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第6章「純粋な事実を、積み上げろ」
第27話「この世は虚言と真実でできている」
しおりを挟む(UnsplashのLOGAN WEAVER | @LGNWVRが撮影)
スミレの部屋で、若林課長は持ってきたコンビニ袋からガサガサと大量のお菓子やペットボトルを取り出しながら、言った。
「はー、とにかく会えてよかったよ」
「……はあ」
高級マンションにまったく似つかわしくない二人。
そう考えたら、あたしだって似つかわしくないんだけど。
とりあえず、ぺこりと頭を下げた。
「あの、すみません、ご迷惑をかけてしまって」
「うん、いいんだけどさ。あ、コップあるかな、ジュース飲むからさ」
キッチンからコップを持ってくると、若林課長は三つを並べてジュースをきっちり三等分した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「はい、凪ちゃんも」
高瀬さんは、じろりと課長を見ただけ。
この目線、別の意味でこわいな……。
あたしはジュースのコップを見ながら、思い切っていった。
「ご迷惑ついでに、このまま退職届を持って行ってください。あたし、会社を辞めます」
あれから、ずっと考えていたことだ。
スミレによれば、婚約がダメになったこと社内中に知れわたっている。
あれだけ交際も婚約もオープンにしていたから、ざまあみろと思っている人も多いだろう。
それに、他の人の視線が怖すぎる。
みんなはあたしが暴行の加害者だと思っているんだから……。
このまま辞めるのが、最善の策だって思う。
そのとき、高瀬さんが言った。
「なんで、やめるんですか」
「だって……こんな騒ぎになって……あたし、会社も仕事も大好きですけど、どうしようもないです……。
こわいし」
「……こわい? 何が怖いんです」
高瀬さんの声はいつものように冷静だ。
さっきのエントランスでの騒ぎは、何だったんだろう?
あたし、悪い夢でも見たのかな?
そこへ高瀬さんが、ザクッとぶった切るように言った。
「いっぱしの大人が、怖いから会社へ行けないなんて」
あたしはムカッとする。
「だって、怖いでしょう!?
結婚するつもりだった男に、いきなり髪を引きずられてハサミで切られて、あげくにお腹も背中もあざだらけになるまで蹴とばされて。
次は殺されるかもしれない。
会社だろうが何だろうが、もう二度と、あの男には会いたくありません!」
あたしと高瀬さんがにらみ合う。
そんな時に、ズズズズぅっと、ジュースをすする音が部屋に響いた。
若林課長……タイミングとか、空気読むとか、しないんだなこの人……。
高瀬さんはますますクールに言い放つ。
「そうやって逃げて、何か解決するんですか。
あなたは同棲していた婚約者に暴力をふるうような人間として見られたまま、職を失うことになります。
相手には、何のキズも残りません。
それでいいんですか。悔しくないんですか」
「……くやしいです……」
ずぞぞぞぞうっ!!
「あなたが自宅から逃げ出した直後に、青井さんが社内グループ全員へ送った画像付きメッセージは見ましたか」
「……見ました」
「あの後からも、どんどんメッセージが来るんです。
バヤさん、スマホを貸してください」
ぽい、と課長はスマホを高瀬さんに渡した。
高瀬さんがメッセージ画面を開く。
「このあたりのメッセージですね。
『これまでも何度か暴力沙汰になったことがある。でも自分としては結婚するつもりだったから耐えていた』
『だんだん結婚する気もなくなっていたが、暴行が怖くて別れようと言えなかった』
『ついには婿養子を強要された』
『僕は被害者です。でも彼女を責める気持ちはありません。愛情の形は人それぞれだから』
こんな感じです」
「……あたし、暴力をふるったことなんてありません!
それに結婚だって、あっちから言い出したんですよ。
うちは婿養子が大前提だって言ったら『それでもいい』って……。
あれ、全部嘘だったんですか!?」
「嘘です」
高瀬さんはどこまでもクールに言い放った。
同時に、ばりっ、ばりばりばりという音。今度はポテチの袋が開いたみたい。
ずざああああっ。
あ、若林課長、ポテチは『飲む派』なんだな……って、そんなこと、どうでもいい!
あたしは何もかも全部に、腹が立ってきた。
こんな目に合わせた、バカ男にも。
目の前で冷たい事を平気で言えるお局様にも。
その隣でバクバクとお菓子を食べまくっているヘンな課長にも。
そして何よりも、暴力の記憶におびえておびえて、一歩も外へ出られなくなっている自分自身に、腹が立ってきた。
おもわず叫んだ。
「わかってる、わかってます!
このままあたしが黙って会社を辞めるのは、あっちの思うつぼなんです!
でもこれって、あたしに対する罰でもあるんじゃないですか?
これまでもずっと、どこかおかしい、って感じてた。
どこかに違和感があるって思ってた。
だけどぜんぶ気のせいだって、自分に言い聞かせてました。
だって、あたし――」
ぶわっと涙が出てきた。あの日から止まったきりだった涙腺が、一気に活動過多になったみたい。
「あたし、幸せになりたかったんだもん!
やさしい旦那さん、かわいい子供、恵まれた仕事、家族。
ぜんぶぜんぶ、欲しかったんだもん!
欲しいものが目の前にあれば、ちょっとした疑問に目をつぶるのが、女でしょう。
そうじゃないですか!?」
「ちがうっ!」
ばっ、と高瀬さんは立ち上がった。
「バヤ! ちょっと外に出ていて!」
「えー、これから期間限定、イチゴ味ホッキ―を食べるとこなんだよ」
「箱ごとホッキ―を持っていけ!」
高瀬さんはコンビニ袋を若林課長に押し付け、蹴とばして部屋から出した。
あたしを見る。
「門脇さん。
この世は虚言と真実でできています。
ただし、虚言がすべてあやまちで、真実だから正しく美しいわけじゃない。
大事なことは、美しくも正しくもない事実を積み上げて、今、現実に起きていることをそのまま受け入れることです」
そう言うと高瀬さんは、いきなり白いシャツのボタンをはずしはじめた。
え、やだ。
何をするっていうの……?
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