメンが自分の部下で、しかもあれほど望んでいた魔王が現実だったなんて。
 しかしそれが事実だとしても、その記憶が自分のものだという確信がないので、全てを信じることはできない。
 眞央の顔を見て心中を悟ったアスモデウスは、「大丈夫」と言ってテーブル越しに身を乗り出すと、口づけを交わした。

「んんっ?!」

 眞央は反射的にアスモデウスを引きはがそうとするが、両手で顔を固定されているため、ビクともしない。
 彼の長い舌が眞央の口内に侵入し、歯の裏側をなぞり、舌を激しく絡ませ、蹂躙してくる。

「んっ…ふぅ、んん~~!!」

 眞央の瞳に生理的な涙がにじむ。
 互いの唾液が絡み合う。

「いやっ、だぁ!!」

 眞央はアスモデウスの力が弱くなった隙をみて、彼の体を押しのけた。
 まだ熱を帯びている自分の唇を押さえながら、弱々しく吐き捨てる。

「何でキスなんか……こんなん、知らねぇのにっ!」

 これがファーストキスなのだと察したアスモデウスは、興奮気味に叫ぶ。

「我が王の初接吻を戴けたとはっ! 有り難き幸せ、光栄の極みっ!!!」

 眞央は本能で察した。コイツは色んな意味でヤバイ奴だと。
 とりあえず逃げよう。眞央はそう思って席を立ち上がろうとした……が、視界がグニャリと歪み、そのまま意識を失った。

 テーブルに突っ伏した眞央を見下ろしながら、アスモデウスは人間離れした笑みを浮かべて告げた。

「我が王よ。この色欲が捕らえたからには、決して逃がしはしまいよ」
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