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第四章「美しいホテル 美しい息子」
第26話 「声をきかせてくれよ」
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えっ?と清春《きよはる》は、びっくりした声で言った。佐江《さえ》は申しわけなさそうな声でもう一度
「あたし、身《み》ごもれないみたいなんです」
「そうか……それは前にも聞いたよ。おれは別に、気にならない」
佐江は目を閉じて、ゆったりと背後にいる清春に身体を預けきった。大きく広く、温かくて、佐江を守ってくれる清春の身体が佐江の背後にある。
「ごめんなさい。でも、それだけの価値のある取引だったわ」
「取引?」
「ねえ、キヨさん。少し疲れました」
ああ、と言いながら、清春はゆるやかに佐江の身体に指をすべらせ、背後から佐江の耳たぶを噛んだ。
「おれもつかれたよ。佐江、うちに帰ろうか」
「そうね」
「ちょっとキスをしてから、うちに帰ろう」
清春は低く笑ってから膝の上の佐江の身体を回転させ、自分の方を向かせた。そして大きな両手で佐江の顔を包み込み、ゆっくりとキスをした。
佐江の唇の輪郭を、清春の舌がなぞる。ふっくらとした唇を吸い、かるく下唇を噛んで、開いた隙間に温かい舌をすべり込ませる。
「…ん」
佐江が甘いため息をはくと、清春はゆるやかに、しかし確信に満ちた強さで佐江の口中を探りまわる。
「さえ」
キスを終えた清春は、そのまま首筋に唇を降ろして佐江の鎖骨のくぼみに舌を這《は》わせた。
清春の舌が佐江の鎖骨をなぞり、デコルテに落ちてゆく。
「佐江、しばらく黙って」
清春の長い指が佐江のドレスのジッパーを降ろして、胸元を広げる。乳房の上部にキスを重ねた。
「おふくろに、きみを見せたかったな」
佐江の身体の中に、明白な快感が広がってゆく。胸から腕を通じて、指先まで走り抜ける悦楽の予感。
「おれが幸せになったところを、一目でいいから見てほしかった」
佐江は清春の髪に指を入れて息を吐く。清春の髪に差し込んだ指に力を入れ、声をこらえる。
「佐江、声をきかせてくれよ。きみはいつも、声をこらえてしまう。聞きたいんだ」
佐江《さえ》は清春《きよはる》の膝の上で抱きかかえられたまま、頬を染めて笑った。
「いやよ、恥ずかしい」
「はずかしい? ここにいるのは、おれときみだけだ。恥ずかしがることもないだろう?」
佐江はくすっと笑った。
ここにいるのは清春と佐江だけではない。
佐江が契約を交わしたものは、確実にこの部屋にいる。この部屋にいて、佐江が契約を守るのをじっと見ている。
佐江が清春を守るのを。
清春を愛して清春のために戦うのをずっと見ている。
声なんてだせない、と佐江は思った。しかし清春は、
「聞かせてくれ」
と、甘くささやいた。
「きみの声につつまれたい」
清春の声と一緒に、どこからか、女性にしては低くつやっぽい声が佐江の耳に入ってきた。
『声を出してちょうだい。あたしの息子があなたを幸せにしているという証拠が欲しいのよ』
笑っているような、からかっているような不思議な声音。
佐江は困ったように笑う。
この母子には、佐江がどうしても抵抗できない力がある。
そのために佐江は清春の浮気に目をつむったし、今もまたどうしようもなく唇を開いて、自分自身でさえも聞いたことがないような甘い、甘い声を上げている。
清春は佐江をきつく抱きしめた。
「ああ。きみのこんな声は初めて聴いた。佐江……かわいい」
清春の声と、井上万里子《いのうえまりこ》の声がオーバーラップして佐江に聞こえてくる。
『ねえ、残念だけれど、あたしにはあなたが交わした契約を消す力はないの。そのかわりに、あなたと清春にいつか必ず小さな幸せを送り出してあげる。
それまではあなたがひとりで清春を幸せにしてちょうだい』
約束します、と佐江は心の中でささやいた。
あなたがこの世でいつくしんだ大切な一人息子を、必ず、かならず幸せにしますから。
だから、あたしたちを見守っていてください。
おかあさん。
佐江は清春の広い肩にしがみついた。
「ここにいる。おれがここにいるから、佐江」
清春は顔を下げて乳房にキスをしようとして、驚いたような声を上げた。
「佐江、おまえ、こんなところにあざがあったか?」
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