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第7章「くたばれ、ダメンズ」

最終話「うちの総務には『賢者』がいる」

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(UnsplashのMegan Ruthが撮影)

 あたしはグイグイと相手の顔に書類をつきつけた。

「診断書です。

『受診者、門脇むつみ

 病名:
 骨盤部の皮下溢血、
 右大腿・左腰部の打撲傷、
 左肘部後面の擦過創。

 打撲傷は約7日間の安静が、擦過創は約14日間の加療が必要』

 これが、今回の騒ぎで、私が払ったです」
「じゅ、じゅぎょうりょう……」

 最後に、もういちどヤツを見る。
 口が開いた情けない顔。
 一度はこの顔を愛したのだけれど。
 このひとと、人生を一緒に歩もうと思っていたのだけれど。
 もう二度と、見ることはない。


 ケリをつけて、あたしはあたらしい人生に足を踏み入れるんだ。
 今度こそ、自分の意志で。自分だけの意思で。
 真実を見つめなおそう。

「……授業料です。
 事実を事実のまま見ずに、自分の見たいように歪曲したらどうなるか。
 その危険性を学ぶために支払った授業料でした。

 痛かったけれど、つらかったけれど、払っただけの価値はありました。
 もう二度と、都合のいいように事実をゆがめることはしません。

 事実は、真実です。
 正面から見た事実の積み上げだけが、真実に至る道なんです。

 あなたもそうお考えになったほうがいいでしょう」



 しずかに営業二課をでる。
 背後から、『賢者』の一言が聞こえた。

「あのね、念のためにお伝えしておきます。
 かつては女性も男性も結婚して姓が変わると、信用機関における自己破産の情報がリセットされました。
 それは確かなんです。

 でも今は情報社会です。
 結婚しても名前を変えても、履歴は残ります。
 婿養子に入ったくらいじゃ過去歴はきえない。

 貴方にその気がなければ、人生のリセットはできないんですよ。
 
 次の獲物に狙いをつける前にお伝えしておきますね。
 営業二課にはたしか、『婿養子』を希望する女子社員がいらした気がするので……」

 どこかで、ひいいっ、という絹を裂くような声が聞こえた。
 ……あのバカ、どうも二股までかけていたらしい……。
 そしてあたしの後ろからは、かつかつという足音が聞こえてきた。
 高瀬さんが背筋をまっすぐに伸ばして近づいてくる。


「高瀬さん、ありがとうございました」
「いえ。たいへんにお見事でした。
 すべてスムーズに行きましたので、今日の予約に間に合いました」
「……今日も、予約が入っているんですか?」

「毎日入っています。今日も明日も明後日も、です。
 悪い事ではありませんよ。
 事実を見ようとする女性が、それだけたくさんいる、という事ですから。
 
 私は私なりに、事実に向き合おうとする女性と、共にあろうと思います。
 では、お先に」

 かかかっ、という足音を立てて高瀬さんはあたしの先を行った。うしろからは、

「ちょっとお、凪ちゃん、ぼくを置いていかないでようう!」

 おっと、若林課長をわすれてたわ。
 課長はあたしに追いつき、

「あー、お腹空いたね? 昼飯を食う時間はあるかな?」
「コンビニで、何か買えますよ」
「じゃ僕はパスタにしようっと。きみ、どうする?」
「おごってくれるんなら、いただきます」
「……そうやって、男を利用するところだけ、凪に似ないでほしいなあ」

 あはは、とあたしは笑った。
 明るい初夏の日差しが、オフィスの廊下に満ちている。

 もうじき、夏が来る。






 名古屋に本社のある三ツ星機械、総務部経理課には、ひとりのお局女子社員がいる。
 社内における最強の恋愛アドバイザー、全女子社員から圧倒的な支持を受けている特別な存在。

 小さな身体に秘密と痛みを抱える彼女は最高にクールで、最高に賢くて。

 いつだって、戦う女子の味方だ。


 高瀬凪、31歳。
 通称『総務の賢者』。

 あたしの、先輩だ。

ーーーーー了-----
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