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第四章「美しいホテル 美しい息子」
第25話 「あたし、あなたの子供は持てないみたいです」
しおりを挟むざあっと、音を立てるように満月のひかりがスイートルームに流れ込んだ。
艶《つや》やかで静かで、何もかもを見つめているような月の光だ。
清春《きよはる》は佐江《さえ》の手を握り、出窓《でまど》になっている部分に連れて行った。
そこから下を見おろして、佐江は思わず声を上げた。
「なんて、きれいな」
佐江の眼下には、森のようなコルヌイエホテルの日本庭園と、コルヌイエのシンボルでもある巨大な滝が月光を浴びて輝いていた。
清春は出窓の縁に腰をおろして、佐江の手を軽く引っ張った。佐江は清春に抱きかかえられるようにしてその膝に座り、出窓から外を眺めた。
清春の声が耳元で聞こえる。
「きれいだろう?おふくろは満月の夜に、ここからコルヌイエの庭を見るのが好きだった。そして、満月のときにはきっと、ひとならぬものがコルヌイエの庭を飛ぶんだろうっていつも言っていた」
ああ、と佐江も同意する。
「そうね、ちょっと引き込まれそうなほどきれいだわ」
「おふくろの遺骨を持って帰った日も、満月で、月がきれいだった」
清春は静かにそう言った。
「おれは一人で、この部屋にいたよ。なぜ自分の部屋でなくてここへきたのか、理由はわすれたな。一人でいて…そうだ、あの夜、おれはここで天使に会ったよ」
「てんし?」
くすと清春は笑った。
「おれが勝手に、そう呼んでいるんだ。なんだかとてもいい匂いがして、温《あたた》かいものが一緒にいてくれた気がする。夏のコルヌイエの庭みたいな匂いがして、おれはそのにおいをかぎながら、眠ってしまったんだ」
「いい匂いがした?」
佐江が尋ねると、清春は佐江のうなじに鼻をこすりつけながら
「いい匂いがしたよ。そうだな、ちょっと、きみの匂いに似ている」
「あなたのすきな匂いね?」
うん、と言って清春は深々《ふかぶか》と佐江の香りをかいだ。
「佐江」
「なんです?」
「おふくろは、おれが思う以上に、おれを愛していたのかもしれないな」
佐江はそっと目を閉じた。
そう。あの人はあなたを愛していた。
この世のものならぬ姿になってでも、あなたを守ろうとしていた。あの強さを、あたしは持てるのかしら。
佐江がそう思ったとき、ちくっと左胸に痛みが走った。おもわず手で、左の乳房をおさえる。その様子を清春が見ていて
「佐江、大丈夫か」
「ええ、ごめんなさい。ちょっと痛みがあって」
「痛み?」
清春は佐江を抱きかかえたまま、そっと背後からレースのドレスの胸元を広げた。佐江の白い胸をのぞきこんで、いぶかしげに尋ねる。
「見た目はなんともないな…大丈夫だろうか」
「大丈夫です。ねえ、キヨさん。あたし、あなたに謝らなくちゃいけないことがあるの」
「うん?」
佐江は自分のお腹のあたりで、長い指を組んでいる清春の手にふれた。
「あたし、あなたの子供は持てないみたいです」
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